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BibleMsg > 列王記 > 第2講 聞き分ける心を願ったソロモン

第2講 聞き分ける心を願ったソロモン

投稿者: Calebkim 掲載日: 2005/1/28 (3081 回閲覧)
2005年列王記第一の第二講     

聞き分ける心を願ったソロモン

御言葉:?列王記3,4章
要 節:?列王記3:9「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」

先週、私たちはイスラエルの歴史がダビデ時代からソロモン時代に変わったことを学びました。ソロモンは父ダビデの遺言のとおりに、強く、男らしくありました。「王になろう」と野望を抱いていたアドニヤを始め、ヨアブやシムイなどを取り除き、王権を確立しました。これからも、ソロモンが強く男らしくあって御言葉に聞き従うなら、何をしても、どこへ行っても栄える人生を生きるようになります。
ではソロモンは王としてまず第一に神様のために何をしましたか。また、何を求め、どのように国を治めるようになりましたか。私たちはソロモンを通してどんな姿勢で神様に仕え、何を求めるべきかを学ぶことができます。特に、神様はどのような人を祝福し、どんな祈りに答えてくださるかを学ぶことができます。どうか、この時間、聖霊の助けによって私たちもソロモンのように神様に愛され、祝福される者となりますように。何よりも、知恵の心と判断する心が与えられるように祈ります。

?.善悪を判断する知恵を求めたソロモン王(3:1-15)
1節をご覧ください。「ソロモンはエジプトの王パロと互いに縁を結び、パロの娘をめとって、彼女をダビデの町に連れて来、自分の家と主の宮、および、エルサレムの回りの城壁を建て終わるまで、そこにおらせた。」とあります。ソロモンは異邦人の娘をめとったのです。この政略結婚は王国を安定させるための方法であったと思います。ソロモンがパロの娘と結婚したことにより、エジプトとの関係は平和に保たれたでしょう。ですから、政治的に見るとよくやったことになるかも知れません。しかし、道徳的に、霊的には大きな罪を犯したことです。申命記7;1-3節に異邦人との結婚が禁じられています。ソロモンは立派な王でしたが結婚においては妥協して、後に霊的堕落をもたらす原因を作ってしまいました。11:1-3節を見るとソロモン王は、七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあります。彼は、その妻たちに惑わされて偶像崇拝者になり、自分と自分の国民に破滅をもたらしてしまいました。彼は人類歴史上、だれよりも知恵ある王として数多くの働きをしました。しかし、この女性問題、結婚問題で神様から離れ、自分と自分の国に滅亡をもたらしてしまったのです。
私たちは信仰によって神様から与えられた知恵で生きることができます。神様の民である兄弟姉妹たちのためにも、自分と家族のためにも、一生懸命に働くこともできます。しかし、世の価値観に汚染されている内側の情欲と人本主義を捨てなければ、やがて滅ぼされることを覚えて置かなければなりません。自分と自分の家族が恥を受けることだけではなく、教会や社会にも迷惑をかけてしまいます。そういうわけで、列王記の著者はソロモンの素晴らしいことを書き記す前に、彼が後につまずくことになるきっかけを作っていることも指摘しておきました。
ではソロモンの素晴らしいことは何でしょうか。2-4節にはソロモンの神様に対する姿勢がよく現われています。彼は主なる神様を愛し、父ダビデのおきてに歩んでいました。彼は心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして神様を愛しました。言葉や口先だけの愛ではありません。彼は父ダビデのおきてに歩んでいました。特に彼は神様に礼拝していました。4節をご一緒に読んで見ましょう。「王はいけにえをささげるためにギブオンへ行った。そこは最も重要な高き所であったからである。ソロモンはそこの祭壇の上に一千頭の全焼のいけにえをささげた。」とあります。ソロモンは神様に礼拝するためにギブオンへ行きました。自分の家でラジオ礼拝をしたり、インターネット礼拝をしたりしたのではなく、もっと神様の臨在が感じられる所まで行ったのです。そして祭壇の上に一千頭の全焼のいけにえをささげました。全焼のいけにえとは牛や羊などを焼き尽くして主の祭壇にささげるものです。ソロモンは一国の王として牛をささげていたでしょう。一頭の牛を100万円にすると10億円を神様にささげたことになります。彼は本当に献身的に礼拝していました。そしてその夜、ソロモンは寝ていると主が彼の夢のうちに現われました。ソロモンは何も求めていないのに、主は現われて言われました。「あなたに何を与えようか。願え。」と言われたのです。神様は何かを与えようとされました。ソロモンは神様が何かを与えたくなる人だったことが分かります。
私たちにも、何でも与えたくなる人がしるし、何も与えたくない人がいるでしょう。与えたものまでも取り戻したくなる人もいます。ソロモンは何も求めなくても与えたくなる人でした。神様がソロモンをご覧になると、与えたくなられたのです。どうしても彼の願いことをかなえてあげたくなる人だったのです。私たちもそういう人になりたいですね。何でも彼なら与えたい、彼なら助けてあげたいと言われる人になりましょう。神様があなたなら、何でもあなたに与えたいと思ってくださる人になりましょう。信用と名誉は自分の行いによって得られるものです。「何で俺のことは認めてくれないんだろう」とつぶやいて得られるものではないのです。ソロモンのように神様に感謝して献身的に礼拝し、忠実に生きる人に与えられるものです。職場でもよく感謝し、忠実に、献身的に働いていると、その人を助けたくなります。ましては神様がみわざに忠実で献身的な人をご覧になると、どう思われるでしょうか。神様は間違いなく、神様に献身的に礼拝し、みわざに黙々と仕えている人たちの願い事を与えてくださいます。神様はソロモンに「あなたに何を与えようか。願え。」と言われました。主がソロモンに言われていることは、非常に広いものです。何でも良いから与えよう、願っているものを言いなさい、と聞かれているからです。同じように私たちが主から尋ねられたら、どう願うでしょうか?事実、主は弟子たちに、「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。(ヨハネ14:13)」と言われました。ソロモンはどう願いますか?ソロモンの願いを読んでみましょう。
6-9節をご一緒に読んで見ましょう。「ソロモンは言った。「あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。それは、彼が誠実と正義と真心とをもって、あなたの御前を歩んだからです。あなたは、この大いなる恵みを彼のために取っておき、きょう、その王座に着く子を彼にお与えになりました。わが神、主よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも、彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」ここで、私たちはソロモンの祈りを学ぶことができます。
第一に、ソロモンは神様の恵みに感謝しています。ソロモンは「あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。」と告白しています。神様が父親に大いなる恵みを施されたことを感謝しています。また、父親が誠実と正義と真心を持って、主の御前を歩んだことを感謝しています。その父のお陰で自分に神様の恵みが施されていると感謝しているのです。彼はダビデが不倫をして産んだ子どもです。だから、父親が浮気をしたことも知っているはずです。ダビデが不倫の罪を隠すために殺人罪までも犯したことも知っていたでしょう。そういうことだけを考えると、父親がいやになり、自分の人生もつらくなります。しかし、ソロモンは父親の悪いことよりも、誠実と正義と真心を持って、主の御前を歩んだことを覚えて感謝しています。誠実と正義と真心を持って主の御前を歩んだ父のお陰で自分が神様の恵みを受けていることを感謝しているのです。神様はこのようなに感謝する人の祈りを喜ばれます。感謝する人は自分も平安の中で幸せに生きることができます。私たちは、現在自分が成功し、祝福されているのは、自分がよくやったからだと思いがちです。しかし、今日の私がいることは多くの方たちの愛と祈り、助けがあったことを覚えなければなりません。私たちは今の自分になるまでに、献身的に育て、助けてくださった親の労苦を覚え、感謝しなければなりません。夫たる者は妻や子どもたちの愛と支えがあることを感謝し、妻も夫の労苦と家族の愛を感謝するのです。私の救いのために多くの方がとりなしてくださった祈り、牧者の仕えと涙の祈りを感謝しなければなりません。何よりも、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださっておられることを感謝することです。私たちが感謝する時、神様はさらに感謝できるように祝福してくださいます。
第二に、ソロモンは子どもの心で祈っています。彼は「私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも、彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。」と祈りました。子どものような心で祈ったのです。神様の御心を動かす祈りは子どものような心の祈りです。子どもは純粋で正直です。よく笑うし、よく泣きます。高ぶりも謀略もありません。妬みも、憎しみもありません。高ぶる、妬み、憎しみなどは大人にあります。だから、大人の心でささげる祈りは神様に喜ばれません。私たちは子どものような心を捨てた時、神様から捨てられることを覚える必要があります。サムエル記を見るとサウルは子どもの心を持っている時、神様に選ばれました。神様は彼を高めてイスラエルの初代王にしてくださいました。しかし、彼が子どものような謙虚な心を捨てた時、神様に捨てられてしまいました。彼の人生は失敗してしまったのです。
ところが、大多数の人々は子どものような心で生きると、この世では通用しないと思っています。それは幼稚なことであって失敗すると考えています。しかし、それは誤った考えです。むしろ、子どもの心を持ち続けるなら、本当に祝福された人生を生きるようになります。謙虚な心に大いなる恵みがあります。子どものように純真で正直に生きる人が究極的には成功します。うそつきはしばらく成功しているように見えても失敗します。うそつきの国が世界を支配するようになったことはありません。私たちが小さな子どものような心を持って正直に、真実に生きる時こそ、個人も、企業も、国も成功します。
信仰によって生きるということはどういうことでしょうか。子どものような純粋な心で生きることではないでしょうか。イエス様を信じて生きると、自分がもっと弱くなっていくような気がする時があります。何で自分がこんなに弱い者になったのかと思われる時があるのです。ところが、実はその時が良い時です。ますます子どものようになるべきです。この世は人を高ぶらせます。険しい世の中で、攻撃的な社会の中で人々は子どものような心を失っていきます。だから、信仰なしに生きると、いつの間にか高慢な人になってしまいます。しかし、教会生活を始めるとどうなりますか。教会に来ると、私たちの心は子どものようになります。そして、信仰が強くなればなるほど小さな子どものようになります。世界UBFの総裁であられるMother Barry宣教師は七十代のおばあさんです。でも世界中のUBF家族がカリスマ的なリーダーシップとか、優れたカウンセリングではなく、宣教師の子どものような心に感動しています。私たちが子どものような心を持つ時、神様が感動し、人々も感動するようになります。何よりも私たち自身が子どもの心で生きる時、一生涯幸せに生きることができます。
小さい子どもの特徴の一つ弱くて足りないことです。それで、小さい子どもは常に、親からの愛と助けを求めるし、また親は子どもが求める時にすばやく与えます。ですから、私たちが小さいな子どもの心で祈る時、神様がすばやく答えてくださいます。二つ目は、ママの乳を慕い求めることです。?ペテロ2章2節を見ると「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、御言葉の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです」とあります。うちの恵理ちゃんを見ると、少しでも乳を飲ませる時間が遅れると、すぐ泣き出してしまいます。私たちクリスチャンは小さい子ども乳飲み子が乳を慕い求めるように、御言葉を慕い求めなければなりません。また、小さい子どもが乳を慕い求める心で祈ることです。
第三に、ソロモンの祈りの課題は「聞き分ける心」でした。彼は「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください」と祈っています。民の訴えを聞き分け、正しい裁きを行なうことが王の大事な務めの一つです。ソロモンは神様から与えられた使命、王の務めを正しく適切に果たすことのできる知恵を求めたのです。自分の事よりも、国民のこと、民が幸せになることを求めている姿です。ソロモンは国民に対して「あなたの民」と言っています。つまり、彼は国民を神様の民として大事にし、神の民を幸せに暮らせるための知恵を願い求めました。彼はまず、第一に神の国とその義を求めたのです。この願い事は主の御心にかないました。神様のお喜びになるものでした。彼が自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、自分の敵のいのちを求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたからです。それゆえ、神様はソロモンが求めたもの以上に祝福してくださいました。
12-14節をご覧ください。「今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもないであろう。また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしのおきてと命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう。」とあります。
ソロモンは求めた知恵の心と判断する心を与えられただけでなく、求めるところ願うところにまさって、求めない富と誉れ、長寿さえ約束されました。ソロモンが神様の御前に大いなる恵みを感謝し、自分が小さな子どもであることを認めている時、神様は彼の祈りに答えてくださるだけではなく、彼を高めてくださったのです。そこで、彼はさらに神様に感謝します。
15節をご覧ください。「ソロモンが目をさますと、なんと、それは夢であった。そこで、彼はエルサレムに行き、主の契約の箱の前に立って、全焼のいけにえをささげ、和解のいけにえをささげ、すべての家来たちを招いて祝宴を開いた。」とあります。ソロモンは高きところではなく、今度はエルサレムに行き、主の契約の箱の前に立って、全焼のいけにえをささげ、和解のいけにえをささげました。そして、すべての家来たちを招いて祝宴を開きました。とても凄い信仰ですね。彼に神様の約束が与えられたのは夢でありました。でも彼は、目をさますと、神様に感謝の礼拝をささげ、家来たちを招いて祝宴まで開いたのです。もう神様の約束のとおりになったことを信じきって感謝しているのです。では、神様の約束のとおりに彼に与えられた知恵の心と判断する心はどうですか。

?.知恵の王ソロモン(3:16-4:28)
 夢の中に知恵が与えられたソロモンに、それを現実に表わすチャンスも与えられました。  ソロモンは夢の中に知恵の心と判断する心を得ましたが、それを一夜の夢として片付けず、夢の中の約束をも信じたために、驚くべき知恵を表わすことができました。 
16-22節をご覧ください。そのころ、ふたりの遊女が王のところに来て訴えました。二人が同じ家に住んでおりますが、同じ時期に子どもを産みました。ところが、片方の赤ん坊は死んでしまいました。残った赤ん坊を二人が共に自分の子だと主張してソロモンに訴えました。ソロモンにとても難しい裁判が与えられました。目撃者もいない事件を裁くことは本当に難しいでしょう。ではソロモンはどのような裁きをしましたか。 23-28節をご覧ください。ソロモンは剣を持って来させ、子どもを二つに裂いて双方に半分ずつ与えるようにしました。すると本物の母親の方は、「わが君、どうか、その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください。」と言います。しかし、もうひとりの方は「それを私のものにも、あなたのものにもしないで、断ち切ってください。」と言いました。そこで王は宣告を下して言いました。「生きている子どもを初めの女に与えなさい。決してその子を殺してはならない。彼女がその子の母親なのだ。」本当に素晴らしい裁判ですね。ところが、今日、私たちは素直に「そうですね」と答えることができるでしょうか。自分が産んだ子どもを捨てる人も、甚だしくは自分の子どもを殺す人さえいるからです。この間、毎日新聞のアンケート調査の結果を見ると、子どもを育てながらも20%以上の人は自分が子どもを産んだことを後悔しているということでした。これだけ考えると本当にひどい世界です。また、逆に、自分の本当の子どもではない子どもを引き取って大切に育てている人もたくさんいます。夜回り先生と呼ばれている水谷修先生のような方は親から性的暴力を受けて子どもやシンナ、薬物などで苦しんでいる子どもたちを本当の親以上に愛し、助けています。ですから、今日は、生物学的な母親が「その子を断ち切ってください」という場合も生じます。そうでない人が「その子を殺さないで」ということもあり得るのです。私たちはそんな時代に生きています。科学的な証拠がなければ、子どもを殺されることを許すか、許さないかで本当の母親を見分けることができない時代に生きているのです。それではソロモンの裁判はもう意味を失うのでしょうか。いいえ。そうではありません。むしろこのような時代だからこそ、ソロモンの裁判はもっと意味があります。もっと知恵ある裁判であったと言えます。というのは、この裁判によって、本当にこの子の母親となって育てていくのにふさわしい人はどちらか、ということが明らかになるからです。この子どもが本当に幸せに育てられる方はどちらでしょうか。いうまでもなく人のいのちを大切にする人です。産んだとしても子ども虐待する親のもとでは子どもが幸せに育てられることを期待することができません。「その子を断ち切ってください」という人のもとでは無理なのです。自分が産まなかったとしても「どうか。その生きている子をあの女にあげてください。」という人のもとでこそ、子どもは大切にされて幸せに育てられるのです。ですから、ソロモンの裁きは、現代の遺伝子検査以上に、知恵ある裁きだったのです。ソロモンの裁きによって子どもが子どもは生かされ、大切にされるようになりました。いのちを大切にする人によって愛され、支えられ、育てられるようになりました。
ここで、私たちはこの裁きから本当の知恵について学ぶこともできます。本当の知恵とは人が本当に生かされ、愛され、支えられて、神様の愛のもとで平和に生きるようにすることです。ヤコブ3:17節を見ると「しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、慣用、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。」とあります。そうです。そう意味で、イエス様はソロモンにまさる方です。まことの知恵です。イエス様は私たちを神様と和解させて平和にするために、天からこの地に降りてきてくださいました。すべて、疲れた人、重荷を負っている人を暖かく迎えて休ませるために来てくださいました。そして、私たちのすべての罪を背負って十字架にかかって死んでくださいました。ご自分を犠牲にして私たちが生かされ、神様の子どもとして愛される人生、祝福された人生を生きるようにしてくださいました。ですから、イエス様こそソロモンの知恵にまさる真の知恵あるお方です。私たちはイエス様に導かれ、支えられてイエス様とともに生きる時にこそ真に知恵ある人生を生きるようになります。平和に生きることができます。イエス様から与えられる知恵を祈り求めつつ歩む時、知恵の心と判断する心が与えられるからです。特に、イエス様が私たちを愛したように、私たちも人を愛しようとする時、天からの知恵が与えられます。それで、私たちはイエス様が与えてくださる知恵によって兄弟姉妹たちを生かし、支え、神様の愛のもとに導くことができます。ソロモンが神様の民を愛して彼らを助けるために知恵を求めた時、神様は彼に知恵を与えてくださいました。その知恵によって彼の国民が平和に生きるようになりました。それだけではありません。ソロモン自身も祝福され、ソロモン王国全体が何をしても栄えるようになりました。
4章の御言葉はソロモン王国がいかに祝福され、栄えていたかを教えてくれます。1-19節はソロモンが裁きだけではなく政治においても神様からの知恵を用いていることが分かります。彼は祭司、書記、参議、軍団長、政務長官、宮内長官などの高官たちを任命して効率的な政府を組織しました。また、国に対する食糧を確保するために、イスラエルの全土に十二人の守護を置きました。このように、ソロモンが神様から与えられた知恵によって国を治めると、イスラエルは繁栄し、平和の中に幸福を享受するようになりました。20節をご覧ください。「ユダとイスラエルの人口は、海辺の砂のように多くなり、彼らは飲み食いして楽しんでいた。」とあります。素晴らしいですね。神様がアブラハムに約束されtとおり、イスラエルの人口は海辺の砂のようになっています。また十分にあまりあるほどの食べ物に恵まれています。彼らは飲み食いして楽しんでいました。ソロモンの知恵によって国は政治的に安定し、経済的には豊かになりました。それだけではありません。ソロモンの知恵は学問においても優れていました。
29-34節をご覧ください。ソロモンの知恵は、当時学問や知識においてきわだっていた東のすべての人々やエジプト人よりもまさっておりました。彼は三千の箴言を語り、彼の歌は一千五首もありました。聖書の中に収められている箴言には、952の格言があるそうですから、ソロモンが語った箴言が三分の一ぐらいが聖書に収められています。また、彼はレバノンの杉の木から、石垣に生えるヒソブに至るまでの草木について語り、獣や鳥やはうものや魚についても語りました。彼は植物学、生物学にも優れていたのです。彼は百科事典シリーズのCDが頭の中にインストールされているような人でした。それでソロモンの知恵を聞くために、すべての国の人々や、彼の知恵のうわさを聞いた国のすべての王たちがやって来ました。

結論的に、ソロモンは神様に礼拝し、感謝する人でした。小さい子どものような心で祈り求める人でした。何よりも自分のために求めるのではなく、神様の民のために聞き分ける心を求める人でした。このような彼に、神様は知恵の心と判断する心を与えてくださいました。上からの知恵が与えられたのです。すると、ソロモンの知恵によってイスラエルは繁栄し、平和な国になりました。ソロモンだけではなく、家族や国民が祝福されるようになったのです。私たちもソロモンのように神様を愛して献身的に礼拝し、子どものような心で知恵を求めて自分と自分の家族、国全体が祝福されるみわざに用いられるように祈ります。

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