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14Genesis13M アブラハムは必ず大いなる強い国民となる

投稿者: Jubf 掲載日: 2014/4/29 (849 回閲覧)
2014年創世記第13講(金ヨハネ宣教師)
                              
アブラハムは必ず大いなる強い国民となる

御言葉:創世記18章、19章
要 節:創世記18:18 アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。

先週私達は李ヨシュア宣教師が伝えたメッセージを通して主がアブラムとサライの名前をアブラハムとサラに変えてくださったことを学びました。二人の名前は一文字変わっただけですが、その意味は大きく変わりました。私も日本に来る時には名前がヨナでしたが、その後、ヨハネに変わりました。ヨナとヨハネは名前が似ていますが、イメージは全く違うでしょう。神様はアブラハムとサラが多くの国民の父と母となると言われました。それは年老いた彼らの人間条件を考えると不可能なことですが、全能の神様なら不可能なことではありません。全能の神様は私達にも大きなビジョンを置かれ、アブラハムとサラのように育てておられると思います。私達を通してこの国に星のように数多くの信仰の子孫を増やしてくださるように祈ります。
今日の御言葉にはアブラハムとロトの話が出ています。彼らは一緒に信仰生活を始めました。ところが、彼らが結ぶ実はかなり違いました。彼らの信仰生活にどんな違いがあったでしょうか。 今日の御言葉を通してアブラハムの信仰生活について学ぶことができるように祈ります。

第一に、アブラハムは仕える人でした。18:1節を見ると、主は今まではアブラハムに幻のうちに現われ、仰せられましたが、今度は人の姿で現われました。アブラハムは日の暑いころ、天幕の入口にすわっていました。彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていました。彼は、見るなり、彼らを迎えるために天幕の入口から走って行き、地にひれ伏して礼をしました。アブラハムは天幕のサラのところに急いで戻って、言いました。「早く、三セアの上等の小麦粉をこねて、パン菓子を作っておくれ。」一セアは約十三リットルです。三セアは、三人の客人のためには余りに大量です。そして牛のところに走って行き、柔らかくて、おいしそうな子牛を取り、若い者に渡しました。若い者は手早くそれを料理しました。それからアブラハムは、凝乳と牛乳と、それに、料理した子牛を持って来て、彼らの前に供えました(6-8)。凝乳は固まった牛乳、つまりヨーブルトのようなものです。アブラハムは旅人を心から歓迎し、最高のもてなしをしました。サラと若者達も一言も文句を言わず、素早くもてなしをするのを見ると、アブラハムの家庭の人々が皆喜びを持ってもてなすことがわかります。アブラハムの心の豊かさはどこから来たのでしょうか。彼が金持ちだったからでしょうか。この世の中には金持ちであっても心が狭くてけちな人々がいくらでもいます。彼らは豊かさの中でも貧しい人々です。人々の中には金をもうけるのはよくできるが、その金をどう使うべきかはよく知らない人々が多くいます。自分のために、あるいは快楽のためには惜しみなくお金を使いますが、他の人のためにはけちです。アブラハムは訪ねて来たお客さんのため惜しみなくもてなしをしました。アブラハムのこのような豊かさは、信仰によって生きる生活から来たと思います。神様との交わりによって彼の心も豊かになっていました。
3月に韓国から申サラ牧者が来日して私の家に1週間泊まりました。金サラ宣教師は彼女と一緒に東海UBFを訪問しました。東海センタの宣教師たちはLサイズのピザ、高いすしなど美味しい食べ物をたくさん用意してもてなしてくれたそうです。彼らは金持ちではありませんが、喜んで迎えて豊かな心でもてなしてくれました。申サラ牧者は日本の宣教師達に仕えるために自費で来日しました。そして、東京UBFと東海UBFの奥様たちと聖書勉強を通して交わりました。奥様達を食事に招いてもてなしてくれたそうです。彼女はいつか世界を回りながら聖書を教えるビジョンを持って、今まで聖書や英語を勉強して来たそうです。そして、60歳を過ぎると世界を回りながら聖書を教えています。私が26年前、韓国にいた時の彼女に対する印象はあまりよくありませんでした。冷たい感じがしたので、彼女とあまり話し合った記憶もありません。それでサラ宣教師が彼女を家に泊まらせようとした時も、心から喜んではいませんでした。ところが、26年が経って会った彼女は変わっていました。以前感じていた冷たさはなくなり、心が豊かな人、仕える人になっていました。彼女はサラ宣教師に私に対する印象も言ったそうです。私もかなり変わったと言ったそうです。信仰によって主とともに歩む人は自分も知らないうちに新しく変わって行きます。心が豊かな人、仕える人として変わって行きます。いつもともに生活している人は変わった様子がよくわかりませんが、久しぶりに会うと、それが分かります。アブラハムも年月が経つにつれて仕える人、心が豊かな人として変わって行きました。
アブラハムから豊かなもてなしを受けられた主はアブラハムに良い知らせを伝えてくださいました。10節をご覧ください。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」サラはその人のうしろの天幕の入口で、聞いていました。アブラハムとサラは年を重ねて老人になっており、サラには普通の女にあることがすでに止まっていました。それでサラは心の中で笑ってこう言いました。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」(11,12)。常識的に考えるとアブラハムとサラが子どもを産むことは不可能なことでした。100歳と90歳の老人に「あなたは子どもを産む」と言ったら笑うしかないでしょう。そこで、【主】がアブラハムに仰せられました。「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言って笑うのか。【主】に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」(13,14)。神様は年寄りのアブラハムとサラを笑わせる方です。神様は人の考えや想像を超えて働かれる全能の神です。この方に不可能なことはありません。創世記21章を見ると、百歳のアブラハムと九十歳のサラの間に男の子、イサクが生まれました。

第二に、アブラハムは祈る人でした。17,18節をご一緒に読んでみましょう。「【主】はこう考えられた。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。」神様は御自分がなさろうとすることを隠さずにアブラハムに知らせました。とても親しい関係でなければ、大事な話はしません。本音は言えません。もし、日本の総理が「○○さん。大事な話があります。これから消費税を5%から8%に上げたいと思っていますが、○○さんの考えはどうすか」と聞いたらどうでしょうか。総理がそれほど○○さんを信頼しているという証拠でしょう。神様はアブラハムを信頼してご自分がなさろうとすることを隠さずに教えてくださいました。神様はアブラハムを親しい友達のように思っておられたのです。神様と友達のように親しくなり、交わる人はなんと幸いな人でしょうか。私達は、神様と交わりを持つために造られました。これは、人間だけに与えられている特権です。神様は私達と親しい交わりを持つ事を願っておられます。アブラハム、モーセ、ダビデなど、神様に用いられた人たちはみな、神様の御声を聞き、神様に祈る人でした。神の御子イエス様もいつも祈っておられました。私達は祈りを通して神様と交わることができます。祈りを通して神様の御心を知ることができます。祈りを通して力を得ることができます。神様との交わりによって私達は霊的に成長することができます。
 ソドムとゴモラを神様が裁こうとしておられることを、アブラハムは主の語りかけによって明確に知りました。それを知ったアブラハムは悪い者は裁かれて当然だと思いませんでした。彼はそこの人々のためにとりなしを始めました。彼の祈りは無条件要求する祈りではありませんでした。23、25節をご覧ください。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。」「正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行うべきではありませんか。」彼は公義を行なう神様に対する強い確信がありました。そればかりではなく、正しい者を愛し、その正しい者のために悪い者達も赦してくださる神様を信じました。アブラハムはわずかの正しい者の存在を期待し、神様がソドムを滅ぼすことを中止され、それによってロトたちも助けられるように願っていたでしょう。主は彼の切なるとりなしの祈りに答えられました。26節をご覧ください。「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」ところが、アブラハムはソドムに50人の正しい者がいる確信が持てなかったのか、必死的に正しい者の数を減らし始めました。50人から45人、40人から30人、30人から20人、20人から10人まで減らしました。金サラ宣教師はこのようにしつこく祈るアブラハムがまるで韓国人みたいだと言いました。なぜなら、韓国人はものを買う時、よく「まけてください」と値切るからです。アブラハムは韓国人が値切るように、しつこく神様に祈り求めました。また、彼の祈りの姿勢は謙遜でした。彼は自分がちりや灰に過ぎない存在であることを知っていました。彼には牧者の心情が溢れていました。彼の心の中にはおいロトを考えていたでしょう。神様はこのようなアブラハムの祈りを全部聞いてくださいました。32節をご覧ください。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」神様は彼が何度も正しい者の数を減らしたことで怒りませんでした。神様はソドムに十人の正しい人がいれば全部を赦そうとしました。しかし、ソドムとゴモラは滅ぼされてしまいました。ソドムの人たちの間には、十人の正しい人がいなかったことを示しています。それではアブラハムの祈りは無意味だったでしょうか。19:29節はこう言っています。「こうして、神が低地の町々を滅ぼされたとき、神はアブラハムを覚えられた。それで、ロトが住んでいた町々を滅ぼされたとき、神はロトをその破壊の中からのがれさせた。」ロトと彼の家族も滅ぼされるしかありませんでしたが、アブラハムのとりなしによって救われたのです。
 ここで正しい者の重要性を学ぶことができます。残念ながらソドムに十人の正しい人がいなかったので神様の裁きを受け、滅んでしまいました。もしロトが自分の家族と一緒にマンツーマン聖書勉強をして一人の弟子を養ったなら10人は十分な数でした。これを考えて見ると、一つの国の裁きと救いの分かれ道は政治家や企業家ではなく正しい人であることがわかります。神様は正しい人を尊く思われ、正しい人を中心に働かれます。神様は常に十人の正しい人を求める方であり、そのゆえにいっさいの誤りや欠点を赦してくださる方です。だから大切なことは、みんなが良くなることではなく、まず私が正しく生きることです。正しい人とはアブラハムのように神様と共に歩む人です。信仰によって生きる人です。この国のクリスチャン人口は全国民の一パーセントにもなってないと言われています。とても少ないと思うかも知れません。しかし、一パーセントにもならないクリスチャンでも信仰によって、神様の御前で歩む人、つまり正しい人がいるかいないかはとても大切なことです。私達クリスチャン一人一人が神様の御前で正しい者として生きるように祈ります。主はその正しい人を見て「滅ぼすまい。その人々のために」と言われるでしょう。私たちひとりひとりがこの国を神様の裁きから守る正しい者となるように祈ります。また、アブラハムのようにこの国の救いのために切に祈る者となるように祈ります。
 信仰によって、アブラハムは約束された地に他国人のようにして住み、天幕生活をしました。一坪の土地も所有していませんでした。ところが、主はアブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福されると言われました。アブラハムによって形成される国民は主の道を守り、正義と公正を行います(19)。神様を愛し、神様の御言葉に聞き従います。主は今も主の道を守り、正義と公正を行う人々を祝福してくださいます。そして、彼らを大いなる強い国民とし、地のすべての人々を祝福してくださいます。私達が主の道を守り、主とともに歩む生活ができるように祈ります。

19章にはアブラハムの甥であるロトの話が出ています。彼はアブラハムに比べると若くて将来性がある人でした。彼は伯父さんのアブラハムと一緒に信仰生活を出発しました。彼はどんな人生を生きたでしょうか。彼はどんな実を結んだでしょうか。19:1-3をご覧ください。ロトはふたりの御使いを迎えてもてなしました。ところが、アブラハムのお客の迎え入れと比べて見ると、けちのように見えます。アブラハムは天幕で暮らしていましたが、ロトは家に住んでいました。アブラハムには柔らかくておいしそうな小牛が思い出しますが、ロトはかたいパン種を入れないパンが思い出します。ロトはパン種を入れないパンを焼いて食事をしました。彼の妻と娘たちや婿たちがお客さんをもてなすために何かをしたという記録もありません。アブラハムから見ることができる暖かさ、快く迎えること、豊かさが見えません。御使いたちも彼のもてなしを快く思われなかったのか、「いや、わたしたちは広場で泊まろう」と言いました。ロトのようなもてなしを受けると、食べ物がのどをよく通りません。彼はこの世と調子を合わせながら生活をしていたので心の余裕も豊かさもありませんでした。
4-9節を見ると、ソドムの人々がどれほど堕落していたかが分かります。二人の御使いがソドムに着くと、若い者から年寄りまで、すべての人が、集まって来ました。彼らは御使いから御言葉を聞くために来たでしょうか。いいえ。彼らはロトに向かって叫んで言いました。「今夜おまえのところにやって来た男たちはどこにいるのか。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ。」彼らが「よく知りたい」と言っていることは同姓とのセックスをすることを意味します。これを見ると、ソドムの若い者から年寄りまでどれほど性的に堕落していたかがわかります。彼らの目には御使い達がイケメンに見えたようです。彼らは肉の欲のままに生きていました。ロトはお客さんの安全と引き換えに、自分の二人の娘を連れて来るから、好きなようにするように言いました。こんな親がいったいどこにいるでしょうか。これを見るとロトもソドムの人々の影響を受けて世俗的になっていたことがわかります。しかし、町の人々はロトの言うことを聞かず、「さあ、おまえを、あいつらよりもひどいめに会わせてやろう」と言いながらロトのからだを激しく押しつけ、戸を破ろうと近づいて来ました。すると、御使いたちが手を差し伸べて、ロトを自分たちのいる家の中に連れ込んで、戸をしめました。家の戸口にいた者たちは、小さい者も大きい者もみな、目つぶしをくらったので、彼らは戸口を見つけるのに疲れ果てました(9-11)。
御使いふたりはロトにソドムとゴモラを滅ぼそうとしていることを知らせ、身内の者をみな、この場所から連れ出すように言いました。そこでロトは出て行き、娘たちをめとった婿たちに告げて言いました。「立ってこの場所から出て行きなさい。【主】がこの町を滅ぼそうとしておられるから。」しかし、彼の婿たちには、それは冗談のように思われました(14)。ロトの言葉には権威がありませんでした。子ども達さえ無視してしまいました。ソドムから離れたところに住んでいたアブラハムはソドムの人々のために切に祈りました。しかし、ソドムに住んでいたロトはどうでしたか。彼はソドムとゴモラが滅亡するという話を聞いても家族や人々の救いのために祈りませんでした。
御使いたちはロトを促しましたが、ロトはためらっていました。なぜ彼はためらったでしょうか。ロトはアブラハムと別れる時にも持ち物が多くありました。ソドムに住んでからはもっと財産が多くなっていたでしょう。それで彼は羊の群れ、立派な家など多くの財産を捨てて行くのをためらっていたでしょう。もうすぐソドムが滅ぼされるのに、彼は世のものに心が縛られていました。滅亡が迫っていたのに、彼はこの世のものをとても愛していました。このままためらっていたら、ロトは家族と一緒に滅ぼされてしまったでしょう。しかし、御使いたちは強制的に彼の手と彼の妻の手と、ふたりの娘の手をつかんで連れ出し、町の外に置きました。それは主の彼に対するあわれみでした。アブラハムの祈りを聞いてくださったからでした。
神様はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の【主】のところから降らせ、これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされました(19:24,25)。ソドムとゴモラは主の園のように、どこもよく潤っていました。人々は物質的に豊かに暮らしていたでしょう。しかし、その国は堕落していたので、神様によってみな滅ぼされました。審判の知らせを冗談のように思ったロトの婿達も滅ぼされました。性的に堕落した若い者から年寄りも滅ぼされました。その地の植物も、動物もみな滅ぼされました。神様のさばきは徹底的に行われました。イエス様は次のように言われました。「また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました(ルカ17:28,29)。
26節をご覧ください。ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまいました。御使いはロトの家族を外のほうに連れ出した時、こう言いました。「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。」ところが、ロトの妻はソドムに残して来た物、家にある財産を惜しむ心があったでしょう。それを考えるうちに自然に頭がうしろを振り向いてしまいました。神様のあわれみによって救われたのにもう一歩のところで御使いの警告を犯して塩の柱になってしまいました。イエス様はルカの福音書17章でさばきの日との関連で「ロトの妻を思い出しなさい」と言われました。この世のものに心が縛られている人はロトの妻のことを考えなければなりません。ロトの娘達も親の影響を受けて世俗的でした。娘達はロトに酒を飲ませ、いっしょに寝て、子供を産みました。近親相姦は聖書で禁じている罪です。彼女達が産んだ子供はモアブ人とアモン人になりました。モアブ人とアモン人は、イスラエルの歴史上最悪の性の誘惑と宗教的冒涜につながる存在になりました。彼らは神様に敵対する民族になりました。ロトが結んだ実は悲惨なものでした。主の道を守らず、正義と公正とを行なわず、この世と調子を合わせて生活したロトは悲惨な実を結びました。

今日はアブラハムの信仰生活とロトの生活について学びました。アブラハムは仕える人でした。祈る人でした。神の国を望みながら地上では聖なる旅人として生活しました。彼は信仰によって生きる人でした。神様は彼が必ず強い大いなる国民となると約束してくださいました。地のすべての国々は、彼によって祝福されると言われました。その通りにアブラハムは神様に祝福され、豊かな実を結ぶ人生となりました。彼の子孫の中からイサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ダビデ、そして人類の救い主、イエス・キリストが生まれました。反面、ロトはこの世と調子を合わせて生きていました。地上のものに心が縛られた生活をしました。彼は祈りの人ではありませんでした。彼は恥ずかしい結末を迎えました。彼は悲惨な実を結びました。皆さんは今日の学びを通して自分が誰に似ていると思ったでしょうか。どんな人生を生きたいと思ったでしょうか。昨日夜明けの祈りの時間に歌った曲の歌詞が今日の御言葉で私が伝えたかったことをよく表現していたので、皆さんに紹介します。「1.キリストの御言葉の中にとどまり続けるなら、私達はキリストの心を教えられ、励まされ、振り向くとそこに豊かな実りがある。 2.十字架のキリストの愛にとどまり続けるなら、私達はキリストの恵みを教えられ、励まされ、振り向くとそこに豊かな実りがある。 3.愛し合う交わりの中にとどまり続けるなら、私達はキリストの愛を教えられ、励まされ、振り向くとそこに豊かな実りがある。」皆さん。自分の人生を振り向いた時、そこに何があるでしょうか。ロトはたぶん虚しさ、罪による実りしかなかったでしょう。しかし、信仰によって生きたアブラハムには豊かな実りがありました。私達がアブラハムのように仕える人、祈る人となりましょう。子ども達に主の道を守らせ、正義と公正とを行わせるようにしましょう。この国の人々のためにとりなしの祈りを捧げ、時が良くても悪くてもしっかり主の御言葉を宣べ伝えましょう。すると、主は私達を必ず祝福し、私達を通してこの国を生かし、祝福してくださることを信じます。振り向くと、自分の人生に豊かな実りがあることに気づく時が来ると信じます。

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