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大阪UBFバイブルアカデミー主題講義第1講

投稿者: Calebkim 掲載日: 2008/6/15 (2339 回閲覧)
6月14?15日まで、大阪センターのバイブルアカデミーが、神様の大きな恵みによって、行われました。参加人数は10名です。
ぜひ、メッセージをご覧いただきたいとおもいます。

2008年バイブルアカデミー(2008/06/14) 西山 絵里
世の光イエス様

御言葉:ヨハネ8:1?20
要節: ヨハネ8:12
イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。

 今日の御言葉では、姦淫の罪を犯した女がイエス様の前に連れて来られます。当時の宗教指導者達は、この女性を人前に立たせただけでなく、イエス様を告発するためイエス様がこの女に何と答えるか試しました。この時間、御言葉を通して、この女性を助けられたイエス様、また、私達にいのちの光を与えられるイエス様について深く学びたいと思います。この時間、世の光イエス様が一人一人に訪れてくださるようせつにお祈りいたします。

? 罪に定められないイエス様(1-11)
1節をご覧ください。7日間の祭りが終わると人々はそれぞれ家に帰りましたが、イエス様はオリーブ山に行かれました。そこで、夜を明かして祈ることにより、神様から新しい力と知恵と信仰を与えられました。そして、御言葉を教えるために朝早く宮に入られました。イエス様が朝早くから御言葉を教えられたのは神様の御言葉だけが人生の根本問題を解決し、人を新しく創りかえる知恵であり力となるからです。民衆達はイエス様が愛と真理に満ちた御言葉をくださることを良く知っているので、この日もイエス様の御もとに寄って来ました。
すると、その雰囲気を打ち破るKYな事件が起こりました。3節をご覧ください。律法学者とパリサイ人達が一人の女性を連れて来て宮の真ん中に立たせました。この女性は姦淫の場で捕らえられた女性でした。恵みに満ち溢れた雰囲気は一気に険悪になり、人々の視線は皆彼女に注がれました。この女性の姿はどうだったでしょうか。群集の前で大きな羞恥心と屈辱感を感じていたことでしょう。そして、当時のユダヤ社会では、申命記22:22によると、このように姦淫を犯した者は男も女も石打ちにされ、死ななければなりませんでした。きっと彼女は死に対する恐怖のためにも恐れ、震えていたことと思います。
 4,5節をご覧ください。「イエスに言った。『先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。』」彼らの質問の意図は6節にある通り、イエス様を試して告発する理由を得るためでした。もしイエス様が石打ちにするように言われたなら、ユダヤ人は死刑判決をくだすことが許されていないため、ローマの法を破ることになります。そして、愛と憐みというイエス様ご自身の教えについても矛盾し、その点をつつかれることにもなります。
一方もし、石打ちするなと言われたならこのモーセの律法を破ることになり、ユダヤの最高権力機関であるサンヘドリン公会に告訴されることになります。結局イエス様はどうにも答えられない立場に立たされました。どちらの答えに転んでも、イエス様が非難されることになる完全な罠になっていたわけです。
そのときイエス様は何をされたでしょうか。6b節をご覧ください。「しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。」イエス様が何を書いておられたのかはわかりません。普通、人間なら、このような状況に置かれると、彼らの話しを聞いて気分が悪くなり、心をおさめきれず、爆発するかもしれません。イエス様もこの女性に対する彼らの汚いやり方に怒りを覚え、返答したくなかったことでしょう。答える価値がないと思っておられたのかもしれません。イエス様は彼らの目的を知っておられたので、この悪い感情で満たされたこの場の雰囲気がおさまるまでイエス様は黙って待っておられました。
この光景は、2000年前に起こった事ですが、私達と関係のないことではありません。私達の住んでいるこの世界と同じではないでしょうか。
裁き合い、責め合っている世界。自分たちの目的のために、誰かをやりだまにあげて、利用し、攻撃する世界。職場で、学校で、このような場面を誰しも経験しているのではないでしょうか。私も、前職では会議のときに、皆が一丸となって誰か一人を攻め立て、責任を追及するという場をしょっちゅう経験しました。責められる人はかたまってしまい、生きた心地がしません。私達はこのような闇の世界に住んでいるのです。
パリサイ人たちはイエス様と彼女を罪に定めようとしていました。人前で罪をあらわにさせ、恥をかかせ、この女をだめにするやり方でした。彼女に生きる道を与える者はここには誰もいませんでした。
しかし彼らは問い続けてやめませんでした。そこでイエス様は身を起こして何と言われましたか。7b節をご覧ください。ご一緒に読んでみたいと思います。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」当時ユダヤでは罪人たちを石打ちにするためには、その人の罪を証明できる二、三人が最初に石を投げ、その後他の人々が石を投げることになっていました。だからイエス様は彼らのうちで罪のないと思っている人が証人になって最初に石打ちするように言われたのです。
「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」するとどんなことが起こったでしょうか。9節をご覧ください。そして、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行くと、結局イエス様とその女性だけが残るようになりました。イエス様の御言葉は責めたてるだけの人の良心をつきました。彼らはイエス様の御言葉を聞いて自分自身を省み、良心の呵責を受けました。イエス様は姦通した女性に石を投げる前に、まず自分自身は罪のない者であるかを省みるように言われたのです。自分自身、罪を感じてしまったので、もう投げることはできませんでした。イエス様はパリサイ人たちが自分も罪人であることを自覚するように助けられたのでした。
10節をご覧ください。その時イエス様は身を起こして言われました。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」イエス様は、「大変ことになるとわかっていながら、何てことをしたのか!」と咎められませんでした。彼女はイエス様の意外な返答に驚きながら「だれもいません。」と答えました。
 ここから私達は何を学ぶことができるでしょうか。第一に、すべての人は罪人であるということです。罪は人々の間で比較される相対的なことではありません。誰が罪をより多く犯したのか、誰がより少なく犯したのかということではありません。罪は神様の御前で見つけられる絶対的なことです。聖書では「義人はいない。ひとりもいない。」とあります(ローマ3:10)。 人が神様の御前に立つ時、自分は罪のない者であるとは言い切れません。だからこの世の中にはこの女性のように表に罪が表われた罪人と、民衆のように表に表われない罪人がいるだけです。結局罪があるかどうかの問題ではなく、内面にある罪を悟り、認めるかどうかの問題です。
第二に、人間が人の罪を定める資格がないということです。私達は残念ながら、自分の罪より他人の罪のほうが見えやすいという傾向にあります。理解できない人の行動を見て、良くないと判断したり、何をやっているのかとあきれたり、罪に定めやすいのです。私達の住んでいる世界は、罪のある者同士が裁きあっている世界です。自分にも罪があると知っていながらも人を裁き、自分を守る、闇の世界です。しかし、私たちは皆同じ罪人なので、人の罪を指摘するより、自分のことをよく考え、自分の罪を悔い改める生活に励まなければなりません。
そしてこの女性も罪を犯した時、それなりの理由があったかもしれません。だとしても、罪を犯した事実は事実であり、罪は罪です。私たちも罪を深く認めることが大切です。もし深く認めないなら、「人間として自然なことだ」、「頑張っても無駄だ!」という反発心が生じ、楽しみたい、すがりたい思いが強く残っているので、おさえきれずに何度でも罪を自由に犯してしまいます。それでは、私たちが自分の内に発見した罪を罪だと深く認め、神様の御前に出て行ったとき、私たちが受ける恵みはどのようなものでしょうか。
11節をご覧ください。この御言葉もご一緒に読んでみましょう。「」内の御言葉です。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」イエス様は、彼女が罪に定められる深刻な罪を犯した罪人であることは認められていました。にもかかわらず、イエス様は彼女を責めませんでした。
当初、彼女は皆の前で罪を表ざたにされ、大変恥ずかしい思いをしたことでしょう。石打にされる以上に彼女の心は、死んでしまっていたかもしれません。イエス様はこの彼女の苦しみを見られ、理解しておられました。そしてイエス様はこのような彼女にこれ以上の罰を与えられたのではなく、赦されました。固まっていた心が溶け出し、彼女はきっと自分の罪に対する後悔とイエス様に対する感謝の気持ちでいっぱいになっていたことでしょう。
律法学者達は、彼女のことを「この女」「こういう女」と呼び、彼女を罪人として扱い、だめにする道を与えていました。しかしイエス様は彼女を赦し、新しい人生を歩むように助けられたのです。このイエス様は愛と憐みに満ち、私達を生かす道を与え、いつも私達に希望をかけてくださる方です。
 ここから私達は何を学ぶことができるのでしょうか。イエス様は赦すことができる メシヤだということです。彼女が犯した罪はイエス様が責任をもって負ってくださいます。ではイエス様はどのようにして私たちを赦すことがおできになるのでしょうか。?ペテ2:24は次のように言っています。「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」イエス様は、罪によって永遠な刑罰に至るしかなかった人間を救うための代価を払われました。だからキリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
誰でも人間であるなら、美しい人生を出発したいと願います。けれども過去に自分がしてしまった悪いことのために立ち往生してしまい、身動きがとれないこともあるのではないでしょうか。しかし、イエス様にあっては新しい清い生活ができます。神様の御前で自分の罪を悔い改め、イエス様の赦しの愛をただ受け入れる時、全てが変わってしまいます。また神様を信じ、クリスチャンになったとしても、よく罪を犯してしまいます。けれども毎日イエス様が赦してくださるので、新しい生活が日々与えられ、足りない面を直していただきながら成長することができます。イエス様の一方的な赦しの愛のためにこのように生きることができるのです。だから私たちも、新しく出発する力がない時、罪だけに縛られないで、赦しの愛を考えなければなりません。また、自分も自分自身を罪に定めてはいけません。自分自身に対しても、私達はこのパリサイ人たちのようになりやすいのです。過ちを何度も犯す自分に絶望し、自虐するより、赦してくださるイエス様、信仰と希望を持って私達を見ておられるイエス様を考えると、新しく生きる力を得、勇気を持って毎日再出発することができます。
イエス様は彼女に罪の世界に留まっていないで、イエス様の方に来なさいという方向を与えられました。周りの人は皆彼女を罪に定める人か、単なる傍観者であって、彼女を助ける人は一人もいませんでした。彼女には誰も自分を理解してくれる人がいませんでした。けれども、イエス様は彼女の苦しみをよく知っておられ、イエス様は彼女にとって唯一の友達になられました。そしてイエス様の恵はそれで終わることはなく、彼女に第二の人生を与えられました。彼女は想像もしていなかったような新しい人生を歩む方向を与えられたのでした。

? 世の光イエス様(12-20)
 では彼女に与えられる新しい人生とはどんな人生なのでしょうか。12節をご一緒に読んでみましょう。「イエスはまた彼らに語って言われた。『わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。』」「わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、」イエス様に従う人生です。そしてイエス様は、世の光だとおっしゃっています。イエス様の光がなかったら、人は闇の中に生きることになります。では、闇とは何でしょうか。ここで、闇とは、悲観的・運命的な考え、怒り、短気、憎しみ、争い、とぎれない罪の生活などの世界です。誰もこの暗闇に勝つことはできません。光のイエス様以外暗闇をおおうことはできないのです。
私達人間は、たとえ大きくても、真っ暗闇の中では互いに見えないことが多いです。しかし、線香花火は、小さくても一たび火がともった瞬間、暗闇の中に光の花がともります。光は一瞬で暗闇をうちやぶります。暗闇に負ける光はありません。
 この本文にでてくる彼女は、罪の生活のために、悲しく運命的な生活を送っていたことでしょう。しかし、イエス様が彼女の人生の光として訪れてきてくださいました。
 ここでイエス様は約束をされています。「わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」いのちの光を持ちたければ、イエス様についていく決断をしなければなりません。闇に留まらない決断をしなければなりません。多くの人々は、この世の流れと常識に従って生きていくのが賢い道だと考えるでしょう。しかし、だまされてはいけません。小さい頃、親に叱られた時、押入れに入れられることがありました。最初、暗くて恐くてできる限り入りたくないのですが、ひとたび入れられ、しばらくすると、だんだん目が慣れてきます。そして色々な物が見えてきて、だんだんおもしろくなってくるのです。果ては日中、押入れに自ら入ってゴロゴロ遊び、文字通り暗い遊びをしていたこともありました。このように暗闇は慣れてくると感覚が麻痺してくるのです。だからだまされてはいけません。姦淫の罪も犯した当初は罪意識を感じますが、回数を重ね、慣れてくると、次第に罪悪感を感じなくなってくるのです。
 そして私達の大半は、光と闇を同時に楽しんでいることがあるのではないでしょうか。白でも黒でもなく、グレーゾーンです。しかし、このグレーゾーンは、暗闇にかかわっている限り、光より暗闇を愛している生活になるのです。だから私達は、このグレーゾーンにもとどまらない決断をしなければなりません。光のイエス様とだけつながっていく必要があるのです。その時、イエス様は喜び・真実・恵という光で私達の魂を養い、生きる力を与えてくださいます。
 イエス様は、どんな人であれ、この女性にされたように、生かす方向しか与えません。闇に落とす方向にもっていかれることはないのです。私達の人生では、一見、闇のように思える時があるのですが、そのような時でも光のイエス様に導かれる恵があります。だからこのイエス様に安心してついて行きましょう。イエス様の生き方を学びましょう。イエス様の知恵をいただきましょう。イエス様の愛の行いを学びましょう。そして喜びと感謝に満ち、互いに理解しあい、助け合える光の人生を歩む者になりましょう。
 13-20節をご覧ください。イエス様のことばを聞いたパリサイ人は自分で自分を証言しているイエス様は真実でないと非難しました。しかし、イエス様はふたりの証言が律法で真実と認められることを引用され、ご自身もイエス様と神様が証していることを話されました。
私は1978年7月21日、三重県で二人姉妹の長女として生まれました。幼稚園の頃、友達のお父さんから性暴力を受け、長年誰にも言えずに心に閉まっていたので、一つの苦しみとして心に残りました。また、私は性に目覚めるのが早く、異常に関心があり、情欲のとりこになった、汚れた子でした。
 そして、中学3年生の頃から、初潮が遅れていることに悩み始めました。母にまだかと聞かれる度におびえていました。母のはやる気持ちも理解できましたが、私にとってはかなりの負担でした。過去の不道徳な行いのために、私は天罰を受けているのだと思っていました。でも、私にいたずらをしたあの人に全部責任を転嫁できたらいいのにと思っていました。高校生になると前にも増して心配になり、女子高の中で何百人もの女の子を見ながら、「この中で私と同じような人は一人もいないだろう。」と思い、孤独を感じました。高校生活は、クラブ活動に友達に楽しかったのですが、「普通の女の子になりたい」というのが大学合格よりも大きい、最大の夢でした。私はひょっとして子どもを産めないのではないかと思い、出産や結婚の夢は殆ど失いました。大学に入る前、母親に初めて病院に連れて行ってもらい、重度の無月経と診断されました。病院に行けたことで、大抵の問題は解決されたと思っていましたが、大学時代も将来のことを考えれば憂鬱になりました。しかしあまりこの問題は直視しようとせず、花のキャンパスライフや勉強を楽しんでいました。昔から恋愛症でしたが、恋が成就され、理解ある格好良い恋人がそばにいて心の支えになってくれれば、全ての苦悶から開放され、私はきっと幸せになれると思っていました。そして男性を探し求め、情欲の罪を犯しました。私に関心を持って近寄ってくれた人と一晩中クラブの中で共に過ごしました。
 そして、京都外大3回生の時、ブラジルサンパウロ州にあるカンピーナス州立大学に一年間留学しました。そこで一人のUBF宣教師に出会い、聖書勉強を始め、礼拝に参加するようになりました。そして日本に戻ってから、4回生の夏、夏修養会に参加し、マルコの福音書5:34そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」という御言葉を通してイエス・キリストに出会い、病気の精神的な苦しみから解放されただけでなく、情欲の罪の赦しを得、聖くしてくださいました。そしてそれだけでなく、学生をはじめとするまわりの人々に光のイエス様を伝える牧者としてたててくださいました。暗くて運命的な人生から救い出し、光のイエス様といつでも歩める、幸せな人生に導いてくださった神様に感謝します。


 結論として、イエス様はこの闇の世界に、世の光として降りて来られました。イエス様は私達の人生を照らしてくださいます。暗い世の中であっても、いのちの光を持つようにしてくださいます。私達がこのイエス様についていき、本当に幸せな人生を歩む者になりますよう祈ります。世の光イエス様を賛美します。

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