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14Genesis25M 私をここに遣わしたのは、実に、神なのです

投稿者: Jubf 掲載日: 2014/7/13 (791 回閲覧)
2014年創世記25講

私をここに遣わしたのは、実に、神なのです。

御言葉:創世記42:1-45:28
要 節:創世記45:8 だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。

 先週、私たちは主がヨセフとともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださったことを学びました。それは誘惑と試練とに対する勝利でもありました。ほんとうに神様とともに歩む人生には成功と勝利があります。
今日はヨセフが兄弟たちと会い、彼らを試し、ついに再会する、感動的な出来事を学びます。ヨセフは奴隷に売られたエジプトでも成功しましたが、兄たちは、飢饉のために食べるにも苦しくなっていました。特に20年の歳月が経ても彼らの罪責感は無くなっていませんでした。そこで、ヨセフは兄たちが悔い改めるように助け、それが確認できた時はすべてを打ち明けて涙を流します。何よりも神様の主権的な働きと導きに感動して喜びの涙を流します。
ここで、私たちは夢を成し遂げてくださる神様、神様に対するヨセフの兄弟愛と信仰を学ぶことができます。どうか、私たちも神様を全く信頼して自分の人生をヨセフのように解釈して行く信仰の人として成長して行きますように祈ります。

?.人の夢を成し遂げ、愛の人に変えてくださる神様
パロの夢をヨセフが解きましたがその通りに、7年間の大豊作は過ぎ去り、ひどい飢饉が続きました。その飢饉はエジプトだけではなく、ヤコブの家族が住んでいたカナンの地にもありました。ついに、どこかで穀物を飼って来なければ死んでしまう状態になりました。そこで、ヤコブはヨセフの十人の兄弟に穀物を買って来るようにエジプトに行かせました。しかし、ヤコブはヨセフの弟ベニヤミンを兄弟たちといっしょに行かせませんでした。わざわいが彼にふりかかるといけないと思ったからです。ヨセフを失っていたヤコブにとってはどうしてもベニヤミンだけは守りたいと思ったようです。こうしてヨセフの10人兄弟はエジプトに下って行きました。
 ときに、ヨセフはエジプトの権力者であり、国のすべての人々に穀物を売る者になっていました。では、ヨセフの兄たちはヨセフの前でどうしましたか。
42章6bをご覧ください。「ヨセフの兄弟たちは来て、顔を地につけて彼を伏し拝んだ。」とあります。今日の本文には何度も兄たちがヨセフの前で地に伏せていることを記しています(43:26、43:28、44:14など)。また、9a節を見ると「ヨセフはかつて彼らについて見た夢を思い出して彼らに言った。」とあります。ヨセフが夢を思い出したというのは夢を持ち続けていたことも教えてくれます。約20年前、ヨセフは夢を見て兄たちや父に話しました。その中に「また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです。」とも言いました。その後、兄たちはヨセフの夢を潰そうとしました。殺そうとして穴に投げ込みました。ルベンが反対したから殺しはしませんでしたが、イシュマエル人に売りました。それから20年の歳月が流れると、ヨセフは、もはや父にとって死んだ過去の人でした。兄たちにとっても遠い昔に死んでしまった人になっていました。ところがヨセフは夢を持っていたのです。だから、彼はかつて兄弟たちについて見た夢の通りになっていることの確認ができました。それは神様がヨセフの夢を成し遂げてくださったからです。
ヨセフの兄弟たちはききんのためにエジプトにくださって来たのですが、実はそこにも神様の働きがありました。ききんは自然現象です。個人とは何の関係もなさそうに思われます。ところがその飢饉が、ヨセフの個人的な夢に関わっていたのです。ききんが穀物不足を生み出し、ヨセフの兄弟たちがヨセフに会わざるを得ない状況を作り出しました。そうして、兄たちは顔を地につけてヨセフを伏し拝みました。ここで、神様は神様からの夢を持っている人の夢を中心に働いてくださることが分かります。神様は何となく生きている人ではなく、神様からの夢を持っている人を中心に世界を動かしておられるのです。
ヨセフは兄弟たちを見て、自分の兄弟であることがわかりました。また、ヨセフはかつて彼らについて見た夢を思い出しました。ところが、彼らの中に最愛の弟ベニヤミンがいませんでした。ヨセフはベニヤミンも自分のように奴隷として売られたかと思われたでしょうか。ヨセフは自分のことを明かさずに「あなたがたは間者だ。この国のすきをうかがいに来たのだろう。」と言いました。そして弟のベニヤミンを連れて来ることによって彼らの真実さを証明するように言い、彼らを三日間、監禁所に入れて置きました。三日目には「兄弟のひとりを監禁所に監禁しておいて、あなたがたは飢えている家族に穀物を持って行くがよい。そして、あなたがたの末の弟を私のところに連れて来なさい。そうすれば、あなたがたのことばがほんとうだということになり、あなたがたは死ぬことはない。」と言いました。こうして、飢えている家族を助け、ベニヤミンも連れて来るようにしました。ところが、兄たちは何と言い合っていましたか。
21節をご覧下さい。彼らは互いに言いました。「ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。あれがわれわれにあわれみを請うたとき、彼の心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった。それでわれわれはこんな苦しみに会っているのだ。」ルベンが彼らに答えて言いました。「私はあの子に罪を犯すなと言ったではないか。それなのにあなたがたは聞き入れなかった。だから今、彼の血の報いを受けるのだ。」(22)。ここで兄たちは20年前に犯した罪の問題が解決されず、苦しんでいることが分かります。彼らは罪責感のために苦しんでいたのです。でも、彼らはヨセフとの間に通訳者がいたので自分たちの話をヨセフが聞いていたとは知りませんでした。しかし、ヨセフは彼らが自分を奴隷として売った罪のゆえに苦しんでいることが分かりました。同時に、兄たちが自分を憎み、自分を殺そうとして穴に投げ込み、エジプトに売ってしまったことも思い浮かんだことでしょう。ヨセフは心を痛めました。それを耐えられなくなってヨセフは彼らから離れて、泣きました。それでも、心を開いて「私はヨセフです。」と告白するまでには至りませんでした。むしろ、暴君のように、シメオンを人質にし、弟のベニヤミンを連れて来るように言い渡して兄たちをカナンに帰しました。その時、兄弟たちの袋に穀物を満たし、彼らの銀をめいめいの袋に返しましたが、兄弟たちが帰る途中の宿泊所で、袋をあけてみると、自分達の銀 が袋の中にそのまま入っていました。彼らは心配し、身を震わせて互いに言いました。「神は、私たちにいったい何ということをなさったのだろう。」
こうして、彼らがカナンの地にいる父ヤコブのもとに帰って、その身に起こったことをすべて報告しました。ヤコブはヨセフを失ったのに、今度はシメ オンもいなくなり、そして、ベニヤミンまでも失うのではないかと苦しみました。それでベニヤミンを彼らといっしょには行かせないと言いました。しかし、その地での飢饉は、ひどかったのでヤコブは兄たちがベニヤミンを連れて行くことに対して許さざるを得なくなりました。その時、ユダは父親に「私自身が彼の保証人となります。私に責任を負わせてください。万一、彼をあなたのもとに連れ戻さず、あなたの前に彼を立たせなかったら、私は一生あなたに対して罪ある者 となります。」と説得しました。以前とは全くユダの態度が変わっています。ヤコブは「全能の神がその方に、あなたがたをあわれませてくださるように。そしてもうひとりの兄弟とベニヤミンとをあなたがたに返してくださるように。私も、失うときには、失うのだ。」と言ってすべてのことを主にゆだねました。
こうして兄弟達は再びヨセフの所に行きました。ヨセフは彼らが来たこと、特にベニヤミンもいっしょに来たのを見て非常に喜んだでしょう。ヨセフは兄弟達を家へ連れて行き、豊かにもてなすようにしました。それからシメオンも彼らのところに連れて来ました。ヨセフはまず父の安否を尋ねました。そして同じ母の子である弟のベニヤミンを見て「わが子よ。神があなたを恵まれるように。」と祝福しました。
30節をご覧下さい。ヨセフは弟なつかしさに胸が熱くなりました。同じ母から生まれた唯一の兄弟であるベニヤミンを見た時、どれほど胸が熱くなったでしょうか。彼は泣きたくなって、急いで奥の部屋にはいって行って、そこで泣きました。やがて、彼は顔を洗って出て来ました。そして自分を制して、「食事を出せ。」と言いつけました。それから、ヨセフは、年長者は年長の座に、年下の者は年下の座にすわらせました。また、ベニヤミンにはほかのだれの分け前よりも五倍も多く与えました。
それからヨセフは兄たちを父の所に帰しますが、兄たちの心を知るために再び事件を起こしました。ベニヤミンの袋に自分の銀の杯を穀物の代金といっしょに入れておくようにし、彼らが町を出てまだ遠くへ行かないうちに、彼らのあとを追いついて調べるようにしたのです。その結果、ベニヤミンの袋から銀の杯が見つかりました。この時、兄たちはベニヤミンを見捨てて帰途に就くこともできました。過去だったらベニヤミンにすべての責任を負わせて自分達だけが生き残る道を考えていたでしょう。実際に兄達には罪がありませんでした。しかし、彼らは自分達に一緒にしもべになると言いました。特に、ユダ゙は自分を犠牲にしてベニヤミンを救おうとしました。
44章18〜34節まではユダがそれをお願いする内容です。彼のお願いは非常に感動的で、説得力があります。ユダは、ヨセフをエジプトに売った張本人です。それが今や捨身になって、ベニヤミンを取り戻そうとしています。彼はベニヤミンの代わりに自分が一生奴隷になると言いました。
このユダの説得は口先だけではなく、悔い改めから出て来たものです。彼はベニヤミンに何か問題が起こると自分が責任を負うと父に約束したことを守ろうとしました。自分を犠牲にしてでも 自分がしたことに対して最後まで責任を取ろうとしたのです。また、彼の説得には弟に対する愛があります。過去彼はヨセフを憎み、奴隷として売ることに積極的に働きました。弟の苦しみ、悲しみには関心がありませんでした。子どもを愛する父の心にも関心がありませんでした。しかし、今は弟のことや年老いた父のことを考えています。彼らがどれほど悲しみ、苦しむようになるかを考えました。自己中心ではなく、兄弟を愛し、父を尊敬する人に変えられていたのです。真実な悔い改めによって彼の心も人に対する態度も変わっていることが分かります。神様は彼の真実な悔い改めを受け入れ、彼を救いの御業に貴く用いられました。後にヤコブはユダを祝福して語りました。「ユダは獅子の子。わが子よ。あなたは獲物によって成長する。雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を伏せる。だれがこれを起こすことができようか。王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。(49:9、10)」やがてダビデに受け継がれ、メシヤ待望へとつながります。ユダは自己中心の人から自分を犠牲にしても兄弟を愛し、父を愛する人に変わった時に救いのみわざに尊く用いられたのです。

?.神様の完璧なご主権と導きを信じるヨセフ
45章1節をご覧下さい。ヨセフは、兄達が悔い改めたことを知った時、それ以 上自分を隠す必要がありませんでした。それで、自分を制することができなくなって、みなを、自分のところから出してから声をあげて泣きました。それがどれほど大きかったか、エジプト人はそれを聞き、パロの家の者もそれを聞きました。彼が今までわざと事件を起こして兄達を困らせたことは彼らに復讐するためではありませんでした。ヨセフは兄達を真に愛していました。ヨセフは兄たちが犯した罪を悟って告白し、悔い改めにふさわしい行動をすること願いました。そして、それが確認できたときは、感動と和解の涙を流しました。ここで、やっとヨセフは兄たちを心から赦したことでしょう。また自分の心も癒されたことでしょう。
かつてヨセフは二番目の子どもをエフライムと名づけました。それは主がこの苦しみの地で、自分に多くの償いをしてくださった、と告白したことです。しかし、それは物質的、社会的なことであって、心の償いではありませんでした。深い心の傷は長らく癒されていませんでした。多くの富と権力で、自分の心の傷を癒すことは無理だったのです。ほんとうの平安と幸せを手にすることはできませんでした。兄たちもヨセフを憎しみ、売ってしまった罪の問題が解決されなかった時は罪責感から解放されませんでした。ききんの時に、食糧の問題が解決されても、宮殿の料理でもてなしを受けても心に平安はありませんでした。しかし、彼らが仲直りをし、互いに愛し合うことができた時に心も癒されたのです。それで、互いに彼らは自分のことを隠すことなく、言い表わすことができました。このように罪の問題が解決され、愛する生活をする人はありのままで生きることができます。
ユダの言葉を聞いたヨセフは兄たちに自分を現しました。そして驚きのあまり、声も出せない兄達に神様の摂理を証しました。45章章4-8節はヨセフの証しです。5節 をご覧下さい。「今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。」ここで私たちはヨセフが兄達を赦し、彼らを暖かく受け入れることができたのは、彼に信仰があったからであることがわかります。ヨセフは自分の人生が兄達の手によって左右されたのではなく、神様の主権と摂理の中で導かれたことを証ししました。兄達はヨセフを憎んで奴隷として売りましたが、神様はそれを働かせて益としてくださいました。彼を鍛錬してエジプトの総理大臣として立てられました。
8節をご一緒に読んでみましょう。「だから、今、私をここに遣わした のは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。」素晴らしい信仰告白です。ほんとうに信仰のある人はすべてのことにおいて神様の主権と導きを認めて再解釈することができます。同じ出来事でもどのように解釈するかによって意味が違ってきます。同じことを経験してもある人はつぶやき、ある人は感謝します。不幸に思う人もいるし、幸せに思う人もいます。どのように解釈するかによって苦しい不幸の人生を生きるか、幸せな人生を生きるかが決まると思います。
ところが、信仰の人には人の行ないも、自然現象も神様のわざとして再解釈することができます。ヨセフは兄弟によって売られたのではなく、神様に遣わされたと考えました。また信仰の人は、神様の業がなされる目的を理解しています。ヨセフは、自分がエジプトの統治者になったのは、エジプトの民が救われるだけではなく、ヤコブの家族、つまりイスラエルの民も皆救われるためであったと考えました。ここで、ヨセフはかつての夢の本当の意味を悟ったことでしょう。
使徒パウロは次のように言っています。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)」パウロはヨセフヨセフの生涯を通して神様のご計画の完璧さが分かったことでしょう。ヨセフを通しても、自分の体験を通しても完璧なご計画の中で私たちの人生が導かれていることが分かったのです。
そうです。神様はご計画の中でヨセフを導かれたように私たちひとりひとりも導いておられます。だから、神様を信じる人にとっては神様が自分の人生を常にベストの道に導いておられることがわかります。それで、逆境の時にも明るく、肯定的に考えることができます。すべての弱さと孤独に打ち勝ち、感謝と恵みに満たされた人生を過ごすことができます。順境の時には感謝し、逆境の時でも耐え忍びます。将来のことに対しては、夢を持ち続けて神様にすべてを委ねて最善を望むことが出来ます。それは、悪をも善に変え、死をも命へと変えてくださる神様が、わたしどもと共におられることを、知っているからです。

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