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06new2.そうすれば、繁栄し、栄える

投稿者: Calebkim 掲載日: 2006/1/9 (2404 回閲覧)
新年修養会第2講 メッセージ:李ヨシュア宣教師

2006年新年修養会第2講
そうすれば繁栄し、また栄える
御言葉:ヨシュア記1:1?9
要 節:ヨシュア記1:8
 「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちに記されているすべての事を守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。」

 ヨシュア記は、モーセの後継者になったヨシュアがイスラエルの民とともに、主の助けと導きによって約束の地カナンに入り、そこの先住民たちと戦って勝利した四十五年に及ぶ歴史の記録です。今日私たちが学ぶ一章の御言葉は、ヨシュア記の序章で、特に1?9節には、どうすればイスラエルの民がこれから始まる戦いから勝利し、そしてどうすれば繁栄し、また栄えることができるのかが記されてあります。
 今日の御言葉に耳を傾けると、主が約束通りにいつも私たちと共におられること、また主の御言葉を守り行いながら大胆に戦って行くと、必ず勝利を与えて下さる主の御心を学ぶことが出来ます。今年一年間も、私たちがヨシュアのように、信仰を持って心を強くし、勇敢に主から任せられた使命を全うしていくことができますよう切に祈ります。

?。足の裏で踏むところは、あなたに与える(1?4)

 イスラエルの民は、神様の約束された地-カナンが見える所までやっと辿り着きました。カナンの地を見た人々は、恐らくその地を眺めながら歓声をあげたでしょう。“万歳!万歳!神様万歳!”。また荒野での40年間の訓練を終え、これからはバラ色の人生を設計し始めていたでしょう。ですが、彼らがここまで辿り着いたのは、実は神様のご計画通りでした。彼らの先祖アブラハムに約束した御言葉どおりに、神様はモーセ一人を召され、幼子を除いて壮年の男子だけでも60万人にも至るイスラエルの民をエジプトから救い出されたのです(出12:37)。
 しかし、主の僕モーセは約束の地?カナンに入ることができませんでした。その理由は、「岩に命じれば岩は水を出す」という主の命令に、モーセは自分に逆らう会衆に向って激怒し、「杖で岩を二度打った」ため(民20:10?12)、すなわち主の命令通りにしなかったためです。それにしても歴史的な戦いの目前に、偉大な主の僕モーセの死は、イスラエルの民に大きな衝撃を与えたでしょう。
ところが、主は新しい御業のためにモーセの相応しい後継者として、モーセの従者、ヨシュアを立てられました。彼は「モーセの従者、ヌンの子ヨシュア」と呼ばれているように、モーセの良き同労者として40年間も日常的な事柄から多くの戦いに至るまで、常にモーセと行動を共にして来ました。そして彼は民の不平とつぶやきを聞き、モーセの苦しい立場や指導ぶり、引率ぶりをつぶさに見て、体験して来ました。更に民数記13、14章にも書かれてあるように、彼は信仰の勇士でもありました。12部族の代表12人がカナンの地の偵察から帰ってきて報告した時の事です。ヨシュアとカレブを除いて10人は「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから。」「私たちは自分がイナゴのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」と報告しました。それを聞いた全会衆は大声を上げて叫び、民はその夜、わあわあ泣き明かしてしまいました。こういう光景を見たヨシャアとカレブは、自分の着物を引き裂いて全会衆に向かって言いました。「私たちが巡り歩いて探った地は、素晴らしい良い地だった。もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導きいれ、それを私たちに下さるだろう。あの地には乳と蜜とが流れている。ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちの餌食となるからだ。」ヨシュアは本当の信仰の勇士でした。ここで私たちはヨシュアを通して、指導者はどうあるべきか。信仰の勇士として、生涯を全うするとはどういうことかを学ぶことができるのです。
 2、3節をご覧ください。主はヨシュアに「今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、私がイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。」「あなた方が足の裏で踏むところはことごとく、私がモーセに約束したとおり、あなた方に与えている。」と仰せられました。主は彼らに「立って、渡り、行け」と命じられました。また足の裏で踏むところはことごとく、あなたがたに与えていると言われました。
ここでイスラエルの神、主に目を向けてみましょう。主は「私が…あなた方に与えている」と言っておられます。これは主がイスラエルに、もうその地を与えたことと同じ意味として受け取ることができます。ここで真の指揮官はヨシュアではなく、主御自身であることが分かります。主がヨシュアを指導者に任命し、彼に具体的な指示を与え、イスラエルを勝利に導いて下さったのです。ですから、私たちも主を信じて、その命令に聞き従うと必ず勝利を収めることができるのです。
 では、主が約束されたカナンの地は、どんな地だったでしょうか。4節を見ると詳しい領土が記されていますが、民数記13章を見ると、カナンの地は非常に肥沃で、葡萄一ふさを二人で担ぐほどの豊かなところでした。しかし、実際にそこには背も高く強い先住民が住んでいました。しかもカナン人は皆丈夫な城壁の中に住んでいました。当時カナン人はエジプトとの貿易によって、技術や科学に精通していました。自分たちをイナゴのように見ているイスラエルの民が、このようなカナン人と戦って、勝つわけがありません。カナンの地がいくら良い地であるとしても、戦って勝利しなければ手に入れることは出来ないのです。ですから、イスラエルの民がカナンの地を手に入れるためには、その地に入って足の裏で踏み、戦っていかなければならないのです。
 私たちのカナンの地はどこでしょうか。言うまでもなくそれは大学のキャンパスでしょう。そこには日本を動かす優れた人材が多くいます。彼らはプライドも高く、他の人がタッチできない強い自我をも持っているし、丈夫な城壁に囲まれているようになかなか心をオープンしてくれません。確かに先進国のキャンパスミッションは、他のミッションよりも極めて難しい使命とも言えます。日本を見てもそうですが、大切なことは私たちが神様によってこの使命に召されているかどうか、そしてそれを確信しているかどうかということです。もしそうであるとすれば、もはや思い煩う理由はありません。ただ神様が「行け」と言われたら、信仰を持って行って見ること。「足の裏で踏め」と言われたら、実際に足の裏で踏んで見ることが大切なのです。今年は、私たちがキャンパスに行って、足の裏でそこを踏み、そして一人と聖書勉強ができますよう祈ります。
?。そうすればあなたは繁栄し、また栄える(5?9)。

 5節をご覧下さい。モーセの後を継いだヨシュアに、主は何と言われましたか。「あまたの一生の間、誰一人としてあなたの前に立ちはだかるものはいない。私はモーセと共にいたように、あなたと共にいよう。私はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」主はカナンの地に入る目前のヨシュアに、「あなたと共にいよう」と約束して下さいました。9節にも「あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたと共に在る。」とありますが、これは、これから戦っていくヨシュアとイスラエルの民にとっては、本当に力強い主の言葉です。「あなたと共におられる」という主の言葉を聞いたヨシュアとイスラエルの民は、慰められ、力付けられたでしょう。そして“多分勝利できるだろう”という思いが、“もう勝利した”という確信に変わったでしょう。
それでは、ヨシュアとイスラエルの民は、約束の地-カナンに入る前にどんな心を持つべきなのでしょうか。そして、どうすれば彼らはそこで繁栄し、また栄えることが出来るのでしょうか。

 第一に、信仰が強く、雄雄しくならなければなりません。

 6?9節を見ると、繰り返される言葉がありますが、それは「強くあれ、雄雄しくあれ」という言葉です。この言葉は、死を目前にしたモーセがヨシュアを励まし、彼に話した言葉と同じでした(申命31:7,8)。今度は主ご自身が直接にヨシュアを力付けているのです。
ヨシュア!「強くあれ。雄雄しくあれ。」(6)、ヨシュアよ!「ただ強く、雄雄しくあって」(7)、私の僕ヨシュアよ!「強くあれ、雄雄しくあれ、恐れてはならない。おののいてはならない。」(9) これら言葉から、指導者として最も大切なものは、強く、勇敢なことです。これは目の前に立ちはだかる敵を見て、恐れない、おののかない、ということです。しかし現実には、偉大な指導者モーセは死に、目の前には自分たちより多く強い敵が立ちはだかっている時、少しは恐れ、おののきもあったでしょう。
「約束の地の指導者=ヨシュアの生涯より」の著者F・B・マイヤーは、次のように解釈しています。「『強くあれ』とは、彼が弱さを感じていたことを意味する。『雄雄しくあれ』とは、彼が怯えていたことを意味する。『おののいてはならない』とは、途中で仕事を放棄してしまうのではないかと彼が本気で考えていたことを意味する。彼は虫であって、人ではない。その彼に、どうしてイスラエルを解放することが出来るだろうか。」(P21)。
この解釈から考えると、これから展開される戦いが本当に気になりますが、御言葉をよく見ると、これからの全ての戦いはもう勝利を収めたことが分かります。なぜなら主がヨシュアとイスラエルの民と共におられ、その地を与えると約束して下さったからなのです。ですから、ヨシュアはただ心を強くし、雄雄しくして戦っていけばよいのです。
私たちの戦いは、血肉に対するものではなく、霊的な戦いです(エペ6:12)。私たちはサタンの支配するこの世の中で、クリスチャンとして信仰と愛をもって生きているのです。また、多くの人々に主を証しし、福音を宣べ伝え、人々の魂を主のもとに導くことが私たちの使命なのです。時には心が弱くなったり、おののいたりする時もあるかもしれません。しかし私たちは世の中での身分はどうであれ、主の前では霊的な指導者であり、尊ばれた聖なる勇士なのです。今主は私たちにも言っておられます。「強くあれ、雄雄しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない」と。そうです。今年霊的な戦いの前で、必要なものは、まさにこれなのです。今年一年間私たちが大胆に勇敢に戦っていくと、主は必ず大きな勝利を与えてくださると信じます。
私のクリスチャンネームはヨシュアですが、御言葉を準備しながら一つの問題にぶつかりました。それは、今の私は霊的にも肉的にも凄く弱くなっていることです。心では新しく開拓していこう、主の御言葉を信じて勇敢に戦っていこうという考えはあるとは言え、なかなか御言葉の恵みは私の心に伝わって来なかったのです。また今年からは仕事も一からやり直し、原因が分からない皮膚病の煩い、子供たちの将来、キャンパス・ミッションへの再挑戦など、様々な課題を考えると、心には少し不安と恐れを感じています。しかしこの時間、私はあなたが私の命令を守り行うなら、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるという御言葉を信じ、一年間守り行っていきたい。具体的には朝の時間に御言葉を黙想し、毎日30分の祈りは必ず守るように戦っていきたい。そして仕事の開拓も信仰によって挑んでいきたいと思います。

第二に、繁栄と栄えるためには、主が命じた御言葉を守り行わなければなりません。

7,8節を一緒に読んでみましょう。イスラエルの民が繁栄し、栄えるためには、一つの条件がありました。それは主が命じたすべての律法を守り行い、右にも左にもそれないことなのです。また、この律法の書を口から離さず、昼も夜もそれを口ずさみ、そしてそのうちに記されているすべてのことを守り行うことなのです。ここで「律法」とは、創世記から申命記までのモーセ五書全体を指していますが、同時に、ヨシュア以降の主の啓示によるすべての御言葉をも指していると思われます。
皆さんは、主の命じた御言葉をどのように守り行なっているのでしょうか。右にそれて見たい、左にそれて見たいと考えている人はいないでしょうか。ここに祝福される主の言葉があります。
それは、主のご命令をいやいやではなく、心から主の御言葉を守り行い、右にも左にもそれないならば、「あなたが行くところではどこででも、あなたは栄える。」「そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることが出来る。」ということです。主はヨシュアに命令と共に素晴しい繁栄を約束されました。
この世にはどういう人々が栄えているのでしょうか。全てではないのですが、正しく生きていく人より悪い人のほうが、書類を偽造して多額を騙し取った人のほうが栄えていると言えるかもしれません。彼らは権力を手に入れ、経済的にも繁栄し、多くの人々から尊敬されているように見えますが、本当にそうでしょうか。世の栄えはほんの一瞬間のもので、いつか必ず滅びます。たとえ一時的に栄えているように見えても、彼らは神様の前に本当に祝福されているとは思えません。
しかし、主は聖書の御言葉を守り行うならば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるとはっきり約束されました。今年はこの教会が、そして私たち一人一人が主の御言葉を守り行い、そして日本の学生に聖書を教えることによって、ますます繁栄し、また栄えることができますように祈ります。
もう一度8節を読んでから終わりたいと思います。

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