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BibleMsg > 特別講義 > ネヘミヤ記1?3章 聖なる城壁を建て直そう

ネヘミヤ記1?3章 聖なる城壁を建て直そう

投稿者: Jubfadmin 掲載日: 2004/12/25 (4415 回閲覧)
2000年新年修養会 第1講

 

聖なる城壁を建て直そう

 

御言葉:ネヘミヤ記1?3章

要 節:ネヘミヤ記2:17

「それから、私は彼らに言った。『あなたがたは、私たちの当面している困難を見ている。

エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままである。さあ、エルサレムの城壁を建て直し、

もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。』」

 

 新しい年、希望に満ちた二千年を迎えました。去る一年間私たちを王である祭司としてキャンパスの救いの御業に用いてくださった主に感謝致します。きょうの御言葉はエルサレムの城壁を建て直す御業に用いられたネヘミヤに関する内容です。彼は不可能な状況と暗い現実の中から立ち上がりエルサレムの城壁を建て直しました。去る10年間神様は私達をキャンパスの開拓の御業に用いられ、現在北海道から長崎まで16箇所にセンターが与えられました。そして、パイオニアチームやヨハネチームが建てられ、去年は第二のヨハネチームとして石原弘之牧者と高橋美奈牧者が建てられました。しかし、この国の560キャンパスの開拓はまだ始まりの段階であると言えます。キャンパスは廃墟となったエルサレムのような状態です。そんな中で廃墟となったエルサレムの城壁を建て直したネヘミヤの信仰について学ぶことは私達にとって有益になるとと思います。今日私達にとって廃墟となったエルサレムは何であり、建て直すべき城壁は何でしょうか。本文の御言葉を通してネヘミヤの涙と悔い改めの祈り、そして彼の信仰について学び、今年崩されたキャンパスの城壁を建て直すことができるように祈ります。

 

?.泣き、祈るネヘミヤ(1章)

 

1節をご覧下さい。「ハカルヤの子ネヘミヤのことば。第二十年のキスレウの月に、私がシュシャンの城にいたとき、」時はイスラエル人がバビロンに捕虜として連れ去れてから約162年が過ぎたアルタシャスタ王第二十年、紀元前445年でした。キスレウの月は今の11月中旬から12月中旬に当たる時期です。ネヘミヤの職分は王の献酌官でした。献酌官とは王が飲むお酒に毒が入っているかどうかを調べる人のことです。当時の王は常に暗殺の危険がありました。ですから献酌官は王の特別な信頼を受けた人でなければなりませんでした。ネヘミヤはバビロンに捕虜として連れて来たユダヤ人の子孫でしたが、このような職分になったのを見ると彼がどれほど王の信頼を受けたかがわかります。

 2節をご覧下さい。ネヘミヤの親類のひとりハナニが、ユダから来た数人の者といっしょにやって来ました。そこでネヘミヤは、捕囚から残ってのがれたユダヤ人とエルサレムのことについて、彼らに尋ねました。ところが彼らは衝撃的なことを知らせました。3節をご覧下さい。彼らはネヘミヤに「あの州の捕囚からのがれて生き残った残りの者たちは、非常な困難の中にあり、またそしりを受けています。そのうえ、エルサレの城壁はくずされ、その門は火で焼き払われたままです。」と答えたのです。エルサレムは神の神殿がある聖なる都としてユダヤ人の信仰と生活の中心地でした。心の故郷のような所でした。このようなエルサレムが紀元前586年にバビロンによって徹底的に破壊されました。美しく雄大だったソロモンの神殿は火で焼き払われエルサレムの城壁はくずされました。人々は三回にかけてバビロンに捕虜として連れ去られました。幸いにペルシャ王クロス元年に捕虜から帰還したダビデの子孫ゼルバベルとユダヤ人達が神殿工事を再開し紀元前516年にはついにゼルバベル神殿と言われる第二の神殿が完成されました。その後、紀元前458年エズラは男1754人を連れて帰りました。彼らは帰還後何度もエルサレム城壁を建て直そうとしましたが回りの民族の反対によってアルタシャスタ王は城壁再建を禁止しました。すると敵たちはすでに建てられていた城壁さえも完全に崩し、城門を焼き払ってしまいました。そして敵たちはエルサレムに自由に出入りしながら略奪しイスラエル人を苦しめました。そのためにイスラエル人は危険なエルサレムを離れて安全な場所に移住したために人口は減りつづけ、後には5,6万名しか残っていませんでした。ネヘミヤがエルサレムの城壁がくずされ、その門は火で焼き払われたことを聞いたのはこの時でした。その時は紀元前445年でエズラが帰還してから13年が経っていました。悲惨な捕虜生活から帰って来た彼らは立ち上がり、新しい国を建設しなければなりませんでしたが皆絶望して座り込んでいる時代でした。

このような知らせを聞いたネヘミヤは何をしましたか。4節をご覧下さい。「 私はこのことばを聞いたとき、すわって泣き、数日の間、喪に服し、断食して天の神の前に祈って、」私達はここで二つのことを学びたいと思います。

第一に、ネヘミヤはすわって泣きました。

ネヘミヤはエルサレムの城壁がくずされたという知らせを聞いたとき、すわって泣きました。彼は悲しみのあまり泣くしかありませんでした。彼の目からは数日の間涙が止まりませんでした。彼は毎晩眠れず涙で枕を濡らしました。彼は断食しながら悲しみました。神殿が再建されて70年が過ぎましたが、エルサレムの城壁は再建されるどころかすでに建てられた城壁さえも崩され、その門は焼き払われたままでした。やっと芽生え始めたイスラエルの回復は根こそぎ取り除かれてしまうような状態でした。ネヘミヤの望みはこの世で自分の栄華と富を得ることではありませんでした。神の民ユダヤ人が一日も早く神の民らしくなり、信仰を回復し、神様の栄光が回復されることを願いました。ところがその望みが消えそうだったので彼は悲しみのあまり、数日の間、すわって泣くしかありませんでした。彼の涙は彼に神様の栄光を回復しようとする聖なる望みを呼び起こしました。

民に対する哀れむ心と神様の栄光を望みながら涙を流す人々を主は貴く用いられます。苦しみを受けている人々を見ても、くずされた神様の栄光を見ても無感覚な人は神様が用いることができません。エレミヤは預言者たちを通して語られる神様の御言葉に聞き従わず、結局バビロンに捕虜として連れ去られる民を考えながら多くの涙を流しました。彼は次のように告白しました。「私の目は涙でつぶれ、私のはらわたは煮え返り、私の肝は、私の民の娘の傷を見て、地に注ぎ出された。」(哀歌2:11)。彼は涙を持って御言葉を伝える涙の預言者となりました。イエス様も罪によって滅びるエルサレムのことを考えながら泣かれました(ルカ19:41)。

今日私たちが悲しんで涙を流さなければならないことは何でしょうか。それは神様が私たちに任せてくださったぶどう園であるキャンパスの霊的な城壁がくずされていることです。元々大学は真理探究の場として誕生しました。大学は若い大学生たちが神様に出会い、神様の栄光のために生きる聖なる人生の目的を確立して社会に出るところにならなければなりません。キャンパスのあちこちで聖書を読む声と祈りと賛美の声が聞こえて来なければなりません。キャンパスに神様の栄光が満ちていなければなりません。ところが今のキャンパスの状況はどうですか。

キャンパスは快楽主義、相対主義、利己主義によって深く病んでいます。絶対的な真理を探究する真剣な様子は見られず、感覚的で快楽的な文化がはびこっています。若者達は人生の方向やビジョン失って目先の楽しみだけを求めています。くずされたキャンパスにはサタンの勢力が入り込み、愛する羊の命を滅ぼしています。私達はキャンパスの羊の群れを導く牧者としてこのようなキャンパスを見て悲しみ涙を流さなければなりません。

このようなキャンパスの状況の前で私達をもっと悲しませることは羊飼いのいない羊のような学生達を助ける牧者たちが少ないことです。4月になると多くのサークルが新入生募集のために活動するのでキャンパスはすきまもないほどになります。彼らは新入部員を募集するためにものすごく熱心に新入生達に声をかけます。今年クリスマス礼拝の時に演奏をした近岡姉妹が属している音楽サークルは何千枚のちらしを作り、掃除する人がちらしをはがすとその後ろについていながら再びちらしを張るほど熱心に働いたそうです。その結果そのサークルに新入生400人が集まったそうです。それほど彼等は必死になって新入生達を誘っているのです。ところが、彼らを真理の御言葉を持って助ける人々はいくら探してもなかなか見つかりません。去年のサークル募集期間にパイオニアチームとヨハネチームを中心に40名くらいの新入生の名前と住所を書いてもらいました。その結果、現在残っているのが沢崎兄弟です。私達も熱心にやりましたが、他のサークルのことを聞いてまだまだであることがわかりました。チラシを配りましたがそれはわずか2、3百枚くらいだったと思います。純粋な新入生達は彼らを導く牧者たちがあまりにも少ないので他のサークルから皆連れて行ってしまうのです。キャンパスは荒れ果てています。これは悲しいことです。キャンパスで聖書を読んだり、グループで集まって聖書勉強をしたり、伝道する牧者達の姿が見えなければなりません。学生達が主導して他のサークル以上に熱心に新入生達を募集しなければなりません。そして彼らが真理の御言葉によって成長し将来のこの国の指導者達にならなければなりません。

私達が一番悲しまなければならないことは私達の内面にくずされた聖なる城壁があることです。聖書は次のように言っています。「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。」(?コリント6:19)。私達は神様の聖なる宮です。ですから私達は心と精神と力を尽くして神様を愛し、自分をきよめて神様にのみ仕えなければなりません。私達が世の人々の影響を受けて世の名誉、世の栄光、情欲、安逸に心が奪われて純粋な信仰を失っているなら私達の城壁はくずれているのです。信仰を失って世の人々のように将来に対する恐れ、心配、不安の中にいるなら私達はくずれているのです。キャンパスの牧者としての使命感を失って1:1羊かいなくても無感覚になっているなら私達はくずれているのです。祈らなくても平気、聖書を読まなくても平気、集まりに参加しなくても平気になっているならその人の聖なる城壁はくずれているのです。私達は自分の内面の城壁が崩されていることを一番悲しみ、断食しながら涙を流さなければなりません。

第二に、ネヘミヤの悔い改めの祈りです。

ネヘミヤはエルサレムの城壁がくずされたことを聞いて数日の間、悲しみました。しかし、彼はいつまでも悲しんで座り込んでいるわけには行きませんでした。彼は神様の前に祈りました。人々は問題が生じると祈るより絶望したり横になったりする傾向があります。しかしネヘミヤは悲しくて絶望的な知らせを聞いたとき、家に帰り横になりませんでした。フランス産ぶどう酒を飲みながら悲しみを忘れようともしませんでした。彼は天の神様に断食して祈りました。6,7節をご覧下さい。「どうぞ、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエル人のために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエル人の罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。私たちは、あなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった命令も、おきても、定めも守りませんでした。」彼は「私も私の父の家も罪を犯した」と告白しています。当時イスラエル人が神様の裁きを受けてこのように惨めな状況になったのは彼の先祖がモーセに与えられた御言葉を守らなかったからです。イスラエル人は神様から与えられた約束の地、祝福の地、カナンに来て神様の御言葉に聞き従いませんでした。彼らは偶像を拝む霊的な姦淫を犯しました。ところがここでネヘミヤは自分も自分の父の家も罪を犯したと告白しました。実際にエルサレムの城壁がくずされたのは先祖達の罪の結果でした。ネヘミヤは捕虜の五代目として自分とは何の関係もなさそうに見えます。ところが彼は先祖のせいにしていません。彼は自分が罪を犯したと悔い改めました。彼は先祖達の罪を自分の罪として悔い改めました。彼は現在イスラエルが受けている困難が自分の責任だと思いました。彼はとりなしの祈りを捧げています。彼は偉大な信仰の人でしたが、神様の御前に立つと自分も罪人でした。それで彼は涙を流しながら悔い改めました。「神様。エルサレムの城壁がくずされたのは私の罪のためです。どうか私を哀れんでください。」神様はこのように罪を告白する者を喜ばれます。罪を告白するとき、神様との関係性が回復されるからです。また罪を告白するとき、聖霊の御業が起こるからです。使徒の働き2章を見ると、ペテロの説教を聞いて三千人が悔い改めたとき、驚くべき聖霊の御業が起こり、初代教会が始まるようになりました。ですから私ひとりの悔い改めが大切です。私ひとりが悔い改めることは神様に喜ばれることであり、偉大な御業の出発点となります。エルサレムの城壁の再建はネヘミヤひとりの罪の告白から始まりました。

 キャンパスの宣教のために祈っている私達にとってキャンパスはエルサレムだと言えます。私達はこの国のキャンパスの福音化のために祈りながら崩された城壁を建て直そうとしています。ところが、私達が今まで経験して来たようにその仕事は簡単ではありません。障害物と困難があります。最初に来た宣教師達は言葉の問題が障害物になります。また、文化や考え方の違いなどの障害物もあります。私達は何度も建てられた弟子達が離れてしまうつらい経験をしました。その時、心を痛め、涙を流しました。インドやモンゴル、アフリカ、ロシアなどの活発な宣教の知らせを聞く時には「そちらの宣教師として派遣されたら良かったのに」と思う時もありました。日本は他の国とは違うと自分を慰めたりもします。また、このように宣教が難しいのはこの国の学生達が心をかたくなに閉じているからだ、この国はキリスト教の文化がほとんどないからとも思います。それではキャンパスがこれほど荒れ果てているのは誰の責任でしょうか。この国の指導者の責任でしょうか。教会の牧師達の責任でしょうか。この時間、私達はネヘミヤを通してそれを他人の責任にするより自分の責任、自分の罪として受け入れ、悔い改めなければならないことを学びます。私が仕えているキャンパスが物質主義、快楽主義、安逸などの罪の中にあるのは自分の責任であると悔い改めなければなりません。キャンパスの福音の御業はこのように悔い改める人々を通して起こります。悔い改める人々を通してキャンパスのリバイバルは始まります。

私は本文の御言葉を準備しながら自分自身が悔い改める生活に鈍感になっている者であることがわかりました。最近息子ヨハネ君と「ターザン」という映画を見に行きました。ヨハネは映画上映が終わってから私に「パパ。何回涙が出たの。僕は6回涙が出たよ。」と言いました。映画には悲しい場面や感動的な場面があったから涙が出たようです。私は実は一回も涙が出ませんでした。しかし、息子が六回も出たと言うのに自分は「一回も出なかったよ。」とも言えないでしょう。それで「一回出たよ」とうそをついてしまいました。いつからか私は涙が枯れている者でした。しかし、元々そうではありませんでした。神様は中風の人のように情欲と敗北感の床に横になっている私を救ってくださいました。私はこの神様を考えるたびに感謝の涙が出ました。新入生達入学式に参加した時には何千人の学生達に対する哀れむ心のために涙が出るほどでした。ところが今の私には涙が枯れていたのです。罪のために死んで行くキャンパスの学生達が大勢いるのに彼らのために涙を持って祈ることが非常に少なくなりました。宣教師たちのために涙を持って祈ることが少なくなりました。これは主を悲しませることです。キャンパスの城壁がくずされていることは他人の責任ではありません。私の罪のためなのです。私が涙を持って祈り、涙を持って御言葉を宣べ伝えなかったからです。私の安逸の罪を主に告白します。私が新年にはネヘミヤの涙と悔い改めの祈りを学ぶことができるように祈ります。毎日夜明けに起きて涙を持って祈るしもべになるように祈ります。

 8,9節をご覧下さい。「どうか、あなたのしもべモーセにお命じになったことばを、思い起こしてください。『あなたがたが不信の罪を犯すなら、わたしはあなたがたを諸国民の間に散らす。あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行なうなら、たとい、あなたがたのうちの散らされた者が天の果てにいても、わたしはそこから彼らを集め、わたしの名を住ませるためにわたしが選んだ場所に、彼らを連れて来る。』と。」彼は悔い改めた者に約束された御言葉を掴みました。そしてこの約束の御言葉に基づいて神様の恵みを求めました。

 以上から見ると、ネヘミヤひとりの涙と悔い改めの祈りがエルサレムの城壁を建て直す出発点になったことを学ぶことができます。私達が仕えているキャンパスの福音の御業を成し遂げるために必要なことは何でしょうか。国のせいにし、キャンパスの学生達のせいにし、あるいは同労者達のせいにしたらいいでしょうか。いいえ。そうではありません。むしろこのような問題を自分の責任だと思うことが必要です。さらに自分の罪を悔い改めることが必要です。「主よ。早稲田大学がこのようになったのは私の責任です。」「主よ。私は罪人です。どうか哀れんでください。」神様はこのような私達を通してキャンパスのリバイバルを起こしてくださいます。

 

?.エルサレムの再建のために立ち上がったネヘミヤ(2、3章)

 

それでは神様はネヘミヤの涙と悔い改めの祈りをどのように祝福してくださいましたか。2:1節をご覧下さい。アルタシャスタ王の第二十年のニサンの月でした。ニサンの月は3月中旬から4月中旬に当たります。ですからネヘミヤは4ヶ月間祈って来たことになります。ある日、王の前に酒が出たとき、ネヘミヤは酒を取り上げ、それを王に差し上げました。そのとき、王はネヘミヤに「あなたは病気でもなさそうなのに、なぜ、そのように悲しい顔つきをしているのか。きっと心に悲しみがあるに違いない。」と言いました。王はネヘミヤの顔つきが以前とは違うのを見てネヘミヤが何か悪いことを企んでいるのではないかと疑うこともできました。それでネヘミヤはひどく恐れて、王に言いました。「王よ。いつまでも生きられますように。私の先祖の墓のある町が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに、どうして悲しい顔をしないでおられましょうか。」エルサレムの城壁の再建禁止命令を出したアルタシャスタ王にそのようなことを言うことはやさしいことではありませんでした。ひょっとしたら王の誤解を受けて反逆者として殺されるかも知れません。しかし以外にも王はやさしく「では、あなたは何を願うのか。」と言いました。それは神様が今まで祈って来たネヘミヤの祈りを聞かれ、王の心に働かれた証拠です。そこでネヘミヤは、天の神に祈ってから、王に具体的な要求をしました。

 5節をご覧下さい。「王さま。もしもよろしくて、このしもべをいれてくださいますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある町へ送って、それを再建させてください。」これはネヘミヤの切なる祈り題目でした。王は直ちに彼の要求を聞き入れてくれました。そして「旅はどのくらいかかるのか。いつ戻って来るのか。」と聞いてネヘミヤが王にその期間を申し出ると、王は快く彼を送り出してくれました。ネヘミヤは王にユダまで行く間の身元の安全と建築に必要な材木を頼みました。すると王はネヘミヤをユダの総督として建てました。8b、9節をご覧下さい。「私の神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくれた。私は、川向こうの総督たちのところに行き、王の手紙を彼らに手渡した。それに、王は将校たちと騎兵を私につけてくれた。」ネヘミヤは神の恵みの御手が自分を助けてくれたと言いました。それはネヘミヤの涙の祈りに対する神様の応答でした。神様はネヘミヤひとりの涙の祈りを聞かれ彼の祈りの通りにエルサレムの城壁を建て直す御業に用いられました。それを見ると神様は私達の涙の祈りに必ず答えてくださることを学ぶことができます。

 エルサレムにやって来たネヘミヤはまず何をしましたか。彼は急ぎませんでした。彼は三日間とどまったある夜中に起きて数人の者といっしょにエルサレムの城壁を調べました。ネヘミヤはこれから働くべき現場を詳しく調べました。正確な状況を把握することはこれからの働きのために大切なことです。それでは彼が調べた現場はどんな状況でしたか。エサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼け尽きていました(13)。さらに、泉の門と王の池のほうへ進んで行ったが、ネヘミヤの乗っている獣の通れる所がなかったほどした。このように徹底的に壊された城壁を見た時、どんな心が生じやすかったのでしょうか。絶望しやすいです。やる気を失って「本当に私にできることか。」と思い座り込んでしまいがちです。しかし彼はユダの代表者たちを集めて提案しました。

17節をご覧下さい。「あなたがたは、私たちの当面している困難を見ている。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままである。さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。」彼は「さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。」とユダの代表者達に呼びかけました。そして、ネヘミヤは彼らに神様に対する信仰を持つように助けました。18a節をご覧下さい。「そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また、王が私に話したことばを、彼らに告げた。」ネヘミヤの信仰の証しを聞いた彼らの反応はどうでしたか。18b節をご覧下さい。そこで彼らは、「さあ、再建に取りかかろう。」と言って、この良い仕事に着手しました。ところが、これを聞いた敵は「おまえたちのしているこのことは何だ。おまえたちは王に反逆しようとしているのか。」と言って妨害しようとしました。そこで、ネヘミヤは彼らにことばを返して言いました。「天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。だから、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。しかし、あなたがたにはエルサレムの中に何の分け前も、権利も、記念もないのだ。」このようにして歴史的な城壁を建て直す作業が始まりました。

 以上から私達は指導者ひとりの大切さを学ぶことができます。くずされたエルサレムの城壁を見ながら誰一人建て直そうともしませんでした。その時、ネヘミヤはそれを自分のことのように悲しみ、立ち上がりました。神様の御前に断食しながら自分の罪を告白しました。神様にくずされた城壁を建て直すことができるように涙を持って祈りました。ネヘミヤひとりがこのように主人意識を持って神様の御前に祈った時、神様の御手が彼とともにおられました。異邦人の王の心を動かしてくださいました。絶望していたイスラエル人の心を動かしてくださいました。ネヘミヤ一人が立ち上がり民に信仰を植え付け、「エルサレムの城壁を建て直そう」と呼びかけると民もみな「さあ、再建に取りかかろう」と応答して立ち上がりました。これを見ると状況の難しいことが問題ではありません。敵の妨害が問題ではありません。神様の御手がともにおられる時、不可能なことがありません。民たちの心にもエルサレムの城壁を建て直したい心があったでしょう。問題はそのような彼らの心に火をつける指導者がいないことでした。彼らの心に火をつける祈りのしもべ、信仰のしもべ、勇気を持ったしもべひとりがいないことが問題でした。

 3章の御言葉はネヘミヤとともに立ち上がったイスラエル人が45ヶ所の地域に分けて城壁を建て直す場面が出ています。それは本当に美しい場面です。指導者ネヘミヤを中心に様々な階級と身分の人々が皆力を合わせて働きました。ある人々は自分に任されたところを建て直してから他のところも建て直しました。しかしこのように皆が熱心に働いている時、働かない人々もいました。彼らは主の御業に少しも献身しませんでした。一番熱心に働き、一番模範となり、先頭に立つべき金持達が利己心と安逸に陥り、心を合わせませんでした。しかしむしろ貧しく金のない人々が心を尽くして城壁を建て直しました。

 今日の御言葉を通して私達はネヘミヤひとりの涙と悔い改めの祈りがくずされたエルサレムの城壁を建て直す原動力になったことを学びました。新しい千年、主はこの国の崩されたキャンパスの城壁が建て直されることを願っておられます。そして、その御業に私達を用いようとしておられます。新年を迎える今、ネヘミヤの涙と悔い改めの祈りが私の涙と悔い改めの祈りとなることができるように祈ります。新年には私達の内面の崩された聖なる城壁が建て直されるように祈ります。また、私達が助けている兄弟姉妹達の内面に聖なる城壁が建て直されるように、そしてキャンパスの聖なる城壁が建て直されるように祈ります。2010年までこの国に1000人の聖書先生が建てられるように祈りましょう。また、2010年まで100キャンパスが開拓されるように祈りましょう。私達にネヘミヤのような涙と悔い改めの祈り、神様の栄光を現そうとする情熱と願いがあれば、神様がきっとそのことを成し遂げてくださることを信じます。

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