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BibleMsg > イザヤ書 > 00-2 c60 起きよ。光を放て

00-2 c60 起きよ。光を放て

投稿者: Jubfadmin 掲載日: 2004/12/25 (4625 回閲覧)
2000年イザヤ書第2講



起きよ。光を放て。



御言葉:イザヤ書60:1?22

要 節:イザヤ書60:1

「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。」



イスラエルは本来光を放つ民族でした。彼らは異邦人の光となり、世の人々が神様を知るようにしなければなりませんでした。ところが、彼らは罪のゆえに光を放ちませんでした。予言者イザヤはこのようなイスラエルの罪を責めて神様の裁きを伝えました。また、同時に来るべきシオンの栄光を見ながら希望のメッセージを伝えています。「起きよ。光を放て。」なぜイスラエルは起きて光を放たなければならないでしょうか。この御言葉が私達に与える意味は何でしょうか。今日の御言葉が私達に力と慰めと希望のメッセージとなるように祈ります。



?。起きよ。光を放て(1-9)



1節をご覧ください。「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。」本来イスラエルは神様が選び分けられた聖なる祭司の国でした。しかし、彼らは偶像崇拝者になりました。イスラエルは罪によって足の裏から頭まで傷だらけになりました。神様はこのようなイスラエルを周りの国々によって懲らしめられました。彼らは70年間バビロンで捕虜生活をしました。このようなイスラエルを見ると、苦難とやみ、苦悩の暗やみ、暗黒でした。(8:22)神様は彼らから離れたかのように見えました。彼らは諦めて無気力に生きていました。彼らのどこからも希望を見ることができませんでした。ところが、イザヤはこの民に向かってどんな神様の御言葉を伝えていますか。「起きよ。光を放て。」イザヤもイスラエルの状態をよく知っていました。よくなる可能性が見えない現実をよく知っていました。ところが、彼はどうやってこのようなメッセージを伝えることができるのでしょうか。それは主の栄光が彼らの上に輝いているからです。「あなたの光」、「主の栄光」は、御言葉の光、イエス・キリストの福音の光を指します。福音の光は人類が罪を犯した後、神様の約束の通りに続けて輝いていました。神様はイスラエルに約束の御言葉と十戒を与えてくださいました。時に従って預言者達を遣わしてくださいました。ついにイスラエルの上に主の栄光が輝きました。それは具体的にメシヤが来られることを意味します。将来メシヤを通してイスラエルが回復され世の人々が救われるというのは、選ばれた民に与えられた監査今の約束であり、ビジョンです。時になると、メシヤは人の姿を持ってこの世に来られました。使徒ヨハネはこの神様の栄光を見て次のように言いました。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」(ヨハネ1:14)。イザヤは将来キリストを通してイスラエルが回復されすべての人々が救われるビジョンを見ました。ですから彼は大胆に「起きよ。光を放て。」と宣布しています。それでは彼のメッセージが与える意味は何でしょうか。

第一に、起きよ。

イザヤがイスラエルに向かって「起きよ。」と言うのを見ると、彼らは現在、横になっているのがわかります。何の働きをせず横になっているのは神様の創造目的の通りに生きていることではありません。神様は人々が起きて熱心に使命を担うように造られました。大体横になる人々を見ると、その理由があります。力がない人は横になります。希望を失った人は横になります。死んだ人は横になり、病んでいる人は横になります。疲れて眠くなった人は横になります。怠け者は横になることが好きです。絶望した人も横になります。人の本性は横になることです。しかし、聖書には横になっていたことで滅んだ人々の話が出ています。ダビデは偉大な神様の人でしたが、昼間まで横になっていた時に姦淫の罪を犯すようになりました。サムソンはろばのあご骨で千人のペリシテ人を打ち殺したほどの勇士でしたが、デリラのひざの上で寝ていた時に髪の毛をそり落とされました。イエス様の弟子達も祈らず眠っていたので誘惑に陥り、イエス様を否認し、逃げてしまいました。パウロは次のように言いました。「あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。」(ローマ13:11)。「目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい。」(1コリ16:13)。当時イスラエルは神様から離れて罪の中で横になっていました。霊的に深い眠りについていました。神様はこのようなイスラエルに「眠りから起きよ。」と言われます。イエス様がこの世に来られた目的も横になっている人のたましいを起こさせて創造の目的通りに生きるように助けるためでした。イエス様はベテスダの池に行って、38年間もの間、病気にかかって横になっている人をご覧になりました。彼からはものすごい匂いがしたでしょう。彼は何の希望もなく絶望と無気力の床に横になっていました。イエス様はこのような彼に言われました。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」(ヨハネ5:8)。すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出しました。

青年には未来があります。青年には躍動する力があります。青年には夢とビジョンがあります。青年はいつも前向きの姿勢を持っています。このような青年が霊的に死んで横になっていることはどれほど悲しいことでしょうか。アメリカの教育者であるウィリアム・クラーク博士は札幌農学校の教頭となり、熱烈なキリスト教主義による教育精神は内村鑑三、新渡戸稲造らに大きな影響を与えました。彼は日本を離れる時に日本の青年たちに有名な言葉を残しました。「Boys, be ambitious!」「少年よ、大志を抱け!」この言葉は、青年は大きな志を抱かなければならないことを教えています。この言葉は青年達に影響を与え、横になっている人々を起こせました。ところが、今の青年達は夢もビジョンもありません。体は丈夫ですが、コンピュータゲームやインターネットの淫乱サイトで夜を通しながら力をなくします。やっと持っている夢というのは、卒業後就職することです。神様は人生の本当の意味と目的を知らずに生きている人々に「起きよ。」と言われます。どうやって起きることができますか。主の御言葉を聞く時に起きることができます。ヨハネ5:25でイエス様は言われました。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。」

第二に、光を放て。

「起きよ。」と言われたのには、目的があります。神様はイスラエルが起きて国々に光を放つことを願われました。しかし彼らは光を放つことができませんでした。神様は彼らが起きて積極的に光を放つように言われます。神様が暗い時代に私たちを呼ばれたのは光を照らすためです。イエス様は言われました。「わたしは世の光です。」ですから、イエス様に従う人は世の光にならなければなりません。光は何ですか。光は神秘的なものです。光は明るくて暖かくて美しいです。光はバイキングを殺します。光は闇を退けます。闇は光に打ち勝つことができません。光は方向を提示し希望を与えます。光はいのちの根源です。この光が臨んだ人の顔は明るくなります。目がきらきら輝きます。死んだ魂が生き返り、神様を神様として知り、仕えます。ですから、私たちは積極的に光を放つ生活をしなければなりません。そのようにするとき、暗闇の世界が明るくなり、いのちの御業が起こります。

それでは光を放つことは具体的に何を意味するでしょうか。それは神様から与えられた使命のために積極的に働くことです。神様が奴隷の民イスラエルを大きな恵みと力によって救われたのは、彼らを世界の人々に対して聖なる国民、王である祭司とするためでした(出19:6)。神様は彼らに神様の御言葉を委ねられました。神様を知らない人々に神様を知らせるようにされました。神様の戒めと教えに従って生きる使命を与えてくださいました。一言で言えば、神様の御言葉を教える聖書先生としての使命を与えてくださいました。しかし、今は使命を失って罪の中に横になっていました。イスラエルは使命人ではなく、ただ生活することだけで精一杯でした。神様はこのようなイスラエルに「虫けらのヤコブ」と言われました(41:14)。イスラエルは虫けらのように地上のことばかり考えて生活していました。神様はこのような彼らに「起きよ。光を放て。」と言われます。それは使命を回復し、御言葉を伝えることに励みなさいということです。積極的に使命中心の生活、御言葉を伝える生活をしなさいということです。神様はイスラエル人だけではなく、異邦人、すなわち、世界の人々に御言葉を伝えることを願っておられます。神様は彼らを諸国の民の光とし、地の果てにまで神様の救いをもたらす者とすることを願っておられます(49:6)。敵の国であるバビロンにも、高慢なアッシリアにも、偶像崇拝をするエジプトにも御言葉を伝えることを願っておられます。ところが、イスラエルは心が狭くなっていました。諸国のどころか、自分達のことだけでも精一杯でした。神様はこのような彼らに「起きよ。光を放て。」と言われます。狭くなった心を開いて世界の人々に御言葉を伝えなさいと言われます。眠りから目を覚まして世界の人々を見るように言われます。イスラエルがこの御言葉を受け入れる時、心が世界の人々に向かうようになります。諸国の光となることができます。

イエス様は12弟子達がイスラエルの回復だけを考えている時に言われました。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)。弟子達がこの御言葉を受け入れた時に世界を照らす光となりました。特に使徒パウロはユダイズムと律法主義によって心が狭くなっていましたが、光であるイエス様を出会ってから異邦人の使徒となりました。彼は異邦人の光として行く先々にイエス・キリストの福音の光を照らしました。彼はヨーロッパと小アジアだけではなく、囚人の身としてローマに行ってイエス・キリストの福音を伝えました。聖霊が臨まれるとき、起きて光を放ちたい心が生じます。そして、その人は諸国に光を放つ者となります。

神様は私達にも「起きよ。光を放て。」と言われます。私たちは自分が起きて光を放っているのか、横になっているのか、を考えて見ましょう。神様のくださるビジョンを失って深い敗北感と無力感によって横になっている人はいないでしょうか。現実問題に縛られている人はいないでしょうか。安逸と情欲の罪の中で横になっている人はいないでしょうか。神様はこのような人々に「起きよ。光を放て。」と言われます。私たちはまずイエス様の御言葉を聞いて起きなければなりません。そして光であるイエス様から光を受けなければなりません。光であるイエス様は私達の唯一の希望であり、この国の唯一の希望であり、世界の希望です。この世のどんな学問や思想や技術によっても一人も救うことができません。発達した医学技術によって治療して命が助かった人でもいつかは必ず死にます。しかし、イエス様は信じるすべての人に永遠のいのちを与えてくださいます。この世のどんな快楽も人の魂の渇きの問題を解決してくれることができません。しかし、イエス様が与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。イエス様は私達に真の喜びと満足を与えてくださいます。イエス様だけが道であり、真理であり、いのちなのです。ですから、大切なのはどれほどイエス様について知っているのか、どれほどイエス様の光を受けているのか、どれほどイエス様の御言葉に聞き従っているのかということです。形式的になり、律法的になった私達の信仰生活を悔い改めて純粋な心を持って神様を愛することができるように祈ります。体の安逸や情欲や世の誘惑を退けて世の光であるイエス様に見習う生活に励む人となるように祈ります。私達一人一人が暗闇を照らす世の光となるように祈ります。



?.国々はあなたの光のうちに(3-22)



3節をご覧ください。「国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。」このように私達が起きて光を放つと国々の人々がこの光のうちに歩みます。国々の人々が真に願っているのは、救いの福音です。イザヤは神様の御言葉を慕い求めて集まって来る国々の人々を幻の中で見ました。4節をご覧ください。「目を上げて、あたりを見よ。彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。あなたの息子たちは遠くから来、娘たちはわきに抱かれて来る。」世界の人々が救いの福音を求めてシオンに集まって来ます。またイザヤは「海の富はあなたのところに移され、国々の財宝はあなたのものとなるからだ。」と言っています(5b)。その時救われた異邦人がイスラエル人と同じくいけにえを持って来て主に捧げます。らくだの大群、ミデヤンとエファの若いらくだ、シェバの金と乳香、ケダルの羊の群れ、ネバヨテの雄羊、これらは異邦の特産物です。この特産物を携えて来て、神様を賛美し、礼拝します。8節をご覧ください。「雲のように飛び、巣に帰る鳩のように飛んでくる者は、だれか。」雲のように多くの人々が巣に帰る鳩のように神様に立ち返ります。

どうやってこんなことが起こりますか。それは神様の栄光が私達の上に輝いているからです。神様が私達を輝かせてくださったからです。神様の栄光が私達の上に現われ、キリストの福音の光が世を照らす時このようなことが起こります。この預言はイスラエルがバビロンに捕虜として連れ去られてから70年が経った時に成就しました。また、19世紀末からユダヤ人がパレスチナに帰って来て1948年にイスラエル国家を建設することによって成就しました。そして、新しいイスラエルである私達を通してイエス・キリストを信じる多くの異邦人が神様に立ち返ることによって成就しています。最後にイエス様が再び来られる時に完全に成就します。

10-22節までは神様の栄光が現われた結果です。神様は怒って、イスラエルを打たれました。ところが今は恵みをもって、彼らを哀れみ、外国人もイスラエルの城壁を建て直し、その王たちもイスラエルに仕えると言われます。このことは紀元前445年アルタシャスタ王の時にネヘミヤによって一時的に実現しました。そして、イエス・キリストが治められることを通して完全に実現します。その時の城はどうですか。そこには泥棒もいなく、戦争もなくただ平和だけがあります。城は夜昼いつも開いています。人々は異邦の財宝を運び入れ、その王たちを捕虜として連れて来ます。シオンに仕える国は祝福を受けますが、そうでない国と民は必ず滅びるようになります。シオンはソロモンの時代のように美しく輝くようになります。シオンを苦しめた者たちの子らと侮った者どもはみな、足もとにひれ伏し、彼らは「主の町、イスラエルの聖なる方のシオン」と告白します。過去捨てられ、憎まれ、通り過ぎる人もなかったが、今は「わたしはあなたを永遠の誇り、代々の喜びの町に変える。」と言われます。過去異邦の国々に貢ぎをおさめながら虐げられていましたが、今は国々の乳を吸い、王たちの乳房を吸うようになります。これは世のすべての美しいものが神様に捧げられ、シオンは世界の中心になることです。人々はその時やっと神様は唯一の救い主であり、全能者であることを悟るようになります。シオンはこれ以上貧しさによって苦しむことなく豊かになります。神様は平和を彼らの管理者とし、義を彼らの監督者とされます。再び以前のような暴虐、破壊と破滅は、もう聞かれません。彼らは、彼らの城壁を救いと呼び、彼らの門を賛美と呼びます。ここは救いの場所となり、神様を礼拝する場所となります。ただ主が永遠の光となるので、太陽も月も要らなくなります。主が彼らの永遠の光となり、彼らの嘆き悲しむ日が終わるからです。

この美しくて栄光ある城に誰が入るようになりますか。21,22節をご覧ください。「あなたの民はみな正しくなり、とこしえにその地を所有しよう。彼らはわたしの栄光を現わす、わたしの植えた枝。わたしの手で造ったもの。最も小さい者も氏族となり、最も弱い者も強国となる。時が来れば、わたし、主が、すみやかにそれをする。」神様が用意された美しくて栄光ある城には誰でも入るわけではありません。ただ神様の民だけが入ることができます。神様の民とは、イエス様の血によって義と認められた人々です。ところが、神様は御自分の民を「植えた枝」にたとえられます。植えた枝は小さくて弱いものです。しかし、時になると神様の栄光を現わすと言っています。神の国はからし種のように小さいものですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。神様の植えた枝はこの世で小さくて弱いです。しかし、将来キリストの光を放つ者であり、神の国に入る者であり、神の栄光を現わす者になります。私達は自分が小さい者であると思うかも知れませんが、神様は小さくて弱いものを望みの中で育てられます。小さくて弱い者に望みを置いて育てられる主の御名を賛美します。

神様は最も小さい者も氏族となり、最も弱い者も強国となるようにできる全能の方です。神様は最も小さい者を尊く思われる方です。弱い私をこの国の多くの人々を救う御業に用いることができる方です。日本UBFがまだ小さいですが、世界で一番大きいUBFになるようにできる方です。この神様を考える時に日本が祭司の国となり、世界の人々がこの国に神様の御言葉を求めて集まって来るビジョンを見ることができます。私達がこのビジョンを見て起きて、光を放つことができるように祈ります。私達を異邦人の光として用いて下さる主に感謝致します。

結論、神様がイスラエルを、光を放つ民として立ててくださったように、この時代私達を、光を放つ新しいイスラエルとして立ててくださいました。主は、霊的に横になっている人に言われます。「起きよ。光を放て。」私達が主の御言葉を聞いて起きて、光を放つことができるように祈ります。

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