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05-07 おまえの名は何か

投稿者: Calebkim 掲載日: 2005/5/23 (2127 回閲覧)
2005年マルコの福音書第7講

おまえの名は何か

御言葉:マルコの福音書5:1?20
要 節:マルコの福音書5:9「それで、『おまえの名は何か。』とお尋ねになると『私の名はレギオンです。私達は大勢ですから。』と言った。」

 先週、私たちは神の国について、突風を静められたイエス様について学びました。イエス様がからし種のようにとても小さかった私たちの教会を成長させておられることを感謝します。今まで突風が起こった時もありましたが、いつもともにおられるイエス様が私たちを成長させておられます。私はイエス様が私たちの教会もからし種のように成長して行くビジョンを持っておられると信じます。イエス様は私たちの教会に多くの若者たちが出入りしながら命の御言葉を食べて救われるビジョンを持っておられます。イエス様は、私たちが夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、この教会が生長するようにしてくださいます。それで日本全国に、大きな枝を張り、600キャンパスを開拓することだけではなく、世界に広がるようにしてくださるのです。このイエス様のビジョンを感謝し、私たちが御言葉の種を蒔くことに励むことができるように祈ります。
 今日の御言葉は汚れた霊につかれた人に臨まれた神様の恵みに関する美しい話です。汚れた霊につかれた人は墓場に住みついており、もはやだれも、彼を助けることができませんでした。しかし、イエス様は哀れなこの人から汚れた霊を追い出し、彼が新しい人生を生きるように助けてくださいました。この時間、御言葉を通して私たちも「おまえの名は何か」と聞かれるイエス様の御声を聞くことができるように祈ります。そうして、私たちにもイエス様の素晴らしい恵みが臨まれるように祈ります。

?。汚れた霊よ。この人から出て行け(1ー10)
 1節をご覧ください。「こうして彼らは湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。」とあります。彼らが湖を通る時は突風が起こったので大変な経験をしました。おぼれて死にそうになった時は人生が終わりだと思いました。しかし、彼らは突風を通してイエス様がどんな方であるかをもっとはっきり悟りました。彼らは「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」と告白するほどにイエス様の権威が分かるようになったのです。その後、彼らは湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着きました。ゲラサ地方はガリラヤ湖の東南に位置している都市でした。当時そこにはローマ第14軍団が駐屯していました。つまり、米軍が駐屯している横須賀のような所でした。軍人たちを相手にして水商売をする人々も多くいました。居酒屋、スナック、ゲームセンター、ビデオセンターなどが並べられていました。多くの若者たちはにぎやかな町、華やかな町で見なくてもいいようなものを見ながら、罪の誘惑を受けていました。人々は知らず知らずに快楽文化に汚染され、目に見えない悪霊につかれていました。
イエス様の一行がこのゲラサ人の地の外側に着いた時のことです。2節をご覧ください。イエス様が舟から上がられると、すぐに、汚れた霊につかれた人は墓場から出て来てイエス様を迎えました。墓場はどんなところですか。東京は町の中心地にもお墓があり、墓を管理する管理人とかお寺さんが住みついています。彼らは人々を丁寧に迎えています。しかし、ゲラサ人の地にある墓場から出てくる人は汚れた霊につかれていました。この人は墓場に住みついており、もはやだれも、鎖を持ってしても、彼をつないでおくことができませんでした。彼が墓場に住みついているのは、お墓の管理のためではありません。彼は無理やりに家族から離れていました。
大部分の人々にとって自分の家は砂漠にあるオアシスのような所です。人々はにぎやかな都市生活の中でも砂漠のような孤独を感じ、多くのストレスを受けていますが、家に帰るとゆっくりと休めるし、安らぎを得ます。疲れている体も心も癒されて新しいエネルギーと力を充電する所です。愛する家族と触れ合うことも大きな力になります。19節から見ると、この人にもそのような家がありました。愛する家族もいました。ところが、今は家や家族から離れて墓場に住みついていました。彼が家や家族から離れて墓場に住みついているのを見ると、家庭や社会の問題によって傷つけられていたかも知りません。家庭や社会の環境が人の人格形成に与える影響は大きいものです。両親が離婚したり、父親が暴力を振るったりすると子どもは深く傷つけられます。
先週、私は職場で残業をしていましたが、女性の悲鳴を聞きました。外に出てみると、あるおばさんが校内に侵入し、女子生徒の髪の毛をつかんで殴っていました。生徒はあのおばさんに気が狂っていると言っていました。そのわけを聞いてみると、おばさんは自分の息子と付き合っている女子生徒のことを知り、彼女と別れさせるために横浜から来ていました。後で聞いたのですが、おばさんは韓国で生活能力を失った夫と離婚し、日本に来て再婚しましたが、いい人に恵まれて二人の子どもを日本につれて来ることができました。ところが、子どもは父親に感謝するどころか、話も聞かないし、不良に走って行きました。その原因を調べてみると、自分の子どもが問題児と言われる女の子と付き合っていることが分かりました。そこで、おばさんは自分の職場をやめて息子を観察してきました。ところ、夜に学校に来て見ると、夜間学習しているはずの息子が女の子と一緒に暗いところで話し合っていました。それを目撃した瞬間切れてしまいました。本当に悲しい話であったので私も泣いてしまいました。家庭が破壊された時、母親だけではなく、破壊された家庭から育てられた子どもにも大きな傷があります。子どもは愛情欠乏と親に対する憎しみのために苦しんでいます。悪魔はそのような働きを通して人を破滅させています。あの事件があった次の日に、子どもたちは学校に来ませんでした。学校に自分たちのことがばれてしまい、もう学校に来られないということでした。悪霊は人間に罪を犯せ、罪意識によって苦しむようにします。特に、悪霊は罪の快楽を通して悪霊が働いています。
最近になって、残虐な犯罪事件が増えてきましたが、多くの悪霊が働いていることが分かります。テレビでは連日のように殺人や強盗を扱った番組が放映され、ビデオショップでは、残虐極まりないホラービデオ、悪霊現象を扱ったオカルトビデオが簡単に手に入ります。このような悪魔的なものが青少年に与え続けている影響が懸念されています。いろんなところで起こっている不幸な殺人事件も、ホラービデオの影響が背後にあると言われています。犯人は、自分の中にもう一人の自分が住んでいて制することができないと告白している時が多くあります。誰でも人間は罪人であり、悪の性質を持っているが、汚れた霊、サタンがその性質を働かせます。すると、その悪の性質が自分でも制することができなくなるほど、大きくなることがあるのです。
ところが、人々はそのような問題をどのように解決しようとしましたか。3,4節をご覧ください。「この人は墓場に住みついており、もはやだれも、鎖をもってしても、彼をつないでおくことができなかった。彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまったからで、だれにも彼を抑えるだけの力がなかったのである。」とあります。彼は、だれによっても押さえることはできませんでした。鎖や足かせなど、人々が考えられる手段は、何も役に立ちませんでした。マタイ17章を見ると、イエス様の弟子たちも人の力ではできませんでした。弟子たちは悪霊につかれている人を助けてあげようとしましたができませんでした。しかし、イエス様は悪霊を追い出してから言われました。「この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません(マタイ17:21)」と言われています。この悪霊つきは、人の手によっては何もできず、ただ、祈りと断食によって神様の力をいただかなければならないのです。人々は近所の人に迷惑がかからないように鎖や足かせでつなぐことしかできませんでした。すると、彼は鎖を引きちぎり、足かせを砕くためにあばれまし。それが繰り返されて体は傷だらけになりました。
5節をご覧ください。「それで彼は、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていた。」とあります。彼は重苦しい心を押え切れず、夜昼なく、墓場や山で獣のように叫び続けました。自害をしていました。自殺行為をしていたのです。現代の日本人は、年間3万人以上の人たちが自殺すると言われます。子どもが、若者が、中高年が、年寄りが自殺します。日本はこんなに豊かになったのに、世界で最も自殺の人たちが多い国です。なぜでしょうか。それは人間の力によって悪霊を追い出すことができないからでしょう。教育者や政治家たちは人々にいのちの尊さを知らせたいと言います。それによってすべてが解決されるでしょうか。悪霊の勢力から解放されない限り、人々が自害をし、自殺することは止まらないでしょう。ほんとうに、悲惨なことです。とても哀れなことです。当時、ゲラサは栄えている所でしたが、この人の姿を考えてみると、とても惨めです。経済大国の都である東京も豊かな所ですが、ゲラサ人のような人々が多くいます。彼らを見るに耐えません。この哀れな人に、福音が必要でした。イエス様はこのかわいそうな人を助けてくださいます。
 6、7節をご覧ください。ゲラサ人はイエス様を遠くから見つけ、駆け寄って来ました。そしてイエス様を拝し、大声で叫んで言いました。「いと高き神の子、イエス様。いったい私に何をしようというのですか。神の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないでください。」それは、イエス様が、「汚れた霊よ。この人から出て行け。」と言われたからです。彼がイエス様を知っていたのは汚れた霊につかれていたからです。彼はイエス様を拝し、イエス様を「いと高き神の子」と叫びました。先週の御言葉では風も湖もイエス様のことばに従いましたが、悪霊も服従しています。ただ、悪霊は滅びることを恐れて苦しめないようにお願いしているだけです。このように悪霊につかれた人はイエス様の存在を知っていながらも御言葉に対して反発します。悪霊は人の中に入ってイエス様と関係性を結ぶことを妨げるからです。ゲラサ人がイエス様を遠くから見つけ、駆け寄って来たのを見ると、彼の本来の自我はイエス様と人格的な関係性を結ぶことを願っていることがわかります。しかし、彼のうちに働いている汚れた霊がイエス様と関係性を結ぶことに対して強く妨害するのです。  
多くの人々は信仰によって平安に、幸せに生きている人々をうらやましく思っています。それで、イエス様のところに来て聖書勉強を始めます。御言葉の恵みを受けます。ところが、聖書勉強が進んでいくうちに心が苦しくなる時もあります。自分の悪いところが現われてくるからです。悔い改めなければならない時が来るのです。すると、これ以上聖書勉強をしたくないと言う人がいます。悪魔が聖書勉強を妨げているからです。悪霊は人がイエス様と関係性を結び、新しく生まれることを妨げます。それで、人々は「聖書勉強をすると心に平安があると思ったのに、なぜこんなに苦しくなるのですか。私を苦しめないでください。」と言います。しかし、そのような時こそ、私たちはイエス様から離れて行ってはなりません。苦しいときこそ霊的な世界を体験するチャンスです。祈りと断食によってますますイエス様に近づく必要があります。イエス様から離れないと、救いを経験します。イエス様が私たちを助けてくださるからです。イエス様はどのように助けてくださいますか。イエス様は悪霊につかれた人に会うとすぐ「汚れた霊よ。その人から出て行け。」と言われました。イエス様はその人と悪霊を分けてご覧になりました。イエス様は「汚れた人だ。汚い人間だ」と言われませんでした。だいたい人々は悪霊につかれた人を見るとその人自体がだめになったと思います。家族さえも、その人を無視します。人々の迷惑にならないことばかり考えて鎖や足かせにつないでおきます。それは悪霊の存在を認めてないからです。人を悪霊と同じく見るのです。しかしイエス様はその人と悪霊を分離しました。人間自体がだめになったのではありません。悪霊がその人にとりついていて彼を破壊していました。だから、その人を苦しめている悪霊さえ追い出せばいいです。その人は本来の自分に戻ることができます。神様のかたちに似せて造られた存在として回復されるのです。神様からいただいた美しい姿も、幸せも、喜びも回復します。自分を捨ててしまった家族との関係も回復されます。悪霊が出て行けば、その人は完全に回復され、すべてが癒されるのです。ですから、イエス様はその人につかれている悪霊に命じられました。「汚れた霊よ。その人から出て行け。」それによって、イエス様はその人の中で働いている悪霊と戦い、その悪霊を追い出してくださいました。すると彼は心の分裂現象が起こりました。悪霊が暴れて彼をもっと苦めました。悪霊が出て行く時、人は苦しみを経験します。だからと言ってあきらめてはなりません。イエス様は悪霊が彼を苦しめるからといって言ってそのまま退かれませんでした。むしろ積極的に彼を助けてくださいました。
9節をご覧ください。それで、「おまえの名は何か。」とお尋ねになりました。イエス様は悪霊の存在を公にするために彼の名前を尋ねられました。悪霊につかれた人が自分に取り付いている悪霊の存在を知るように、悪霊に「あなたの名は何か」と尋ねられたのです。名前はその人の人格と存在を現わします。彼は悪霊につかれて本当の自我を失っていました。彼が墓場の中で叫び続けているのは、汚れた霊が彼の中で働いていたからです。本来の自我のためではありませんでした。彼は自分の考えや判断によって動くのではなく悪霊によって動いていました。イエス様はその悪霊の正体を明らかにし、完全に追い出そうとされました。それによってこの人が自我を回復するように助けられました。
神様は世の名誉や愛や物質を求めて自我を喪失したヤコブに現われて同じ質問をされました。「あなたの名は何というのか。」(創32:37)。人は自分の中に働いている悪霊の名前を知る時、自分を造られた神様の御前で自分の存在意味を発見することができます。神様の愛によって本来の自我を取り戻すことができます。創造主である神様がひとり子をお与えになったほどに私たちを愛しておられます。私たちひとりひとりは神様の前でほんとうに高価で尊い存在です。ところが、悪霊は私たちのうちにさまざま悪を取り入れます。悪い霊、悪い考えや心を取り入れます。私たちはそのような悪霊の存在を知らなければなりません。私たちは情欲の悪魔に取り付いているのか、ギャンブルの悪霊に取り付いているのか、安逸と高慢の悪霊に取り付いているのかを知らなければなりません。ですから、イエス様は彼に「おまえの名は何か。」と尋ねられました。彼が悪霊を捨てて、本来の自我を回復し、人生をやり直せるようにしてくださったのです。
 外見だけを見ると、ゲラサ人は気が狂った人に過ぎませんでした。それで、人々は彼を見捨てました。しかし、イエス様は彼を哀れんでくださいました。彼と愛の関係性を回復するために尋ねられました。「おまえの名は何か。」これはイエス様の愛の質問です。イエス様は滅んで行く一人の魂をあわれまれ、彼を悪霊から救おうとされました。イエス様は名前を尋ねることによって彼と正しい関係性を結ぼうとされました。
 イエス様の質問を聞いた彼の心が開き始めました。イエス様のいのちの光が暗闇を照らし始めました。すると、彼はイエス様の御前に真実に自分の名前を言いました。9b節をご覧ください。「私の名はレギオンです。私達は大勢ですから。」レギオンというのは6000人で構成されたローマの軍団のことです。それを見ると彼にはそれほど大勢の悪霊が働いていたと思われます。情欲の悪霊、高慢の悪霊、憎しみの悪霊、貪欲の悪霊、ねたみの悪霊、安逸の悪霊、淫乱の悪霊、劣等感の悪霊、自虐の悪霊など様々な悪霊が彼の中に入り、彼の考えや感情や意志を支配していました。彼の告白によって正体が現われました。もう、汚れた霊はそれ以上その人の中にとどまることができなくなりました。悪霊は自分の正体が現われると、出て行きます。私たちが自分の罪を言い表しますが、それによって悪霊の正体は明らかにされます。すると、悪霊は出て行きます。それで、悪霊度もは自分達をこの地方から追い出さないでくださいと懇願しました。

?.新しい人生を許されたイエス様(11?20)
11節をご覧ください。ところで、そこの山腹に、豚の大群が飼ってありました。彼らはイエス様に願って言いました。「私達を豚の中に送って、彼らに乗り移らせてください。」
その土地に豚が飼われていました。「豚」は、律法によると、汚れた動物とされています(レビ11:7)。汚れた、というのは、衛生上のことがあったでしょう。今でも豚はよく炊かなければならないと言われます。そこに寄生虫が生きている可能性があるからです。神様は、聖なる民イスラエルを形成されようとしていた時に、彼らをそうしたものから守ろうとされていたのでしょう。それで豚は食べてはならないとされていましたが、ここでは豚が飼われています。つまり、不法ビジネスが行われていたのです。そして、汚れた霊どもはイエス様に豚の中に移ることを「願って」います。汚れたもの同士は通じるところがあったでしょうか。汚れたものは汚れたものが好きです。しかし、聖なる神の民はきよいもの、聖なるものを好みます。
 13節をご覧ください。イエス様がお許しになると、汚れた霊どもは出て行って、豚に乗り移りました。すると、二千匹ほどの豚の群れが、険しいがけを駆け降り、湖へなだれ落ちて、湖におぼれてしまいました。ものすごい光景ですね。2千匹もの豚が湖になだれ落ちています。イエス様は、悪霊どもの願いを聞き入れて、豚に乗り移るのを許されました。悪霊にさえも、その意思を尊重されました。霊には人格がありますから意思があります。イエス様は、人格があり、意思があるものを、ロボットのように何かを強いるようなことはなさいません。人格のある者には、必ず自由な選択があるのです。
 悪霊につかれていた人は正気に返りました。彼は着物を着て、イエス様の前に座っていました。彼の狂った心は平和を回復しました。イエス様は一人を救うために豚2000匹を犠牲にされました。ここに神様の価値観、神様の優先順位を見ることができます。イエス様は一人のたましいを天下より尊く思われました。
 しかし、この驚くべきことに対する町の人々の反応はどうでしたか。彼らはイエス様のところに来て、悪霊につかれていた人、すなわちレギオンを宿していた人が、着物を着て、正気に返ってすわっているのを見ました。ところ、彼らはそれを喜ぶどころか、かえって、厄介なことを起こすイエス様に、この地方から離れてくださるよう願いました。ここに、この世の人々の価値観を見ることができます。彼らはひとりの人のたましいの価値よりも、豚につけられる経済的な価値を重視したのです。今日でも人々は、失うわずかな、つまらないものを惜しんで、キリストに従わずにいます。哀れなことです。
 18節をご覧ください。イエス様が舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人が、お供をしたいとイエス様に願いました。彼はイエス様の愛に感動され、いつまでもイエス様とともにいたいと願いました。しかし、イエス様はお許しにならないで、彼に使命を与えてくださいました。
19節をご一緒に読んでみましょう。「しかし、お許しにならないで、彼にこう言われた。 「あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたに、どんな大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。」
イエス様はその人の願いがかなうのを許されません。しかも、お供をしたいという願いにもかかわらず、それを拒まれています。なぜでしょうか。おそらく、彼の家庭は破壊されていたと思います。家族から捨てられた彼だけではなく、彼の家族も彼のために傷ついていたでしょう。イエス様はその家族を哀れんでくださったのではないでしょうか。イエス様は家族を大切にされるかたです。ですから、イエス様が彼に、どんな大きなことをしてくださった。主がこんなに私をあわれんでくださったを家族に伝えるようにしました。それによって家族の心を癒され、回復されるようにしてくださいました。
彼はキリストの証人となりました。そこで、彼は立ち去り、イエス様が自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、自分の家族だけではなく、デカポリスの地方で言い広め始めました。人々はみな驚きました。救われた人々の使命も同じです。それは主が私に、どんなに大きなことをしてくださったのか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせることです。
 イエス様は私達に救いの恵みだけではなく同時に使命を与えてくださいます。ローマ1:5は次のように言っています。「このキリストによって、私達は恵みと使徒の努めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためなのです。」使命は人を偉大な人にならせ、価値あるものにします。使命の人生はそれ自体が恵みです。

 結論、イエス様は墓場に捨てられた人、汚れた霊につかれた人を助けてくださいました。人々をそのような人を無視し、捨てましたが、イエス様は彼を哀れんでくださいました。「おまえの名は何か。」とお尋ねになり、汚れた霊を追い出してくださいました。彼はイエス様に出会い、失った自我を回復し、家族関係を回復し、すべてが新しくなりました。イエス様は墓場に住みついているような若者たちを哀れんでくださいます。彼から悪霊を追い出し、新しい人生を生きるように助けてくださいました。この聖なるみわざ、いのちのみわざのために私たちを救い、用いてくださることを感謝します。

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