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BibleMsg > ヨハネの福音書 > 01-12 死人を生かすイエス様

01-12 死人を生かすイエス様

投稿者: Jubfadmin 掲載日: 2004/12/23 (2042 回閲覧)
1998年ヨハネの福音書?部12講

 

死人を生かすイエス様

 

御言葉:ヨハネの福音書5:16ー47         

要 節:ヨハネの福音書5:24

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、

わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、

さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」

 

 今日の御言葉はイエス様がご自身がどんな方なのかをあかしする内容です。イエス・キリストがどういう方であるかを知ることは、私たちの信仰生活において極めて重要なことです。今日、キリスト教と自称しながら、その実キリスト教ではないものがあります。モルモン教やエホバの証人や統一協会などです。彼らはイエス・キリストを神とは信じませんから、本当のキリストを知らないのです。この時間、イエス様はどんな方なのかを学び、死の世界からいのちの世界に移されるように祈ります。

 

?。聞く者は生きるのです(16ー30)

 

 第一に、イエス様の働きの哲学(16?18)

 先週私たちは38年間病気にかかっていた人を直されたイエス様について学びました。ところがイエス様が彼を直してくださったのは安息日でした。このためユダヤ人は、イエス様を迫害しました。ユダヤ人達は人のいのちが生かされることより安息日の律法にもっと関心がありました。彼らはいのちを生かす神様のみわざを見る霊的な目を持っていませんでした。このような彼らにイエス様はご自分がなぜ安息日にも働いておられるのかを答えられました。17節をご覧下さい。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」

神様は天地を創造された時、七日目に休まれました。それでは神様が休まれたとはどういう意味なのでしょうか。確かに神様は創造のみわざを六日間でなし終えられました。しかし、創造のみわざは終えて休まれたけれども、それに続く摂理の御業は休まれることなく続けておられます。摂理のみわざというのは、ご自分が創造された世界を保ち、支配し、必要なものを満たすために絶えず働いておられることを意味します。神様が宇宙を造られた時から今まで地球は休まず回転しています。また、安息日にも必ず太陽は上ります。安息日にも他の日と同じく生まれ、死ぬことは続いています。もし太陽が疲れるからと言って安息日に休むとどんなことが起こるでしょうか。神様が絶えず働かなければ創造された世界は保ち続けることができず、人間は生存することができません。ですから神様は創造された万物を保つために続いて働いておられます。

それだけではなく、神様は人間が堕落した後も人類の救いのために絶えず働いておられます。神様は人類の絶望的な状況の中でアブラハム一人を召され、救いのみわざを始められました。そして人類を罪から救ってくださるメシヤを遣わしてくださると約束されました。神様は救いのみわざのために多くのしもべたちを遣わしてくださいました。ついに約束の通りに神様の御子イエス・キリストをこの世に遣わしてくださいました。そして神様は今も人類の救いのために世界国々で聖霊によって働いておられます。人を生かす神様の救いのみわざには休みがありません。サタンとの戦いには休みの時間がありません。

 そこで、イエス様は言われました。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」ここで私たちはイエス様の働きの哲学を学ぶことができます。イエス様が働く基準と動機は父なる神様でした。一般的に人々はその日の気持や状況によく左右されます。その日気持が良ければよく働き、気持が悪ければ働きません。働ける環境が備えられると働きますが、そうでなければ働きません。仕事の結果がよくて人々から認められると熱心に働きますが、誰も認めてくれないと働く意欲を失ってしまいます。たとえば熱心に仕えていた兄弟が救いの恵みを裏切って離れて行くと無気力になって働きたくありません。しかし父なる神様が働いておられるので子供である私たちも神様のみわざを成し遂げるために熱心に働かなければなりません。救い主によって霊的にいやされ、生まれ変わらせていただいた者として、積極的に復活の主をあかしするために主の日を用いるべきです。主の日だけではなく、すべての日において、復活の主をあがめ、復活の主が現に生きておられることを積極的にあかししなければなりません。

18節をご覧下さい。このためユダヤ人達は、ますますイエス様を殺そうとするようになりました。イエス様が安息日をやぶっておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼んでおられたからです。このような彼らにイエス様は、ご自身が神の御子であることをはっきり示されました。

 第二に、いのちの源であり、裁き主であるイエス様(19?23)

19―23節はイエス様がご自身を神様と等しくすると言うユダヤ人達の訴えに対する答えです。ここで私たちはイエス様の権威がどこから来るのかを知ることができます。19節をご覧下さい。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。」イエス様は父なる神様と同様に働かれます。イエス様が父なる神様のなさることだけを行われる理由として、主はこう説明しておられます。20節をご覧下さい。「それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。また、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。それは、あなたがたが驚き怪しむためです。」父と子の関係は愛の関係です。極めて親密な関係です。子なる神イエス・キリストは、父なる神様がなさる通りのことをなさいます。イエス様は父なる神様のなさることだけをなさるのです。私たちが主に喜ばれる生き方をしようと思うなら、主の御心だけをすることができるように、いつも主に助けを求めなければなりません。

 21節をご覧下さい。「父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。」イエス様は死んだも同様な38年間病気にかかっていた人を癒してくださいました。イエス様は死人を生かし、いのちを与える方です。サタンはいのちを殺しますが、イエス様はいのちを生かして下さいます。イエス様は傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯心を消すこともない方です。このいのちのイエス様は裁き主でもあります。22節をご覧下さい。「また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。」イエス様は裁きの権威を持っておられます。「私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。」(?コリント5:10)。このいのちを与えることと、さばきをするということは、何よりも神様のみわざです。このことを言われることによって、イエス様はご自分が神であられることを、はっきり主張されました。

神様がこのような権威をイエス様にお与えになった目的は、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです(23)。すなわち、イエス様を神様として礼拝し、仕えるためです。

第三に、聞く者は生きるのです(24?30)

 24、25節をご一緒に読んでみましょう。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。」私たちは罪によって霊的に死んでいる者でした。死んだ者とは神様のいのちから切り離された者を意味します。この死んだ者が生き返るためにはイエス様の声を聞かなければなりません。誰でもよみがえりであり、いのちであるイエス様の声を聞く時に生き返るようになります。神の子の声は、私たちが聖書を学ぶ時、メッセージを聞く時、聖書を読む時、御子が私たちの心に語りかけてくださます。聞くことは聞き従うことを意味します。つまり、聞いて信じることです。

誰の声を聞くかは大切なことです。いのちか死かという問題です。サタンの声を聞くと滅びます。しかし、イエス様の声を聞く者は死の世界からいのちの世界に移されます。死の世界はサタンが支配する世界です。ここは虚無、無意味、運命、敗北、不安、恐れなどに満ちた世界です。ここには神様のいのちがありません。この世界に生きている人々は真の喜びも平安も自由もありません。その世界にはねたみ、憎しみ、復讐心、殺人、強盗などの罪の勢力が支配しています。死の勢力が支配しいています。

しかしいのちの世界はどうですか。いのちの世界は神様が治める世界です。神様は愛と平和によって治められます。ですからその世界は愛と平和の世界です。また、喜びと希望の世界です。ここには神様のいのちがあります。また、死の世界は罪に定める世界ですが、神様の世界は恵みによって赦す世界です。私たちがこの世界に生きることは大きな祝福です。

私たちがこのような大きな祝福を受けるためにはどうすればいいでしょうか。多くのお金を出したり、たくさん良い行いをしたり、多くの業績を残さなければならないでしょうか。いいえ。そうではありません。ただイエス様の声を聞くだけでいいのです。それは非常に易しくて単純なことです。それは誰でもできることです。私たちがイエス様の声を深く聞くと私たちのうちにあるすべての闇と死の勢力は過ぎ去っていのちの光が差し込んで来ます。

それではイエス様の声を聞くことがなぜそれほど大切なことですか。それは人間がサタンの声を聞いて堕落したからです。アダムとエバは神様が造られたパラダイスであるエデンの園で住んでいました。彼らは神様の声を聞く時に非常に幸せでした。ところがある日、女の人がひとりでいる時にサタンがやって来てささやきました。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」(創3:1)。サタンは女の人の心に神様の愛に対する疑い、不信仰を植え付けました。女の人はサタンを声を聞いた時、心が高慢になりました。結局彼女は善悪の知識の木から取って食べて神様の御言葉に逆らいました。サタンの声を聞いた人間は惨めになりました。サタンの声を聞く瞬間いのちの世界から死の世界に陥りました。幸せの世界から呪いの世界に陥りました。

サタンの声は私たちに幸せを与えるように聞こえますが、結局滅びに至らせる恐ろしいものです。サタンの声は私たちに神様の愛に対する疑いと神様のみわざに対する不信仰を植え付けます。また、高慢な心を与えます。十字架より怠慢な信仰生活をするようにそそのかします。しかし、神様の御声は私たちに信仰と謙遜な心を与えます。絶対的な従順を植え付けます。また、自分を捨てて自分の十字架を負うようにします。

 昨日バイブルアカデミーの時に所感を発表した任裕慶姉妹はおじさんに対する復讐心と人々に対するねたみに燃えていました。サタンの声を聞く彼女には真の自由も平安もありませんでした。サタンは彼女を苦しめ、自殺をはかるように誘惑しました。彼女は薬を飲んで死んでいくうちに神様の御声を聞きました。それから彼女は聖書の御言葉を学び、主の御声に耳を傾け、その御言葉に聞き従う生活に励みました。すると今まで彼女を支配していたすべての闇と死の勢力は消え去り、いのちに満ちた人生を過ごすようになりました。今はイエス様の御声を聞く生活を通して真の自由と喜びと平安に満たされています。

 

?。イエス様に対する証(31ー47)

 

イエス様はパリサイ人達に対して哀れむ牧者の心を持って何とか彼らを助けようとされました。それで彼らが霊的な目を覚ましてイエス様がどんな方であるかを知り、信じることができる客観的な証拠を示してくださいました。

第一に、父なる神様の証言(31,32,37,38):31、32節をご覧下さい。「もしわたしだけが自分のことを証言するのなら、わたしの証言は真実ではありません。わたしについて証言する方がほかにあるのです。その方のわたしについて証言される証言が真実であることは、わたしが知っています。」父なる神様のイエス様に対する証言は真実です。なぜなら神様は真実な方だからです。神様はイエス様に対して「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」と言われました(マルコ1:11,9:7)。

第二に、バプテスマのヨハネの証言(32?35):当時人々はバプテスマのヨハネの証を聞いてイエス様のところに来ました。彼は暗闇を照らす燃えて輝くともしびでした。

第三に、イエス様のわざ(36):イエス様はこの世に来られ、人間としては不可能な多くの奇蹟を行われました。水を葡萄酒に変えたり、38年間病気にかかっていた人を癒されました。盲人が見えるようにし、死んだナザロを生き返らせました。このようなわざはイエス様が神様の御子キリストであることを証言しています。

第四に、聖書の証言(39?47):聖書は著者と書かれた年代と場所がそれぞれ違いますが、一つの筋が通っています。それはキリストに関することです。聖書はキリストの誕生方法、誕生する場所、キリストの生涯、キリストが受ける苦難と復活などを啓示しています。ユダヤ人達は、聖書の中に永遠のいのちがあると思い、聖書を調べていました。その聖書が、イエス・キリストについて証言しているのです。それなのに、彼らは、いのちを得るためにイエス様のもとに来ようとはしませんでした。彼らがイエス様を拒んで信じない理由は何ですか。それは彼らのうちに神の愛がなかったからです。ユダヤ人は神様より自分やこの世を愛しました。彼らは神様に認められることより人々から認められることを願いました。このような彼らを訴えているのは彼らが望みをおいているモーセです。彼らはモーセも信じませんでした。もし彼らがモーセを信じているのなら、イエス様も信じたはずです。なぜならモーセが書いたのはイエス様のことだからです。

結論、イエス様の御言葉にはいのちがあります。私たちがいのちを与える主の御言葉に耳を傾けることによって死の世界からいのちの世界に移されることができるように祈ります。

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