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BibleMsg > 使徒の働き > 97-1 世界宣教の使命をお与えになったイエ様

97-1 世界宣教の使命をお与えになったイエ様

投稿者: Jubfadmin 掲載日: 2004/12/23 (2388 回閲覧)
1997年使徒の働き第1講


世界宣教の使命をお与えになったイエス様
御言葉:使徒の働き1:1?26
要 節:使徒の働き1:8

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

 「使徒の働き」は「聖霊の働き」とも言われるように、使徒が働いたことよりも、使徒を通して聖霊がどのように働かれたかということを記しています。使徒の働きはルカがルカの福音書の後編として使徒達の働きを記録した本です。ルカはイエス様から始まった福音のみわざが使徒達によってどのように継承され、広がったかを記録しています。今日の御言葉を通してイエス様が使徒達に与えられた世界宣教の命令と宣教の命令を受けた使徒達がどのように聖霊の器を作ったかを学びたいと思います。

?。聖霊のバプテスマを受けるからです(1ー5)

 1、2節をご覧ください。「テオピロよ。私は前の書で、イエスが行ない始め、教え始められたすべてのことについて書き、お選びになった使徒達に聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。」ルカは福音書でイエス様が行なわれたこと、教えられたこと、そして、イエス様の十字架の死と復活、弟子達に使命を与えて天に上げられたことまで書きました。それではイエス様はよみがえられた後、何をされましたか。3節をご覧ください。「イエスは苦しみを受けた後、四十日間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒達に示された。」「苦しみを受けた後」とはイエス様が十字架につけられ死なれ、三日目によみがえられた後です。イエス様は私達の罪のために多くの苦しみを受けられました。あざけられ蔑視されました。呪いの象徴である十字架につけられ言い様もない苦しみを受けられました。イエス様は罪人を救うためにこのような苦しみを受けられたのです。しかしイエス様は全能の神様の力によって三日目に死者の中からよみがえられました。ところが弟子達はイエス様の復活を信じようとしませんでした。イエス様の復活は彼らの理性によってはとうてい信じられない出来事でした。彼らの頭の中には十字架につけられ死なれたイエス様の姿だけが生々しく残されていました。自分達の目の前に現われたイエス様がもし幽霊ではないかと疑いました。それでイエス様は四十日間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒達に示されました。イエス様は恐れに捕われていた弟子達に現われて平安を与え、疑うトマスのために再び現われて釘の跡や槍に刺されたわきを見せてくださいました。そして、もし幽霊ではないかと思う弟子達の前で焼き魚を食べて彼らの疑いを解決してくださいました。それではイエス様が弟子達に数多くの確かな証拠をもって、復活の信仰を受け付けた理由は何でしょうか。

 キリスト教はイエス様の復活に基づいています。もしイエス様の復活がなかったならイエス様が私達の罪のために十字架につけられ死なれたことを証明することができません。また、死の問題も解決することができません。イエス様の復活がなかったならイエス様の生涯は悲劇です。しかし、イエス様は眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。イエス様が私達の罪のために死なれたことが歴史的な事実であるように、復活されたことも歴史的な事実です。イエス様の復活を通して福音が完成されました。これから弟子達はイエス様の復活の証人にならなければなりません。ですから彼らには復活の信仰が必要でした。このためにイエス様は四十日間、彼らに現われて、数多くの確かな証拠をもって、彼らに復活の信仰を植え付けてくださったのです。

 また、イエス様は彼らに神の国のことを語られました。イエス様の宣教の中心は「神の国」でした。それでイエス様は宣教を開始して、「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」と言われました(マルコ1:15)。また、教えられた御言葉の内容もその主題が神の国でした。イエス様はピラトの前で尋問を受けられた時も「わたしの国はこの世のものではありません。」と言われました(ヨハネ18:36)。これを見るとイエス様は最初から最後まで福音のみわざを行なわれた目的がこの世にメシヤ王国を建てることではなく神の国を建てることにあったことがわかります。イエス様はこの世に来られ、十字架と復活によって朽ちることも消えて行くこともない永遠の神の国を建設されました。

 それでは神の国とは何でしょうか。それは一言で統治を意味します。エデンはただ環境が良かったので楽園だったのではなく神様が治められるところだったので楽園でした。しかし人は神様の統治を拒否してサタンの言葉に従ったので楽園を失いました。人間は神様の代わりにサタンの統治を受けることによって不幸が始まりました。人はいくら良い環境の中で住んでいても根本的な幸福がないのはサタンに支配されているからです。地上楽園と言われているスイスはアルコール中毒者が多く自殺率が世界で一番高いそうです。サタンに支配されている人は感謝するよりいつも不平不満が多くあります。愛するより憎んだり妬んだりします。心の中に真実がないので偽りの人生を過ごします。また、その人の心はいつも恐れと不安があって平安がありません。イエス様はこのようにサタンに支配されている人々に神の国を与えるためにこの世に来られました。そして十字架と復活によって私達が神の国を所有できる道を開いてくださいました。誰でもこのイエス様を信じる人はサタンがそれ以上支配することができなくなります。その人の心には神の国が臨まれます。福音を伝える目的は神の国がその人の心に臨まれるようにするためです。使徒達は神の国の働き人として召されました。それでイエス様は彼らに神の国のことを語られたのです。

 4、5節をご覧ください。イエス様は使徒達といっしょにいるとき、彼らにこう命じられました。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」この言葉から見ると使徒達はエルサレムを離れようとしたことがわかります。田舎者である彼らはエルサレムでの生活になかなかなれなかったかも知れません。それよりも彼らにとってエルサレムはイエス様が十字架につけられ死なれた失敗と恐れの町でした。彼らは一日も早くエルサレムを離れて静かなふるさとに帰りたかったでしょう。しかし、イエス様は彼らにエルサレムを離れないように命じられました。なぜでしょうか。エルサレムは歴史的に神様の聖なる都です。また、ここはイエス様が十字架につけられ復活されたところで福音が完成されたところです。イエス様はこのためにガリラヤからエルサレムに来られました。イエス様はルカの福音書24:46、47でこう言われました。「キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」エルサレムは福音のみわざの始発点です。ですからいくら敵対する人々が多く、福音を伝え難くてもそこを離れてはいけません。そこで信仰によって福音を宣べ伝えなければなりません。その時彼らは生きている信仰を学ぶことができます。イエス様は弟子達が聖霊の力を受けてエルサレムから始めてあらゆる国の人々に福音を宣べ伝えることを願われました。

?。わたしの証人となります(6ー11)

 6節をご覧ください。そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエス様にこう尋ねました。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」彼らにとってイスラエルの国の再興は切実な問題であり、至急の問題でした。それで彼らはイエス様が神の国について話されるたびにその国をイスラエルの回復と関連付けて考えていました。イスラエルは神様の選ばれた民でした。ところが彼らはローマの植民地として異邦人に支配されていました。それは選民として耐え難い屈辱でした。そのような状況の中で彼らの唯一の望みは神様がダビデ王に約束されたメシヤ王国が建設されることでした。彼らはイエス様がなさる力あるわざを見てこの方こそイスラエルのために国を再興してくださる方だと期待していました。しかし、イエス様は無力にも十字架につけられ死なれました。それと同時に彼らの期待と夢はばらばらになってしまいました。彼らは生きる意欲をなくしてしまいました。ところが、このような彼らに復活されたイエス様が現われたのです。イエス様の復活は彼らに新しい勇気と期待と希望を与えました。彼らは今度こそイエス様がローマを征服してイスラエル王国を建設してくださるだろうと確信しました。そういうわけで「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」と尋ねたのです。

 ところが、イエス様は何と答えられましたか。7節をご覧ください。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。」イスラエルの回復は神様の主権に属しています。ですからその問題は神様に任せるべきです。それでは使徒達が一番優先的にしなければならないことは何でしょうか。ご一緒に8節を読んでみましょう。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

 第一に、使徒達は聖霊を受けなければなりません。使徒達がしなければならない使命は重大であり、大きなものです。しかし彼らは弱くて足りません。彼らはイエス様が捕らえられる時、恐れてみな逃げました。ペテロは三度もイエス様を知らないと否認しました。また、彼らは田舎者であまり勉強をしたこともありません。世界の人々に福音を宣べ伝えるために必要な外国語はぜんぜんわかりません。イスラエルから離れて外国に行ったこともありません。どこから見ても彼らは使命を果たすのにふさわしくありません。それではどうやって彼らが地の果てにまでイエス様の復活の証人となることができますか。もう一度8節を読んで見ましょう。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」聖霊はこの使命を果たす事が出来る力を与えてくださいます。世界宣教は私の力によってできるのではありません。聖霊が主体となってなさるみわざです。彼らに聖霊が臨まれる時、彼らは強くなります。何も恐れず、どんな敵とも戦うことができる力と勇気が与えられます。また、聖霊が臨まれる時、賢くなります。外国語を上手に話せるようになります。洪ペテロ宣教師は最初に日本に来て自己紹介するとき、「私は日本語が下手です。」というつもりでしたが、「あなたがたは日本語が下手です。」と言ってみなを笑わせました。しかし、信仰によって日本語が上手になり、難しい医学部の勉強をしながらパイオニアチームに仕えました。人間的な知識や才能が多い人が世界宣教ができるのではありません。聖霊の力を受けた人が自分の弱さや足りなさを克服して世界宣教に用いられることができます。ですから謙遜に自分の弱さを認めて聖霊に頼られなければなりません。神様は私達が世界宣教の命令に従う時、必要なものをすべて与えてくださいます。聖霊が私達の上に臨まれ、私達が力を受けて大胆にこの国のキャンパスの学生達に福音を宣べ伝えることができるように祈ります。

 第二に、使徒達はイエス様の復活の証人とならなければなりません。「わたしの証人となります」はあなたがたは必ずそのようにならなければならないという当為性とそのようにならせるというイエス様の意志が含まれています。イエス様はそのために弟子達を選ばれ訓練されました。そして天と地のすべての権威をもっておられるイエス様が使徒達に使命を担うことができるように全権を委任したのです。ですからこれは委任命令とも言えます。この使命はイエス様が弟子達に遺言的なことばとして与えてくださった至上命令です。

 この使命は根本的に人を生かすことだから世の中で一番大切な仕事です。福音を知らない人は罪の中で死んでいます。世の中で死んで行く人を生かすことより大切で、急がなければならないことはありません。この使命は使徒達のようなある特定の人々にだけ与えたのではありません。これはすべてのクリスチャンに与えられた命令です。クリスチャンだったらこの使命を果たすべき義務と責任があるのです。

 第三に、彼らは地の果てにまで、イエス様の証人となります。彼らが福音を伝える範囲はエルサレムだけではありません。エルサレムから初めてユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、福音を伝えなければなりません。そのためにはサマリヤ人を無視する心やローマ人に対する憎しみを捨てなければなりません。自己中心的な心や狭い心を捨ててどんな人も受け入れ仕えることができる広い心を持たなければなりません。

 イエス様は弟子達に対して大きなビジョンを持っておられました。彼らを通して世界の人々を救おうとされました。イエス様は今の私達にも大きなビジョンを持っておられます。神様は私達をこの国のキャンパスの人々の前にイエス様の復活の証人として立てて下さいました。さらにこの国を通してアジヤと世界の人々に福音が宣べ伝えられるビジョンを持っておられます。

 9節をご覧ください。こう言ってから、イエス様は彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられました。弟子達はイエス様に大きな期待をかけていたのに再びイエス様は見えなくなってしまいました。それで天を見つめてぼんやり立っていると白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立ってこう言いました。「ガリラヤの人達。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天の上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」ですから弟子達は再び来られるイエス様を望みながら与えられた世界宣教の使命を果たさなければなりません。

?。みな心を合わせ、祈りに専念していた(12ー26)

 本文は使徒達が聖霊を受けるために何をしたかを現わしています。

 第一に、彼らはみな心を合わせ、祈りに専念していました。使徒達は御使いから言われた時、やっと目を覚めました。そこで、彼らはエルサレムを離れないように言われたイエス様の御言葉を覚えてオリーブという山からエルサレムに帰りました。そして、彼らは町にはいると、泊まっている屋上の間に上がりました。この人々は、百二十名ほどでした。彼らが集まって一番最初にしたことは何ですか。世界地図を見ながら宣教戦略を立てましたか。これから頑張りましょうと言いながら団結大会を開きましたか。いいえ。14節をご覧ください。彼らはみな心を合わせ、祈りに専念していました。彼らは一番最初に心を合わせ、祈りに専念しました。心を合わせ、祈ることは聖霊の力を受ける大きな原動力になります。

 第二に、彼らは聖霊の器を造りました。ペテロは祈る途中どんな問題を挙げましたか。彼は祈りを通してイエス様を裏切ったユダの問題が心に引っ掛かりました。ユダのことは彼らに大きな傷を与えました。自分もユダのようになるのではないかという不安とイエス様は失敗したのではないかという疑いが心の奥底にありました。何よりもユダの裏切りによって十二使徒の器が壊れました。それでペテロは御言葉に基づいてユダの問題を解決しました。彼はまずユダが裏切ったのは聖書の御言葉が成就したことであり、裏切り者の最後がどれほど悲惨であるかを言いました。病人というのは、からだ全体が悪いのではなく、どこか一部が悪いです。一ヶ所が悪いとからだ全体がだめになって寝てしまいます。一人の影響が全体に影響するのです。それでペテロは御言葉に基づいてユダの問題を解決しました。それからマッテヤを選び、十一人の使徒たちに加えました。そのようにして聖霊の器を造りました。

 結論、使徒の働き1:8はクリスチャンがこの世で絶対的に従うべきイエス様の命令です。これはクリスチャンの人生の意味であり、目的であり、方向です。この御言葉を受け入れて従う人は偉大な人生になります。私達に聖霊が臨まれる時、力を受けて地の果てにまでイエス様の復活の証人となることができます。私達が使徒の働き1:8の御言葉に基づいてこの国の宣教と世界宣教のみわざに尊く用いられるように祈ります。

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