コロサイ人ヘの手紙1:1-14(9) [JLB] [KLB] [NIV]
パウロの祈りと感謝
□2月21日(主日)
使徒パウロは、コロサイの教会を築き上げたエパフラス(7)から、教会が難しい状況にあることを聞き(8)、福音信仰の上に教会を堅くするために手紙を書きました。パウロは、彼らのことを祈る時に、いつも、主イエス・キリストの父なる神に感謝しました。彼らの問題だけに縛られませんでした。パウロは、彼らの中で興った聖霊の御業を、まず感謝します。キリストに忠実に仕えるエパフラスが福音を伝え、コロサイの聖徒たちはキリスト・イエスを信じました。その信仰に立ち、彼らは神を愛し、神の聖徒たちにも愛を抱きました。それだけではなく、神の国への望みにより、天に蓄える生活をしていました。信仰、愛、望みは、信仰の三要素です。その中でも、愛が一番です。愛は信仰のあかし、望みの実でもあります。パウロは、彼らの信仰を感謝し、同時に彼らにも神様に感謝をささげてほしいと祈ります。パウロが感謝したように、たとえ難しい中にあっても、彼らも神様に感謝をささげるようにと言います。暗闇の力から救い出し、贖い、罪の赦しを得ていることに感謝するべきです(13,14)。感謝とは、信仰と愛にあふれているか、その程度を測りとる物差しです。
彼らの便りを聞いた日から、パウロは絶えず、彼らが成長するように祈り求めています。信仰で問題が起こる最も大きな原因に、主の御心を十分に悟れないことがあります。霊的な知恵と理解力によって、パウロは神のみこころについての知識に満たされるように祈ります。みこころを知れば、主にふさわしく歩み、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる良いわざのうちに実を結びます。また、神を知ることにおいて成長してゆきます。そして、あらゆる力をもって強くされ、どんなことにも忍耐し、寛容になります。ですから、わたしたちも神のみこころについての知識に満たされることを祈り求めてゆきましょう。
適用:私が祈り求めることは何ですか
一言:神のみこころを悟ることです