日本UBF案内 祈りの課題 日ごとの糧 メッセージ・説教一覧 問題集一覧 m

ユーザメニュー
日毎の糧
ログイン
ログイン
パスワード

  新規登録 |  
BibleMsg > ヨハネの福音書 > 01-6 宮をきよめられたイエス様

01-6 宮をきよめられたイエス様

投稿者: Jubfadmin 掲載日: 2004/12/23 (2609 回閲覧)
1998年ヨハネの福音書?部6講

 

宮をきよめられたイエス様

 

御言葉:ヨハネの福音書2:12ー25

要 節:ヨハネの福音書2:15

「細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、

両替人の金を散らし、その台を倒し、」

 

 私達は先週の主日礼拝の御言葉を通して水を葡萄酒に変えられたイエス様について学びました。このイエス様は恵みの神様であり、祝福の神様です。しかし、今日の本文にはそれとは対照的なイエス様の姿が出ています。イエス様は宮の中で商売をしている人々をご覧になり、怒られ、彼らを追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒しました。そのようにされたのはイエス様に神様の家を思う熱心があったからです。すなわち、イエス様は真理を愛し、神様を愛されました。この時間、宮をきよめられたイエス様を通してイエス様の熱心を学ぶことができるように祈ります。

 

?。あなたの家を思う熱心(12ー17)

 

イエス様はガリラヤのカナでの婚礼を祝福した後、母や兄弟達や弟子達といっしょに、カペナウムに下って行き、長い日数ではなかったが、そこに滞在されました。そして、ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエス様はエルサレムに上られました。過越の祭りはイスラエルの三大祭りの中でも一番大きな祭りでした。これは430年間エジプトで奴隷生活をしていたイスラエル人が神様の恵みによって解放された日を記念する祭りです。

エルサレムに上られたイエス様は何をご覧になりましたか。14節をご覧下さい。イエス様は宮の中に、牛や羊や鳩を売る者達と両替人たちがすわっているのをご覧になりました。なぜ彼らが宮の中にすわっていたでしょう。過越の祭りには世界中からユダヤ人達がエルサレムに集まって来ました。その時、彼らは神様の恵みを覚えて牛や羊や鳩をいけにえとして捧げました。ところが、彼らの捧げる動物には、欠点があってはなりませんでした。動物を外から買うと安く買うことができましたが、そうすると宮の検査官が必ずそれらに何らかのいいがかりをつけました。そして、巡礼者たちに、宮の中の店で買うように勧めました。ところが、問題はその値段でしが、たとえば外では約50円位しかしない鳩が宮の中で買う場合は750円もしました。また、19歳以上のすべてのユダヤ人達は一年に半シェケルの宮の納入金を納めなければなりませんでした。それは過越の祭りの時期に納められました。ユダヤ人達は、世界中からあらゆる種類のお金を持ってやって来ました。ところが外国のお金はその国の王に服従する意味を象徴する絵が刻まれていたので神殿を汚すものだと思い、必ず特定の貨幣で納めなければなりませんでした。それで彼らがその金を両替に行った時に、手数料を支払わなければなりませんでした。このようにして神殿の当局者達は、巡礼者たちをただ搾取する対象として取り扱っていました。それでイエス様はこれを「強盗の巣」だと言われました。宗教指導者達は自分達の利益を求めて聖なる宮を強盗の巣に変えてしまったのです。政治指導者達が民の顔だとすれば宗教指導者達は民の良心です。彼らは民のために真理の御言葉を教えなければなりませんでした。過越の祭りの意味をよく教えて神様に対する純粋な心と真実な信仰を持つように助けなければなりませんでした。しかし彼らの関心は過越の祭りにどうしたらたくさんの金を儲けることができるかにありました。彼らは神様よりお金を愛しました。彼らは外側は敬虔な生活をしているように見えても心は神様から遠く離れていました。彼らの内面は墓の中の死体のように腐敗していました。

イエス様はこのような神殿をご覧になって非常に怒られました。神殿の中は1:1聖書勉強や祈り、賛美の声が聞こえず、商売人の叫び声や動物の鳴き声によってうるさいでした。イエス様はそれをご覧になり、細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒しました。また、鳩を売る者に言われました。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」このイエス様の姿は婚礼の場で水を葡萄酒に変えられ、祝福された姿とは全然違います。イエス様は恵みと慈しみ深い方です。イエス様は私達をやさしい声で招いておられます。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)。イエス様はこのように恵みと愛と慈しみと哀れみ深い方です。

しかし、イエス様は恵みに満たされただけではなく真理に満たされた方です。イエス様は不義をお許しにならず、義によって裁かれる方です。イエス様は偽善者の宗教指導者達を容赦なく叱られました。「忌まわしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。」(マタイ23:13)。このイエス様は義なる神様、義によって裁かれる神様です。

それではイエス様はなぜこのように怒られたのでしょうか。

第一に、宗教指導者達が神様の家を商売の家にしたからです。神殿は神様がおられる聖なるところであり、罪人の罪が赦されるところでした。また真理の御言葉を学ぶところであり、祈りの家です。しかし当時の神殿は腐敗していました。イエス様の怒りは、利己的な動機から発しているのではなく、むしろ天地万物の主として、何が正しいのか何が間違っているのかを、はっきり示しておられるのです。彼らは神の家を商売のために利用し、そこで不正な利得をあげていました。ここで店が開かれている場所は、異邦人が礼拝する場所です。そこで店を開き、商売をしていたら、異邦人は心を静めて礼拝することができません。イエス様はマルコの福音書11:17節で神殿がどんなところであるかを教えてくださいました。「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。」イエス様は神殿が世界の人々の救いのために祈る祈りの家となることを願われました。同じく主は私達のセンターがすべての民の祈りの家となることを願っておられます。主は私達がこの祈りの家で祈ることを願っておられます。主はその祈りを通してご自分と交わることを願っておられます。私達が祈りの家に来て毎日主に出会い、主との深い交わりができるように祈ります。

第二に、イエス様が怒られたのは神様の家に対する熱心のためでした。弟子達はイエス様が当時権力を握っている宗教指導者達を怒らせることを見て驚いたでしょう。彼らはイエス様が無茶な挑戦をしているのではないかと恐れたでしょう。しかし、彼らはその時聖書の御言葉を思い起こしました。17節をご覧下さい。「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす。」これは詩篇69:9節の御言葉です。主の家を思う熱心は神様を愛する心です。イエス様は神様を熱く愛しておられたので神様の家が強盗の巣になっていることに絶えられませんでした。神様を愛する心は真理を愛する熱心です。イエス様は真理に対する熱心に燃えておられました。「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす。」この御言葉は主の家を思う熱心のためにイエス様が人々から非難され、殺されるようになることを意味します。実際にイエス様はこの事件によって宗教指導者達に憎まれ、十字架につけられ死なれました。ですからこの預言が現実に成就したのは、イエス様の十字架の死の時であり、弟子達がこれを本当に理解したのも、十字架上の死の後、復活されてからのことでした。しかしこの時、弟子達がこのメシヤ預言を思い出したのは、イエス様の態度に、やがて死ななければならない運命を連想することができたからです。イエス様が宗教指導者達に挑戦することはいのちをかけることでした。ところがイエス様はご自分のいのちをかけて不義の勢力に挑戦されました。それは不義を憎み、真理を愛する熱心のためでした。「何も憎まない人は何も愛さない人と同じです。」ということばがあります。それは不義を憎まない人は真理を愛さない人だという意味です。私達が真に真理を愛するなら不義を憎みます。

イエス様が彼らの罪に挑戦されたもう一つの理由は彼らに対する牧者の心のためでした。イエス様は彼らが神様の前で自分達の罪を悟って悔い改める機会を与えるためにご自分のいのちを惜しまず、彼らの罪に挑戦されました。イエス様は義を行うのにご自分を顧みず、勇敢に行動されました。それは真理に対する熱心に燃えていたからです。

 神の国には熱情な人々が必要です。特に宣教は知識の人より熱い心を所有した真理に対する熱心を持っている人を必要とします。ムディーは「大きな熱情と少ない知識を所有した人と多くの知識と小さな熱情を所有した人の中で一人を選ぶとしたら私はいつも熱情の人を選ぶ。」と言いました。エマソンという人は「情熱なしに成し遂げられ偉大なことはない。」と言いました。実際に偉大なことを成し遂げた人はみな情熱の人でした。主が私達に真理に対する燃える熱情を与えてくださるように祈ります。黙示録3章を見るとラオデキヤにある教会に対して神様はこう言われました。「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。…わたしは、愛する者をしっかり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。」(黙3:15,16,19)。神様に対する初めの愛を失い、冷たくなっている人はいないでしょうか。私達にもう一度神様に対する熱い愛、真理に対する熱情を与えてくださり、イエス様のようにいのちかけてこの国の人々の救いのために働くことができるように祈ります。最近私は「神様の御座を動かす祈り」という本を読みまたが、著者は一日七時間の夜明けの祈りをする人です。彼も最初はあまり祈らない人で五分の祈りから始めたそうですが、段々長く祈るようになり、今は毎日七時間も夜明けの祈りを捧げているそうです。それも彼が牧師やフルタイムで主のために働く人ではなく銀行員としての仕事しながらそのようにしているので驚くばかりです。私は彼が書いている本を読みながら自分に神様に対する熱心足りないことがわかりました。私は宣教師でありながらも夜明けの祈りはほとんど休み、10分も祈らず、一日を過ごす時がありました。私は彼の祈りに刺激され、最近は毎日夜明けの祈りを捧げるようになりました。今年は一時間の夜明けの祈りを毎日捧げることができるように祈っています。この祈りを通して段々主を愛する心、隣人を愛する心が燃えるようになっていることを感謝します。

 

?。神殿であるイエス様(18?25)

 

 イエス様が宮をきよめられるとユダヤ人の指導者達は強く反発しました。彼らは「あなたがこのようなことをするからには、どんなしるしを私達に見せてくれるのですか。」と言いました。彼らはイエス様に対して、これだけのことをするからには、どのような権威を持っているのかと詰め寄りました。つまり、権威のしるしを示せというのです。それに対してイエス様は何と答えられましたか。19節をご覧下さい。「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」イエス様はしるしを求める彼らに死者の中からよみがえられる驚くべきしるしを見せると言われました。しかし彼らはイエス様の言われることが理解できませんでした。そこで、ユダヤ人達は言いました。「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」彼らはイエス様が狂っていると思ったでしょう。しかし、イエス様はご自分のからだの神殿のことを言われたのです。イエス様の弟子達さえもこの御言葉が何を意味するのかを理解できませんでした。しかし、彼らはイエス様が死人の中からよみがえられたとき、イエス様がこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエス様が言われたことばを信じました。

ここでイエス様はご自身が神殿であることを宣布されました。彼らはイエス様を十字架につけますが、イエス様は三日目に死人の中からよみがえり、神の民の新しい礼拝の中心になられます。イエス様がここで示しておられるしるしというのは三日目に死人の中からよみがえるということです。イエス様はサマリヤの女に対して、「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。」と言われました。それは、主イエス・キリストが十字架上で永遠のあがないの死を成し遂げられ、三日目によみがえられることによって、旧約の動物の犠牲による礼拝を廃された時に成就するのです。ですから、私達は旧約時代のような動物の犠牲をささげることによって礼拝をささげるのではなく、主イエス・キリストの十字架上の死と復活を土台とした霊的礼拝をささげることができるわけです。「私達は、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私達のためにこの新しい道を設けてくださったのです。」(ヘブル11:19,20)。神殿であるイエス様のうちに罪の赦しがあり、救いがあります。イエス様のうちに永遠のいのちがあります。十字架と復活によって私達の神殿となられたイエス様を賛美します。

今日の御言葉を通して私達は弟子達の御言葉に対する姿勢を学ぶことができます。彼らはイエス様が宮をきよめられる時、それがあまりにも革命的なことだったので受け入れにくいことでしたが、神様の御言葉を思い起こしました。彼らは事件にぶつかる時にいつも御言葉を思い起こして御言葉を基礎にして考えました。また、イエス様が「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」と言われた時にもとうてい理解できませんでしたが、それを排斥しませんでした。彼らはその御言葉がすぐには理解できませんでしたが、心の中に受け入れてイエス様が死なれ、死者の中からよみがえられた時にその御言葉を思い起こしました。彼らの信仰の基礎は感情やしるしではなく聖書の御言葉でした。彼らは足りなくても御言葉に根を降ろしていました。そうするとき、彼らは段々成長することができました。しかし、群衆の信仰はしるしに基づいていました。彼らはしるしを見て信じました。イエス様はご自身をこのような彼らにお任せになりませんでした。

?コリント6:19、20には次のように書いてあります。「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まわれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」私達は私達の心の中にイエス様を主として受け入れなければなりません。もし私達の心がお金を愛する心や淫乱やねたみや憎しみや貪欲によって満たされているなら主は悲しまれ、怒られます。私達の心が神様の御言葉と神様の愛によって満たされるように祈ります。

神様は罪人である私達を熱く愛してくださいました。それで一人子イエス・キリストをこの世に遣わしてくださったのです。神の御子イエス・キリストは私達のためにご自分の尊いいのちを捨ててくださるほど愛してくださいました。イエス様は十字架の死によってあがないをなし、私達が神様に自由に礼拝することができるようにしてくださいました。私達にイエス様の愛、熱心が与えられ、神様を心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして愛し、隣人を自分のように愛することができるように祈ります。この燃える熱心をもって今月のバイブルアカデミーに兄弟姉妹たちを招き、河口湖サマーバイブルキャンプに36名以上の兄弟姉妹達を招くことができるように祈ります。

ページ移動
良く読まれた記事 01-7 新しく生まれることと神の国 01-5 イエス様の最初のしるし 次の記事
投稿された内容の著作権はコメントの投稿者に帰属します。
個人情報保護について HPのリンクについて データの引用(著作権) 聖書のデータについて お問い合わせ
Copyright ⓒ 1997- Japan UBF. All rights reserved.
日本UBF 公式サイト    HP管理者への問い合わせ