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15ACTS1M 聖霊があなたがたの上に臨まれるとき

投稿者: Jubf 掲載日: 2015/2/1 (1532 回閲覧)
2015年使徒の働き 第1講メッセージ(朴エズラ)

聖霊があなたがたの上に臨まれるとき

御言葉:使徒の働き1:1−26
要 節:使徒の働き1:8 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」」

今日から使徒の働きを学ぶように導いてくださった神様に感謝します。使徒の働きは、イエス様が復活された後、地の果てにまで、わたしの証人となるようにという使命をうけた弟子たちが、どのようにエルサレムからローマまで福音を伝えたかについて、記録したものです。使徒の働きは28章までしかありませんが、私たちは現在29章の舞台を飾っていると言えます。私たちが使徒の働きを通して、何故福音が地の果てにまで伝えられなければならないのか、この福音を伝える証人の姿勢はどうあるべきかについて学べるように祈ります。
今日は、第1講として私たちの上に聖霊が臨まれ、力を受けることによって、イエスキリストの証人の人生が生きられることについて学びたいと思います。昔、ベニーヒン(Benny Hinn)牧師が書いた、『聖霊様、おはようございます!』(1994)という本を読んだことがあります。イエス様を信じるようになった私たちの中には、常に聖霊がともにおられます。現代の私たちには、神様とイエス様は目に見えない存在ですが、聖霊様が私たちとともにおられ、私たちを導いてくださいます。私たちが今日の御言葉を通して聖霊に満たされ、力を受けることが出来るように祈ります。

?。聖霊を送ると約束されたイエス様 (1-5)
1-3節では使徒の働きの前書きです。ここでルカの福音書と使徒の働きが繋がれていることを説明しています。そこで、使徒の働きの著者もルカの福音書を書いたルカであることが分かります。
イエス様は復活した後、40日の間、弟子たちとともにおられながら、彼らに復活信仰を植え付けました。イエス様が十字架に付けられ死なれた後、弟子たちの信仰は揺らぎ、共同体が壊れる危険性がありました。そこで、イエス様はガリラヤを訪れ、彼らを助けられたのです。具体的に、数多くの証拠をもって、ご自分が生きていることを弟子たちに示されました。わき腹と手の平を見せながら、十字架の釘の痕を触ってみるように助け、復活したご自身の姿を彼らに直接証しされました。また多くの復活の証人たちの証言も聞くようにされました。イエス様の福音の証人となるためには、まず復活信仰が絶対的に必要だったからです。次に、イエス様が教えた内容は神の国に関することでした。
イエス様を信じながらも、この世に望みをおく時、聖霊の力を受けることは難しいです。そこで、イエス様の地上での教えも神の国に関するものでした。そして、使徒たちに神の国に対する望みを植え付けて、世界宣教を担えるように準備させました。
それでは、イエスさまは弟子たちに復活信仰を植え付けた後、どんな方向をくださいましたか。
4、5節をご覧ください。“彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。/ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」”
ここで、4節の「父の約束」とは、「聖霊のバプテスマ」であることが分かります。ヨハネは悔い改めのしるしとして水でバプテスマを授けて、イエス様を受け入れるように心を準備させました。しかし、弟子たちが受ける聖霊は罪の赦しを与える聖霊のバプテスマを指しています。
当時、エルサレムは弟子たちにとって非常に危ないところでした。弟子たちはガリラヤを舞台にしてイエス様とともに活動しました。しかし、イエス様がエルサレムに上られてから宗教指導者たちの執拗な迫害を受けて、最後にこのエルサレムで逮捕されて十字架につけられました。したがって、エルサレムは弟子たちにとって一刻もはやく離れたい場所でした。ペテロは、エルサレムでイエス様のうしろから遠く離れて付いていく途中、命の危険を感じて三度もイエス様を否定せざるを得ませんでした。ほかの弟子たちもイエス様が十字架で死なれる時、みんな命の危険を感じて逃げた場所でした。彼らにとって、エルサレムはまことに恐ろしくて早く逃げたい危ない場所でした。
私たちも自分の属している所の状況が悪かったり、気に入らなかったりすると新しい環境をもとめ、そこを離れてどこかに逃げたい気持ちになります。新しい環境で新しく始めたいからです。しかし、この世では、私たちの気に入る完全な環境はありません。どんな所に行っても、気に入る部分と気に入らない部分があります。イエス様は、私たちが息苦しい所、気難しいところから逃げるのではなく、乗り越えて打ち勝つことを願われます。
それでは、なぜ、イエス様は、弟子たちにエルサレムを離れないように言われたのでしょうか。
それは、聖霊を待つためでした。イエス様はエルサレムで全人類の罪を贖うために十字架の上で死なれて3日目に復活されました。そして、弟子たちにエルサレムで聖霊を待ちなさいと言われました。旧約のユダヤ人たちがメシヤを待ったように、イエス様の弟子たちはイエス様の昇天後に聖霊を待つべきです。私たちは再び来られるメシヤを待っています。待つためには忍耐が必要です。我慢して待たなければなりません。聖霊を待ちなさいとは、聖霊に頼りなさいという意味でもあります。イエス様が一緒におられる時は、弟子たちはイエス様だけにもっぱら頼れば問題ありませんでした。しかし、イエスキリストが昇天された後は、キリストの霊である聖霊に頼りなさいという命令です。現代の私たちにとって直接会えなくなりましたが、今もイエスキリストは聖霊によって私たちとともにおられます。イエス様が弟子たちとともに生活したように、聖霊も私たちとともに住まわれます。私たちも弟子たちのように全面的に聖霊を信頼し、頼らなければなりません。

?。イエスキリストの証人の人生を願われるイエス様 (6-11)
6節をご覧ください。“そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」” イエス様が 40日間神の国に対して教え、最後の日に「父の約束を待ちなさい」とおっしゃると、弟子たちはやっと待ちに待っていた祖国の解放の時が来たと誤解をしました。当時、イスラエルの状況は、国が滅びてから約 600年の間バビロン、ペルシア、ギリシャの植民地となり、異国の人々に蔑視され、さげすまれました。またその頃には全世界を支配していたローマ帝国の植民地となっており、苦しい毎日でした。イスラエルの民たちはローマの政治的な圧迫と人権蹂躙の中で奴隷のような惨めな状態にありました。ローマの経済的な搾取によって民たちの生活は飢えの苦痛を受けていました。神様の選民であるプライドは深く傷つけられ、羞恥と屈辱を耐え忍ぶしかありませんでした。志のあるイスラエルの若者なら、誰もが祖国イスラエルをローマから解放させる切実な願いを持っており、これこそが、当時の民たちの切実な現実問題でした。弟子たちはイエス様の神の国に対する教えを聞いて大きな感動を受けました。イエス様があらゆる病人を癒し、荒波と風も鎮められ、死んだ者も生き返らせる働きを目撃して、イエス様を通して祖国の独立の夢を成し遂げるためにイエス様に献身的に頼りました。イエス様が将来大きな能力でローマ軍隊を追い出して地上のメシヤ王国を建設することを夢見ました。その夢とビジョンのため、彼らは生活の頼りであった舟と父親を捨ててイエス様についてきました。
しかし、イエス様は彼らの期待を裏切り、逮捕されてピラトから死刑宣告を受けて十字架の上で無力に死なれました。イエス様の死と同時に、彼らの望みも泡水のように消えてしまいました。ところが、イエス様は約束された通り、再び3日目によみがえられて、彼らに現われました。彼らは新しく力と勇気を得ました。とくに、壊れた彼らの夢も再び復活しました。イエス様が40日間、神の国に対して教える時、彼らは、それを地上のメシヤ王国建設だと思い込み、イエス様がエルサレムで地上のメシヤ王国を建設し、王になれば、彼らはイエスキリスト内閣の各大臣になる夢を持つようになりました。同時に、祖国イスラエルがローマの植民地の統治下から回復される夢を持っていました。そういった夢を膨らませている時、イエス様が急に、彼らを離れようとしたので、イエス様に質問せざるを得ませんでした。“「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」”
彼らの質問にイエス様は何と答えましたか。7-8節をご一緒に読んでみましょう。“イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。/ しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」”
イエス様はイスラエルの回復は神様の主権にあるので、すべてを主に委ねて、弟子たちがやるべきことを教えてくださいました。“しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」”
弟子たちはほとんどが地方の田舎出身であり、きちんとした教育を受けることができませんでした。また彼らの代表者であるペテロも、魚ばかり取っていた漁師出身でした。イエス様がともにしない時、彼らは、弱い存在であったし、自分たちを逮捕しようとする宗教指導者たちを恐れるしかない弱虫の人々でした。イエス様は彼らの弱さを誰よりもよくご存じでした。そこで、彼らに聖霊を約束されたのです。では、聖霊は具体的にどんな働きをしますか。
第一に、聖霊を受けると、力を受けます。
“しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます(8a)”
ここで、力とは、語源がダイナマイトと同じです。弟子たちに聖霊が臨まれる時、人々に対する恐れも乗り越えて、力のあるしもべとなれます。実際に、ペテロが聖霊の力を受け、大胆にメッセージを伝えると、一度で3,000人が悔い改めたり、次には5,000人が悔い改め、バプテスマを受けて、弟子に加えられ、使徒たちの教えを堅く守り、交わりをするようになりました。このように聖霊を受ける時、現実の圧力と恐れを乗り越えて、大胆に神様の御言葉を伝える、大胆で力のある働きをすることができます。
第二に、イエス様の証人として働くように助けます。“そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります(8b)。」”
「わたしの証人となります。」とは、(NIV聖書では)「You will be my witnesses」となっており、イエス様の強い意志が現れています。聖霊が臨まれる目的は、すべての人がイエス様の証人になるためでした。これはイエス様のこの世での最後の地上命令であり、私たちクリスチャンにくださった使命です。福音を知らない時、人々は罪と死の問題の解決が出来ないため、罪のなかで死ぬしかありません。このような人々に罪のゆるしの福音、復活の福音を証することで罪が赦され、死の勢力から離れ、希望と意味ある人生、究極的には永遠の命を得るようにする証人の人生こそ、この世で最も偉大で価値ある仕事なのです。この世には、たくさんの仕事がありますが、このように死んでいく魂を生かすことより重要で至急な仕事はありません。使徒たちは、イエスさまからこのように偉大で重要な使命を受けたのです。この使命は、弟子たちに与えられた特権なのです。このように重要で至急な仕事なので、イエス様は使命だけ与えたのではなく、聖霊を送り、聖霊さまの力によってこの使命を担うようにされました。すなわち、証人となる主体は、弟子たちの力で担えるのではなく、ひとえに聖霊さまの力が臨まれる時、担うことができるのです。世のことは、自分の力と知恵で努力さえすればある程度は成し遂げますが、イエス様を伝え、人を救うことは自分の力と知恵では絶対に出来ないことです。証人の人生は、聖霊が臨まれる時のみ可能です。そこで、イエス様はいきなり、「私の証人となりなさい」と言われませんでした。聖霊を注いでくださると約束してくださったのです。弟子である私たちが証人の職務を担える原動力は、まさに聖霊さまなのです。聖霊が世界宣教を担える力をくださるのです。人間的な能力と才能が多いからといって世界宣教をよく担えるのではありません。むしろ、人間的な能力をたくさん持っていると、聖霊の力に頼らなくなり、それが聖霊の力を受けさせないようにする障害要因にもなります。信仰によって聖霊の力を受ける時のみ、すべての限界状況を乗り越え、力のある証人の人生を生きることができるのです。したがって、私たちは聖霊様に頼り、聖霊さまが私たちのなかで働き、聖霊さまが主体となって私の中で強く働き、私を用いてくださるように自分を備えておかなければならないのです。
現在アフリカの宣教師として遣わされた李サムエル宣教師は、どうすれば聖霊に満ち溢れた人になれるかについて、『聖霊様とは』という本で、次のように記しています。「現代、私たちはあまりにも忙しい生活をしています。サタンは必要のないことにまで関わらせ、私たちをどんどん忙しくさせます。それがサタンの狙いです。聖霊さまを熱望する時間を奪っていきます。目を覚まさなければなりません。朝、起きるや否や聖霊様を心の奥底から切に熱望すべきです。聖霊様無しには一瞬も生きられないという姿勢を持たなければなりません」と。
来週学ぶ予定の、使徒の働き2:38節には、聖霊を受けるためには、私たちが日々どのように生きるべきかについて教えてくれます。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう」と。御言葉にもあるように、私たちが、毎日、聖書の御言葉によって照らされる罪を、瞬間瞬間悔い改め、祈ることによって聖霊に満たされる1年となるように祈ります。
先週、私たちは新年修養会を通してたくさんの恵みを受け、各自2015年の要節と祈り課題を決めたと思います。出発したばかりの2015年、各自が御言葉と祈りによって聖霊充満となり、力強いキリストの証人としての2015年を過ごせるように切に祈りたいと思います。そこで、私たちをめぐるあらゆる現実問題にも負けず、打ち勝つことが出来るように祈ります。また、クリスチャンの数が少ない周りの環境であっても、大胆に聖書の御言葉をのべ伝えることができるように祈ります。私も、使徒の働き6:4「私たちはもっぱら祈りと御言葉の奉仕に励むことにします」を今年の要節とし、御言葉と祈りにもっぱらはげみ、聖霊様のくださる力によって力強いキリストの証人としての1年を過ごせるように祈りたいと思います。
9-11節をご覧ください。イエス様が弟子たちに御言葉を残した後、彼らが見ている間に、天に上って行かれたので、弟子たちは天をずっと見つめていました。その時、白い衣を着たふたりの御使いたちが、彼らのそばに立って言われました。“「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」”。イエス様とともに生活した3年間、弟子たちにとってイエス様は彼らの主であり、保護者であり、師匠でした。そういったイエス様が急に昇天されると、弟子たちは意外な出来事に対する驚きと、離別による悲しみによって天を見つめていました。その時、御使いを通して、イエス様の再臨を知らせてくれました。弟子たちはイエス様が地上でイスラエルを再興されないなら、イエス様と一緒に天国に行きたいという思いが強かったでしょう。しかし、イエス様は弟子たちがイエス様の再臨を備える働きをするように助けました。
イエス様の再臨を準備する人生とは、どんな人生でしょうか。昇天されたイエス様が再臨を準備する間に、私たちはこの地上でイエス様が言われたとおりに、聖霊に満たされ、力を受けた後、私たちが住んでいる東京をはじめ、日本中、さらには地の果てにまでイエス様の証人となることが求められます。つらい時、さびしい時、悲しい時、この世で失敗する時、弟子たちのようにこの世を去り、イエス様のおられる天国に行きたいと思いがちです。私たちも弟子たちのようにいつまでも天だけを呆然と見つめないで、積極的に聖霊に満たされる生活が出来るように祈ります。

?。聖霊を受ける準備をする弟子たち(12-26)
弟子たちは聖霊を受ける準備をするために何をしましたか。
第一に、イエス様の御言葉に順従しました(12)。12節をご覧ください。“そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。”弟子たちはイエス様が昇天された後、すぐオリーブ山を越えてガリラヤに行きたい思いがくすぶったでしょう。故郷のガリラヤに行ってイエス様の証人になることもできました。エルサレムは危ない所であり、漁師が多かった彼らにとって、仕事を探すことも難しかったでしょう。しかし、エルサレムを離れないように言われたイエス様の御言葉に順従して、再びエルサレムに帰って来ました。弟子たちは危ない場所ですが、自分たちの安全よりもイエス様の約束の御言葉をより大切に考えました。そして、イエス様の御言葉に順従してエルサレムに帰って来ました。
第二に、みな心を合わせ、祈りに専念しました(13,14)。13-14節をご覧ください。“彼らは町に入ると、泊まっている屋上の間に上がった。この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。/ この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。”
イエス様の弟子たちがエルサレムに帰って来た時、彼らは当然、行く所もなく、彼らが主に集まったマルコの屋上の間(使 12:12)に上がりました。そこには、十一使徒と女性たちとイエス様の肉身の家族たちが集まっていましたが、その数は120人ほどでした。彼らは聖霊を受けるために、心を合わせて祈りに専念しました。14節をご一緒に読んでみましょう。“この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。” 彼らは心を合わせて、祈りに専念しました。
心を合わせて、祈りに専念したという意味は、祈る時、みんなが一つになったということです。そして、同じ祈り題目を持って心を合わせて祈りました。祈りが答えられるまで諦めず、祈りました。彼らは周りの環境が難しいからこそ、より一層祈りに力を入れました。どんな環境と条件でも乗り越えられる、強力な祈りをささげたのです。このように、同じ声、同じ心、同じ祈り課題で祈る時、神様の祝福を受けることができます。
イエス様の弟子たちは、彼らの主であり、師匠であるイエス様との急な離別によって、未来に対する漠然とした不安と恐怖にさいなまれず、むしろ積極的に祈りました。彼らは彼らの恐れと悲しみを祈りに昇華させました。祈ることによって、未来に対する不確実な約束を確かな望みに変えました。その結果、彼らは約束された聖霊を受けることができました。さらには、究極的に世界を変える世界的なリーダーたちになることができました。彼らによってキリスト教は全世界に広がり、現在私たちも信じるようになったわけです。このように悲しみと孤独に打ち勝つことは、まさしく積極的な祈りであることを学ぶことができます。このように彼らが祈りに専念するためには忍耐する祈りが必要だったでしょう。彼らは聖霊が臨まれるまで忍耐して諦めず繰り返して祈りました。2015年、私たちも心を合わせて祈りに専念することができるように祈ります。

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