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BibleMsg > ルカの福音書 > 04-46 富で友をつくりなさい

04-46 富で友をつくりなさい

投稿者: Jubfadmin 掲載日: 2004/12/24 (3912 回閲覧)
2004年ルカの福音書46講
富で友をつくりなさい
御言葉:ルカ16:1-18
要節:ルカ16:9そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。

 先週、春の修養会を通して神様の御言葉を深く受け入れて悔い改め、新しく祝福された人生へと出発するように導いてくださった神様に感謝します。特に日本全国のUBFから集まって来た兄弟姉妹、牧者、宣教師たちを良き友達として作ることができたことを感謝します。キリストにあって作られた友達は永遠に続くものだからとても大切です。私たちが大切な友達とともに大いなるリバイバルのために励むことができるように祈ります。
今日の御言葉は、この世の富、財産を使って友達をつくるように教えています。私たちは民主主義、資本主義の社会に生きているので自分の財産を自分がよく管理し、賢く使わなければなりません。特に、財産をどのように使うかということはとても大切です。本文の御言葉を通して聖書的な物質観を学んで、賢い管理人、立派な経営者になることができるように祈ります。

?.抜け目のないやり方をほめた主人(1-9)
 1aをご覧ください。「イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた。」とあります。15章で三つのたとえを宗教指導者たちに話されたイエス様は弟子たちにも話をされました。弟子たちはやがてイエス様の後を受け継いで福音のみわざに仕える人たちです。彼らが福音のみわざに仕えるためには牧者であり、学者であり、立派な管理者にならなければなりませんでした。そこで、イエス様は弟子たちに一つのたとえを話されました。
 1bをご覧ください。「ある金持ちにひとりの管理人がいた。この管理人が主人の財産を乱費している、という訴えが出された。」とあります。イエス様の当時は、不在地主といって、大きな農園を持った金持ちが、農園を小作人たちに任せ、彼らを管理する管理人も立て置く場合がよくありました。管理人は主人から絶大な信頼を受けて財産を使う特権がある同時によく管理して主人に有益を残すべき責任も与えられました。ところが、ここに出て来る管理人は、主人の知らないところで大損害をさせ、主人の財産をむだ使いしていました。その話を聞いた主人の心はどうだったでしょうか。どんな主人でも管理人が自分の財産を乱費している、という訴えが出されたら気持ちよくないでしょう。そこで主人は彼を呼んで言いました。『おまえについてこんなことを聞いたが、何ということをしてくれたのだ。もう管理を任せておくことはできないから、会計の報告を出しなさい。』(2)。主人は彼を呼び、会計報告を提出させたのです。でも、この主人はやさしい方です。普通なら、怒りに燃えてすぐにでもクビにするだけではなく、私文書偽装、業務上過失、特別背任、詐欺罪などで告訴します。しかし、この主人は彼を責め立てて罰するより会計の報告を出させたのです。
私たちも神様からいのちと財産を任せられた管理人です。ですから、神様は私たちにも決算報告が求められます。イエス・キリストによって救われた私たちに罪が責められて地獄に投げ込まれることはありませんが、人生の決算報告が求められるのです。その時、神様は私たちに言われます。わたしがあなたにあずけたあなたのいのちはどうしたか、あなたの時間、あなたの人生、あなたにあずけた財産、この地上での学歴、名誉や信用、才能や賜物は、どうしたか、あなたが幸せに暮らせるようにと託した家族や友人はどうしたか、わたしの大切なものをあなたは一体どうしてしまったのか。人生の決算報告が求められるようになるのです。私たちはその時を備えなければなりません。
不正な管理人は自分の不正が分かっているので、リストラに会うことは間違いないと思いました。しかも、自分は不正のためにリストラに会うので退職金ももらえないし、転職もできないことが分かりました。もう目の前が真っ暗になりました。こんな状況になると、人々はどうしますか。ある人は、できる限りのお金を集めて夜逃げをします。家出してホームレスになる人もいます。人生を諦めて自殺してしまう場合もあります。しかし、彼は心の中で言いました。『主人にこの管理の仕事を取り上げられるが、さてどうしよう。土を掘るには力がないし、こじきをするのは恥ずかしいし。』と言っています。彼は絶望的な状況の中でも道を探しました。すると、いい案が浮かんだようです。
4節をご覧ください。『ああ、わかった。こうしよう。こうしておけば、いつ管理の仕事をやめさせられても、人がその家に私を迎えてくれるだろう。』とあります。これはいったいどのような案でしょうか。見てみましょう。
5-7節をご覧ください。そこで彼は、主人の債務者たちをひとりひとり呼んで、まず最初の者に、『私の主人に、いくら借りがありますか。』と言うと、その人は、『油百バテ。』と言いました。すると彼は、『さあ、あなたの証文だ。すぐにすわって五十と書きなさい。』と言いました。50%の割引です。それから、別の人に、『さて、あなたは、いくら借りがありますか。』と言うと、『小麦百コル。』と言いました。彼は、『さあ、あなたの証文だ。八十と書きなさい。』と言いました。今回は20%です。
ここで、彼は借りをつくっているというか友だちをつくっていることが分かります。主人に証文がある人の借りを安くしてあげることによって失業した後に、その人の家にお世話になることができるようにしたのです。彼は最後の最後まで主人の金を不正に用いています。ただ、失業した後に自分を助けてくれる友をつくるために用いています。それにもかかわらず、主人は彼をほめました。その理由は何でしょうか。
 8節をご一緒に読んでみましょう。「この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜け目がないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜け目なくやったのをほめた。」
この主人はこの管理人の抜け目のないやり方をほめています。抜け目なさとは賢さとも言い換えられますが、彼は将来の生活のために現在あるものを賢く利用しました。そこで、イエス様はこの姿が光の子以上のものであると言われました。すなわち、未信者たちが世のことについては、信者たちより抜け目がないということです。本当にこの世の人々が仕事をやることを見ると抜け目なく計画し、とても賢くやっています。反面、クリスチャンは信仰によってやるといって適当にいい加減にやってしまう時が多くあります。しかし、私たちはノンクリスチャンの抜け目なさ、知恵を学ばなければなりません。ここで、主人がこの管理人を褒められた点とは、彼の不誠実さや不正に主人を騙した行為ではありません。「この不正な管理人の抜け目のないやり方」です。イエス様はこのたとえを通して弟子たちが抜け目なく、賢く振る舞ってほしい、と願われたのです。イエス様は、私にも、皆さんにも抜け目なく、賢く振る舞ってほしいと願っておられます。何をしても抜け目のないやり方が求められているのです。
では不正な管理人はどんな点で抜け目のないやり方をしていますか。
 第一に、自分の将来に備えて行くことです。彼は目の前の有益より、リストラに遭った後のことを考えて抜け目なく次の人生のために役立つことを準備しました。愚かな人は将来のことを考えず、目先の有益だけを求めて行動します。彼らは「あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか。」という生き方をしています。今の人生を楽しもうとするのです。昨日、早稲田大学の掲示板で見たのですが、今の若者の65%が今の人生を楽しむことを第一にしているそうです。それで、21世紀の日本の将来を心配していました。また、愚かな人は体のことはよく考えても、霊的な生活に対してはあまり考えません。無関心です。この地上の生活だけを考え、死後の世界については何の準備もしません。この世の名誉と財産を得るために永遠のいのちを諦めます。その結果、災いが襲ってくると倒れて滅んでしまいます。しかし、本当に抜け目のない人は過去より現在を大切にし、将来をもっともっと大切に考えます。目に見える現実の世界より目に見えない霊的な世界、永遠の住まいをもっと大切にします。賢い人は働き盛りの時に10年後、20年後を考えて人生の基礎を築け上げます。さらに進んで死後の世界を考えて自分の全生涯を主と福音のために投資します。朽ちることも、汚れることも、消えていくこともない神の国のために働きます。このような人に対して愚かに見る人たちがいますが、実は本当に賢い人で、抜け目のない人です。
 第二に、彼は財産で友達をつくりました。多くの人々は財産に多くの関心を持ち、友達を作ることには無関心です。特に、状況が難しくなれば頼れるものはお金しかないと思います。それで金儲けのために骨が折れるような苦労をします。しかし、賢い人は友達を作るためにお金を投資します。同窓会、クラス会、サークル活動などを通して友達を作るためにお金も、時間も投資します。私は学校で教師の仕事をしながら子どもたちに良い友達を作ってあげるためにお金を投資している賢いお母さんたちに出会うときがよくあります。この管理人もお金より人に関心を持ちました。自分にある機会をよく活用して友達を作りました。彼は財産より友達がもっと大切であることが分かっていたのです。それで、たとえ主人の財産であってもその財産を投資して友達を作ったのです。私たちも、その賢さ、抜け目なさを学ばなければなりません。そこで、イエス様は言われました。
 9節をご一緒に読んでみましょう。「そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。」
ここで、『不正』これは元々の言葉では「アディキア」で、「不正」というよりも、「虚ろな」とか「表面的な」とかいう意味に使う言葉だそうです。言い換えれば「移り行くこの世の」とでも訳すことができるでしょう。新共同訳では「不正にまみれた富」と訳しています。「この世の富」であなた方は自分の為に“友”を作りなさいという事です。特にこれは“天国の友”を意味していると思います。なぜなら、聖書に「彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。」とあるからです。私たちがお金を投資してこの世の友達をつくることも大切ですが、それより大切なのは永遠の住まいに迎える友達を作ることこそ大切なことです。人間的な交わりはどんなに素晴らしい交わりでもこの地上の生涯に限られています。私の父は同じ田舎で生まれ育って70年も続いている友達を誇らしげに言う時がありますが、長くて100年でしょう。しかし、キリストに出会って救われたクリスチャンの友達は永遠に続きます。私達は永遠の住まいに迎え、永遠に続く友達を大切にしなければなりません。私は修養会の時、牧者たちが地方の牧者たちとメールアドレスを交換している姿を見ましたがとても素晴らしいことです。私達は今の友達を大切にするとともに永遠に続く友達を作るために励まなければなりません。伝道を通してキャンパスの兄弟姉妹たちを友達にして行くのです。私たちが永遠の住まい天国に行った時、迎えてくれる人がいなければどんなに寂しいことでしょうか。私たちが天国の友を作るためにますます励むことができるように祈ります。何よりもイエス様を真の友とするために日ごとに御言葉を通してますます深く交わることができるように祈ります。
よくよく考えてみると、私達は何も持たずこの世に来ましし、何も持たず天の御国に帰る者です。ですから、私達は神様から与えられたこの世の富を、本当の価値ある事の為に用いる事が大切です。私達は与えられた金銭、財産、命、時間、賜物、才能・・・・に関して管理を任された者と認識する必要があるのです。これらは「自分の物」だと考えてしまいがちですが、管理が任されているだけなのです。では管理する者には何が求められているでしょうか。

?.管理人の忠実さ(10-13)
 10節をご一緒に読んでみましょう。「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」
この御言葉は小さいことでも、大きいことでも忠実さの本質は同じく適用されるということを教えてくれます。与えられたもの、任されたものが小さいか、大きいかが問題ではなく、それらに対してどれほど忠実であるかが大切なのです。私たちは目立たない小さいことをおろそかにしてしまいがちです。小さい事は小さいからに不忠実であっても良いと思い、大きい事、大切なことが任せられた時は忠実にやろうと思います。しかし、小さい事に不忠実な人は、やはり大きな事にも不忠実であります。大体、人の目を意識している人は心の動機も人の前で認められることを気にしているから目立たない仕事を忠実にすることができません。しかし、心の動機が神様の前で行なう人は、いくら小さいことにも忠実であります。人々に認められなくても神様の御前で考えて忠実に行ないます。ですから、その人は責任感が強く、どんなことでもやりとおします。創世記のヨセフは父がお使いに送った時にも責任感を持って最後までやりとおしています。また、彼はエジプトへ連れて行かれた時、奴隷の仕事が与えられても忠実にやりとおしました。曖昧に罪をかぶって監獄に入れられた時も、相変わらず忠実でありました。彼はこのような忠実さでエジプト帝国の総理大臣の仕事もりっぱに果たすことができました。神様は忠実な人を貴く用いられます。いくら能力が多くても忠実さがなければ決して用いられることができません。私たちが大きなことに用いられたければまず小さいことに忠実であることを学ばなければなりません。
UBF宣教師たちは信徒伝道者として世界に散らされています。外国の地で経済的に自立しながら宣教のみわざに励むことはなかなか難しいことです。宣教師たちは大学、大学院を卒業していながらも最初は皿洗いや新聞配達、運転手などの仕事から外国の生活を始めています。私たちがよく知っているマリロペス宣教師がいるLAの金イサク宣教師は韓国では部長判事でしたが、LAに行って新聞配達から始めました。神様はこのように小さい事に忠実である人たちを大きく祝福し、大いなる神様のみわざに貴く用いておられます。
モンゴルのアクラ宣教師は大使館の運転手でした。しかし、その仕事に忠実であった時、外務大臣が訪問された時、彼をモンゴル大使館の書記官の仕事が与えられました。霊的にも320名の牧者として用いられています。偉大な牧者になることも一人の羊に忠実に仕えることから始まります。
私は今年修養会を通して日本UBFに大いなるリバイバルが始まるビジョンを見ました。大いなるリバイバルが今始まります。ところが、それは小さい1チームの1:1から始まります。とても小さく見えることでも神様の御前で忠実であるとき、神様は私たちを大いなるリバイバルのみわざに用いてくださいます。どうか、私たち一人一人今与えられた小さい事に忠実であって大きい事にも忠実な人として用いられるように祈ります。
イエス様は、またこの世の財産を小さなこととし、後に来る神の国を大きなことであることとして教えておられます。この世のことはちいさなこと、そして大きいことというのは後の永遠の住まいにおける報いであるのです。11節をご覧ください。「ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。」とあります。この世で自分の財産、私有の財産について忠実でない人に、まことの富である神様の国の財産を任せることができるかということです。また、12節では他人が持っているもの、他人の財産についても忠実でありなさいということです。やがて私たちは神の国で莫大な財産を受け取ってそれを相続するようになります。それなのに、今持っているものをちゃんと管理できなくてどうするのでしょうか。今、この世の小さいことに忠実であり、ちゃんと管理する者でなければなりません。
私たちがこの世の小さいことに忠実であると、出世し、成功して財産を増やすこともできるようになります。ところが、そうなると、霊的には危機になる可能性も大きくなってきます。私は日本に来て16年間の宣教師生活を通してそのことをよく感じました。宣教師として来た時はどんなに小さい事に忠実でありますが、学位を取得し、就職して経済的な基盤が安定的になると、信徒宣教師の使命から離れて行く人が多かったのです。もちろんそれぞれの事情があったと思いますが、安定的になったときこそ霊的には危機であることをよくよく悟ったのです。ですから、この世の小さい事に忠実であり、財産を管理する際に大切なことは、いつも神様を主人として生きる、神様を第一にして生きるということです。わたしたちは自分の所有する財産を管理しているつもりなのに、いつの間にか財産の奴隷になっていることがあるからです。教会に献金をするために一生懸命働くといいながら、実はお金を貯めるために心を奪われるということがあります。ですから、毎日の生活の中で神を第一とする決断をしていかなければなりません。そこで、イエス様は言われました。13節をご覧ください。「しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」とあります。私たちが絶対的に従い、仕えるべき方は神様だけです。この世の富は神様のみわざに仕えるための手段であって目的ではありません。ですから、私たちはこの世のことに忠実でありながらもまことの礼拝の対象、心を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして愛するべき方は神様の実であることを忘れてはならないのです。

?.不忠実なパリサイ人たちを叱られたイエス様(14-18)
 14節をご覧ください。金の好きなパリサイ人たちが、イエス様のお言葉を聞いてイエス様をあざ笑いました。彼らは富に仕えて神様に仕えることはできると思いました。彼らはお金をとても愛していたのです。お金を愛する心は彼らの霊的な目を閉ざしました。そこで、イエス様は彼らを叱られました。15節をご覧ください。「イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者です。しかし神様は、あなたがたの心をご存じです。人間の間であがめられる者は、神様の前で憎まれ、きらわれます。」とあります。彼らの問題は神様の栄光より人間の間であがめられることを求めたことです。神様はこのような二重人格者を忌み嫌われます。
イエス様は続けて、彼らが律法より根本的に神の国の福音を受け入れなければならないことを教えてくださいました。16節をご覧ください。「律法と預言者はヨハネまでです。それ以来、神の国の福音は宣べ伝えられ、だれもかれも、無理にでも、これにはいろうとしています。」とあります。過去旧約時代は律法の行いによって救いを得ると教えられました。しかし、人間は弱くて律法の行いによって救いを得ることができませんでした。今はイエス・キリストがこの地に来られることによってただ福音を信じることによって神の国に入る門が開かれました。すると、多くの人々が集ってきました。福音が宣べ伝えられる所々救いのみわざが活発に起りました。こうなると、律法が要らないのではないかと思われます。しかし、律法の一画も落ちることがありません。それはイエス様が律法の完成者であるからです。18節は律法の効力に対する実例です。当時、パリサイ人たちは律法を利用して妻に離婚状を出して勝手に離婚しました。甚だしくは料理がうまくないことでも離婚の理由になっていたそうです。イエス様はそんな彼らに離婚することは姦淫であって律法を犯す罪であることを指摘されました。
 結論的に以上の御言葉を通して私たちがこの世でどのような生き方をするべきかを学ぶことができました。私たちはお金を自分と肉体の快楽のために使うべきではありません。友達をつくるために、永遠の友達をつくるために使うことこそ賢い生き方です。また、私たちは神様が預けられた財産、時間、お金を忠実に管理して将来を備えて行く必要があります。何よりも永遠の住まいを備えて福音のみわざに励むことです。その時、神様は私たちを素晴らしい命のみわざ、大いなるリバイバルのみわざに貴く用いてくださいます。

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