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BibleMsg > ルカの福音書 > 04-24 実を結ぶ秘訣

04-24 実を結ぶ秘訣

投稿者: Jubfadmin 掲載日: 2004/12/24 (2317 回閲覧)
2003年ルカの福音書第24講                       

実を結ぶ秘訣

御言葉:ルカの福音書8:1‐15
要 節:ルカの福音書8:15 しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。

先週、私たちはイエス様をよけい愛したひとりの女性の感動的な愛と信仰を学びました。イエス様は彼女に言われました。「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」そうです。私たちの信仰が、私たちを救います。信仰によって救われた人たちは、どんな状況の中でも安心して生きられるし、イエス様をよけい愛することができます。
著者ルカはイエス様の生涯を初めから綿密に調べましたが、その中で救われた女性たちの素晴らしい愛の行動に感動していたようです。ここにイエス様をよけい愛した女性に続いて、多彩な女性が登場してきます。1-3節をご覧ください。イエス様は神の国を説き、その福音を宣べ伝えながら、町や村を次から次に旅をしておられました。十二弟子もお供をしました。また、悪霊や病気を直していただいた女たちもいっしょでした。イエス様は多くの男女の弟子たちを伴われて、各地に巡回伝道に出ておられたのです。この大きなグループの生活を維持するのは大変であったと思われます。私たちは毎週礼拝の後、食事会を行なっていますが、もし、この人数だけでも毎日毎食をいっしょにするなら大変なことになるでしょう。ところが、イエス様の一行に仕える女性たちがいました。2bと3節に「マグダラの女と呼ばれるマリヤ、ヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか自分の財産をもって彼らに仕えている大勢の女たちもいっしょであった」とあります。新共同訳によると「彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」とあります。神様のみわざに仕える奉仕にはいろいろな奉仕がありますが、彼女たちは、自分に与えられた自分の持ち物を出し合って主に仕えました。他の弟子たちがバプテスマを授けたり、メッセージを伝えたり、病気を癒したりする奉仕に従事したのに対し、その奉仕をうらやんだり、他の奉仕者の賜物を嫉んだりするのではなく、自分に与えられた持ち物を出して仕えていたのです。その奉仕は目立たず、隠れた働きでしたが、こうした奉仕によってイエス様の巡回伝道が支えられていました。私たちUBF教会も、目立たず、隠れた働きですが、忠実に仕えている成熟した信仰の女性たちによって支えられていることを感謝します。
信仰の女性たちがイエス様をよけい愛し、自分の持ち物を出して仕える原動力はどこにあるでしょうか。彼らの信仰が成長して多くの実を結んでいる秘訣はどこにあるでしょうか。イエス様は種まきのたとえを通して実を結ぶ秘訣を教えてくださいました。
 4-8節をご覧ください。大勢の人の群れが集まりました。また方々の町からも人々がみもとにやって来たので、イエス様はたとえを用いて話されました。このたとえは現在の私たちにはよく理解できない部分があるかも知れません。しかし、当時は種をまき、収穫するというのは日常のすがたでした。ですから、イエス様がたとえを話された時、人々は、そのとおりだとよく理解することができました。今でも農村で育った農夫の子どもにとってはよく分かるでしょう。私は半農半漁の村で生まれ育ちましたが子どもの時は、親についていって大麦や豆などの種を蒔いたことがあります。大人が蒔く時は、種が道ばたや、岩の上に落ちることがありません。もちろん、子どもがいたずらに種を蒔くと、道ばたに落ちたり、岩の上や雑草の地に落ちたりすることもあります。ところが、当時のイスラエルの種まきは、かなりおおらかというか、いい加減というでしょうか、畑のあぜ道のところから風にまかせて「バーット」撒き散らすように蒔いたそうです。そういった蒔き方ですから、当然いくつかの種は道ばたの硬いところに落ちました。あまり耕されていない岩地に落ちたり、隣の雑草や茨の中に落ちたりすることもありました。人々は、そういうところに落ちた種が育って行かないことは日常の中で見ていました。実が結ばれて収穫できるのは、耕されたやわらかく、深い土に蒔かれて根を張っている種であることを体験として知っていました。ですから、イエス様はこのたとえを通して同じ種が蒔かれても実を結ぶ畑もあれば、実を結べない畑もあることを話されたのです。全く同じ種であっても、実を結べない畑もれば、100倍の実を結ぶ種もあるを教えられたのです。でも人々はよく理解できなかったようです。そこで、イエス様様は、これらのことを話しながら「聞く耳のある者は聞きなさい。」と叫ばれました。
ここで、イエス様が叫ばれたというのは、聞くことの大切さを示唆してくれると思います。イエス様が叫ばれるほど聞く者の心の姿勢が大切なのです。ローマ10:17節は言います。「したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。」とあります。信仰は聞くことによるのです。ところが、私たちは聖書の言葉、或いはメッセージや話しを聞く時、どのような姿勢で聞いているでしょうか。御言葉を正しく聞く時もあれば、表面的な意味でしか受け取らない場合もあるのではないでしょうか。私だけなのかも知れませんが、御言葉をサッと通り過ぎるようにに読むと、何も残らない時があるでしょう。聖書を一回読んで閉じますが、閉じた瞬間に今何が書いてあったのか思い出す事すら出来ない時があるのです。先週、初めて聞いたゴスペルソングの歌詞にこういう歌詞がありました。「説教を始めると、眠り始めて、説教が終わると目を覚めて起きる人がいます。それは主人が喜ばないでしょう。」という内容の歌詞です。おもしろい歌詞ですね。現在の教会の姿を表わした歌だと思いますが、イエス様が話された時も、聞く耳があってもよく聞かない人がいました。そこで、イエス様は「聞く耳のある者は聞きなさい。」は叫ばれたのです。よく聞くように、謙虚な心、悔い改める心をもってよく聞くようにと、聞くことを強調されたことなのです。人間には大きい耳が二つ、小さい口が一つですが、それは多く聞いて少なく話すように造られた神様のご計画ではないかと思います。
ではイエス様が話しながら「聞く耳のある者は聞きなさい」と叫ばれたたとえの意味は何ですか。イエス様は、このたとえがどんな意味かを尋ねる弟子たちにたとえの意味を説明してくださいました。ここで種は神様の御言葉です。

一つ目の種は道ばたに落ちました。12節をご覧ください。「道ばたに落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞いたが、あとから悪魔が来て、彼らが信じて救われることのないように、その人たちの心から、みことばを持ち去ってしまうのです。」とあります。聖書の御言葉を聞きますが、私達の心からどんどん取り去られていく危険性があるということを教えてくれます。私たちの今生きている世界は、悪魔が働いています。なんとか御言葉が人の心に留まらないようにしようと働いています。悪魔、サタンはじっと見張っていて、なんとか人々を御言葉から遠ざけよう、遠ざけようと働いているのです。
私たちは聖書を読もうと思っても、サタンは「忙しい」という思いを植えつけて時間が取れなくなるようにします。あるいはテレビやインターネットに時間を費やしてしまうようにします。ですから、私たちは、今生きている世界に、御言葉から遠ざけようとする力が働いていることをはっきり理解する必要があります。それを理解すれば、対策がとれます。たとえば、聖書を部屋や食卓、机の上に置いたり、インターネットやカセットテープを通して御言葉を聞いたりすることができます。でも、聞いても、御言葉を自分に留めようとしない限り、消えていってしまいます。だから、実を結ぶためには御言葉を聞く時に、自分にとって「どういう意味かな」と読み、聞くことが大切なのです。

二つ目の種は、岩の上に落ちました。13節をご覧ください。「岩の上に落ちるとは、こういう人たちのことです。聞いたときには喜んでみことばを受け入れるが、根がないので、しばらくは信じていても、試練のときになると、身を引いてしまうのです。」とあります。
岩地の人たちは、聞いた時には喜んで御言葉を受け入れます。たとえば聖書の中には素晴らしい約束がたくさんあります。
『恐れるな私はあなたとともにいる。たじろくな、私があなたの神だから。私はあなたを助け、あなたを強め義の右の手であなたを守る』『すべて疲れた人、重荷を負っている人は私のところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます』『できるものならというのか、信じる者にはどんなことでもできるのです』などです。
こういう御言葉を聞くと「素晴らしい。素晴らしい」と喜ぶのです。素晴らしい御言葉を聞いて素晴らしく感じ取ることは素晴らしいことです。しかし、もっと大切なことは御言葉の根です。岩地に落ちた種の問題は根を根を張ることができないことです。根がないので、しばらくは信じていても、試練のときになると、身を引いてしまうのです。実を結ぶことができません。
 大きな実を結ぶ農作物にはそれを支える強い根の構造が要求されます。先に丈夫な根があってその次に実です。私たちがキリストの中に根ざしていれば、自然に良い実が結ばれます。イエス様はこう言われました。「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。(ヨハネ15:5)」本当の実はキリストの中に根ざし、キリストに留まるところが結ばれるのです。

三つ目の種はいばらの中に落ちました。14節をご覧ください。「いばらの中に落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞きはしたが、とかくしているうちに、この世の心づかいや、富や、快楽によってふさがれて、実が熟するまでにならないのです。」とあります。この人々はそれなりに芽を出していますし、成長しています。御言葉の素晴らしさを味わって喜んでいます。素晴らしい御言葉に励まされて自分の生活もよくなっています。しかし豊かな実を結ぶ所までは到りません。それなりのクリスチャン生活をしているように外からは見えますが、実を結んでないのです。成長を妨げるものに引っかかってしまって、十分に成長できていない状態のままです。成長を妨げるものとして、イエス様はこの世の心遣い、富、楽しみが上げられています。でも生活する上で、心遣いや心配ごとから避けて生きることは不可能です。また、富や楽しみが悪いわけではありません。箴言10:22節を見ると「主の祝福は人を富ませる、主はこれになんの悲しみをも加えない。」とあります。ですから、問題は茨の中でも御言葉の種がよく育っているかどうかです。すなわち、優先順位の問題です。神様よりも自分の心配事、富、楽しみに目が行く時、決して成長できません。私たちはBetterのために、Bestを失ってしまいがちです。この間、セントラルリーグで優勝した阪神の星野監督は、優勝する前日にお母さんのお通夜がありましたが、野球に専念していたことが知られています。彼は自分にとってお母さんはかけがえのない存在だったと思いますが、それよりも野球ファンのことを考えたことで人々に感動を与えました。私たちが本当に実らしい実を結ぶためには、自分にとって良いこと、楽しいことを捨てる勇気を持たなければならないのです。ところが、私たちはいつも、「神様に従うよりも、あちらの方が素晴らしい。こちらの祝福の方が良い」というような誘惑の中に置かれています。私たちの周りには茨が雑草がよく育ってくるのです。その時、私たちがどちらを選びとっていくか、とても大切なことです。私たちクリスチャンにとって神様の御言葉を選び取る時に、豊かな実を結んでいくのです。

四つ目の種は良い地に落ちました。15節をごいっしょに読んでみましょう。「しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。」よい地に植わった種は実を結びます。百倍の実を結びます。愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制など御霊の実を結ぶのです。このような実を結ぶ良い地になる秘訣とは何でしょうか。イエス様はたとえの結論として良い地の特徴を教えてくださいました。

15b節をもう一度ご覧下さい。「正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。」とあります。
良い地の特徴の一つ目は「正しいよい心で御言葉を聞く」ことです。この言葉は、新共同訳では「立派な善い心」と訳していますし、 英語ではhonestとかnobleとか訳されています。直訳すると"適切な"とか"ふさわしい"と言う意味です。御言葉を聞くのにふさわしい、すなわち、準備された心です。先週、勉強会の時、澤崎牧者は心の準備であっても、体が疲れているとよく聞こえないと言われました。そうでしょう。礼拝の時も疲れた体のまま、聞いているとよく聞こえないでしょう。ですから、本当に御言葉をよく聞きたいなら、土曜日はできるだけぐっすり寝て体も心も整える必要があると思います。また、準備された心とは興味本位で、いい話ならまた聞いてみようとそういう態度ではありません。?サムエル記3章を読んでみると、神様の語りかけに対するサムエルの態度が記されています。彼は「主よお話ください、しもべは聞いております(1sa 3:9)と答えました。これが正しいよい心です。そういう準備された心で御言葉を聞くと実を結ぶようになるのです。耳に心地よくても悪くても、正しい心で聞くとそれが成長する秘訣、実を結ぶ秘訣です。
二つ目は御言葉をしっかりと守り、よく耐えることです。ところが、御言葉をしっかりと守り、よく耐えることはやさしくないと思います。特に忙しい都会生活は御言葉を覚えて守ることが難しいのではないかと思います。一日の生活が御言葉を思えることさえできずに、仕事に流されたような日々を過ごしてしまう時が多くあるでしょう。だからといってあきらめてしまうなら、いつのまにか、心の茨と雑草が生えてきます。ですから、私たちが、本当に実を結ぶ生活を望むなら、御言葉を黙想する時間を保たなければならなりません。私たちは職場生活の中で神様のこと、御言葉を思い出し、約束と、叱責、命令と慰めの御言葉を考えることができるはずです。5分でも10分でもそう言う時間を持つ必要があるのです。あわただしい生活の中でもクリスチャンは黙想、反省のための時間を見つけなければなりません。
私は最近、日ごとの糧の御言葉歴代誌に記されたダビデことを通して大きな恵みを受けました。彼は、情欲の罪を犯した時も、高慢になって神様に罪を犯した時もありました。しかし、彼は御言葉をしっかりと守って神様の御心にかなった者になりました。本当に豊かな実を結ぶ人生を過ごしました。彼が豊かな実を結んだ秘訣はどこにあったのでしょうか。それは神様の働きを深く考え、その恵みを覚える生活に励んだところにあったと思います。詩篇143:5 私は昔の日々を思い出し、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたの御手のわざを静かに考えています。」あります。羊の糞を片付けていた自分のような者を選び出してイスラエルの王にしてくださったこと、羊飼いとなって導いてくださったこと、イスラエルになさった神様のみわざに思いを巡らした時、主の御言葉を守らなければならない思いが沸いて来た事でしょう。そういう生活の中で彼は神様のなさったみわざに思いを巡らし、静かに御言葉を黙想する習慣を身につけていたのです。私たちは神様が自分になさったこと、神様のなさったすべてのことに思いを巡らす時、自分がいかに愛されているのか、いかに恵まれているのかを悟ります。何よりも神様のなさった大いなるみわざに驚き、この神様の御言葉を守りたくなります。どんな試練があってもよく耐えて主の御言葉を守り行ないたいくなるのです。そして主の御言葉を正しいよいこころで聞いてそれをしっかりと守り、よく耐えるなら豊かな実を結ぶ人生へと変えられて行くのです。

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