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97-7 ほふって食べなさい

投稿者: Jubfadmin 掲載日: 2004/12/23 (2604 回閲覧)
1998年使徒の働き第7講

 

ほふって食べなさい

 

御言葉:使徒の働き9:32?11:18

要 節:使徒の働き10:13

「そして、彼に、『ペテロ。さあ、ほふって食べなさい。』という声が聞こえた。」

 

私たちは先週のメッセージを通してイエス様が迫害者サウロを異邦人の使徒として選ばれ、異邦人宣教の基礎を置かれたことを学びました。今日の御言葉は聖霊がエルサレム教会の最高の指導者であるペテロによって異邦人コルネリオに福音を伝えさせる出来事です。それによってエルサレムから始まった福音のみわざはますます世界に向かって広がるようになりました。今日の御言葉を通して世界宣教を願われる神様の御旨を悟り、世界宣教のみわざに用いられるように祈ります。

 

?。ペテロに臨んだ幻(9:32?10:16)

 

9:32?43節まではあらゆる所を巡回しながら福音の能力を行うペテロが出ています。彼はルダで、八年の間も床に着いているアイネヤという人に出会いました。彼は中風でした。ペテロは彼に「アイネヤ。イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのです。立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。」と言いました。すると彼はただちに立ち上がりました。これはまるでイエス様が中風の人を癒されたことと同じです。ルダとサロンに住む人々はみな、アイネヤを見て、主に立ち返りました。またヨッパでは死んだタビタという女の弟子を生き返らせました。彼女は、多くの良いわざと施しをしていました。ペテロはみなの者を外に出し、ひざまずいて祈りました。そしてその遺体のほうを向いて、「タビタ。起きなさい。」と言いました。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起き上がりました。これはイエス様がヤイロの娘に「タリタ・クミ。」と言われ生き返らせたことと同じです(マルコ5:41)。このことがヨッパ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じました。ペテロはどのようにしてこのような能力を行うことができたのでしょうか。それは彼が全幅的にイエス・キリストの力に頼ったからです。ペテロはアイネヤを癒した時、「私があなたをいやす」ではなく、「イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのです。」と言いました。また、タビタを生き返らせる時もひざまずいて祈りました。彼はこのように徹底的に主イエス・キリストの力に頼りました。彼がこのように主に頼った時にあらゆるところで影響力を及ぼす神様のしもべとなりました。しかし、彼の働きの範囲はイスラエル地域を越えていませんでした。それで神様は彼を世界的な福音の働き人として用いるために広い世界に導こうとされました。そのためにはまず彼の心の奥底にあるユダイズムを取り壊さなければなりませんでした。

10章は、教会歴史上、大きな転機を示すところです。それは異邦人が初めて教会に仲間入りをゆるされているからです。10:1節をご覧ください。カイザリヤにコルネリオという人がいて、イタリヤ隊という部隊の百人隊長でした。彼は武力によって世界を支配しているローマの百人隊長だったので相当な権威を持っている人でした。彼はどんな人でしたか。2節をご覧ください。彼は敬虔な人で、全家族とともに神様を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神様に祈りをしていました。彼は神様を恐れる人でした。また、彼は植民地の人々を愛し、多くの施しをしました。彼の施しは人々の歓心を買うためにする政治的な意図がありませんでした。彼は彼らを心から愛していたのでそのように施しをしました。また、彼はいつも祈る人でした。彼はあらゆる面で立派な人でした。しかし、彼は福音を知りませんでした。福音を知らない彼の心には真の平安と喜びがありませんでした。神様は彼の施しと祈りを受け入れられ、彼に福音を知らせようとされました。そのために神様は御使いを遣わし、幻の中で、ヨッパに人をやって、シモンペテロを招くように言われました。御使いが彼に語って立ち去ると、コルネリオはそのしもべたちの中のふたりと、側近の部下の中の敬虔な兵士ひとりとを呼び寄せ、全部のことを説明してから、彼らをヨッパへ遣わしました。

その翌日、この人たちが旅を続けて、町の近くまで来たころ、ペテロは祈りをするために屋上に上りました。昼の十二時頃でした。すると彼は非常に空腹を覚え、食事をしたくなりました。ところが、食事の用意がされている間に、彼はうっとりと夢ごこちになりました。見ると、天が開けており、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来ました。ペテロは神様が自分のお腹がすいているのを知っておられ、自分が好きなすき焼き、焼き肉、寿司を送ってくださるかなと思い、中を覗いて見ました。ところが、これは何と言うことでしょうか。その中には、地上のあらゆる種類の四つ足の動物や、はうもの、また、空の鳥などがいたのです。その中には旧約で汚れていると定められていた豚、こうもり、とかげ、もぐら、とびねずみ、ふくろう、カメレオンのようなものがいっぱい入っていました。ペテロはこのようなものは見るだけでも吐き気が出るほどでした。ペテロはもう食欲もなくってしまいました。その時彼に、「ペテロ。さあ、ほふって食べなさい。」という声が聞こえました。ペテロは驚いて言いました。「主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」

ペテロの答えは典型的なユダヤ人としての答えでした。ユダヤ人は神様に選ばれた民です。神様が彼らを選ばれた理由は彼らを通して世界の人々を救うためでした。ですから彼らは神様の御旨を悟り、世界の人々のために祈り、彼らに真の神様を知らせるべきでした。しかし、彼らは神様に選ばれたことを誇り、異邦人を排斥しました。彼らとはつき合いませんでした。神様は自分達だけを愛していると思いました。

このような選民の思想以外にユダヤ人をユダヤ人らしくしたのが律法でした。ユダヤ人は律法によって徹底的に訓練された民族です。ユダヤ人は子供達が未来の希望だと思い、子供の教育に励みました。彼らは家で子供の時から徹底的に律法を教えました。父親は夕食の後には必ず子供達に聖書とタルムドを教えましたが、それは神様に対する義務でした。子供達は幼い時から厳しい律法を守るように教えられました。もちろんレビ記11章に出ている汚れたものには触れたり、食べたりしないように教えられました。ユダヤ人の生活の中心は律法でした。それによって訓練された彼らはどこに行って住んでも選民として姿勢を失いませんでした。しかし、一方では強い自己義を持つようになりました。使徒パウロはローマ人への手紙10:2、3節でユダヤ人の問題を次のように取り上げています。「私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。」彼らは律法によって形成された自分自身の義のゆえにイエス・キリストを信じる信仰による神様の義に従うことができませんでした。結局彼らは自分の義のゆえに福音を受け入れることができず、神様の御心に逆らいました。

また、彼らには律法があったので道徳的にきよい生活をしました。反面律法のない異邦人は肉の欲と感情に従って道徳的に堕落した生活をしました。そのためユダヤ人は異邦人を犬や豚のように蔑視しました。彼らは異邦人とつき合うことを禁じていました。このような排他的な民族性のゆえに彼らは行く先々に迫害を受けました。

彼らは神様がユダヤ人だけを特別に愛しているので彼らを選び、救いの恵みを施してくださると思いました。このような選民意識がユダイズムです。このようなユダイズムは根本的に自己中心的なものです。それは人を狭くて排斥的な心を持つようにします。

ペテロも一人のユダヤ人としてこのようなユダヤニズムを持っていました。彼は一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがないから神様が食べなさいと言われた物を絶対的に食べるまいと思いました。ペテロは異邦人は汚れたものと呼んでいました。

このような彼に、再び声がありました。10:15節をご覧ください。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」こんなことが三回あって後、その入れ物はすぐ天に引き上げられました。神様が三回もそのようになさったのはそれが非常に大切なことだったことを言ってくれます。神様はペテロを世界的な福音の働き人とするために彼が持っているユダイズムを取り壊すために繰り返して言われたのです。

福音は全世界的な性格を持っています。神様はアブラハムを召される時にも「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創12:3)と言われました。イエス様は弟子達に「あらゆる国の人々を弟子としなさい。」(マタイ28:19)と命じられました。福音が全世界的なものですから福音を伝える人も全世界的な人にならなければなりません。世界のどんな国の人々でも受け入れる広い心を持たなければなりません。しかしペテロはユダヤニズムという狭い世界に閉じ込められていて異邦人を受け入れることができませんでした。神様は彼に幻を見せてくださり、彼が世界の人々を受け入れる世界的な主の働き人となるように助けてくださいました。

今日も神様は私たちに大きな御旨を置かれ、育てておられます。去年パイオニアチームの牧者達や宣教師達は韓国の訪問、アメリカで行われたMSU国際夏修養会に参加することができました。それを通して世界の多くのクリスチャンに出会い、交わりができました。彼らは言葉も国も皮膚の色も違いましたが、同じクリスチャンだと言うことですぐ一つの家族のように親しくなることができました。神様はそれを通して私たちが心を広くして世界を見るようにしてくださいました。神様は東京UBFを最初から世界宣教のみわざに用いてくださいました。神様は東京UBFを通してPNGにバイ・マタイ宣教師を、LAに真理ロペズ宣教師を派遣してくださったのです。これは神様が21世紀、この国、日本を世界宣教のみわざに用いるために用意しておられることだと思います。そのただ中に私たちを召されました。神様は私たちにも大きな御旨を置かれて召されました。私たちが神様の御旨を悟り、世界の人々のために祈り、彼らに仕えることができるように祈ります。そのためには「さあ、ほふって食べなさい。」という神様の御言葉を受け入れなければなりません。私たちは自分が好きな食べ物だけを好むように自分が好きな人、自分が好きな国に行くことを願う心があるかも知れません。それでペテロのように「主よ。それはできません。」と拒否するかも知れません。しかし神様は私たちが何でもよく食べる人になることを願われます。

入れ物の中にある汚れた動物は異邦人を象徴しています。また、神様がきよめたというのは異邦人も信仰によって義と認められることを意味します。神様の義はユダヤ人でも異邦人でも差別なしにただイエス・キリストを信じる信仰による義です。この神様の義は神様の哀れみによるものです。人間はアダムの犯罪以後自分の努力によっては救いを得ることができなくなりました。いくらよい行いをし、まじめに生活をしてもそれが救いを得る条件にはなれません。神様はこのような人々をあられみ、イエス様をこの世に送ってくださいました。そして、イエス様は私たちを罪から救うために私たちの身代わりとなって死なれました。神様は誰でもこのイエス様を信じる信仰によってどんな汚れた罪もきよめてくださいます。それにはユダヤ人と異邦人に差別がありません。誰でも自分の罪を言い表すなら神様はその人の罪を赦し、すべての悪からきよめてくださいます。ですから神様がきよめた人を、きよくないと判断したり、罪に定めたりすることができません。神様はこの福音をペテロが受け入れるように幻を見せてくださいました。それによって彼が異邦人コルネリオに福音を伝える心の用意をなさいました。

 

?。コルネリオに伝えたペテロのメッセージ(17?48)

 

ペテロが、いま見た幻はいったいどういうことだろう、と思い惑っていると、ちょうどそのとき、コルネリオから遣わされた人たちが、訪ねてきました。その時御霊が彼に「見なさい。三人の人があなたをたずねて来ています。さあ、下に降りて行って、ためらわずに、彼らといっしょに行きなさい。彼らを遣わしたのはわたしです。」と指示しました。そこでペテロは、その指示に従ってコルネリオの家に行くようになりました。それによってユダヤ人ペテロと異邦人コルネリオの歴史的な出会いが成し遂げられました。ペテロとコルネリオの間には民族の壁、身分の壁、文化の壁、思想の壁、言葉の壁など多くの壁がありました。彼らはその壁のゆえに絶対に会えない人々でした。しかし、聖霊は彼らがこのようなすべての壁を乗り越えてキリストの中で会うように仲介してくださいました。キリストにあってすべての障害物が取り壊されました。彼等は聖霊の仲介によって友達になることができました。コルネリオは、親族や親しい友人たちを呼び集め、ペテロを待っていました。ペテロが着くと、コルネリオは出迎えて、彼の足もとにひれ伏して拝みました。彼は先進国の人であり、支配国の百人隊長でしたが、自分を低くしてペテロを神様のしもべとして迎えました。するとペテロは彼を起こして、「お立ちなさい。私もひとりの人間です。」と言いました。それから、彼らは聖霊がどのように導いたかを話し合いました。

この出来事を通してペテロは神様と福音に対して新しい事実を悟るようになりました。34,35節をご覧ください。「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行なう人なら、神に受け入れられるのです。」彼は神様は人の心をご覧になる方であり、ユダヤ人の神様だけではなく異邦人の神様でもあることを悟りました。これは当たり前な話のように聞こえるかも知れませんが、ユダヤ人であるペテロにとっては驚くべきことでした。また、彼は36節で「神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。」と言いました。イエス様はすべての人の主であり、イエス・キリストの福音は神様と人間、人間と人間の間を和解させる福音であることを悟ったのです。人間は罪を犯して神様と不和の状態になりました。しかし、罪の赦しによって神様との隔たり、敵意、そして恐怖は過ぎ去りました。それだけではなく人と人の間には不信感と反目、ねたみと憎しみがあって絶えず争っています。この世は民族と民族の争い、人種との争い、身分間の争い、地域間の争いなどでいつも緊張しています。その中には真の平和がありません。福音はこのようなすべての争いをなくして一つにならせる力があります。福音の中ではすべての壁が取り壊され、真に一つになることができます。

ペテロはコルネリオに福音を伝え始めました。彼はまずイエス様の美しい生涯を話しました。イエス様はヨハネが宣べ伝えたバプテスマの後、ガリラヤから始まって、ユダヤ全土を巡り歩いて良いわざをなさいました。神様はイエス様に聖霊と力を注がれました。このイエス様は、神様がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。ユダヤ人はこのイエス様を十字架にかけて殺しました。しかし、神様はこのイエス様を三日目によみがえらせ、現われさせてくださいました。復活されたイエス様は前もって選ばれた弟子達を復活の証人として立てられました。そして彼らに命じて、このイエス様こそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神様によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われました。このイエス様を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けることができます

ペテロはユダヤ人には主に復活と悔い改めのメッセージを伝えました。しかし異邦人コルネリオにはイエス様の美しい生涯、イエス様の十字架と復活、裁き、罪の赦し、すなわち、福音の全般的な内容を伝えました。ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになりました。割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚きました。

11:1?18節にはエルサレムのクリスチャン達が異邦人の間に起こった聖霊のみわざを認める場面が出ています。使徒たちやユダヤにいる兄弟たちは、異邦人たちも神様のみことばを受け入れた、ということを耳にしました。そこで、ペテロがエルサレムに上ったとき、割礼を受けた者たちは、彼を非難して、「あなたは割礼のない人々のところに行って、彼らといっしょに食事をした。」と言いました。そこでペテロは口を開いて、事の次第を順序正しく説明して言いました。そして結論的に「こういうわけですから、私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」(17)と言いました。すると、人々はこれを聞いて沈黙し、「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ。」と言って、神様をほめたたえました。それによって神様はエルサレム教会の使徒達やクリスチャン達のユダイズムを取り壊してこれから起こる異邦人宣教のみわざを支援できる基礎を置かれました。

結論的に、神様はペテロに大きな御旨を置かれ彼を世界的な福音のしもべとして用いようとされました。しかし、彼はユダイズムのために神様の御旨を悟ることができませんでした。彼のユダイズムは世界宣教の障害物でした。神様はこのような彼のユダイズムを取り壊すために幻の中で彼に現れ、「さあ、ほふって食べなさい。」三度も言われました。神様は今日も私たちに大きな御旨を置かれて働いておられます。神様は私たちが心を広げて世界を見るように願われます。私たちが神様の大きな御旨を悟り、世界宣教のみわざに用いられるように祈ります。

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