日本UBF案内 祈りの課題 日ごとの糧 メッセージ・説教一覧 問題集一覧 m

ユーザメニュー
日毎の糧
ログイン
ログイン
パスワード

  新規登録 |  
BibleMsg > 特別講義 > 07DBC2.主の霊によって

07DBC2.主の霊によって

投稿者: Calebkim 掲載日: 2007/10/14 (2481 回閲覧)
2007年秋弟子修養会 主題講義第2講
メッセージ:崔慶原

2007弟子修養会第二講

主の霊によって

御言葉:ゼカリヤ4:1?14
要 節:ゼカリヤ4:6
「すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。」

 弟子修養会二日目を許してくださった神様に感謝いたします。今日学ぶゼカリヤ書では、バビロンでの捕虜生活から帰ってきて神殿再建に取り掛かったイスラエルを励ました神様について記されています。イスラエルにとって神殿は、単なる建物ではありませんでした。神殿には、大きな霊的な意味がありました。イスラエルが神様に立ち帰ることによって、奴隷という身分から聖なる国民、祭司の王国として回復されるという意味がありました。しかし、このような大事な神殿の再建が、中断されてしまいました。宮の基が据えられたものの、18年間も建築工事をまったく進められせんでした。このような状況の中で、指導者ゼルバベルは、神様に何を求めたのでしょうか。また神様は、どのように答えられたのでしょうか。今日の御言葉を通して、中断された御業が再スタートするように私たちを勇気付け、助けようとされる神様と出会えるようにお祈りいたします。

 今日の御言葉を理解するには、まずゼカリヤの時代について知る必要があります。イスラエルはバビロンからの侵略を受けて滅ぼされました。国民は奴隷として連れ去られて70年間苦難の日々を送っていました。しかし神様は、当時の支配国であるペルシヤの王クロスを主の霊で奮い立たせました。クロスが、破壊されたエルサレム神殿の再建を許可するようにされました。そこで約4万2千人のイスラエル人が総督ゼルバベル、大祭司ヨシュアに導かれて帰還することができました。彼らはさっそく国家再建のシンボルである神殿の再建工事に取り掛かりました。しかし、周辺の民族による妨害のため、建築は中断され、民の心は日々の生活に埋没してしまいました。そんな中、神様は、預言者ゼカリヤに幻と御言葉を与えました。再び、神殿の建築に立ち上がるように助けました。今日の本文は、ゼカリヤが見た幻と御言葉の一部です。
では、神様は、どのようにイスラエルを励まされたのでしょうか。1?3節をご覧ください。神様は、預言者ゼカリヤに一つの幻を見せてくださいます。御使いが眠っていたゼカリヤを起こしてから「あなたは何を見ているのか。」と聞きました。そこでゼカリヤは答えました。「私が見ますと、全体が金でできている一つの燭台があります。その上部には、鉢があり、その鉢の上には七つのともしび皿があり、この上部にあるともしび皿には、それぞれ七つの管がついています。また、そのそばには二本のオリーブの木があり、一本はこの鉢の右に、他の一本はその左にあります。」ゼカリヤが幻で見た「全体が金で出来ている一つの燭台」とは、神様の栄光を照らす教会を意味しています。そして、その燭台のそばに立てられ、油を注いでいるオリーブの木は、当時の大祭司ヨシュアとユダの総督ゼルバベルを指しています。つまりこの幻は、指導者ヨシュアとゼルバベルによって、神様の栄光を放つ神殿が完成されるビジョンでした。
神様は、この幻を預言者ゼカリヤに見せた後、神殿再建の責任者であるゼルバベルに伝えるべき御言葉を与えて下さいます。6節をご覧ください。「すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。」ここで、「権力」とは、ゼルバベルがユダの総督として持っていた政治的な力を指します。神殿建築のためにイスラエルを動員する力です。また「能力」とは、ゼルバベルの人としての知恵や知識などを意味します。すなわち、神様は、こう言われたのです。「神の宮であるエルサレムの神殿の再建は、ユダの総督ゼルバベルの政治的な権力や人間的な能力によってできるものではなく、天と地を創造された万軍の主である神の霊に満たされることによってできるものなのだ。」。
それでは、なぜユダの総督ゼルバベルに、この御言葉が与えられたのでしょうか。それは、神殿再建の中断に対して、ゼルバベルの権力や能力が、何の役にも立たなかったからです。彼は、建築の御業を再スタートさせるために自分の権力や能力を使って何とかしようとしました。しかし周辺民族による妨害を退けることが出来ませんでした。意欲を失ってばらばらになったイスラエルの民を一つにまとめることも出来ませんでした。何も出来ないまま18年という長い年月が過ぎてしまいました。神殿を再建して神様に立ち帰るという希望は、次第に疲れと絶望に変わってしまったのです。
神様は、このようなゼルバベルをどのように助けられたのでしょうか。もう一度6節の御言葉をご一緒に読みたいと思います。「すると彼は、私に答えてこう言った。これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。」
第一に、行き詰っている自分ではなく、万軍の主神様を見上げるように助けられました。神様は完成される神殿の輝かしい姿を見せてくださいました。この幻は、建物としての神殿を意味しているだけではありません。絶たれた神様との関係が回復され、消えてしまった神様の民が復活される幻でもあります。例え、現状はなんの進展もないようでも、またイスラエルの民が、自分たちの回復に対する神様の御心を忘れてしまっていても、神様の希望は消えませんでした。神様の働きは、中断されることなく続けられていたのです。神様は、指導者ゼルバベルが、この神様を見上げることを望まれました。行き詰まって絶望している自分ではなく、神殿を完成される神様、イスラエルを聖なる国民、祭司の王国として再び立ててくださる神様を見るように助けられたのです。
第二に、神様は、神殿再建を現実のものにする力の源が、神ご自身の霊であることを悟らせてくださいました。神様は「権力によらず、能力によらず、私の霊によって」成し遂げられると明言なさいました。ゼルバベルは、あの手この手で努力しましたが、自分の足りなさや現実の難しさを思い知り、気落ちするしかありませんでした。私にもっと大きな権力が与えられていたら、私にもっとうまく人を統率する能力が与えられたていたら、私を支えるもっと忠実な同労者たちがいたら、イスラエルの人数がもっと多かったら、などの思いが次第に強くなったことでしょう。しかし、建築を妨害する敵を退け、働き人の心を動かし、神殿建築を再スタートさせる力の源は、神様の霊でした。神の霊に満たされると、具体的にどんなことが起こるのでしょうか。7節をご覧ください。「大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は『恵みあれ。これに恵みあれ。』と叫びながら、かしら石を運び出そう。」神の霊が臨まれると建築を妨害していた敵たちは、山が平地になるように退けられます。神の霊がイスラエルに臨まれると、建築を避けていた民たちが喜びながら建築の御業に再び取り掛かるようになります。実際、歴史を見ると、神殿の再建は、再び立ち上がったイスラエルによって、BC520年に再開されました。それから4年後の BC516年に神殿は完成されました。この神殿完成は神様の救いの御業の始まりとなりました。イスラエルは、神様の聖なる国民、祭司の王国として回復され、ついにはまことの神殿であるイエスキリストがこの世に来られました。神様の霊によって、すべてが神様の見せてくださったビジョンどおりに成し遂げられたのです。
ここで私たちは、人の心を神ご自身の霊で満たして、御業を成し遂げる神様と出会うことが出来ます。神様は、組織を動かす権力や優れた能力を求めていたゼルバベルに主の霊で満たしてくださいました。また現実の難しさのため、あきらめていたイスラエルの心を主の霊で満たしてくださいました。主の霊に満たされることなく、自分たちの権力や能力に頼るところでは、人間の業しか見られません。そこでは人の能力や考え以上のことは起こりません。また、自分たちの足りなさのゆえに不平不満に満ちるか、自分の力に頼る人たちの自慢や高慢が蔓延するだけなのです。神様の御業は、神様の霊が宿っている人、神様の霊に満たされている人の間で起こります。神様は、私たちの能力を問われる方ではありません。主の霊に満たされると能力は与えられるからです。
私は、中断された御業を再スタートさせてくださった神様を通して大きな恵みを受けました。人は、何かを始める時は、意欲を持って臨みます。何でも出来るような感じがします。しかし、状況の難しさや能力の足りなさを思い知ると、いつの間にか意欲は消えてしまいます。雰囲気に身を任せて、ただ習慣的に生きていくようになります。更に、失敗でも経験すると、もう全てが嫌になってしまいます。 再スタートしようとしても、もう力がでません。あの手この手で努力しても疲れるばかりです。先輩宣教師たちから聞きましたが、日本本部センター購入の計画は、ちょうど18年前から始まったそうです。その間イエス様を信じてイエス様を学ぶ弟子として学生たちが立てられ、LAとパプア・ニューギニア開拓御業に宣教師を派遣することも出来ました。人数も増え、教会が狭くなってきたので、建築の御業に取り掛かるようになりました。おそらくその時は、かなり燃えていたことでしょう。しかし、その時からもう18年が過ぎてしまいました。最近になって再びあの手この手で調べ、物件を探してみましたが、中々相応しいところが見つけられませんでした。しかも、私たちの中には、この御業に仕える建築専門家も、不動産専門家もいません。それぞれ忙しく、集中して仕えることもできません。貯めてきたお金も、希望する建物のためには、足りない状況です。多額のローンを組むこともやさしいことではないようです。教会のメンバーの中で、銀行で貸出関係の業務を行っている人でもいたらと思ったりもします。しかし神様は何と言われますか。もう一度6節の御言葉をご一緒に読みたいと思います。「すると彼は、私に答えてこう言った。これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。」そうです。この御業は、万軍の主である神様の霊によってのみ可能なものです。神様は、この御業が私たちの能力にかかっているものではなくて、天と地を創造された万軍の主である神の霊、聖霊に満たされることによってできるものだとおっしゃっているのです。主の霊が、この御業に仕える建築委員長李ヨシュア宣教師をはじめ、新しく構成される建築委員たちの心に臨まれるようにお祈りいたします。教会のメンバーだけではなく、主の宮の購入に携わるすべての方々の心を神様が動かされ、必要なものを許してくださるようにお祈りいたします。今まで早稲田周辺では物件がないと言われてきましたが、祈り始めてから一ヶ月も経たない内に、三つの物件が現れました。神様が働いておられることが感じられます。神様が私たちに見せてくださったビジョンどおりに、日本本部センターとして使うに相応しいところが与えられることを信じて感謝いたします。
しかし、神様の御業は、日本本部センター購入に終わるものではありません。それは始まりです。再び日本の大学生たちが御言葉によって救われ、イエス様の弟子として立てられる御業が起こるでしょう。神の霊に満たされた寺崎アブラハム牧者、石原アクラ牧者、沢崎洋平牧者、永正リベカ牧者、大井直美牧者、そして宣教師たちによってです。主の霊に満たされると、全ての権力・能力の源である神様が、必要なすべてのものを与えてくださいます。人の心を動かしてくださいます。どんな苦労や難しさにぶつかっても、あきらめることなく、神様の御業に仕えるように私たちの心と体を変えてくださいます。赤門フェローシップの御業を見ても新しくビジョンを持つことが出来ます。先週私は中村秀行兄弟の証を聞いて彼のうちに働いている聖霊の御業を見て非常に感動しました。彼はお酒好きでお酒を飲んで友達と夜遊びをすることを楽しんでいることを私たちはよく知っています。ところが、今回の合宿では、不思議なことに彼の心と体がお酒に対して拒絶反応を引き起こしてあまり飲めなかったそうです。彼自身は、神様の警告だったと言っていましたが、明らかに聖霊の働きでしょう。聖霊が彼の心と体の中で働いて聖なるものを求めるように彼を少しずつ変えていることに気づかされます。先週からは子供礼拝で先生として仕えるようになりましたが、子供たちにタバコの匂いを匂わせたらダメだと思ってずっと我慢したそうです。彼が以前は、タバコ中毒で授業も受けられなかったことをよく知っています。そうです。これも明らかに聖霊の働きによる変化でしょう。自分の欲のままではなく、人に仕える素晴らしい人生を送るように導かれる聖霊の働きです。私は、中村秀行兄弟のことを考えながら、神様は、私たち一人ひとりが聖霊に満たされて聖なる国民、祭司の王国として回復されることを望んでおられることに気づかされました。私たちは成長するにつれて自分の限界を知るようになり、自分の能力では出来ないと判断すると、すぐに諦める傾向があります。私たちがこのような勢力から勝利する秘訣は、自分を信じる自慢や高慢を捨てて悔い改めることです。それで聖霊が私たちを満たし、導いてくださるように自分を委ねていくことです。使徒パウロは、ピリピ教会の信者たちをこう励ましています。「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は固く信じているのです。」(ピリピ人への手紙1:6)使徒パウロは、神様の霊が完成されるという信仰を持っていました。この信仰で、教会の信者たちに仕え、励ましました。おそらく彼がそんなに大きな働きが出来たのは、聖霊の働きを固く信じて、それが完成されるという期待を持っていたからでしょう。私たちも、日本本部センター購入や日本の福音の御業、そして個人信仰の成長がすべて神の霊、聖霊によって完成されるという信仰の上に固く立ちましょう。それに期待をかけて望みましょう。神の霊によって、神様の約束とおりに成し遂げられることを信じて感謝いたします。

私は、今日の御言葉を準備しながら、私の心が能力を求める心で満ちていることに気がつかされました。朴エズラ、エステル宣教師や大井直美牧者と同労して東大の御業に仕えるものとして、また博士課程で学問の道を進んでいる者として、そして二人の子供の父として、私は、難しさにぶつかると、自分の限界を感じ、疲れ果てていました。宣教師として働いていましたが、学生たちと継続的に関係性を持つことが出来ませんでした。汗を流しながら頑張って書いた論文は、指導教授に何回も断わられ、中断されることを何度も経験しました。遂には同労者である直美牧者に「あなたはいつも疲れているね。」と言われてしまいました。私は、いつも「力」が足りない自分に気づかされると、主日礼拝に来た兄弟姉妹たちが私の疲れた姿を見てつまずいてしまうのではないかと心配していました。能力が足りなくて、御業も、勉強も、家庭を支えることも出来なくなるのではないかという恐れもありました。そのうち、最初もっていた意欲はいつの間にか消えてしまいました。強い自分の意志で耐えてきたのも、もはや底を突いてしまった気がいたします。このような私に神様は、私が求めるべきものが能力ではなくて、神様の霊に満たされることであると悟らせてくださいました。すべてを能力のせいにしていた私に、神様は聖霊に満たされる望みを許してくださいました。神様の霊によって全てが完成されるという信仰を与えてくださいました。これから大井直美牧者が弟子として立てられたように東京大学で弟子養成の御業が再び起こります。一人のアブラハムが立てられることは、その始まりであり、将来には12弟子が養成されます。主がくださる知恵によって日本政治と国際政治に対する理解が深まり、博士論文を完成することが出来ます。神様から見せていただいたビジョンとおりに、教授牧者として学生たちと接しながら、福音を述べ伝えるようになります。このすべてが全能者神様の霊によって出来ます。事実、今回の弟子修養会のメッシンジャーとして選ばれたとき、最初は自分の忙しさや無力さを言い訳に断わりました。しかし、祈る中で、能力のせいにしながら、意欲を失って崩れていた私の心の神殿を再建しようとされる神様と出会いました。この神様を心から受け入れて悔い改めることが出来ました。私が神様の霊が全てを完成されるという信仰の上に固く立ち、活き活きとした姿で、神様の御業に用いられるようにお祈りいたします。

結論、もう一度6節をご覧ください。「すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。」神様は、私たちが主の霊に満たされる時、日本UBF本部センターを購入することを始めとして、日本の兄弟姉妹たちを神様の聖なるものとして立ててくださいます。私たちの体を聖霊の宮として築き上げてくださいます。私たちが聖霊に満たされて、神様が成してくださる、完成してくださるという信仰の上に固く立つようにお祈りいたします。

ページ移動
良く読まれた記事 大阪UBFバイブルアカデミー主題講義第1講 07DBC1.あなたがたは力を受けます 次の記事
投稿された内容の著作権はコメントの投稿者に帰属します。
個人情報保護について HPのリンクについて データの引用(著作権) 聖書のデータについて お問い合わせ
Copyright ⓒ 1997- Japan UBF. All rights reserved.
日本UBF 公式サイト    HP管理者への問い合わせ