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BibleMsg > 特別講義 > ヨシュア記6 そうすれば、崩れ落ちる

ヨシュア記6 そうすれば、崩れ落ちる

投稿者: Jubfadmin 掲載日: 2004/12/25 (3786 回閲覧)
 

 

そうすれば、崩れ落ちる

 

御言葉:ヨシュア記6:1?21

要 節:ヨシュア記6:5

「祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたなら、民はみな、

大声でときの声をあげなければならない。町の城壁がくずれ落ちたなら、

民はおのおのまっすぐ上って行かなければならない。」

 

 神様はヨシュアを立ててカナンの征服使命と約束の御言葉を与えて下さいました。今日の御言葉は実際的なカナンの征服の始まりとしてエリコの町を征服した内容です。神様はイスラエル人に勝利への確信と具体的な作戦命令を与えて下さいました。この時間、エリコの町を征服したヨシュアとイスラエル人の信仰を学び、新年には私達も信仰によってキャンパスを征服することができるように祈ります。

 

?.神様の作戦命令(1?5)

 

 神様はヨシュアとイスラエル人に「あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、与える。」と約束し、カナンの征服の命令を下されました。イスラエル人はこの約束を信じて信仰によってヨルダン川を陸地のように渡りました。そしてカナンの最初の町エリコに着きました。

 1節をご覧下さい。「エリコは、イスラエル人の前に、城門を堅く閉ざして、だれひとり出入りする者がなかった。」エリコはエルサレム東北およそ30キロの地点に位置していました。エリコは戦略的に非常に大切な位置にありました。エリコはカナンの中部に入るためには必ず通らなければならない交通要路だからです。ですからイスラエルがカナンの地を征服するためにまずこのエリコを征服しなければなりませんでした。しかしエリコはそれほど簡単に征服できそうな所ではありませんでした。そこは難攻不落の要塞でした。激しい傾斜面の頂上に位置しているエリコの町は敵の侵入を防ぐために7?9メートルの城壁を築きました。それも二重城壁でした。外側の城壁の厚さは1.8メートルであり、内側の城壁の厚さは4?5メートルでした。それにエリコは、イスラエル人の前に、城門を堅く閉ざして、誰一人出入りしませんでした。それは主がイスラエル人の前でヨルダン川の水をからし、ついに彼らが渡って来たことを聞いて、イスラエル人のために彼らの心がしなえ、彼らのうちに、もはや勇気がなくなってしまったからです(5:1)。

 それを見たヨシュアとイスラエル人の心はどうだったのでしょうか。彼らはここまで来てエリコを征服できなければ約束の地、カナンは絵の中の餅に過ぎません。必ず征服しなければなりませんが、それができない現実を考えながらイスラエル人は深い挫折感や絶望感、無力さを感じたかも知れません。

 神様はこのような彼らをどのように助けて下さいましたか。2節をご覧下さい。主はヨシュアに仰せられました。「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。」「手に渡した」とは軍事用語として「権力や統治権を渡す。勝利を許可する」という意味です。神様はすでにヨシュアにエリコの町を手渡されました。戦いは神様に属するものです(サムエル?17:47)。ですから神様が敵を私達の手に渡し、ご自身自ら戦われるならどんなに強い敵にも十分勝つことができます。この戦いはすでに勝利した戦いです。ですから心配する必要がありません。不安になったり、焦ったりする必要がありません。神様はヨシュアに「見よ」と言われ、彼が弱い自分自身や難攻不落のエリコの町だけを見ないで全能なる神様を見るように助けて下さいました。神様がなさる驚くべきみわざを見るように助けて下さいました。

 今日、キャンパスの学生達に福音を宣べ伝えている私達も自分の弱さや心の門を閉ざしてなかなか福音を受け入れようとしない学生達を見るより、全能の神様と神様が私達を通してなさる驚くべきことを見なければなりません。私達の霊的な司令官なるイエス様は「あなたがたは、行ってあらゆる国の人々を弟子としなさい。」と命令されました。特にUBFにはキャンパスの征服の命令を与えてくださり、世界233カ国と8000キャンパスに福音を宣べ伝えるように命じられました。主が私達を立てられた目的も私達の集まりの存在目的も日本と世界のキャンパスの征服にあります。キャンパスは戦略的な重要さや堅固さの面でエリコの町と似ています。未来の社会はある未来学の学者の話によると、知識と情報が財産になる情報通信時代になるそうです。ところがキャンパスは専門的な知識を持っている高級情報と知識の源です。従って、未来の社会をリーダする予備指導者達は知識と情報を求めてキャンパスに集まって来ます。ですからキャンパスは未来の指導者達が集まる所であり、彼らが一定の期間勉強した後、それぞれ社会に進出するという点でエリコの町のような所です。彼らを罪と死の勢力から救い出し、神様に用いられる指導者として養うと卒業後社会の各分野で働き、彼らによって社会は変わり、歴史の流れは変わります。ですからキャンパスは世界宣教のために必ず征服しなければならない重要な所です。

 このようにキャンパスは必ず征服しなければならない所ですが、決して簡単に征服できる所ではありません。近代啓蒙主義時代以降、キャンパスは神様の御言葉より人間の理性をすべての価値観の判断基準にして教育するようになりました。このような無神論的な教育によってキャンパスの知的、文化的な風土は反キリスト教的な傾向が強いのです。このような雰囲気の中で子供の時から教育を受けた学生達は神様の世界や霊的な世界を信じるより疑うのになれています。人間の能力に頼りすぎて高慢になり、絶対的な真理を否定する相対的な価値観を持っています。また、経済的な豊かさから来る物質主義、利己主義、個人主義、霊的な無関心などが私達の前に難攻不落のエリコの町のように立っています。私達は、このキャンパスを征服するために何度もチャレンジしましたが、繰り返して残る実が見えない時に、意気消沈になりがちです。自分の弱さや難しい環境や状況だけを見て段々キャンパスから遠く離れて行く自分自身を見つけるようになります。そして、心の中にはもう半分諦めているのです。これは非常に危険な霊的な状態です。

 神様はこのような私達に言われます。「見よ。私がキャンパスの教授達や学生達をあなたの手に渡した。」神様は私達がエリコの町のようなキャンパスの状況や弱い自分より全能の神様を見ることを願われます。神様はこの国の560キャンパスを私達の手に渡したと言われます。神様が私達の手に渡したなら必ず征服することができます。この時間、私達が目を上げてこの全能の神様を見ることができるように祈ります。神様が今年私達を通してなさる驚くべきみわざを期待することができるように祈ります。99年は今世紀最後の年です。私達の生涯には二度と向かえることができない1世紀が変わる年です。私達は今年全能の神様を信じて信仰によってキャンパスで勝利し、21世紀を迎えましょう。

 それでは神様はヨシュアにどんな作戦を指示されましたか。3?5節をご覧下さい。「あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたなら、民はみな、大声でときの声をあげなければならない。町の城壁がくずれ落ちたなら、民はおのおのまっすぐ上って行かなければならない。」神様がヨシュアに指示された作戦は軍事作戦のようではなく変な作戦でした。「大声でときの声をあげると、町の城壁が崩れ落ちるなんて、冗談じゃないよ。」と言いたくなります。「それよりは頭で城壁にヘディングすれば崩れ落ちると言われた方がましだ。」と思われるほどです。しかしこの作戦はイスラエル人がこれから続くカナンの地を征服する時に、百戦百勝できる秘訣を教えています。この作戦の中には霊的な戦いで勝つことができる原理がされています。それではその原理とは何でしょうか。

 第一に、御言葉が中心にならなければなりません。

 神様が指示された行軍隊形を見ると、契約の箱はイスラエルの中央に位置しています。すべての行軍は契約の箱を中心に行なわれました。契約の箱は神様がご臨在する場所としてその中には神様が記録した十戒の二つの石の板が入っていました。イスラエルが契約の箱を中心に行軍したのは神様の御言葉を中心に戦ったということです。神様の御言葉は彼らの中心となりました。神様は御言葉を通して働かれます。神様の御言葉は宇宙万物を創造した創造の力があります。神様の御言葉は干からびた骨を生き返らせ、強い主の軍隊にされる復活の力があります(エゼキエル37章)。神様の御言葉は生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます(へブル4:12)。神様の御言葉は悪魔との戦いで勝利できる御霊の与える剣です(エペソ6:17)。イエス様も悪魔との霊的な戦いで記録された神様の御言葉によって勝利されました(マタイ4:4)。99年私達のキャンパスの征服も神様の御言葉にかかっています。神様の御言葉が私達の心に刻まれる時、霊的な戦いで勝利することができます。神様の御言葉が私達の集まりの中心となり、時が良くても悪くても神様の御言葉を宣べ伝える時、キャンパスは崩れ落ちます。

 第二に、力強く賛美をすることです。

 七人の祭司達は、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司達は角笛を吹き鳴らさなければなりません。ユダヤ人たちは銀のラッパと雄羊の角笛、二つの種類を使いました。銀のラッパは大切なことが起きた時、イスラエル人に知らせるために祭司達が使い、雄羊の角笛は主に祝賀行事や儀式に使いました。ですから雄羊の角笛を吹き鳴らすことは神様を賛美し、神様に栄光を帰する意味があります。神様はイスラエル人が今まで導いてくださった神様、勝利を約束された神様、そしてその約束を守られる神様に対する感謝の賛美をするようにされたのです。賛美は力があります。ヨシャパテ王の時代、イスラエルがモアブ人とアモン人の連合軍と戦う時、喜びの声、賛美の声をあげました。すると、主は敵を滅ぼされました(歴代誌?20章)。パウロとシラスは福音を宣べ伝えることでピリピの牢に入れられました。しかし、彼らは真夜中ごろ、牢の中でも神様に祈りつつ賛美の歌を歌いました。すると、突然大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまいました(使徒16章)。悪魔はクリスチャンの賛美を一番恐れます。賛美すると、悪魔は力を失います。特にイエス様が私達の罪のために十字架につけられ死なれ、復活された勝利の賛美を歌うと、すべての暗闇と悪霊の勢力は離れて行きます。ですから悪魔は出来る限り、クリスチャンが賛美するよりつぶやくように唆します。しかし、私達は状況が難しくなればなるほど神様を賛美しましょう。神様は私達の賛美を住まいとしておられます(詩篇22:3)。私達が賛美する時、主は私達とともにおられ、希望と勇気と喜びを与えてくださいます。それで聖書は次のように勧めています。「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」(へブル13:15)。私達がどんな状況の中でも声をあげて主を賛美しましょう。特に力ある賛美、罪と死の勢力から私達を救ってくださった主を賛美しましょう。

 第三に、最後まで信じて忍耐し、従順しなければなりません。

 カナンの征服戦争はイスラエルとカナンの単純な領土争奪戦ではありません。それはカナン人の偶像崇拝に対する神様のさばきであり、イスラエルに対する神様の約束の成就です。この戦いは神様と異邦偶像との霊的な戦いであり、聖戦です。神様はそれを教えるためにイスラエルがエリコの近くに来た時、主の軍の将をヨシュアに送りました。そして主の軍の将はヨシュアに「あなたの足のはきものを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」と言われました(ヨシュア5:13?15)。ですからこの戦いの総司令官は神様であり、ヨシュアは神様の兵士です。従って、イスラエルが征服戦争で勝利する道は総司令官である神様の作戦命令をどれほど徹底的に信じて従うかにかかっています。ところが神様の作戦命令は人間の常識を超えた本当に変な作戦でした。六日間、町の回りを一度回り、七日目には、七度町を回り、大声でときの声をあげることが作戦なのです。軍人は気が短いので焦りやすいです。ですからこれは神様に対する信仰と忍耐心と従順する心がなければ聞き従うことができない命令です。イスラエル人が願う目標はエリコの町を征服することです。しかし、神様の関心と目標はその戦いを通してイスラエル人が神様を絶対的に信じて聞き従う民、神様を恐れ敬う民にならせることにありました。神様が一日目にエリコの町が崩れ落ちるようにせず、一週間もその町を回るように指示されたのは、それを通してイスラエル人が神様の御言葉に聞き従うかどうかを試すためでした。このような神様の御旨は神様の作戦命令の中に繰り返される七という数字によく表れています。聖書で七という数字は神様に属した聖なる数字として「完全、完成、神聖」などの意味を持っています。ところが、ヨシュア記6章には七という数字が14回も出ています。それを見ると、神様はイスラエル人に100%の信仰と従順と忍耐を願われたことがわかります。戦いの勝敗は神様にかかっています。ですからキャンパスの征服の勝敗もこの神様をどれほど信じて忍耐して聞き従うかにかかっています。

 第四に、指導者を中心に心を合わせて聖霊の器を作りました。

 神様は作戦命令を下される時、戦士はすべて、町の回りを回るように命じられました。神様の作戦命令には例外の兵士がいませんでした。すべての兵士が回り、すべての民もともに回りました。また、この作戦命令には秩序がありました。武装した兵士―角笛を吹き鳴らす祭司達―契約の箱を担ぐ祭司達―武装した兵士―民達、それぞれの位置と役割が決まっていました。神様の作戦は指導者ヨシュアの命令にすべての人々がそれぞれの位置で任された役割を果たす時、遂行されます。神様が立てられた指導者を中心に霊的な秩序を立てて心を合わせて聖霊の器を作る時、勝利することができます。それは、神様が混乱の神様ではなく、秩序の神様だからです(コリント?14:33,40)。神様は初めに天と地を創造された後、万物に秩序を与えられ、今もその創造の秩序に従って万物を治めておられます。ところが神様が立てられたこの創造の秩序、霊的な秩序を壊そうとするのは悪魔のしわざです。サタンは高慢になった御使いのかしらが神様に逆らったので追い出された者のです。サタンは今日もクリスチャンの心と共同体の中に働き、何とかして霊的な秩序を破壊し、聖霊の器を壊そうとします。霊的な秩序が破壊され、聖霊の器が壊された集まりは神様の作戦命令を遂行することができず、神様の御心に聞き従うことができません。ですから神様は霊的な秩序を破壊したり、聖霊の器を壊したりする罪を厳しく扱われます。民数記12章を見ると、ミリヤムはモーセの姉でしたが、モーセを非難し、霊的な秩序を壊した時、神様は怒られ、らい病にかからせました。コラが共謀してモーセに逆らって神様が立てられた霊的な秩序を壊した時、神様は怒られ、地は彼らを飲み込んでしまいました(民16,17章)。私達は99年キャンパスの征服ために戦いをする前に霊的な秩序を破壊するすべての要素を悔い改めて聖霊の器を作らなければなりません。そのようにする時、神様から与えられた命令に従ってキャンパスを征服することができます。

 神様はそのような作戦命令を言われた後、「そうすれば、崩れ落ちる」と約束されました。彼らは自分の力によって戦おうとせず、神様の御言葉を前にして神様の御言葉に従って回らなければなりません。町を回るが、調子ちがいい時には回り、調子が悪い時には回らないのはではなく毎日回らなければなりません。いやいやしがら回るのではなく勝利に対する確信を持って回らなければなりません。何回回って諦めてしまうのではなく神様が勝利を与えてくださるまで回らなければなりません。すべての民が同じ心を持って回らなければなりません。同じ心を持って祈らなければなりません。

 今年の祈り題目の中に「信仰によってキャンパスを征服する年となるように」を一番目の祈り題目として入れました。そして、四人のフールタイム宣教師達を立てて彼らを中心に毎日キャンパスで祈り、Fishingをする予定です。他のすべての同労者達も週一回以上はキャンパスに行って、祈ったり、Fishingに参加して一学期中、すべての同労者達が毎週一人との1:1聖書勉強ができるように祈ります。また、フールタイム宣教師達は週5チーム以上の1:1ができるように祈ります。私達が毎日、キャンパスで祈り、福音を宣べ伝える時、早稲田大学、東京大学が崩れ落ちることを信じます。

 

?。信じて、聞き従うヨシュアとイスラエル人(6?21)

 

 ヨシュアは直ちに神様の作戦命令をそのまま祭司達や民に伝達しました(6,7)。すると、祭司達や民はヨシュアの命令に聞き従って進みました(8,9)。いよいよエリコの町を回る変んな作戦が始まったのです。民は「これはいったい何の作戦だろう。本当に変な作戦だな。」とあちこちで言い始めました。それでヨシュアは民に命じて言いました。10節をご覧下さい。「私がときの声をあげよと言って、あなたがたに叫ばせる日まで、あなたがたは叫んではいけない。あなたがたの声を聞かせてはいけない。また口からことばを出してはいけない。」ヨシュアがなぜ沈黙を命じたのでしょうか。もし彼らが自由に話せるようにして置いたら一人から始まった不信の言葉、不平の言葉、つぶやく言葉はあっという間にすべての民に広がってしまうでしょう。そしてその言葉によってサタンは働き、民は信仰を失い、士気は落ちってしまいます。ですからヨシュアは彼らに沈黙を命じたのです。沈黙の中でともにおられる神様に祈り、神様を信頼するようにしたのです。そして、神様が命じられる時、心を合わせて声をあげるようにしました。

 こうして、彼らは一度だけ町のまわりを回って宿営に帰り、宿営の中で夜を過ごしました。翌朝、ヨシュアは早く起きました(12)。そして、この日も前日と同じくエリコの町を一回回りました。彼らはその次の日にも、町を一度回って宿営に帰り、六日、そのようにしました。しかし、エリコの城壁には何の変化もありませんでした。城壁の一つの煉瓦が落ちることも城壁に少しずつひびが入ることもありませんでした。エリコの町はちっとも動かされることなく難攻不落の要塞そのまま彼らの前に立っていました。

 その時、イスラエル人の心はどうだったのでしょうか。少しの変化もなく堅固な城壁を見ている彼らの心には不信仰が生じやすいでした。作戦に何だか問題があったのではないかと疑いはじめ、新しい作戦を考えなければならないと思う人々もいたでしょう。ある気が短い青年達は夜ヨシュアのところに来て「私は最初から変な作戦だと思いました。早く作戦変更をした方がいいと思います。」と提案したかも知れません。しかし、ヨシュアとイスラエル人はどうしましたか。15節をご覧下さい。七日目になると、朝早く夜が明けかかるころ、彼らは同じしかたで町を七度回りました。この日だけは七度町を回りました。その七度目に祭司たちが角笛を吹いたとき、ヨシュアは民に言いました。「ときの声をあげなさい。主がこの町をあなたがたに与えてくださったからだ。」(16)。ヨシュアが命じると、イスラエル人は今までの沈黙を破って大声をあげました。「わー!」

 するとどんなことが起こりましたか。城壁が崩れ落ちました(20)。その瞬間、それほど難攻不落の要塞だったエリコの城は崩れ落ちました。

 私達はここで従順の偉大な力を学ぶことができます。難攻不落のエリコの城を崩れ落とすためにイスラエル人がしたことは何にもありません。城壁に向かって石一つ投げたことがありません。ただ神様の御言葉に黙々と聞き従っただけです。事実神様がヨシュアを通して指示された作戦命令は聞き従いにくいものでした。毎日一回だけ町の回りを回ることはエリコを征服することとは全く関係のないことのように思われるからです。投資した時間と努力に比べれば何の効果も現われない作戦だったからです。それでこの作戦を繰り返す必要があるのか、疑いと不信が生じやすいでした。しかし、イスラエル人はこのような疑いや不信を捨てて信仰によって忍耐し、作戦通りに聞き従いました。彼らは一日目も、二日目も、六日目も同じく神様に命じられた通りに聞き従いました。七日目になると、彼らは同じしかたで町を七度回りました。そして、ときの声をあげました。民が神様に命じれた通りに行なった後、叫んだのは「神様。私達は神様が命じれた通りに行ないました。これからは神様の出番です。神様がエリコの町を崩れ落とすことを信じます。」という意味を含めた信仰の声であり、従順の声でした。ヘブル11:30は次のように言っています。「信仰によって、人々が七日の間エリコの城の周囲を回ると、その城壁はくずれ落ちました。」

 それでは今日私達が信仰によってするべきことは何でしょうか。

 第一に、霊的な基本生活です。毎日聖書を読み、祈る生活です。調子がいい時だけするのではなく調子が悪くなっても疲れていても変わらず霊的な基本生活をすることです。そのようにすると、私達の内面の堅固なサタンのエリコの城は崩れ落ちます。その人は熟練した福音の働き人として成長します。霊的な力があっていつでもどんな兄弟でも喜びを持って助けることができます。

 第二に、1:1聖書勉強による弟子養成です。主は私達に「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」と命じられました(マタイ28:19)。そして、1:1聖書勉強による弟子養成の作戦を与えて下さいました。この作戦は広い世界のキャンパスを征服するのにあまり効果的ではないと思われるかも知れません。しかし、これは神様の方法です。UBFが35年という短い間、世界90カ国に1500人以上の宣教師を派遣したのも1:1聖書勉強による弟子養成を通してでした。私達が今年どうしても主の命令に従って1:1聖書勉強によってキャンパスの兄弟姉妹達に福音を宣べ伝えることができるように祈ります。そのようにするとき、兄弟姉妹達の中に働く罪とサタンの堅固な城が崩れ落ちることを見ることができると信じます。

 結論、エリコ作戦の総司令官は全能なる神様です。神様はヨシュアに約束された通りに行なわれました。約束を信じて聞き従ったイスラエル人とともにおられ、勝利を与えて下さいました。この神様はこの時代、この国の560キャンパスと世界のキャンパスを私達の手に渡されました。私達の前にどんなに堅固なエリコの城が立っていても私達が御言葉を前にしてその御言葉に聞き従う時、また、心を合わせて主を賛美し、祈る時、神様は私達に勝利を与えてくださることを信じます。

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