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7Step1 初めに、神が天と地を創造した

投稿者: Jubfadmin 掲載日: 2004/12/14 (2815 回閲覧)
2004年7ステップ 第1講

初めに、神が天と地を創造した。

御言葉:創世記1:1?25
要 節:創世記1:1 「初めに、神が天と地を創造した。」

 7Stepの聖書勉強を許された神様に感謝します。7Stepの内容は、聖書勉強を始める方たちのためのものになっています。どうか、この秋から20名以上の方たちが聖書勉強を初め、イエス・キリストに出会って救われるように祈ります。すでに、何度も勉強したリーダーたちも心を新たにして御言葉を受け入れ、心の燃える1:1聖書勉強に励むことができるように祈ります。
「聖書はすべて、神の霊感によるもの」です(?テモテ3:16)。私たちは聖書勉強の時、あるいはひとりで聖書を読む時も、このことを覚えなければなりません。聖書は人間の知識的な理解力や学問的な研究によって理解する書物ではないのです。神の霊感によるものだから、私たちも神の霊、聖霊によって心を開き、御言葉を受け入れることが大切です。宣言されている御言葉を素直に受け入れる時に御言葉が私たちのうちに働きます。聖書はイエス・キリストを信じる者たちに与えられた本です。ですから、イエス様を愛し、心から信頼する人々にはますます素晴らしい聖書の奥義を理解し,悟ることができます。
もう一つ私たちが覚えるべきことは聖書に関するイエス様のお言葉です。マタイの福音書5章18節によると、イエス様は言われました。「まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。」とあります。私たちは、この事実を信じなければなりません。すなわち、聖書の御言葉がすぐには理解できなくても、信じるのです。聖書は一点一画も間違いない神の御言葉であり、すべての御言葉は必ず成就されるという信仰を持つことが大切なのです。そういう信頼、信仰を持って聖書勉強をすると、聖霊が神の霊感によって書かれた聖書を理解し、神様の御声が聞くことができるように助けてくださいます。それで、私たちは人知をはるかに超えたすばらしい神様の恵みにあずかることができます。
今日、学ぶ創世記は、『Genesis』で『起源』という意味です。創世記には宇宙の起源、いのちの起源、人類の起源、罪の起源、福音の起源、文化・言語の起源、民族の起源などを扱っています。特に、創世記1章は、現在私たちの周りに存在する全てのもの起源に関する情報を私たちに提供してくれます。その中でも1節は、すべての起源の原点でとして聖書全体を開くカギです。
この時間、聖霊によって1節の御言葉を初め、創造のみわざを深く悟って神様の主権と聖霊の働き、御言葉の力を心に受け入れることができるように祈ります。また、この御言葉を通して天地万物を造られた神様の力を体験する感動と感激、喜びの生活へ変えられて行くように祈ります。

?.天地創造(1)
1節をご一緒に読んでみましょう。「初めに、神が天と地を創造した。」この御言葉は驚くべき宣言です。大体、本の初めには前書きか序論などの説明があります。しかし、創世記には前書きも、説明もありません。ただ、「初めに、神様が天と地を創造した。」という事実を宣布しています。ここには何の説明も、弁明も、論理の展開も、説得もありません。初めに神様が天と地を創造したことはあまりにも確実な真理だから、それに対する宣言だけがあるのです。
「初めに、神が天と地を創造した。」という宣言を信じて心から告白できるなら創世記全部が見えてきます。聖書全体に対する霊的な目が開かれます。「神様が天と地を創造した。」と信じるなら、聖書の御言葉が信じられないこともなく、疑うこともありません。この一節の御言葉に対する信仰告白があるなら、聖書に書かれたどんな奇蹟も信じることができます。天と地を創造した神様にとっては紅海を渡らせることも、岩から水を出させることも、死んだ人を生き返らせることも簡単なことです。どうか、神様が私たち一人一人に創世記1章1節に関する確信を与えてくださるように祈ります。
「初めに、神が天と地を創造した。」この1章1節の御言葉は、1章2節?2章3節とは区別されて、それら全体をまとめる役割を果たしています。1章1節の主語は「神」です。そして、「天と地を」というのは、日本語の大空と大地というのではなく、ヘブル語の慣用表現で「存在するすべてのもの」を指しています。つまり、私たちのいう「宇宙」全体とその中に存在するすべてのものが神様の御手によって創造されたのです。宇宙万物と人を造られた方は神様であり、宇宙の中心、人生の中心も神様です。初めに、神様が宇宙万物を造られ、私たちも造られました。このことを信じますか。私たちが「初めに神が天と地を創造した。」と信じて告白するなら、私たちのうちからも創造の働きが始まります。
 有事以来、多くの人々がこの世がどのようにして存在するようになったのか、存在の意味は何かついて研究し、議論してきました。それで、宇宙の起源に対してさまざまな神話も作られました。また自然発生説、進化論、爆発説などの理論が作られました。しかし、創世記は論争する本ではありません。論争することはむだ話になってしまいます。実際に科学が発達すればするほど進化論の間違いが現わされて来ました。そして、神様の天地創造こそが確実な科学的な真理として受け入れられるようになって来ました。聖書は神様について説明していません。つまり、神様はどんな方であり、神様の本質は何か、神様はだれによって造られたかについては一言も触れていません。ただ神様がなさったことに対する宣言があります。神様が存在されるのはあまりにも当然なことだからです。「神様がいない」という人たちは神様を認めないで自分の思いのままに生きようとしている人たちです。そんな自分を合理化するために神様を否定しています。彼らは愚か者です。詩篇記者はこう言いました。「愚かな者は心の中で、『神はいない。』と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。善を行なう者はいない。」(詩篇14:1)。
 ある人は「神の存在」についてうまく説明してくれれば、自分も信じることができるのだと言います。また、ある人は神様を信じて素晴らしい神様の働きを体験していますが、説明がうまくできなくて悩んでいます。私もメッセージを書く時、生活の中で体験したすばらしい神様の働きも、心から悟った恵みもうまく表現できなくて悩まされるときがあります。自分中心に考えのために疑ったり、悩んだりする時もあります。しかし、すべての主権は神様にあります。神様が人の心を動かし、人の心に悟りをくださいます。「初めに、神が天と地を創造した。」とあります。「神」が主語になっているのです。多くの人々は人生の中心は「私自身」であると思っています。しかし、自分中心に生きているなら、すでに不幸な人生が始まっています。わがままに生きる人生には本当の平安も、幸せも与えられないからです。しかし、神様が人生の主人になること、それが幸福の始まりです。すべての根源、すべての中心は神様だからです。宇宙万物の中心はイエス・きりストであり、神様ご自身です。ですから、私たちが何事も神様が中心に考えると、問題が解決されます。神様を中心に考えると、私たちを悩ませるすべての問題が霧のように消えて行くのです。なぜなら、この世界のすべては神様が統治し、神様が動かしておられるからです。また、知恵も、力も、祝福も、恵みも、すべてのものが神様にあるからです。
 私たちは神様の主権的な働きを素直に受け入れることができず、不満を抱き、つぶやいたり、反発したりする時があります。しかし、この世界は神様が主権的に造られた神様のものです。使徒パウロはローマ9:20,21節でこう言いました。「しかし、人よ。神に逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。」と言えるでしょうか。陶器を作る者は、同じ土のかたまりから尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないでしょうか。」私たちのすべてのもの、人生そのものに対して権利を持っている方は神様なのです。ですから、私たちはすべてのことにおいて神様の主権を認めて神様に感謝し、神様をあがめ、神様を賛美する生活をしなければなりました。そうする時、神様はもっとすばらしい祝福を施してくださいます。
今の生活に感動もなく、喜びもなく、意味もないと感じている方がいるしょうか。私たちが涙もなく、喜びもない、無感動、無感覚の生活をする理由は、理論的な信仰生活をしているからです。原因分析、論争、つぶやきのために貴重な時間を費やしているからです。また、自己中心に考えているからです。私たちが本当に天と地を創造した神様の主権と力を信じるなら何事も神様に祈るはずです。どうか、何事もでも神様に祈ってみてください。ひざまずいて大いなる神様の偉大さ、無限の力にゆだねてください。そして、大いなる神様の御名を賛美しましょう。すると、神様の偉大さと力が私たちの生活の中にも現わされます。
神様は私たちから栄光と誉れ、感謝を受けるにふさわしい方です。黙示録4:10,11節を見ると、二十四人の長老は御座に着いている方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言いました。「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」と賛美しているのです。神様は私たちが拝み、礼拝するにふさわしい方です。栄光と誉れと感謝を神様に返すことが真の礼拝です。私たちが真心と霊によって礼拝をささげる時に神様のご臨在、栄光と力が現われます。心から礼拝する者に神様の癒しがあります。私たちを新しく生まれさせる創造の力が現われます。
結局、1章1節は天と地を創造され、宇宙万物を造られた神様を宣布しています。この方こそ、栄光と誉れを受けるにふさわしい神様です。この御言葉は、見えるものだけではなく、哲学や科学などすべてのもの起源です。何よりも私たち人生の起源であり、土台です。ですから、私たちが神様の創造主権に基づいて人生の家を築き上げる時、どんな場合にも揺れることのない人生の家を建てて、健康な人生を生きることができます。

?.万物創造(2-25)
 2節をご覧ください。「地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。」とあります。地はすでにそこにありました。神様のスポットライトは、すでに創造された全宇宙万物から地を照らしていきます。創造の中心は天ではなく地だからです。それでは、なぜ地がそれほど重要性を帯びているでしょうか。それは地こそ、人間の住まいだからです。すなわち、天地創造の目標は人間にあるのです。この地は形がなく何もありませんでした。あるものは、混沌とした無秩序と暗黒だけです。ただ、物質だけの混沌と何もない暗黒だけがありました。生命体のない月のことを想像してみれば分るでしょう。月は夜になると暗やみだけが月を支配するはずです。地球も同じでした。何の生物もないかたまりだったのです。
最近、あまり使わなくなりましたが、私がコンピュータを使い始めた頃は、フロッピーディスクを買ってもすぐに使うことができません。まずフォーマットしなければならなかったのです。それと同じく、地球も生命がない時は混沌と暗黒だけのかたまりでした。ところが、生命体のない月のように形がなく、何もなかった地に「神の霊」が訪ねて来てくださいました。聖霊が地球の上を動いていました。現代語訳によると「神の霊が水の表面をおおっていた。」とあります。そして、「おおう」という言葉はヘブル語ではニワトリが翼をひろげて、卵をおおい、愛育しているという意味を持っています。つまり、ニワトリが翼をひろげて、卵をおおい、愛育しているように、神の霊は地球を見守りつつ、おおっていたのです。ニワトリが卵から雛を孵化する時は、ただ卵をおおっているのではありません。適当な熱を出して温度を維持しながら卵をまわしています。同じく、聖霊がこの地球をおおい、エネルギーを出し、いのちを造られたのです。まさにこれが創造です。
ほんとうに神秘な働きですね。まるで、人のいのちが母の胎内で形造られ、育つことと同じです。妊娠してから何ヶ月もたたないうちに赤ちゃんの心臓が動き、内臓が造られていきます。脳も機能を発揮します。だから、身ごもっている母の胎教も大切ですが、父の役割も大きいと言われています。不思議にも胎内にいる赤ちゃんもお母さんが聞いている音楽も、お父さんの言葉も聞いているのです。とりあえず、赤ちゃんが母の胎内で育ち、ある日に生まれます。それが創造なのです。新しい創造のために神の霊が地球をおおっていたのです。
ここで、私たちは聖霊の働きと力についても悟ることができます。聖霊が地球をおおい、いのちを吹き込んでくださったので、宇宙のどの星にもないいのちが地球には存在するようになったということです。そのいのちは神様がくださったものです。聖霊は、まさに神様です。神様はいのちの根源です。聖霊を受ける者はだれでもいのちを受けるようになります。聖霊を受けると力も受けるようになります。イエス様が死者の中からよみがえられたときも聖霊のいのちの霊がよみがえらせました。私たちのうちにもいのちの霊を受けると、死んでいた人が生き返ります。死んだたましいが生まれ変わり、よみがえります。聖霊は私たちにいのちと力をくださるだけではなく、喜びと感謝と感激があふれるクリスチャンライフをくださいます。
私たちがクリスチャンとして生きていても無感動、無感覚、無気力のままでいるのは聖霊の力が私たちの中に注がれていないからです。イエス様はよみがえられてから天に上られる前に弟子たちに「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。」と約束されました。そして、弟子たちが聖霊を受けた時、彼らは力あるキリストの証人になりました。混沌と暗やみに満ちていた地球に聖霊が臨まれると生命力が生まれ、驚くべき創造のみわざが起りました。それと同様に聖霊が私たちの中に臨まれるといのちと力を受けるのです。
私たちが聖霊を心から受け入れて聖霊の創造の力が現実の生活の中で体験し続けるように祈ります。聖霊を受けてその力を体験する生活はほんとうに幸せな生活です。ところが、多くのクリスチャンがまだ堅苦しく生きています。イエス様を信じても「まあ、そんなに変わりがあるものか。」と思って聖霊の働きを自分のレベルに引き下ろしてしまいます。神様を自分と同じレベルで考えてしまうのです。しかし、違います。神様は大いなる方です。今、生きている私の霊的なレベルが信仰のすべてではありません。私はだまだ薄い信仰を持っている場合もあるし、再び7ステップから始めなければならないレベルに落ちっている場合もあります。
しかし、聖霊は地球を覆っていのちを生み出される方です。聖霊は混沌と暗黒の世界、無感動、無感覚、無気力の生活から光の世界を造り、感動と感激、喜び生活を与えてくださる方です。聖霊はどんな苦しみも、危機も、失望も、死までも打ち勝つ力をくださいます。天と地を創造された神様の力が私たちの生活にも現われるように祈ります。
3節からは創造の働きが具体的に展開されます。13節までは創造の六日間の前半部です。神様が「光よ。あれ。」と仰せられると光ができました。この光は太陽の光ではありません。この光は発光体ではなく、すべての生命体にエネルギーを供給するエネルギーの根源を意味しています。神様は創造の第一日に光を造って、新しく生まれようとしている天地を祝福されました。第二日には大空と水を造られました。大空とはヘブル語ではラ-キ-アですが「展開、広げられる」という意味です。すべての生きものに清新な活力を供給する広く、深く、自由なおおぞらです。創造の第二日までは、水は、ただ地の全面をおおっており、空間にすぐ接していました。しかし、今や水の外周に透明、軽快な大気が、層をなして、高く・広くのべられました。光の出現につづく大気の出現です。神様は大空を天と名づけられました。第三日には陸地と植物を創造されました。乾いた地に一本の青草が生じた時、天地は全く新しい紀元にはいりました。だれも説明のできない神秘そのものであるいのちが、今や世界に出現したのです。こうして、創造の六日間の前半が終わりました。第一日に光、第二日に大気、第三日に陸地が出現してのち、ようやくいのちが出現しました。これまでの3日間はいのちの出現への準備過程であり、そのために必要な行程でありました。
14-31節は次の3日間なさった創造の御業です。第四日に天体を造られました。花婿のようにたくましく力強い太陽、ちょっと弱いけれども花嫁のように美しい月、夜空に輝く星を造られました。第五日に空の鳥、海のいきものが創造されました。この新しい生物は、すでに第三日に造られた植物とは違っていました。単独で動き、行動する生き物です。第六日には地上の動物と人間を創造されました。
以上で六日間の創造の御業を学びました。この神様の創造のみわざから三つのことを皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
第一に被造物の存在意味と目的です。4a節を見ると「神はその光をよしと見られた。」とあります。そして、10節、12節、18節、21節,25節をご覧ください。「それをよしとされた。」という御言葉が繰り返されています。それは神様がご自分の創造のみわざに満足されたということです。つまり、すべての被造物は神様がご覧になって「よし」とされる存在なのです。偶然に生まれたものではなく、神様が「よし」とされた尊い存在なのです。この地球にあるすべてのものは、存在する価値があるのです。さらに、すべて造られたものは神様の栄光を現わさなければならない目的があります。詩篇19:1節は言います。「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」天は神様の栄光を宣布し、大空の鳥たちは神様の栄光をほめたたえています。
第二に、光を創造された神様です。もう一度3節をご覧ください。「そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。」とあります。この光は生命の根源となるもので弱30万種類があるそうです。光はエネルギーを出します。光はいのちを創造します。光は闇を退けます。この3節の御言葉に関するパウロの解説が?コリント4:6節にあります。「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。」人間が経験することは汚くてむかつくことばかりです。人間には聖さも栄光の輝きもありません。しかし、イエス・キリストを信じて新しく生まれ変わった人たちは聖なる神様のご性質、聖霊と、神様の栄光を経験します。歴代誌?7:1-3節を見ると、ソロモンが祈り終えると火が天から下って来て、全焼のいけにえと、数々のいけにえとを焼き尽くしました。そして、主の栄光が宮に満ちました。主の宮に満ちた主の栄光のために、祭司たちは主の宮にはいることができませんでした。
この神様の栄光の光が、イエス・キリストを信じる皆さんの上に満ちることを臨みます。ソロモンが祈り終えると主の栄光が宮に満ちたように、私たちが祈るこの宮にも神様の栄光が満ちているように祈ります。主の栄光が臨まれると闇は消え去り、病も離れていきます。悪勢力は神様の栄光の輝きの前では存在できません。この栄光の光は、まさに神の御子イエス・キリストです。イエス様はヨハネの福音書8:12でこう言われました。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことなく、いのちの光を持つのです。」この光を見た人は使徒パウロです。彼がイエスを信じる者を捕まえて殺すために道を進んで行ってダマスコの近くまで来た時、突然、天からの光が彼を巡り照らしました。この光は私たちを巡り照らします。闇の勢力を追い出してやみの生活を清算し、よくない習慣を捨てて光のうちに歩むことができるようにしてくださいます。
第三に御言葉の力です。1章を見ると「神は・・・仰せになった。」という御言葉と「するとそのようになった。」という御言葉が繰り返されています。(3,6,9,11,14,20,24; 7,9,11,15,24)。これは神様が御言葉によってすべてを創造されたことを教えてくれます。ヘブル11:3a節を見ると「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、」とあります。神様の御言葉には無から有を創造する創造の権能があります。神様の御言葉は生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。この世のもので人を根本的に変えることはできません。しかし、神様の御言葉はどんな人でも変えることができます。むなしく、つまらない人生を生きている人でも根本的に変化させて意味あり価値ある人生に変える力があるのです。私たちは7Step勉強を始めることによってますます1:1のみわざに励みたいと願っています。どうか、私たち一人一人が御言葉の力に信仰を与えてくださるように祈ります。1:1を通して御言葉によって人を新しく生まれ変わらせる神様の創造の御業に用いられるように祈ります。

結論、初めに、神様は天と地を創造されました。聖書は次のように勧めています。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。」(伝道者の書12:1)。私達が天地万物を創造された神様を知り、この神様を信じる時、私達の人生の基礎は堅くなり、秩序が立てられます。この神様を信じる時、今の生活の中でも創造の力を体験し、平安と喜びと愛に満ちた人生を送ることができます。

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