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BibleMsg > ヨシュア記 > 01-2 ラハブの信仰

01-2 ラハブの信仰

投稿者: Jubfadmin 掲載日: 2004/12/23 (2631 回閲覧)
2001年ヨシュア記第2講



ラハブの信仰



御言葉:ヨシュア記2:1?24

要 節:ヨシュア記2:11「私たちは、それを聞いたとき、あなたがたのために、心がしなえて、もうだれにも、勇気がなくなってしまいました。あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。」



 ヘブル人への手紙11章には私たちクリスチャンたちが見習うべき偉大な信仰の先輩達が出ています。その中に二人の女性の名前が出ていますが、それはサラとラハブです。ラハブの名前が出ていることは彼女の信仰がサラのように優れた信仰であったことを言ってくれます。国々の母であるサラの名前が出ているのは当たり前のことですが、カナンの異邦人の女性であり、遊女であるラハブの名前が出ているのはどうしても理解しにくいことです。エリコに偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたことがそれほど大切なことだったのかと思われます。しかし、それはラハブが命をかけて信仰によって行なった偉大な事件でした。その事件によってラハブの運命は完全に変わり、彼女は神様の御業に尊く用いられました。今日の御言葉を通して一つの信仰による事件の大切さとそれを用いられる神様について学びたいと思います。



?.信仰によって斥候たちをかくまったラハブ(1-7)



1節をご覧ください。ヨシュアは、シティムからひそかにふたりの者を斥候として遣わして、言いました。「行って、あの地とエリコを偵察しなさい。」ヨシュアは、モーセの後継者として立てられ、神様が共にいて下さるという約束をいただいて進軍を始めますが、まず、斥候を遣わして偵察させます。ヨシュアは四十年前、モーセがカデシュから十二人の斥候を遣わしてカナンの地を偵察させた時の斥候の一人でした。エリコは、ヨルダン川を渡れば、わずか二時間で到達することができました。斥候として遣わされた二人の者は行って、ラハブという名の遊女の家にはいり、そこに泊まりました。斥候にとっては、遊女の家は怪しまれずに泊まれる格好の場所でした。また、情報を得ることができるふさわしい場所でした。ところが、彼らはどんな危険にさらされるようになりましたか。エリコは非常警戒状態だったので、イスラエルから斥候達が遣わされるとすぐ110番する人がいました。エリコの王に、「今、イスラエル人のある者たちが、今夜この地を探るために、はいって来ました。」と告げる者があったのです。偵察に来た人々の行動や言葉がエリコの人々に怪しまれたようです。エリコの王はラハブのところに人をやって言いました。「あなたのところに来て、あなたの家にはいった者たちを連れ出しなさい。その者たちは、この地のすべてを探るために来たのだから。」(3)。その時、偵察に来た人々はどれだけ不安だったのでしょうか。彼らのいのちはラハブの手にかかっていました。ラハブがエリコの兵士達に彼らを渡すと殺されることは間違いないからです。

しかし、神様はラハブを通して彼らを助け、彼らが願っていた情報を得るようにしてくださいました。神様の助けは時には私たちが全く予想できないところから来ます。神様がなさることはいつも完璧です。神様はご自分を信じる人々の盾であり、報いとなられる方です。偵察に来た人たちを連れ出すように言われた時、ラハブは直ちに敵である彼らを手渡すべきでした。それはエリコの人として当然なことでした。ところが、その時、ラハブはどんな意外な行動をしましたか。彼女はそのふたりの人をかくまって、こう言ったのです。「その人たちは私のところに来ました。しかし、私はその人たちがどこから来たのか知りませんでした。その人たちは、暗くなって、門が閉じられるころ、出て行きました。その人たちがどこへ行ったのか存じません。急いで彼らのあとを追ってごらんなさい。追いつけるでしょう。」(4,5)。彼女はふたりを屋上に連れて行き、屋上に並べてあった亜麻の茎の中に隠していました。偵察に来た人たちを逮捕しに来た人々はラハブの言葉を聞いてその人たちのあとを追って、ヨルダン川の道を渡し場へ向かいました。彼らがあとを追って出て行くと、門はすぐ閉じられました(7)。斥候たちを連れ出すように言われた時、ラハブが少しでもためらっていたなら、怪しまれて斥候たちは逮捕されてしまったでしょう。しかし、ラハブは少しもためらうことなく、確信を持って話したので彼らは騙されました。彼女がこのように行動したのはいのちをかけた冒険でした。もし、彼女が斥候たちをかくまったことがばれたら、彼女も彼女の家族も殺されてしまうはずです。反面、斥候たちを連れ出すならエリコの王から報いを受けるはずです。彼女の行動はある面で自分の国を裏切ることでした。しかし、神様の側から見ると、ラハブは罪に満ちたカナンを裁こうとする神様の御旨に従うことでした。ラハブは民族主義を超えて神様の側に立ちました。神様と偶像、善と悪、真と偽りとどちらかを選ばなければならなかった時に彼女は神様に喜ばれるものを選びました。

私たちも神様とお金、神様と権力、神様と学問、神様と恋人、神様とこの世に挟まれてどちらかを選択しなければならない時があります。しかし、どんな場合でも何を選べば神様に喜ばれるかを考えてそれを選択しなければなりません。神様に喜ばれることではなく、他のものを選ぶとその選んだものによって滅びるようになるからです。神様はどんな被造物とも代えられない方として私たちが拝み、仕えるべき唯一の方です。ラハブは絶体絶命の危機の時に神様に喜ばれることを選び、それによって救われ、神様の御業に永遠にその名を残す信仰の女性となりました。ヘブル人への手紙11:31節はラハブの信仰について次のように記録しています。「信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な人たちといっしょに滅びることを免れました。」ラハブの信仰の行為は神様の救いの歴史に記録される一つの偉大な信仰による事件になりました。彼女の信仰によってエリコとともに滅びるしかなかった彼女と彼女の家族は救われました。それだけではなくダビデの系図の中に入る栄光を受けるようになりました。何よりも神様の救いの御業に尊く用いられました。

ここで私たちは一つの信仰による事件がどれほど大切なことであるかについて学ぶことができます。信仰の先祖アブラハムに関する記録をよく調べてみると、アブラハムの子供の時からすべてが記録されているのではないことがわかります。彼が75歳の時に神様の召されに従って生まれ故郷を離れて神様が示す地に行く事件から記録されています。それはアブラハムの生涯において一つの信仰による事件でした。また、アブラハムが跡継ぎの問題で悩んでいた時に神様は夜空の星を見せながら、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われた時、アブラハムは主を信じました。主はそれを彼の義と認められました(創世記15:5,6)。これもアブラハムにとって一つの偉大な信仰による事件でした。その他にも彼が百歳の時に得たひとり子イサクを神様の御言葉に従って捧げたこともひとつの信仰による偉大な事件でした。モーセが成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取ったことも信仰による偉大な事件でした(ヘブル11:24,25)。聖書はこのような信仰による事件が多く記されています。

私たちが信仰によって生きる時、その信仰は私たちの生活の中で信仰による事件として現われます。信仰による事件がない人は真の意味で信仰によって生きているとは言えません。ある人は信仰によって職場で良い影響を及ぼします。ある人は自分の意志や力ではどうしても止めることができなかったタバコやお酒を信仰によってやめます。ある人は信仰によって学問において勝利します。ある人は信仰によっていっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てます。ある人は信仰によって結婚します。ある人は信仰によって宣教師となります。私たちがイエス様を信じて信仰によって罪とサタンから解放され神様の子供となったのは、信仰による偉大な事件です。このような事件は一人の運命を変えるだけではなく、民族の運命を変え、世界の運命を変えます。



?.ラハブの信仰告白(8-14)



ラハブが斥候たちをかくまった信仰による事件を可能にしたのは偶然の出来事ではありません。それは彼女に天と地を創造された神様を信じる信仰があったからです。ラハブは、ふたりの斥候たちがまだ寝ないうちに、屋上の彼らのところに上って来て、その人たちに言いました。「主がこの地をあなたがたに与えておられること、私たちはあなたがたのことで恐怖に襲われており、この地の住民もみな、あなたがたのことで震えおののいていることを、私は知っています。あなたがたがエジプトから出て来られたとき、主があなたがたの前で、葦の海の水をからされたこと、また、あなたがたがヨルダン川の向こう側にいたエモリ人のふたりの王シホンとオグにされたこと、彼らを聖絶したことを、私たちは聞いているからです。」(9,10)。ラハブは、斥候たちの前で、イスラエルの救い主を告白しました。出エジプトの時、イスラエル人が葦の海を奇跡的に渡ったこと、エモリ人の王シホンとオグを打ち破ったことは、エリコの人々にも伝えられていました。四十年前の出エジプトの奇蹟は、イスラエル人が考えている以上に、周囲の人たちの心を脅かしていました。四十年前、カデシュからカナンの地へ偵察に遣わされた斥候たちは、外側だけを見て、人々の心の動揺を見抜けませんでした。しかし、今エリコに進入した斥候たちは、ラハブから、人々の恐れについて聞かされます。イスラエル軍が戦う前に、神様はすでに敵の心をゆさぶっておられました。ラハブは続けて言いました。「私たちは、それを聞いたとき、あなたがたのために、心がしなえて、もうだれにも、勇気がなくなってしまいました。あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。」(11)。これはラハブの信仰告白でした。神様がなさったことを聞いたエリコの人々の心はしなえて、勇気がなくなってしまいました。彼らは落胆して毎日お酒を飲んでいたでしょう。ところが、同じうわさを聞きましたが、ラハブにとってそれは真の神様に出会う良い機会になりました。ラハブは神様がなさったことを聞いた時、その神様に対する信仰を持つようになりました。彼女の信仰は理論的な信仰ではなく、生きて躍動する信仰でした。行ないのない信仰ではなく、行ないの伴った信仰でした(ヤコブ2:25,26)。それでは彼女が信じた神様はどんな方でしょうか。

第一に、彼女は「あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。」と創造主なる唯一神について告白しています。これはカナンの人々が信じている偶像とは根本的に違います。偶像は人の手によって作られたので死んだ神に過ぎません。偶像は不安な人々に心理的に安らぎを与えることはできるかも知れませんが、決して救いを与えることはできません。また、いくら拝んでも人生の問題を解決してくれません。しかし、ラハブが信じた神様は天と地を造られた創造主なる神様です。この神様は生きて働いておられる神様です。この世の歴史と人々の人生を主管し、実際の問題を解決できる全能なる方です。彼女がこの神様を信じた時、偏狭な民族主義を超えて神様の側に立つことができました。さらに狭い自己中心的な世界観を超えて神様中心の広い世界観を持つことができました。

第二に、ラハブは裁きと救いの神様を信じました。12、13節をご覧ください。ラハブは偵察に来た人々を穏やかに受け入れて頼みました。「どうか、私があなたがたに真実を尽くしたように、あなたがたもまた私の父の家に真実を尽くすと、今、主にかけて私に誓ってください。そして、私に確かな証拠を下さい。私の父、母、兄弟、姉妹、また、すべて彼らに属する者を生かし、私たちのいのちを死から救い出してください。」彼女は罪を裁かれる神様を信じました。また、信仰によって出てくる者を受け入れ、すべての罪を赦してくださる救いの神様を信じました。彼女は遊女として自分がどれほど惨めな罪人であるかがよくわかりました。さらにエリコの人々がどれほど偶像崇拝などの罪によって堕落しているかを知っていました。彼女は神様がイスラエルを通してカナンの地を裁かれることを知っていました。ラハブは裁きの神様を信じただけではなく、自分のような罪人も悔い改めて信仰によって出て行けば救ってくださる神様を信じました。

ラハブはどうやってこのような信仰を持つようになったのでしょうか。それは彼女が心から神様を捜し求めていたからです。人は神様のかたちに似せて造られたので誰でも真の神様を捜し求める心を持っています。ところが、偶像崇拝や道徳的な堕落によって神様を捜し求める心が弱くなっています。ラハブはサマリヤの女のように情欲とお金によって魂の渇きを解消しようとしましたが、残ったのは罪意識と傷だらけの人生でした。そんな中でも彼女の心の中には常に真の神様に会いたいという切なる願いがありました。彼女はエリコの偶像を拝みながら偶像について深い失望をしました。また、偶像崇拝と伴う淫乱な行為についてもうんざりしました。ラハブは心の中から誰かそのような惨めな自分を救ってくれるように叫んでいました。彼女は遊女としての生活を捨てて聖なる生活をしたい願いを持っていました。その時、イスラエルの神様について聞くようになりました。彼女はその神様こそ真の神様であると確信しました。神様は心を尽くして捜し求めるラハブに会ってくださいました(エレミヤ29:13)。



?.赤いひも(15-24)



15,16節はラハブが斥候たちを綱で窓からつり降ろした場面です。その場面を考えると、まるでスリル満点の映画を見ているようは気持ちです。ラハブは最後まで彼らを助けました。17-21節はラハブと斥候たちが契約を結ぶ場面です。斥候たちはラハブに自分達の誓いを守るために二つのことを頼みました。一つは、自分たちをつり降ろした窓に、赤いひもを結びつけておくことです。もう一つは、ラハブの父と母、兄弟、また、彼女の父の家族を全部、彼女の家に集めておくことです。赤いひもは出エジプトの時にイスラエル人が家の門柱のかもいに塗った過越の羊の血とイエス様の血を象徴します。エリコが裁かれる時、窓に赤いひもが結び付けられている家を救うという約束は斥候たちとラハブが結んだ契約です。ラハブはこの契約に基づいて赤いひもを窓に結び付けました。そして、イスラエル人はそれを見てラハブとその家族を救いました。エリコが陥落する時に彼らが持っている知識や財産は何の役に立ちませんでした。ただ窓に結び付けられている赤いひもだけが救いの力がありました。それを結び付けただけでその家にいる人たちはみな救われました。その家にいる人々がどんな身分を持っているか、過去どんな罪を犯したかは問題になりませんでした。大切なのは窓に赤いひもが結び付けられているかどうかでした。この事実はイエス・キリストの血だけが私たちを救うことができることを教えてくれます。どんな罪人でもイエス・キリストの血が心の窓に塗られているなら永遠の裁きから救われ、永遠のいのちを得るようになります。真に私たちの主イエス・キリストの十字架の血は私たちを罪と死から救う力があります。また、ラハブの家族が赤いひもが結び付けられている家の中に入ると救われ、家の外に出ると滅びることはラハブの家がノアの箱船みたいなものであることを教えてくれます。イエス様の中に入る人は身分がどうであれ誰でも救われます。しかし、救いの箱船であるイエス様から離れた人は必ず裁かれます。

以上から私たちはラハブの信仰と信仰による行動を見ました。ラハブはイスラエルの神様を信じました。ラハブは神様がエリコをイスラエルの手に渡されたことを信じてその方向に従いました。ラハブのその信仰によって彼女と彼女の家族はみなエリコが滅亡する時に救われました。ラハブの信仰は遊女の身分を王族の身分に変えました。偵察に来た二人の中の一人であったサルモンはラハブと結婚しました。彼はイスラエルの貴族でしたが、ラハブの過去を問いませんでした。ただ彼女の信仰に感動されて彼女を愛し、結婚しました。彼とラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが生まれ、オベデによってエッサイが生まれ、エッサイにダビデ王が生まれました(マタイ1:5,6)。遊女ラハブはその身分が変わり、ダビデ王の先祖になったのです。ラハブは信仰によって完全に新しい人生を過ごすようになりました。その人生は価値ある人生でした。ラハブは過去肉体の快楽を求める人生、偶像崇拝をする人生でした。そのような彼女の人生には希望がありませんでした。しかし、神様を信じることによって聖なる生活、価値ある生活を送るようになりました。人々から尊敬される人になりました。神様を信じて生きる人、神様に仕える人こそ真に幸せな人です。

偵察から帰って来たふたりの人は、ヨシュアのところに来て、その身に起こったことを、ことごとく話しました。それから、ヨシュアにこう言いました。「主は、あの地をことごとく私たちの手に渡されました。そればかりか、あの地の住民はみな、私たちのことで震えおののいています。」(24)。この知らせはイスラエル人にどれだけ大きな力となったのでしょうか。神様はラハブの信仰を通してイスラエル人に信仰と希望と喜びを与えました。

ラハブは天地を造られた創造主なる神様、裁きと救いの神様を信じました。その信仰によって、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な人たちといっしょに滅びることを免れました。それだけではなくメシヤの系図に載せられ、救いの御業に尊く用いられました。遊女ラハブをこのように用いられる神様は恵みに満ちた方です。私たちがラハブのような信仰によって神様に喜ばれる人生を送ることができるように祈ります。信仰による事件を日々体験する生活ができるように祈ります。私たちの中にラハブのような信仰の女性が多く誕生することを祈ります。

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