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9-14 ヤコブの神様

投稿者: Jubfadmin 掲載日: 2004/12/23 (3197 回閲覧)
1999年 創世記第14講

 

ヤコブの神様

 

御言葉:創世記25:23?34,28:6?31:55

要 節:創世記28:13,14

「そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。『わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。』」

 

 先週はイサクを祝福された神様について学びました。今日の御言葉はイサクの次男ヤコブに関する内容です。ヤコブは父イサクや兄エサウとは違う性格の所有者でした。彼は闘争の人でした。彼は母の胎内から闘争を始め、彼の生涯は祝福を得るための闘争の連続でした。彼は何をしてもあきらめたり、退いたりすることを知らない不屈の人でした。また、彼はまじめな人でした。彼は人間的でありながらも霊的であり、霊的でありながらも人間的な人として変わりにくい強い人間性の所有者でした。彼はその強い人間性のために多く苦労しました。神様もこのヤコブを育てるために多くご苦労様でした。

 今日の御言葉はヤコブの前半部の生涯ですが、彼が得ようとしたものは何であり、また、ヤコブを育てられた神様はどんな方であるかについて学びたいと思います。

 

?.ヤコブとエサウ(25:23-34、27章)

 

ヤコブの生涯は母の胎内から兄と戦うことから始まります。リベかは双子をみごもりましたが、彼らは胎内で戦っていました。それで彼女は神様に祈りました。すると主は彼女に仰せられました。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」その後、出産の時が満ちると、双子が生まれましたが、 最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようでした。それでその子をエサウと名づけました。そのあとで弟が出て来たが、その手はエサウのかかとをつかんでいました。それでその子をヤコブと名づけました。エサウは彼の体の特徴に従って名づけられましたが、ヤコブは性格を特徴にして名づけられました。

ここで大切なのは、神様は母の胎内からヤコブに御旨を置かれたということです。神様は彼らが生まれて善悪を行う前に一方的にヤコブを選ばれ、ヤコブを通して救いのみわざを受け継がせようとされました。ここには人間の意志や行いが少しも介入されていません。ただ神様の主権的な選択があるだけです。ところが、私たちはこれに対して神様に不満を持つ時があります。神様はなぜエサウには少しも機会を与えられず、一方的になさるのか。神様は不義を行う方ではないか。それに対して使徒パウロはローマ9:10-13で次のように言いました。「このことだけでなく、まだ生まれてもおらず、善も悪も行わないうちに、神の選びの計画の確かさが、行いにはよらず、召してくださる方によるようにと、「兄は弟に仕える。」と彼女に告げられたのです。「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ。」と書いてあるとおりです。」神様は人間の行いとは関係なく主権的に  人類の救いのみわざを成し遂げておられます。神様がアブラハムを選ばれたことやイシュマエルではなくイサクを選ばれたことやエサウではなくヤコブを選ばれたことは救いのみわざをご自分の御旨に従って成し遂げておられることを示しています。ここには人間の意志や選択や行いや伝統的な慣習などが全く介入することができません。もしこのようなことが少しでも介入するなら救いの御業は恵みによらず、行いによるようになります。すると信仰はむなしくなり、神様の約束は廃棄されるようになります(ローマ4:14)。もし人間の行いによって人類の救いの御業が左右されるなら救いの御業は成し遂げられないでしょう。ですから神様が主権的に救いの御業を成し遂げておられることが一番公平であり、確実であり、恵みです。

エサウとヤコブは成長するにつれて姿や性格は全く違いました。エサウは巧みな猟師、野の人となりました。彼はイノシシなど動物狩りをして父を喜ばせました。彼は体格もよく、スポーツもよくできて女性たちからもてるタイプでした。反面、ヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいました。彼は台所で皿洗いをしたり、煮物を煮たりして母の手伝いをするタイプでした。ヤコブに比較して、エサウのほうがよほど男らしくさっぱりとしていました。このようなタイプの人が格好よく見えます。しかし、人はうわべを見て判断することができません。彼らの内面はどうだったでしょうか。

29節をご覧ください。ある日、ヤコブが煮物を煮ているとき、エサウが飢え疲れて野から帰って来ました。エサウはヤコブに言いました。「どうか、その赤いのを、そこの赤い物を私に食べさせてくれ。私は飢え疲れているのだから。」普通の人なら、「兄貴、お腹空いているのか。さあ、どうぞ。」と言ってあげたでしょう。しかし、ヤコブはその時を待っていたかのように「今すぐ、あなたの長子の権利を私に売りなさい。」と言いました。それを見ると、ヤコブは自分が長子として生まれてないのを悔しがっていたことがわかります。彼は母の胎内から先に出るために戦いましたが、力不足で後になりました。それでも彼はあきらめず、兄のかかとをつかんで出て来ました。彼は少しの差で自分が次男になったことを悔しがっていました。彼は自分の運命を悲しむしかありませんでした。しかし、彼はあきらめず、どうすれば長子の権利を奪い取れるかを考えていた時、煮物一杯でその権利を買おうとしたのです。ヤコブは何が大切で価値あるものかを知っていました。当時の長子の権利は大きいものでした。長子には家族のリーダとなる特権があり、相続財産も次男の二倍でした。何よりも神様の救いの御業においてアブラハムから始まった祝福を受け継ぐことができます。長子の権利があるかどうかは救いの御業に主役として用いられるかどうかの問題としてヤコブにとっては深刻な問題でした。彼は物質的なことより霊的なこと、現実的な有益より霊的な祝福、瞬間的なことより永遠なることを追求する人でした。彼は何が大切なことであるかを知り、それを得るために励んだ価値観がはっきりした人であり、思慮深い人でした。

反面エサウはどうでしたか。彼はヤコブの提案を聞いて言いました。32節をご覧ください。「見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう。」彼は食べ物を長子の権利より大切に思いました。彼は自分の欲望のままに行動し、自分の肉の欲望を満たすことで満足する人でした。彼は、神様からの祝福を求める霊的な人ではなく、肉的な人でした。彼は現実主義者でした。彼には真理に基づいたはっきりとした価値観や人生観がありませんでした。エサウはヤコブに誓って長子の権利を売りました。ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり、飲んだりして、立ち去りました。こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのです。ヘブル人への手紙の著者は次のように言いました。「また、不品行の者や、一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい。」(12:16)。

エサウとヤコブの価値観は彼らの結婚のことを通してもよく現れています。26:34、35節を見ると、エサウは四十歳になって、ヘテ人ベエリの娘エフディテとヘテ人エロンの娘バセマテとを妻にめとりました。ヘテ人は偶像礼拝者として神様の裁きの対象でした。彼女たちはイサクとリベカにとって悩みの種となりました。エサウはまた、カナンの娘たちが父イサクの気に入らないのに気づいてイシュマエルの娘を妻にしました。彼は肉的であり、感情的でした。彼には霊的な価値観がありませんでした。反面、ヤコブは親の指示に従って信仰の結婚をしようとするはっきりとした霊的な価値観を持っていました。

 エサウとヤコブの価値観を考えて見ながら私たちが神様の救いの御業に用いられるためにはヤコブのような価値観を持たなければならないことを学びます。今日の多くの人々は理念よりは実利、名誉よりは現実の有益を大切にしています。それで今の時代は物質的であり、肉の欲望を満たすエサウの哲学が通用します。もしこのような時代に調子を合わせて信仰を捨てる人がいるならその人はエサウのような人です。私たちには牧者としての名分、聖書先生としての名分、宣教師としての名分があります。このような名分は現実的に有益を与えるものではなく、世の人々が認めてくれるものでもありません。むしろこのような名分のために現実的には損することがあったり、無視されたりすることもあります。それでエサウようにそれを軽蔑し、現実の有益に従いやすいです。しかし、このような人は神様に用いられません。神様はヤコブのように名分を大切に思う人を祝福し、用いられます。

 27章でヤコブは母リベかの助けによって神様の祝福を奪い取りました。そのために彼は恐れを克服して父をだましました。彼は卑劣なやり方でそれを手に入れましたが、どんな犠牲を払ってでも神様の祝福を奪い取ろうとする霊的な望みが満ちていました。彼は次男として生まれた運命を克服してついに長子の権利と神様の祝福を奪い取りました。それによって彼は兄に憎まれて、父母のもとを離れて行かなければならなくなります。ヤコブが卑劣な手段を用いて長子の権利と祝福を奪ったのは問題です。しかし、彼にはひたすら主の祝福にあずかりたいという願望があり、それを切に求めた故に祝福を受けることができました。

 

?.ヤコブにビジョンを与えられた神様(28:10-22)

 


ヤコブと約束された神様(10-15)

ヤコブがエサウの祝福を横取りにするとエサウは父がなくなると弟を殺そうとする復讐心を抱くようになりました。それを知ったリベカはヤコブを自分の父の家に行かせることにしました。それでヤコブは住み慣れたベエル・シェバを後にしてカランへと旅立ちました。彼は愛する家族、愛する父母から離れて旅人となりました。彼は旅をしてある所に着きました。そこは故郷のベエル・シェバから約80キロも離れた所で、しかも人里離れた所でした。そこに着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにしました。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になりました。その時のヤコブの心はどうだったのでしょうか。彼は自分の孤独と無力さを痛感させられたに違いありません。彼は愛する家族、特に母の懐を離れた悲しみと寂しさ、将来に対する不安、兄が追いついて来るのではないかと言う恐れのために楽に眠れることもできなかったでしょう。このように自分がより頼っていたすべてのものを奪われた時、彼は初めて「自分自身」と直面しました。このように自分の無力さと孤独を深く体験することが、個人的に神様を知る経験に導かれる前提なのです。彼は夢で、驚くべき光景を目にしました。12節をご覧ください。夢の中で一つのはしごが地に向けて立てられていました。その頂は天に届き、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていました。ヤコブはこれから旅人の人生を送るようになります。現在彼に必要なのは慰めとビジョンでした。神様はこのようなヤコブに現れて慰めとビジョンを与えてくださいました。人にビジョンがないとき、現実に縛られて虫のような生活をするしかありません。しかしビジョンがあるとき、どんな苦しみも耐えることができます。神様がヤコブに見せてくださったビジョンは神様が治められる神の国でした。また、はしごは天からのもの、神様からのものであり、神様の恵みによって天と地を結ぶものでした。これは将来仲介者であるイエス・キリストによって神の国に入り、神様と交わることができることを啓示しています。神様はヤコブを訪ねてこられ、不安と恐れに満ちていた彼の心にビジョンを与えられました。

 神様は彼にビジョンを与えるだけではなく、具体的な約束をくださいました。13-14節をご一緒に読んでみましょう。「そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。」神様はアブラハムの神、イサクの神、主です。そしてこの神様はヤコブの神様となられるために彼を訪ねてこられ、約束を与えてくださいました。神様はアブラハムとイサクに与えられた約束の御言葉をヤコブにも同じく与えられました。神様は彼に約束だけではなく、彼とともにあり、彼がどこへ行っても、彼を守り、彼をこの地に連れ戻すと約束して下さいました。この神様は実に恵み豊かな神様です。神様は彼がひとりになって誰も頼る対象がいない絶望的な時に現れて彼と人格的な関係性を結び、驚くべきビジョンを与え、彼が頼れる約束の御言葉も与えてくださいました。神様は彼に驚くべき御旨を置かれ、彼とともにおられました。

 (2)ベテルの誓い(28:16-22)

 ヤコブは夢の中で神様に出会ってから眠りから覚めました。彼は「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」と言って恐れおののきました。彼は父母を離れて自分は一人だと思ったし、神様からも捨てられたのではないかと思いました。しかし、主は彼とともにいてくださいました。主は一つの場所に限定される方ではなく、いつでも、どこにでもともにいてくださる方なのです。ヤコブはこの主の臨在に触れた時、恐れおののきました。それ以前は、彼は孤独を恐れ、不安におののいていたに違いありません。しかし、今、彼は主の臨在の前に自分の罪と汚れを知り、自分が聖なる主の前に立つことができない者であることを知って恐れおののきました。その時、彼は主に個人的に出会いました。彼は神様が自分に会ってくださった場所を記念にするために自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそぎました。そして、その場所の名をベテル、すなわち、神の家と呼びました。

 そしてヤコブは神様の御前に誓願を立てました。20-22節をご覧ください。「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路で私を守ってくださり、私に食べるパンと着る着物を賜わり、私が無事に父の家に帰ることができ、主が私の神となってくださるので、私が石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜わる物の十分の一を私は必ずあなたにささげます。」彼の旅路にはどんな危険が待っているか知りません。また、これから衣食住の問題はどうやって解決したらいいのか、本当に父の家に帰ることができるのか、彼の将来は不安でいっぱいでした。しかし、彼はそのような切実な問題を主が解決してくださることの信仰告白をしました。そして、主がこのように成し遂げてくださることに対して彼は誓願をもって主に応答します。一番目は、主が自分の神となるということです。これは神様を個人的に受け入れるという以上の意味が含まれています。それは偶像礼拝が氾濫している時代の雰囲気の中でも唯一の神様を信じて従うという意味です。二番目は、彼が石の柱として立てた石は神の家となるということです。つまり、これは偶像礼拝が盛んになっている異邦文化の中でも神様の御名を呼び求めながら礼拝する神の家を建てることです。三番目は、所得の十分の一を必ず主にささげるということです。これは与えられるもののすべては主からの賜物であることを信じることの信仰告白です。これを見ると、彼の誓願は彼が神様の御前にどんな人生を送るかという決断であり、約束です。

 この誓願はヤコブの側からは神様の御前に生活を出発した大切な意味を持っています。アブラハムが祝福の源とする神様の約束の御言葉に基づいて信仰生活を出発したようにヤコブもともにおられるという神様の約束の御言葉に基づいて新しく信仰生活を出発しました。私たちも神様の御言葉に基づいて新しく人生を出発する時、神様の御前に意味ある人生を過ごすことができます。また、この誓願は神様の側からは彼とともにおられ、彼の人生に具体的に働かれるきっかけになりました。神様は彼の誓願を受けられ、それに基づいて導いてくださいました。

ここで私たちは誓願を立てる重要性について学ぶことができます。誓願は私が神様の御前でどんな人生を送るかと心を定めることです。ところが、人々は神様から恵みと祝福を受けることは好みますが、誓願を立てることは好みません。それは誓願を立てると捕らわれると思うからです。しかし、神様に捕らわれないことがいいことではありません。神様に捕らわれないとサタンに捕らわれるようになります。神様の御手に捕らわれる時、神様がその人の人生の責任を負ってくださいます。ある人は誓願を立てると必ず守らなければならないので守れないなら最初から立てないほうがいいと思っています。しかし、誓願を立てると神様がそれを守れる力も与えてくださいます。誓願のない人生は定まるところのない人生として神様との関係性を結ぶことができません。私たちが御言葉に基づいて神様の御前で恐れおののく心を持って真実に誓願を立てると神様はそれを受けられ、私の人生の責任を負ってくださいます。

 

?.ヤコブに十二人の子どもを与えられた神様(29-31章)

 

ヤコブはベテルで神様に出会ってから力を得て旅を続け、カランの近くまでやって来ました。そこで羊の群れを連れてやって来た母の兄ラバンの娘であるラケルに会いました。ヤコブはラバンのところに一か月滞在しながらただで仕えました。ヤコブが来ていることが有益であると思ったラバンはヤコブと雇用契約を結ぼうとしました。普通の人ならお金を儲けるために契約を結びます。ところがヤコブはラケルのために七年間ラバンに仕えると言いました。彼はお金より愛を、愛より名誉を大切に思いました。ヤコブは父イサクの頼みのとおりに信仰の結婚をしようとしました。29:20節をご覧ください。ヤコブはラケルのために七年間仕えました。ヤコブは彼女を愛していたので、それもほんの数日のように思われました。七年間をほんの数日のように思うほどヤコブのラケルに対する愛は猛烈でした。彼の愛は単純に感情的で肉的な愛ではありませんでした。もし肉的な愛だったなら一年も我慢できなかったでしょう。彼の愛は純粋で真実な愛でした。また、彼の愛は変わらない愛でした。彼は一生の間ラケル一人を真実に愛し続けました。

 いよいよ雇用期間も満了したので、ヤコブはラバンにラケルを妻として与えてくれることを求めました。ところが、ラバンはヤコブをだましてラケルの代わりに娘レアをとり、彼女をヤコブのところに行かせました。そして、「われわれのところでは、長女より先に下の娘をとつがせるようなことはしないのです。」と言ってラケルをあげる代わり、もう七年間、仕えなければならないと言いました。結局ラケルひとりを得るためにヤコブは14年間ラバンに仕えました。ここにも彼の執念深さが現れています。彼がそのように14年間仕えたことは無駄にはならず、四人の妻と12人の息子と一人の娘を得るようになりました。29:31-30:24節まではレアとラケルが夫に愛されるために子供を産む競争をする内容です。ヤコブの家庭には静かな日々がなかったでしょう。二人の女性が激しい競争をしていたのでまるで戦争をするところのようだったと思います。レアは息子をよく産みましたが、夫に愛されないコンプレックスを持っていました。ラケルには夫に愛されましたが、息子を産めないコンプレックスがありました。彼女達はヤコブを間にして互いに自分たちのコンプレックスを解決するために競争する間、12人の息子たちが産まれました。このような中で神様は二つのことをなされました。第一に、人間性の強いヤコブを訓練されました。ヤコブは四人の妻の間で絶えず訓練を受けました。息子が産まれても自分が名前を付けることさえできなかったことを見ると、彼の強い自尊心が砕かれる訓練を受けたでしょう。神様は人の杖、人の子のむちを持って彼を懲らしめ、彼の強い人間性を砕かれ、多くの国々の父としての内面性を持つようにされました。

第二に、イスラエルの12部族の基礎を置かれました。神様は二人の女性のねたみと競争心を用いられ、ヤコブが知らないうちに天の星のような子孫を与えるという約束を成し遂げておられました。

このように四人の妻と多くの子供を得た後、ヤコブは財産に関心を持ち始めました。ヤコブは財産を儲けるためにラバンと契約を結びました。それはラバンの羊とやぎの中でぶち毛とまだら毛のもの、黒毛のものを自分の報酬とすることです。ラバンはその日、そのようなものを全部取り出して、自分の息子たちの手に渡し、ヤコブとの間に三日の道のりの距離をおきました。ヤコブは非常に不利な立場に立たされました。しかしヤコブはいつものように落胆せず、頭を使って不可能に挑戦し始めました。神様はこのような彼を助けてくださり、彼は大いに富み、多くの群れと、男女の奴隷、およびらくだと、ろばとを持つようになりました(30:43)。神様は約束のとおりにヤコブとともにおられ、彼を祝福してくださいました。ヤコブはラバンのところでラケルを得るために14年、財産を得るために6年、あわせて20年間仕えました。それでは20年間どんな姿勢で仕えましたか。31:38-42節を見ると、彼は仕事に怠けたり、適当に働いたりしませんでした。ラバンが幾度も報酬を変えたのにもかかわらず、彼は力を尽くしてラバンに仕えました。彼は昼は暑さに、夜は寒さに悩まされて、眠ることもできないほどでした。彼は神様のしもべらしく心と力を尽くして働きました。その時、神様はヤコブを祝福してくださいました。

ヤコブが大いに富むようになると、ラバンの息子たちが、「ヤコブはわれわれの父の物をみな取った。父の物でこのすべての富をものにしたのだ。」と言ってつぶやきました。ヤコブに対するラバンの態度も、以前のようではありませんでした。その時、主はヤコブに仰せられました。「あなたが生まれた、あなたの先祖の国に帰りなさい。わたしはあなたとともにいる。」(31:3)。そこでヤコブは使いをやって、ラケルとレアを自分のところに呼び寄せ、家族会議をした後、すべての所有を持ってラバンに知らせないで父イサクのところへ出かけました。三日目に、ヤコブが逃げたことがラバンに知らされたので、彼は身内の者たちを率いて、七日の道のりを、彼のあとを追って行き、ヤコブに追いつきました。ヤコブはすべての財産を奪われて続けてラバンのしもべとして仕える危機に処せられました。しかし神様は夜、夢にラバンに現われて「あなたはヤコブと、事の善悪を論じないように気をつけよ。」と言われました。もしこの神様の介入がなかったなら、ヤコブは大変な目にあったはずです。しかし神様は、「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻す。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(28:15)とベテルで約束された通りに彼を守ってくださいました。

結論、以上で私たちは一度選ばれたヤコブを訓練してくださる神様の愛について学びました。ヤコブは欲張りであり、人間性が強い人でした。彼は自分の兄や父をだましました。このような人が好きな人はあまりいません。しかし、神様は彼を選ばれ、彼とともにおられました。そして彼を祝福してくださいました。彼が神様の祝福を受け継ぐ内面性のある人となるように訓練してくださいました。ヤコブはなかなか変わりにくい人でしたが、神様は諦めず、長い間忍耐しながら彼を育ててくださいました。この神様は今も生きておられ、私たち一人一人を選ばれ、訓練しておられます。

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