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BibleMsg > 列王記 > 第6講 ソロモン王国の分裂

第6講 ソロモン王国の分裂

投稿者: Calebkim 掲載日: 2005/3/10 (3688 回閲覧)
2005年?列王記第6講

ソロモン王国の分裂

御言葉11:1-12:24
要 節11:9,10「主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現われ、このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。」

先週、私たちは繁栄されたソロモン王国、ソロモン王の栄光の富と名声について学びました。ソロモン王は、富と知恵とにおいて、地上のどの王よりもまさっていました。彼が神様を愛し、神様の御言葉に聞き従う時、神様は約束のとおりに大いに祝福し、繁栄させてくださったのです。また、神様は彼に御言葉に聞き従わない場合に対する警告も与えてくださいました。彼とイスラエル王国が続けて繁栄する道を教えてくださったのです。ところが、ソロモンは神様の警告があったにもかかわらず、不従順によって堕落し、偶像崇拝者になってしまいました。それによって彼は惨めな最後を向かえ、ソロモン王国は分裂し、滅びるようになります。
今日は、どのようにしてソロモン王国が崩れていったのか、ソロモン王国が分裂した原因はどこにあったのかについて学びます。つまり、今日は成功し、栄えることではなく、ソロモンが失敗した惨めな最後を学ぶのです。それは私たちがソロモンの失敗、イスラエル王国の分裂を鏡にして同じ失敗を繰り返さないためです。私たちは失敗の原因が分かればもっと多くのことを学ぶことができます。裏切り者イスカリオテ・ユダを通して、裏切り者、金銭を愛する者になってならないことを学ぶことができます。ソロモンの失敗を通しても私たちは神様の御言葉に対する姿勢を新たにすることができます。どうか、今日の御言葉を通して、ソロモンのような失敗を繰り返すことなく、主が再び来られるその日まで繁栄され続ける人生、天国では永遠に幸せになる人生を生きることができるように祈ります。

?.主の命令を守らなかったソロモン(11章)
 11章1節をご覧ください。「ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。」とあります。ソロモンが神様を愛し、民を愛している時は何の問題もなく、イスラエルは繁栄しました。異邦人パロの娘を妻にしたことは、決して神様に喜ばれることではありませんが、まだひとりの女性を愛している時は大きな問題がありませんでした。ところが、ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女たちを愛しました。しかも、神様が禁じている女たちを愛しました。。
2節をご覧ください。「この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中にはいって行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる。」と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。」とあります。ここで、「それなのに」という言葉がかぎ言葉になっています。神様はかつて、彼女たちをイスラエルの中に入れてはならない、さもないと、彼らは必ず、イスラエルの人々の心を転じて彼らの神々に従わせる。」と警告されました。それなのに、ソロモンは神様の御言葉に従わず、神様が禁じた女たちと恋愛をしました。彼女たちを離れませんでした。彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあったほどに数多い女たちを愛しました。ソロモンには妻たちが千人もいたのです。どうやってひとりの男が千人の妻を持てるでしょうか。ソロモンにさまざまな問題が起こり続けたに違いありません。創世記を見ると、アブラハムには二人の妻がいましたが、それでもたいへんなことでした。あの昔から家庭内のいじめの問題があったのです。創世記16:6bを見ると「サライが彼女をいじめたので、彼女はサライのもとから逃げ去った」とあります。サムエルの父エルカナにも二人の妻がいましたが、その家にもいじめがあり、憎み、いらだたせがありました。?サムエル1:6を見ると「彼女を憎むペニンナは、主がハンナの胎を閉じておられるというので、ハンナが気をもんでいるのに、彼女をひどくいらだたせるようにした。」とあります。このように妻がふたりだけでもさまざまな問題が起こるのです。ソロモンの家は千人の妻たちのいじめ、憎しみ、いらだたせなどで大変なことになっていたのではないでしょうか。また、ソロモンは毎日のように愛を求めてくるどんどん 祈りの時間が短くなったでしょう。妻たちのおしゃべりのために静かに聖書を読むことも少なくなっていたと思います。そのうち、彼は自分の人生要節も忘れていました。すると、夢にも神様の御声を聞くことができた彼の霊性は鈍くなりました。霊的な生活の楽しさもを忘れ、世の楽しみに心が引かれて行きました。年をとるとますます霊的にも弱くなって神様の御言葉より女たちの話を聞くようになりました。
4節をご覧ください。「ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。」とあります。結局、神様の警告のとおりに、女たちはソロモンの心を偶像に向けてしまいました。
5-8節にはソロモンが崇拝するようになった偶像の名前、偶像のためにソロモンが行なったことが記されてあります。アシュタロテは、性欲の女神です。 主に、イスラエルの北にいるシドン人が拝む神です。アシュタロテ神殿には同性恋愛者たちが祭司とて働いていました。淫乱な行為が神殿で行なわれていたことを示してくれます。そしてアモン人、死海の東では、ミルコムが拝まれていました。これは別名モレクで、乳児をいけにえとして火の中にささげなければいけない神です。モレクの神殿では遊女たちが祭司として働いていました。この遊女たちは淫乱な踊りによって彼らの偶像に仕えていました。そして、この神殿でいけにえをささげるために来る男たちはそこで遊女たちと寝ることによって彼らの神に仕えました。それで、願わずに多くの赤ちゃんが生まれると、モレク偶像の手のひらに乳児をのせて焼き、それをいけにえとしてささげていたのです。ソロモンはこのような神々に従い、忌むべきモレクのために高き所も築きました。あんなに神様に愛されていたソロモンなのに、こんなに惨めな者になってしまったのでしょうか。その原因はどこにあったのでしょうか。本文の御言葉から二つのことを見出すことができます。
 一つ目は心が父ダビデとは違っていたことです。4b節を見ると「彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。」とあります。ソロモンの心は、父ダビデの心とは違っていました。若い時は、父ダビデの影響を受けて心から神様を愛し、霊的なことを大切にして目に見えるものより目に見えない知恵を求めました。神様についてよく知り、神様を神としてあがめていました。一千頭の全焼のいけにえをささげるほどに神様を愛し、神様に感謝していました。ところが、彼が年をとったとき、その妻たちの誘惑から心を守ることができませんでした。妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けた時、ソロモンは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなってしまいました。結局、彼は、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました(ローマ1:21-23)。
 ここで、私たちは自分の心がダビデのように神様と全く一つになっているかどうかを点検してみる必要があると思います。神様は私たちの心をご覧になる方だからです。ソロモンはダビデの後を受け継いで王として出発した初めのころは心から神様を愛していました。心から父ダビデを尊敬していました。特に、彼の心は神様と神様の神殿建築を考え、心を尽くして神殿建築をしました。ところが、彼はその心を守り通しませんでした。心が移り変わり、女を愛するようになりました。神様に祝福されて生活が豊かになると、心が自分の妻のほかの女たちも愛するようになったのです。結局は神様が忌み嫌われる偶像崇拝者になりました。没落の道を歩むようになったのです。
 ですから、私たちはいつも心を点検しなければならないと思うのです。私が住んでいるマンションのエレベーターを見ると、二ヶ月ごとに定期点検をしています。安全運転のためです。私たちも人生を安全運転するためには定期的に点検する必要があります。健康診断して健康を点検する必要があります。夫婦の愛の絆も、人間関係も点検する必要があります。何よりも心も点検することです。そうしなければ「私たちは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなってしまいます。むなしい偶像崇拝者になってしまいます。 私たちが本当に心から神様を第一に愛しているのか、本当ならなんだかの形で表わされるはずです。しかし、他のものにあるなら、自分も知らずにそれに陥って行きます。神様より世を愛する時、霊的な力がなくなってしまいます。健全なものであっても、心が神様より人やものを愛するようになると、霊的に鈍くなってしまいます。アルコール中毒者、コンピュータ中毒者、ゲーム中毒者、インターネット中毒者たちのように、いつの間にか正しい判断力を失ってしまいます。心の病が体の病をももたらすようになります。ですから、私たちが心を点検して心のチャネルを神様に合わせる必要があるのです。 ダビデは「私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。・・・」(詩篇19:14)と告白しています。どうか、私たちの心がいつも神様に向いているように、心の思いが御前に、受け入れられますように祈ります。
 二つ目の原因は従い通さなかったことです。6節をご覧ください。「こうしてソロモンは、主の目の前に悪を行ない、父ダビデのようには、主に従い通さなかった。」とあります。ダビデは、全く主に従い通しました。失敗もありましたが、罪を悔い改めて神様に従い通しました。私たちの人生はこれからが大切です。人生の最後には主に従い通したかどうかが問われます。ある方は、まだ学生の時、一生懸命に主に仕えた、独身の時も、本当に熱心に1:1を主に仕えたと言います。ソロモンもそういうことを言えたでしょう。「俺が若かった時は、一千頭のいけにえをささげた、世界で最高の神殿も建てたのよ」と言えるのです。しかし、従い通さなかったので、彼の人生は惨めになってしまいました。私たちの人生も同じです。今までどんなに偉大なことをしたのかが大切なことではありません。また、今までどんなに大きな罪を犯したとしても、それは問題になりません。たとえ、バテ・シェバを犯し、彼女の夫ウリヤを殺させたダビデのような罪を犯したとしても、それが問題になるのではないのです。昨日まではどうでもいいです。本当にどうでもいいのです。大切なことはこれから主に従い通すかどうかということです。何よりも人生の最後に主の御前に立った時、主に従い通したと言えるかどうかということです。残念なことにソロモンは従い通さなかったのです。彼は人類歴史上、誰よりも祝福された人でしたが、主に従い通さなかったために、本当に惨めな人生になってしまいました。それだけではなく、彼ひとりのゆえにイスラエルが分裂し、滅びるようになりました。
 サタンはさまざまなことを通して私たちが主に従い通すことを妨害します。サタンは人類の先祖アダム夫婦に神のようになろうとする高慢を植えつけました。それで彼らは神様の戒めに従い通すことができませんでした。イスラエルの初代王サウルには権力欲、名誉欲、物質欲を与えて主に従い通すことができないようにしました。ソロモンは数多い異邦人の女たちを与えて主に従い通すことができないようにしました。ですから、私たちは日々御言葉を通してそれらを取り除き、御言葉に従うために闘争する必要があります。毎日、祈り、日ごとの糧を食べる生活をする理由もここにあります。また、私たちはできるだけ生活をシンプルにして敬虔な生活ができるように環境を作る必要もあります。世の人々が楽しむすべての楽しみを自分も楽しみながら主に従いとおすことは難しいことです。また、年をとって生活が安定的になり、収入に余裕ができると、誘惑も多くなります。多くの場合、人々は貧しい時よりも豊かになった時、家庭問題、離婚の問題が起こるそうです。ソロモンが1000人の女を愛したように、さまざまなものを愛するようになるからです。いろんなものに手を出すようになると、霊性が弱くなり、霊的な分別力も失っていきます。すると、聖書の御言葉や霊的なことは面白くなくなり、自分も知らずに偶像崇拝者になってしまいます。ですから、私たちにはできるだけ生活もシンプルにして御言葉に耳を傾け、御言葉を黙想する時間を持つことが求められます。どうか、私たちひとりひとりがこのようのさまざまなものに誘惑されることなく、人生の最後の日まで主に従い通すことができるように祈ります。
 9,10節をご一緒に読んでみましょう。「主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現われ、このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。」ソロモンが偶像崇拝者になってしまった時、神様は彼に怒りを発せられました。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからです。神様は二度も彼に現われてほかの神々に従ってはならないと命じておられました。それなのに、彼は主の命令を守りませんでした。もし、ソロモンが聖書を愛して離れなかったならば、彼の王国はますます繁栄し、彼の生涯はいよいよ輝きを増していたはずです。もし、彼の心が移り変わることなく、祈りによって神様との交わりを続けていたなら、彼の人生は神様の恵みと祝福に満ちていたはずです。神様はイスラエルの民に約束されました。申命記28:1?14節を見ると本当にすばらしい神様の祝福が記されてあります。一度開いてみましょう。「もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。・・・ それであなたは多くの国々に貸すであろうが、借りることはない。私が、きょう、あなたに命じるあなたの神、主の命令にあなたが聞き従い、守り行なうなら、主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。・・・」とあります。しかし、祝福だけではありません。神様の御声に聞き従わず、御言葉を守らなかった時には神様の呪いがあります。15?19節も続けてみてください。「もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行なわないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。あなたは町にあってものろわれ、野にあってものろわれる。あなたのかごも、こね鉢ものろわれる。あなたの身から生まれる者も、地の産物も、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊ものろわれる。あなたは、はいるときものろわれ、出て行くときにものろわれる。」とあります。御言葉を守り行わないなら呪われてしまうのです。ところが、ソロモンは神様の命令を守り行いませんでした。それで、神様はソロモンに怒りを発せられました。その結果、ソロモン王国はどうなりますか。
11?13節をご覧ください。それゆえ、主はソロモンに仰せられた。「あなたがこのようにふるまい、わたしが命じたわたしの契約とおきてとを守らなかったので、わたしは王国をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。しかし、あなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中は、そうしないが、あなたの子の手からそれを引き裂こう。ただし、王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族だけをあなたの子に与えよう。」とあります。
ここで、私たちは神様のご品性を見ることができます。神様は私たちが神様を愛し、御言葉を守り行うなら限りなく、私たちを愛し、祝福してくださいます。時には人を通して私たちの罪を責められます。神様に立ち返らせるためです。神様はダビデが人の妻と姦通して罪を犯したとき、預言者ナタンを通して彼の罪を責められました。神様は私たちが罪を悟って、悔い改める機会を与えられるのです。神様はソロモンに二度も現われて御言葉を与えられました。それなのに、悔い改めることなく、神様に立ち返ることがなければ、神様は滅ぼしてしまわれます。箴言29:1によると「責められても、なお、うなじのこわい者は、たちまち滅ぼされて、いやされることはない。」とあります。神様は公義と正義のお方です。神様にえこひいきがありません。愛するソロモンでも神様から離れるなら、懲らしめられます。結局、主によってソロモン王国に分裂が引き起こされることになります。14?25節を見ると、エドム人のハダデ、エリヤダの子レゾンが反逆を起こしてソロモンを脅かしました。ソロモンはエドム人もエジプト人も妻として持っていましたが、同じエドム人とエジプト人が、イスラエルの国を脅かし、反逆するようになったのです。また、25?40節を見ると、ソロモンの家来であったヤロブアムがソロモンに反逆するようになりました。預言者アヒヤはヤロブアムに神様がソロモンの手から王国を引き裂き、十部族を彼に与えると預言してくれました。結局、ソロモンは自分が愛した妻たちの国々によって、また、身近に置いた家来の反逆によって自分の王国が引き裂かれる経験をするようになりました。
こうして、平和の国、ソロモン王国は、引き裂かれ、分裂するようになりました。でも、神様の懲らしめは一時的なものです。38、39節をご覧ください。「もし、わたしが命じるすべてのことにあなたが聞き従い、わたしの道に歩み、わたしのしもべダビデが行なったように、わたしのおきてと命令とを守って、わたしの見る目にかなうことを行なうなら、わたしはあなたとともにおり、わたしがダビデのために建てたように、長く続く家をあなたのために建て、イスラエルをあなたに与えよう。このために、わたしはダビデの子孫を苦しめる。しかし、それを永久に続けはしない。』」」とあります。ソロモンの罪のためにビデの子孫は苦しみますが、永久に続くことはないのです。本当に、哀れみ深い神様です。43節を見ると「ソロモンは彼の先祖たちとともに眠り、彼の父ダビデの町に葬られた。彼の子レハブアムが代わって王となった。」とあります。ソロモンに反逆する者たちが次々に起こされましたが、それでもソロモンの子レハブアムが王となり、ダビデの子孫から、メシヤ、キリストがお生まれになりました。

?.ソロモン王国の分裂(12:1?24)
  12章1?24節はレハブアムの高慢とヤロブアムの反逆に国が分裂されて行くことが記されてあります。全イスラエルはレハブアムを王とするため、シェケムに来ました。民たちはレハブアムを王として立てようとしたのです。ソロモン王の顔を避けてのがれ、まだエジプトにいたヤロブアムも呼び寄せて和解させようとしました。ヤロブアムはソロモンに仕えたようにレハブアムに仕えようとしてレハブアムに言いました。「あなたの父上は、私たちのくびきをかたくしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきとを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」すると、レハブアムは政策を考えて三日後に記者会見をすることを約束しました。それから、彼は父ソロモンが生きている間ソロモンに仕えていた長老たちに相談して、「この民にどう答えたらよいと思うか。」と言いました。長老たちはなんと答えましたか。
12章7節をご一緒に読んでみましょう。「彼らは王に答えて言った。「きょう、あなたが、この民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答え、彼らに親切なことばをかけてやってくださるなら、彼らはいつまでもあなたのしもべとなるでしょう。」彼らのアドバイスはとても素晴らしいものでした。彼らは王に民の上に君臨する王ではなく、民のためにしもべとなることを勧めています。現在、最も重要視すべきリーダーシップとして注目されているサーバント・リーダーシップを紹介したのです。このリーダーシップはロバート・グリーンリーフという人物がマネジメントの研究、発展、教育の観点から生み出したリーダーシップの概念ですが、聖書ではすでに3000年前にも紹介されています。しかし、レハブアムはこのアドバイスを受け入れず、自分に仕えている若者たちに相談して彼らの助言どおり、民たちに言いました。「私の父はお前たちのくびきを重くしたが、私はお前たちのくびきをもっと重くしよう。父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう。」彼は民の上に君臨する独裁者のリーダーシップを取ってしまいました。すると、民の心は分裂しました。16-20節を見ると、イスラエルの十部族が反逆し、ヤロブアムを全イスラエルの王としました。ただ、ユダとベニヤミン族だけがレハブアムに残りました。21?24節を見ると、レハブアムは自分に従うユダの全家とベニヤミンの部族から選抜戦闘員十八万を召集し、王位を取り戻そうとしましたが、神様はその計画を防がれました。こうして、イスラエル王国は分裂し、その後の戦いによってさらに衰弱されて行きます。ついに北イスラエルはアッシリヤによって、南のユダはバビロンによって滅びるようになります。このようになった霊的な原因はソロモンにあります。イスラエルの分裂は彼の犯罪によって始まりました。父ソロモンが神様より世の女を愛し、偶像崇拝の罪のために国が分裂するようになったのです。
でも、直接的な原因な原因はレハブアムに牧者の心がなく、高慢であったことです。高慢は家庭や社会、団体の分裂と滅亡の原因でもあります。ソロモンの罪があったとしても、もしレハブアムが謙遜になって長老たちの話を聞き、サーバントリーダーシップを受け入れたなら、全イスラエルはレハブアムを王としたはずですし、統一イスラエル王国が繁栄され続けたはずです。謙遜な王によって民たちの心は癒され、愛と平和に満たされるようになったことでしょう。
サーバント・リーダーシップはイエス・キリストの愛のリーダーシップの概念です。本来、イエス様は王の王です。しかし、イエス様は限りなく低くなられました。イエス様は言われました。「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。(マルコ10:45)」イエス様の生涯は人々に仕える一生でした。イエス様はこの世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたときにも弟子たちに仕えました。ご自分の弟子たちのために上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれました。そして、弟子たちの足を洗って、腰にまとわれた手ぬぐいで、拭いてくださいました。イエス様はしもべのしもべになって仕えたのです。それで、どうなりましたか。イエス様はそのようにご自分を低くし、仕えた結果、人々に踏みにじられ、捨てられましたでしょうか。決してそうではありません。イエス様は勝利なさいました。そして、今日まで数多い人々が自ら主のしもべになるためにイエス様のところに集まっています。私たちもまさにそういう人たちのひとりです。パウロはイエス様の勝利に対してこういいました。「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです(ピリピ2:6?11)。
イエス様はご自分を低くし、死にまで従う必要がありませんでした。わざと私のような者を救うためにご自分の低くされなくても良かったのです。私のように無知で、高慢な者、何の役にも立たない者を救うために残酷な兵士たちの鞭に打たれ、いばらの冠をかぶってとげに刺し通される必要がありませんでした。私のように哀れな者を救うために裸にされて十字架につけられなくても良かったのです。しかし、イエス様はそのようにされました。私たちの背きの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれました。それによって私は癒され、望みを持つようになりました。それで、私は生きる喜び、幸せを味わう人生になりました。皆さんはどうでしょうか。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分勝手な道に向かって行きました。しかし、神様は私たちのすべての咎をイエス様に負わせました。そして、イエス様は謙遜に私たちに仕え、私たちの足を洗い、ついに十字架にかかって死んでくださいました。このキリストの謙遜と限りない愛によって私たちは救われ、癒されました。

結論的に、イスラエルはソロモンがイエス様のように民を愛して神様の知恵を求め、謙遜に仕える時は平和があり、繁栄がありました。しかし、その道から離れた時、そこには反逆と分裂、争いが絶えず、結局は滅びるようになりました。どうか、私たちがソロモンの道に歩まず、イエス・キリストの道に歩むことができるように祈ります。イエス様のように神様を愛し、イエス様のように神様の御言葉に従い通すことができるように祈ります。特にイエス様のように謙遜になって人々を愛し、仕える生活ができるように祈ります。

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