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97-15 借りた家で

投稿者: Jubfadmin 掲載日: 2004/12/23 (2394 回閲覧)
1998年 使徒の働き第15講

 

借りた家で

 

御言葉:使徒の働き27,28章

要 節:使徒の働き28:30,31

「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」

 

先週、私たちはイスラエルの希望について学びまました。イエス様こそがイスラエルの希望、私たちの真の希望です。それはイエス様だけが死の力を打ち破り、よみがえられたからです。パウロはこのキリストを当時の世界の中心地であるローマにも伝えなければならないというビジョンと確信を持っていました。そのビジョンのとおりに彼はローマに導かれ、そこで福音のみわざに励みました。今日は大きなビジョンを持ってローマに到着したパウロが何をしたのかを学びたいと思います。

?.ローマに向かって(27:1-28:15)

1、2節をご覧ください。パウロたちがイタリヤヘ行くことが決まったとき、パウロとほかの囚人たちはユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡されましたが、彼らはアジヤの沿岸の各地に寄港して行くアドラミテオの船に乗り込んで出帆しました。翌日、シドンに入港し、またキリキヤとパンフリヤの沖を航行してルキヤのミラに入港しました。そこで、イタリヤへ行くアレキサンドリヤの船があったので、それに乗り換えしました。この船は当時エジプトとローマを往来しながら穀物を運ぶ船でした。当時、船に乗ることはいつも危険が伴われました。なぜなら当時は、今のような天気予報もなく、羅針盤さえなかったからです。ですから、彼らはとても難しい船旅をしてようやく「良い港」と呼ばれる小さな港に着きました。かなりの日数が経過してから、その港を出発しようとした時、パウロは、一行が下船した「良い港」で冬を過ごすように警告しました。断食の季節もすでに過ぎていたため、もう航海は危険であったからです。断食の季節とはユダヤ教のあがないの日のことですが、毎年十月上旬に行われました。ですから、その時は十月の下旬か十一月になっていたはずです。ところが、当時の航海経験に従えば、九月以後の航海は成功しにくく、特に十一月には船旅は不可能とされていました。それで、パウロは出発しないように警告したのです。彼は今までにも難船の経験が何度もあるし、一昼夜海上を漂流したこともありました(?コリント1:25)。だから本職の船乗りから見ればしろうとでも、経験と祈りに基づく彼の意見は尊重されるべきでした。しかし、百人隊長は神様のしもべパウロの意見より航海士や船長の言うことの方を信用しました。結局、彼らの航海はどうなりましたか。出発の時は、ちょうどクレテ島の海岸に沿って航行するのに必要な南風がふいてきたので、良いチャンスだと思いました。ところが、間もなく、パウロの心配は的中しました。突然、何の前兆もなしに、ユーラクロンと言われている暴風が襲ってきました。船はこの嵐のために苦しめられましたが、クラウダという小島の陰に難を逃れ、ようやくのことで小舟を処置することができました。しかし、その翌日になっても嵐は収まりそうもなく、彼らは積荷を捨てはじめました。三日目に人々は、ついに自分の手で船具まで投げ捨てざるを得なくなりました。しかし、これらのことをしても、事態は少しも好転しませんでした。20節をご覧ください。「太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた」とあります。彼らに救いの望みはなくなってしまったのです。この姿は人生航海において生きる目標を失い、絶望的な状況の中で挫折し、さまよっている姿と同じです。信仰の人パウロの話を聞かなかった彼らは絶望的な情況の中で食事もできず、生きる意欲を失っていました。私たちも時には信仰の人の言葉より、合理的に聞こえる世の人々の言葉をもっと信頼して従います。しかし、それは愚かなことであるのが分かります。

パウロは食事ものどを通らないほど失望している彼らの前に立ちました。すべての人がみな絶望している時、パウロは絶望しませんでした。おそらく、みなが絶望し、落胆している間、パウロは神様に頼って祈り、神様の御声を聞いたことでしょう。彼は信仰によって立って絶望の中にいる彼らに望みを与えて励ましました。「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。 しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。」(21、22)また、彼は神様を証しし、救いの約束の御言葉を証ししました。「 昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、 こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』 ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。 私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」(23-26)

ここで、見ると、神様は、その選ばれたしもべとともにおられ、彼の生命を保護されました。神様は危機の時にパウロに現れて励まし、力づけてくださいました。「あなたは必ずカイザルの前に立ちます。」と言われました。彼のいのちを救ってくださることを約束されました。神様は絶望の中にいる者に希望になってくださいました。そして、パウロの頼れる巌となり、艱難から逃れる避け所になってくださいました。神様はすべての生命の主観者であられます。この神様がパウロのいのちを艱難の中からも目のひとみのように守ってくださいました。それはパウロが神様に仕えていたからです。

私たちが生きていくうえで、ユーラクロンのような突風にあうことがしばしばあります。そのために、どうしたらよいかわからなくなるような、絶望的な窮地に追い込まれることもあるはずです。それが人生であり、現実の社会だと言うこともできるでしょう。そして、病気、事業破産、交通事故など、全く予想できなかった突風にあったとき、絶望し、挫折します。しかし、神様に仕えている者はそういう情況の中でただ失望に陥るのではなく、そのただ中に立ち上がることができます。パウロは「私の主、私の仕えている神」として告白しています。普段仕えていなかったら、いざという時神様の保証、神様の助けを信じることは難しいことでしょう。しかし、日ごろ、神様に仕えている者は、危機の時にも神様の御名を呼ぶことができるし、信仰によって立ち上がることができます。何よりも、神様に仕えている者は神様が責任を持って保護してくださいます。すべてのことを働かせて益としてくださいます。ですから、この神様を信じて神様に仕えている私たちはどんな情況の中でも絶望することなく、勝利の生涯を過ごすことができます。また、神様はパウロのいのちだけを救われたのではありません。神様は「あなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。」と言われました。神様はパウロのいのちとともに同じ船に乗っている人々をみな救ってくださいました。真実に神様に仕えている1人の人が真に使命を成し遂げようとし、信仰に立つとき、その人のゆえにまわりの人々までも救いの恵みにあずかることができるようになったのです。

27-30節をご覧ください。暴風が起こってから十四日めの夜に、水夫たちは前方で砕ける波の音を耳にし、ようやく陸地に近づいたことを感じました。真夜中で何も見えなかったので、暗礁に乗り上げないように気遣いながら夜が明けるのを待つことにしました。ところが、水夫たちは船首からいかりを下ろすように見せかけて小舟を海に下ろしました。彼らはやみに乗じて逃げ出そうとしたのです。パウロはすぐに彼らの計画を見破りました。そして、もし水夫がいなくなったら船が海岸にたどりつくすべを失ってしまうと百人隊長に警告しました。そこで、兵士たちは、すぐに小舟をつないでいた綱を断ち切り、水夫たちの逃亡を防ぎました。ここで、見るとパウロの位置が変わっているのが分かります。出発の時、パウロの姿はみすぼらしい囚人にすぎませんでした。彼の言葉は無視されてしまいました。しかし、今のパウロはその船の指揮者であり、百人隊長は彼の助手になりました。それだけではありません。パウロは彼らの牧者になっていました。33―35節をご覧ください。「ついに夜の明けかけたころ、パウロは、一同に食事をとることを勧めて、こう言った。「あなたがたは待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして、十四日になります。ですから、私はあなたがたに、食事をとることを勧めます。これであなたがたは助かることになるのです。あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません。こう言って彼はパンを取り、一同の前で神様に感謝をささげてから、食べはじめました。パウロは神様の守りに対する確信を持っていましたが、それだからと言って、人間側から何もしなくて昼寝したのではなかったのです。つまり、人々にも食べることを勧め、そして自分も食べることによって、これからどんな事態が起こってもそれに対する対処できるように、十分備えておくべきことを示したのです。神様の約束と守りを信じて生きるというのは、今置かれている生活を最善に生きることです。そこで、彼らは元気付けられ、みなが食事を取りました。十分食事をしてから、船荷の穀物を海に投げ捨てて、船をできるだけ軽くしました。

すっかり夜が明けて、陸地が見え始めましたが、それが何という島か全く分かりませんでした。しかし、入り江が目に留ったので、船をその入り江に入れて砂浜に上陸しようとしました。しかし、突然、船の船首がめり込んで動かなくなり、船尾の方は激しい波にたたかれて壊れはじめました。その時、兵士たちはこのどさくさの中で囚人たちが逃げるのを恐れて彼らを殺してしまおうと相談しました。彼らは囚人たちを殺すことによって護送の責任を果たそうとしました。しかし、百人隊長はあくまでもパウロを助けようとしたためにその計画をやめさせました。そして、泳げる者がまず海に飛び込んで陸地に上がるように、それから残りの者は、板切れや、その他の、船にある物につかまって行くように命じました。こうして、彼らはみな、無事に陸地に上がりました。もし、パウロが同船していなかったら、他の囚人たちは命を奪われてしまったはずです。しかし、パウロのローマ行きを実現させようとする神様の特別な顧みのゆえに、奇跡的に全員が「無事に陸地に上がった」のです。

彼らが上陸した所は、「マルタと呼ばれる島」でした。幸いなことにこの島の人々は、寒さに震えている彼らのために火をたいて皆をもてなしてくれました。その燃え盛る火は、パウロたちの体を暖めてくれただけなく、疲れているパウロたちの心までも温かくしてくれたことでしょう。ところが、熱気にたまりかねたまむしがはい出して来てパウロの手に取り付いてしまいました。迷信深い島の人々はそれを見て、「この人はきっと人殺しだ。海からは逃れたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ」と互いに語り合いました。しかし、パウロには何の変化も現れませんでした。すると、今度は人々の態度も一変して、「この人は神様だ」と言い出しました。この出来事は、イエス様が約束された御言葉を確実にしてくれます。「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」(マルコ16:17、18)

パウロたちは、この島に三ヶ月とどまりました。ようやく冬も去って航海を再開してナポリ湾のポテオリに入港しました。ポテオリはローマの港です。パウロはついに、世界の首都、不滅のローマの入り口に立ったのです。パウロの心に興奮を覚えずにはいられなかったに違いないと思います。取るに足りぬ天幕づくりの男が、この世界の最大の都市に運ばれて来たのです。今度だけは、パウロの心にもたった一人でローマと立ち向かうのだという感慨があったに違いなかったことでしょう。

?.ローマの借りた家で(28:16-31)

いよいよ使徒の働きの結びの部分を迎えました。振り返ってみると、著者ルカは本書の後半約三分の二を費やしてパウロの伝道の足跡をたどっています。しかし、本書は、偉大な使徒パウロの最期にはふれることなく、ただ福音が首都ローマに及び、そこでの宣教が自由に行われるようになったことを述べて閉じられます。ではどのようにして福音がローマに宣べ伝えられて行きましたか。

パウロはローマに入ると、「番兵付きで自分だけの家に住むことが許され」ました。おそらく、総督フェストの書状もパウロに有利なことが書いてあったと思われるし、船中でパウロがどんなに大きな貢献をしたかが百人隊長から報告されたとも考えられます。いずれにしても主の福音のために信仰によって生きているパウロを主が保護し、導いておられることがわかります。パウロはローマに着いてから3日後にユダヤ人のおもだった人たちを呼び集めて自分がローマに来るようになったいきさつを説明しました。特に彼が強調したことは、「私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです。」ということです。ユダヤ人たちはパウロが鎖につながれていたのでみすぼらしく、苦しい人のように見たはずです。しかし、パウロはイスラエルの望みのために鎖につながれていることを光栄に思いました。イスラエルの望みは先週26章で学んだとおりにイエス・キリストです。彼はイエス様のために鎖の使徒になったことを誇りにしていました。そして、彼はローマのユダヤ人たちに朝から晩まで福音を語り続けました。その説教の中心は第一に神の国についてであり、第二は旧約聖書に基づいてイエス様が救い主であることを証しすることでした。イエス・キリストは神の国の現れであり、神の国、すなわち神の支配は、イエス・キリストにおいて実現化したからです。ところが、ユダヤ人たちはパウロの期待とは違って心の門を開きませんでした。ある人々は福音を信じましたが、大部分の人々が信じようとしませんでした。パウロは鎖につながれている囚人の身ですが、それでも同族に福音を伝えたのに、全く受け入れない同胞たち見た時、どんなに心を痛めたことでしょう。しかし、彼はイザヤ預言者の預言の御言葉をつかんでその問題を解決しました。そしてはっきりとユダヤ人たちに言いました。「聖霊が預言者イザヤを通してあなたがたの先祖に語られたことは、まさにそのとおりでした。『この民のところに行って、告げよ。あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。」(25-28、イザヤ6:9、10)パウロはイスラエルの民がその福音を受け入れようとしないことで深く悩みましたが、異邦人を救おうとされる神様の望みを新たに受け入れて異邦人宣教の方向をつかみました。こうして選民イスラエルは捨てられ、神様の救いの計画は異邦人へと向けられて行きます。

ではパウロは牢獄の中でどのように福音のみわざに仕えましたか。

30、31節をもう一度ご一緒に読んでみましょう。「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」パウロは満二年の間自費で借りた家に住みました。この借りた家は自費で借りた家ですが、それでも番兵付きの監獄でした。パウロはそこでたずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えました。パウロがあれほど切に願っていたローマ宣教は、とうとうここに実現しました。しかも、「少しも妨げられることなく」伝道できることは、パウロにとって奇蹟としか言いようのない快挙であったに違いありません。振り返ってみれば、ユダヤでの伝道にしてもアジヤおよびヨーロッパでの伝道にしても、妨害のなかったことはなく、まさに妨害との血みどろの戦いの連続でした。それなのに今、世界にその文化と政治と軍事力を誇るローマ帝国の真ん中でしかも囚人の身でありながら自由に伝道できるようになったのです。

また、私たちは借りた家でのみわざを通して二つのことを学ぶことができます。

第一に、外的な状況にはばからず、妨げられることない福音のしもべの姿勢です。パウロは獄中にいました。自由に訪問したり、フィッシングすることもできません。さらに、囚人の身でした。しかし、彼はこのような状況の中でも少しも萎縮されませんでした。彼は外的な悪条件を克服し、与えられた条件の中で最善を尽くして福音を伝えました。そうした時、彼の体は縛られていましたが、福音は少しもはばかれることなく、親衛隊を始め、ローマの全地域に広がっていきました。福音は外的な条件よりも忠実の福音のしもべとしての姿勢を持っている人を通して伝えられて行きます。ですから、福音のみわざにおいて最も大切なのは環境ではなく、福音を伝えるしもべの信仰と姿勢です。パウロは、この二年の獄中生活の中で「エペソ人への手紙」「コロサイ人への手紙」「ピリピ人への手紙」「ピレモンへの手紙」執筆して自分が開拓した教会を助け祈りによって仕えました。

第二に、神様が喜ばれる福音のみわざの方法です。パウロはローマ征服という大きなビジョンを持っていました。しかし、彼がローマに行って実際に行なったのは、借りた家で聖書勉強を約束して聖書勉強に励んだことです。それは彼が見た幻に比べればとてもちっぽけな働きでした。燃え上がっていた彼のビジョンを考えれば、彼がやっている働きはとてもみすぼらしく見えます。しかし、使徒パウロが借りた家で仕えた1:1のみわざは一番大きく偉大な福音のみわざでした。神様が全人類を救うみわざを具体化される時にも信仰のしもべアブラハム一人を召されて始められました。イエス様も人類救いの幻を持って働かれましたが、実際には12弟子、その中でもペテロ一人を信仰に人として育てられることでした。神様の救いは人の救いです。世界万民の救いも一人の救いから始まります。一人を救い、育てる1:1弟子養成の方法は神様の方法であり、私たちの救い主イエス・キリストのの方法なのです。パウロが借りた家で始めた1:1のみわざはAD313年にローマをキリスト教を国教に定めるに至らせました。ローマは福音によって征服されたのです。

結論、著者ルカは使徒の働きの結びを「こうして」ということばで要約しています。「こうして」ということばは、どうしてそうなったのかというそのわけ、その理由を説明するための接続詞です。使徒の働きは、どのようにして教会が生まれ、どのように世界宣教のみわざが進められて行くようになったのか、その経路といきさつを明らかにしようとするものなのです。従って使徒の働きの結論はありません。こうして世界の首都、世界の中心地、ローマに福音が伝えられ、世界に広がって行くようになったのです。そしてその働きは20世紀の歴史に続いて来て今日私たちまで続けられているのです。取るに足りない私たちを使徒の働きのみわざに用いてくださる主の恵みを感謝します。時に私たちを世界の中心地東京の真ん中で1:1弟子養成のみわざに用いておられる神様の働きをほめたたえます。そして、私たち一人一人がパウロのような福音精神と信仰の持ってこの時代、使徒の働きのみわざに主役として用いられるように祈ります。

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