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ルカ2 すばらしい喜びの知らせ

投稿者: Jubfadmin 掲載日: 2004/12/25 (2459 回閲覧)
2001年クリスマス礼拝



すばらしい喜びの知らせ



御言葉:ルカの福音書2:1ー14

要 節:ルカの福音書2:11「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」



私達は今年期待と希望をもって二十一世紀を迎えました。ところが今年を顧みると喜びの知らせよりは悲しみの知らせが多かったような感じがします。アメリカでの同時多発テロ事件、報復戦争は悲しみの知らせでした。国内でも失業率が過去最悪をさらに更新したニュースなどは悲しみの知らせでした。クリスマスが近づくと多くの人々が喜びます。なぜ人々はクリスマスになると喜ぶでしょうか。残念ながらなぜ喜ぶべきかを知らずに喜んでいる人々がほとんどです。この時間、クリスマスがどうしてすばらしい喜びの知らせになるのかについて学びたいと思います。また、一人子をお与えになったほどに私たちを愛してくださった神様の愛について学びたいと思います。



 イエス様がお生まれになった時代は初代ローマ皇帝であるアウグストが世界を支配している時でした。彼は数多くの征服戦争で勝利し、ヨーロッパと小アジヤ、中東地方、そして北アフリカを支配していました。ローマ皇帝アウグストは「全世界の住民登録をせよ」という勅令を出しました。それは植民地の人口を調べて税金を納めるためでした。彼が勅令を出すと人々はみな、それぞれ自分の町に向かって行きました。ガリラヤの町ナザレに住んでいたヨセフも大工の仕事を休んで、130キロも離れているユダヤのベツレヘムまで行かなければなりませんでした。彼と婚約していたマリヤも身重になっていましたがいっしょに登録するために行かなければなりませんでした。彼らは植民地の民としての悲しみと屈辱を抑えながら仕方なく危険な旅をしました。それは彼らにとって試練であり、苦しみでした。真面目に信仰生活をして来た彼らは「なぜ私たちにこのような試練や苦しみがあるのか」と思ったかもしれません。しかし、そこには神様の摂理がありました。彼らがアウグストの勅令によってナザレから130キロも離れたベツレヘムに行くようになったのは神様の御言葉が成就するためでした。紀元前700年に神様は預言者ミカを通して人類の救い主がダビデの町であるベツレヘムで生まれることを預言されました。「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。(ミカ5:2)」神様はその約束の御言葉を成就するために皇帝アウグストの心を動かし、彼の力強い権力を用いられたのです。この神様は個人の人生の主管者であり、歴史の主管者です。

 クリスチャンにも試練はあります。聖書は「主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」「訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。」と言っています。試練に遭うともっと強くなる人ともっと弱くなる人がいます。試練に遭うと神様から離れて堕落してしまう人ともっと神様に近づく人がいます。イエス様は十字架の死という試練を通して復活の栄光に至りました。今年を顧みる皆さんにも様々な試練や苦しみがあったと思います。しかし、その試練や苦しみは決して無駄なものではありません。私たちはそれを通して自分を省み、神様に目を向けるようになったからです。神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています(ローマ8:28)。神様は試練の中で主を呼び求める者に言い尽くせない平安と慰めと恵みを与えてくださいます。

 ところが、彼らがベツレヘムにいる間に、どんなことが起こりましたか。6、7節を見ると、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産みました。それで、布にくるんで、飼葉桶に寝かせました。宿屋には彼らのいる場所がなかったからです。イエス様は本来天と地を創造された神様です。しかし、イエス様は神の国の栄光と権威を捨てて人の姿を持って粗末な馬小屋でお生まれになりました。イエス様はご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです(ピリピ2:7)。インマヌエル、神様が私たちとともにおられる、これは私たちに対する神様の愛です。ヨハネの福音書3:16は次のように言っています。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」そうです。神様は私達を愛し、私達を罪から救うためにひとり子イエス様をこの世に送ってくださったのです。イエス様は私たちと一緒に生活するためにこの世に来られました。イエス様とともに生活する人は誰でも癒され、生かされます。イエス様の愛がその人を生かします。ホルト児童福祉会に関する話があります。韓国戦争の時、ホルトさんが出会ったほとんどの子ども達は病気にかかっていました。彼は直る見込みがある子ども達は病院に入院させて治療を受けるようにしました。そして、直る見込みがないと思われる子ども達は自分と一緒に暮らしました。ところが、意外な結果が出ました。病院に入院させた子ども達の多くは死にましたが、自分と一緒に暮らしていた子ども達はむしろ元気になったのです。ホルトさんが子ども達にできることはただ一緒に暮らすこと、抱いてあげることだけでした。愛が子ども達のいのちを救ったのです。イエス様は人となられこの世に来られました。そして、人々と罪によって病んでいる人々と一緒に暮らしました。自分を裏切る弟子達を最後まで愛してくださいました。そして、イエス様は私達の身代わりとして十字架につけられ死なれました。この時イエス様は私や皆さんの罪をご自身引き受けて、いのちをかけて神様の前に詫びられました。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)。世界のどこに罪人を愛して、そのいのちを投げ出してくれる人が他にいるでしょうか。神様は一人子をお与えになったほどに私たちを愛してくださいました。この神様の愛に触れられる人は癒され、生かされます。放蕩息子のように神様から離れた人でも父なる神様に立ち返ると神様はありのまま受け入れて抱いてくださいます。私たちを愛し、人としてお生まれになった主の愛と恵みに感謝します。

さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていました。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れました。御使いは彼らにクリスマスのメッセージを伝えてくれました。「恐れる事はありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」御使いはこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たと言いました。宗教改革をしたルターは御使いが喜んだあまり天から駆けつけて来てイエス様の誕生を知らせたと言いました。私たちもすばらしい喜びの知らせがあれば一刻も早く愛する人に伝えたいですね。同じく御使いはイエス様の誕生を一刻も早く人々に知らせたかったのでしょう。それではイエス様の誕生の知らせがなぜそれほどすばらしい喜びの知らせになるのでしょうか。

 第一に、イエス様は私達をすべての罪から救って下さるからです。世の中には多くの問題がありますが、一番大きくて深刻な問題は罪の問題です。人は罪という不治の病にかかっていて自分の心をコントロールすることができません。それで人は聖なる生活を送りたいと思いますが、心ならず罪を犯します。人々は自由意志によって罪を犯しているように見えますが、実は罪の力に捕らわれて心ならず罪を犯しているのです。人々は一度しかない人生だから、なんとか悔いのない生涯を送りたいと考えています。「人生をやり直したい」と考えている人もいます。しかし、心の中は少しも新しくなっていません。残念ながら人間は長い間、自分達の努力や行ないによって罪と戦って来ましたが、みな負けてしまいました。それで聖書は次のように言っています。「すべての人は罪を持っているので、神の栄光に輝く救いに自分で到達することができなくなってしまった。」〔現代訳ローマ3:23〕。この御言葉はすべての人々は罪人であり、人間は自分の努力や行ないによっては決して救われないことを言ってくれます。それでは人はどうしても罪から救われないでしょうか。どうしても人生をやり直せないでしょうか。いいえ。世界のベストセラーである聖書は次のように言っています。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(?コリ5:17)。救い主イエス様を信じる者は誰でも罪から救われます。そして、その人はすべてが新しくなります。20代にイエス様を信じる人は20代から新しい人生が始まります。30代にイエス様を信じる人は30代から新しい人生が始まります。その人は今まで経験したことのないすばらしい喜びがある新しい人生を出発するようになります。

 ジョン・ニュートンはアフリカの黒人を捕まえて売る奴隷船の船長でした。彼はある日激しい暴風に遭いました。船は葉っぱのように揺れ動きながら沈没し始めました。彼は暗闇の海の上で一人になりました。彼は「これから俺は死ぬ」と思っていました。その時でした。どこからか母親の切なる祈りの声が聞こえたのです。彼はその母の祈りを聞きながら気を失ってしまいました。どれほど時間が経ったでしょうか。彼はある海辺で目が覚めました。生きていたのは彼一人だけでした。その時、彼は母の祈りを思い出しました。そしてその場にひれ伏して神様に感謝の祈りを捧げました。彼の新しい人生が始まったのです。彼が神様の恵みを覚えて作った曲が「おどろくばかりの」(Amazing grace)です。「おどろくばかりの恵みなりき、この身の汚れを知れるわれに」ジョン・ニュートンはイエス様に出会い、罪の赦しを受けて新しい人生を送るようになりました。悪名高い奴隷船の船長から罪の奴隷を解放する伝道者となったのです。彼は黒人奴隷解放の基礎を作った人となりました。イエス様は私たちを罪から救い出し、新しい人生を送るようにしてくださる救い主です。

 第二に、イエス様は私達を死の恐怖から解放してくださる救い主です。生きて行くうえで絶対誰もが出会う出来事があります。それは死ぬことです。人類歴史上一番大きな悲しみであり、悪い知らせは人間が罪を犯した結果、死ぬようになったことです。「罪から来る報酬は死です。」「あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」これは罪を犯した人に下られた死刑宣告です。人が一生懸命に努力して社会的な地位や名誉や権力や富を得たとしても死ぬとすべてが無に等しいものです。聖書は「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」と言っています(マタイ16:26)。人は死の前でどれほど無力な存在でしょうか。死の恐怖はどれほど恐ろしいものでしょうか。死は人々から平安を奪ってしまいます。死は人々に虚しさと悲しみ、恐れを与えます。死は最愛の者をさえ、奪ってしまう冷酷なものです。誰も死を避けることができません。誰も死の力に打ち勝つことができません。

しかし、イエス様は次のように言われました。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」(ヨハネ11:25,26)。私達の罪のために十字架につけられ死なれたイエス様は、死の力に打ち勝ち三日目によみがえられました。よみがえられたイエス様は私たちを死の恐怖から解放してくださいます。死の力を打ち破られたイエス様だけが私達に真の勝利を与えてくださいます。ですから信仰を持っている人は死を恐れません。人はどのように死ぬかを見るとその人がどんな人生を送ったかがわかるそうです。死ぬ時に苦しみと悲しみの顔をして死ぬ人と平安の顔をして死ぬ人がいます。ステパノは人々から石で打ち殺される時にも聖霊に満たされてその顔は輝いていました。彼は、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエス様とを見ていたからです。彼は自分を殺す人々のためにひざまずいて、大声でこう祈りました。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」(使徒の働き7:55-60)。このようにイエス様は私たちを死の恐怖から解放し、幸せな人生を送るようにしてくださいます。私たちを死の恐怖から解放してくださった主の御名をほめたたえます。

 「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」救い主イエス様は「きょう」私達のためにお生まれになりました。イエス様の誕生は二千年前の昔話ではありません。イエス様はきょうここに集まっている私達のためにお生まれになりました。イエス様は私たちを罪から救うためにお生まれになりました。イエス様は私たちを死の恐怖から解放するためにお生まれになりました。ですからきょう、この時間、イエス様を自分の救い主として迎え入れる人は罪と死から解放されます。その人は今まで経験したことのないすばらしい喜びがあるクリスマスを迎えるようになります。ですから、イエス様を信じることはすばらしいことです。きょう、この時間クリスマス礼拝に参加しているすべて方々がこの救い主、イエス様を心の中に迎え入れることができるように切にお祈りいたします。

 13,14節は次のように言っています。「すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。『いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。』」なぜイエス様の誕生が神様には栄光となりますか。イエス様が来られることによって数千年間計画された神様の救いの計画が完成されるからです。イエス様が十字架にかかられ、私たちの罪を贖い、救いを完成されたからです。それではなぜイエス様の誕生は人々には平和となりますか。イエス様が神様と人間を和解させて下さるからです。人々は罪を犯したゆえに神様に敵対し、神様から離れました。しかし、イエス様を救い主として受け入れた人々は神様と和解するようになります。この世は憎しみと争い、テロと報復と戦争が続いています。しかし、イエス様は神様と人間、人間と人間の間にまことの和解の御業を成し遂げられます。神様の平和はイエス様の誕生を喜び、受け入れる人に臨まれます。イエス様を受け入れて神様と和解し、人々と和解することができるように祈ります。

 神様であられる方が人となられこの世にお生まれになりました。これがクリスマスです。イエス様は私達の悲しみ、苦しみを知っておられ、心の傷を癒してくださいます。救い主イエス様は私達を罪と死から救ってくださいます。これこそこの民全体のためのすばらしい喜びの知らせです。どうかきょう、この時間クリスマス礼拝に参加しているすべての方々に救い主イエス様の誕生によるすばらしい喜びが与えられるようにお祈り致します。

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