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BibleMsg > マルコの福音書 > 2000-17講 信仰の力・祈りの力

2000-17講 信仰の力・祈りの力

投稿者: Jubfadmin 掲載日: 2004/12/23 (2193 回閲覧)
2000年マルコの福音書第17講



信仰の力・祈りの力



御言葉:マルコの福音書9:14?29

要 節:マルコの福音書9:23

「するとイエスは言われた。『できるものなら、と言うのか。

信じる者には、どんなことでもできるのです。』」





 今日の御言葉には限界を乗り越える信仰の力と祈りの力について記されています。私たちがどのようにしたら力ある人生を過ごせるでしょうか。イエス様は言われます。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」今日の御言葉を通して信仰の力と祈りの力について学び、限界を乗り越える力ある人生を過ごせるように祈ります。



?。ああ、不信仰な世だ(14ー19)



 イエス様がペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れて変貌山から降りて来られた時、他の弟子達は何をしていましたか。14節をご覧ください。彼らは回りに大勢の人の群れがいる中で律法学者達と論じ合っていました。彼らは自分達を山の下に残しておいてイエス様が三人の弟子達だけを連れて山に上って行かれたことで心を騒がしていました。その時ある人が悪霊につかれた子供を連れて来て悪霊を追い出してくれるようにお願いしました。弟子達はイエス様がいらっしゃらない時に大勢の人々の前で自分たちの力を見せて上げたいと思いました。彼らは伝道旅行に行った時、悪霊を追い出した経験があったので今度も十分できると思いました。その時大人につかれた悪霊も追い出したのですから子供につかれた悪霊くらいは簡単に追い出せると思いました。それで自信を持って叫びました。「悪霊よ。その子から出て行け。」ところがその悪霊は全く出て行こうとしませんでした。ただ子供だけが弟子達の大声に驚いて目を丸くして見ていました。弟子達は戸惑いました。彼らは今度は声を合わせて大きい声で叫びました。「汚れた霊よ。出て行け。」しかし今度も悪霊は出て行きませんでした。弟子達は段々あせてしまいました。それを見ていた律法学者達は非難しました。「あなたがたは何の権威を持って悪霊を追い出しているのか。」弟子達は力がなくて何もできず、律法学者達と論じ合っていました。

 ちょうどその時、イエス様と三人の弟子達が山から帰って来ました。群衆はみな、イエス様を見ると驚き、走り寄って来て、あいさつをしました。イエス様は彼らに、「あなたがたは弟子達と何を議論しているのですか。」と聞かれると群衆の一人がイエス様に事情を話しました。「先生。おしの霊につかれた私の息子を、先生のところに連れてまいりました。その霊が息子に取りつきますと、所かまわず彼を押し倒します。そして彼はあわを吹き、歯ぎしりして、からだをこわばらせてしまいます。それでお弟子達に、霊を追い出してくださるようにお願いしたのですが、お弟子達にはできませんでした。」(17,18)。子供の父親は事情とともに無力な弟子達について告げました。それでは伝道旅行の時には悪霊を追い出すことができた弟子達がなぜこのように無力になったのでしょうか。彼らは過去の経験に頼りました。彼らは自分達の力によって悪霊を追い出そうとしました。彼らは霊的な世界をよくわかりませんでした。過去彼らが悪霊を追い出すことができたのは、イエス様から汚れた霊を追い出す権威が与えられたからです(マルコ6:7、12ー14)。しかし彼らは一度成功すると高慢になりました。まるで自分達に力があるかのように思い、神様に頼らず、祈りもしませんでした。すると彼らは失敗するしかありませんでした。

 子供の父親から事情を聞かれたイエス様は何と言われましたか。19節をご覧ください。「ああ、不信仰な世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。その子をわたしのところに連れて来なさい。」イエス様はなぜ「ああ、不信仰な弟子達だ。」と言われず、「ああ、不信仰な世だ。」と言われたのでしょうか。イエス様は一人の子供を通してその時代をご覧になったからです。その時代はまるで悪霊につかれた子供が地面に倒れ、あわを吹きながらころげ回っているような状態でした。イエス様はその時代の問題をどのように診断されましたか。その時代はローマ帝国によって人々が自由を奪われていることが一番大きな問題のように見えます。しかしイエス様はその時代の根本的な問題を不信仰としてご覧になりました。その時代の人々は神様から離れ、神様を知りませんでした。不信仰がその時代の問題でした。イエス様は不信仰な世を悲しまれました。特に霊的な指導者達が信仰がないことを悲しまれました。律法学者達や弟子達はその時代を代表する霊的な指導者達でした。 

 律法学者達は聖書学者として聖書を研究し人々に聖書を教えなければなりませんでした。彼らは神様の御言葉によって人々に進むべき道を教え、希望を植え付けるべきでした。しかし彼らは苦しんでいる人々よりは宗教政治にもっと関心がありました。また、弟子達は将来その時代を導く霊的な指導者であり、救いのみわざの主人公達でした。イエス様は彼らに大きな希望を置かれ、3年間彼らとともに生活しながら御言葉を教え、信仰を植え付けられました。彼らが羊達を養う良い牧者であり、自立的な主のしもべになるように訓練されました。しかし彼らは長い間の訓練にもかかわらず、一人の子供の問題さえ解決できないほど無力でした。彼らが無力だったのは不信仰のためです。イエス様は弟子達の不信仰をご覧になって非常に悲しまれました。



?。できるものなら、と言うのか(20ー29)



 20節をご覧ください。そこで、人々はイエス様のところにその子を連れて来ました。その子がイエス様を見ると、霊はすぐに彼をひきつけさせたので、彼は地面に倒れ、あわを吹きながら、転げ回りました。悪霊は子供の状態をもっと悪化させることによって人々に不信仰を植え付けようとしました。イエス様はその父親にどんな質問をされましたか。21節をご覧ください。「この子がこんなになってから、どのくらいになりますか。」父親は言いました。「幼い時からです。この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私達をあわれんで、お助け下さい。」イエス様はまず子供の父親に関心を持たれました。イエス様はその父親が子供によってどれほど苦しんでいたかを知っておられました。それで彼をあわれみ、彼の信仰を助けようとされました。父親は愛する息子が幼い時から悪霊につかれて地面に倒れ、あわを吹きながら、歯ぎしりしていることを見た時、どれほど絶望したでしょうか。また悪霊が子供を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込んだ時、父親の心情はどうだったのでしょうか。悪霊の属性は殺し、滅ぼすことです。悪霊につかれた人は自殺感情に捕われて時々自殺しようとします。子供の父親はいつ子供が自殺するかわからないのでいつも不安な日々を過ごして来たでしょう。彼はイエス様に助けを求めながら言いました。「ただ、もし、おできになるものなら、私達をあわれんで、お助け下さい。」この言葉は「もし、子供から悪霊を追い出すことができる力があれば助けてください。しかし、もし、できなければ仕方がありません。」という意味です。彼のことばの中には不信仰があります。

 子供の父親は今まで子供を治すためにあらゆる努力をして来たでしょう。有名な医者がいると聞いたらすぐ子供を連れて行って治療を受けたと思います。しかし、どんな医者も子供を癒すことができませんでした。そのうちに絶望の中でイエス様に対するうわさを耳にしてイエス様を捜して来ました。最初に彼は信仰を持って来たと思います。しかしイエス様はおられず、9人の弟子達だけがいました。それでその弟子達にお願いしましたが、弟子達は少年を癒すことができませんでした。それによって父親の心の中には不信仰が生じました。半信半疑する心が生じました。暗い考えと否定的な考えに捕われるようになりました。

 イエス様はこのような父親をどのように助けてくださいましたか。23節をご一緒に読んで見ましょう。「するとイエスは言われた。『できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。』」イエス様は彼を同情するところか彼の不信仰を叱られました。イエス様は彼の心の中に働いている不信仰と戦われました。イエス様は彼の不信仰を叱られ、彼に信仰を植え付けようとされました。イエス様は不信仰の世をご覧になり、悲しまれました。また、子供の父親の不信仰を叱られました。それを見るとイエス様が一番悲しまれ、叱られるのは不信仰であることがわかります。

 民数記13、14章を見るとイスラエル人がカナンの地に着いた時、12部族の族長達がカナンの地を偵察して帰って来ました。その時カレブとヨシュアを除いた10人の族長達はその地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、彼らに比べると自分達はいなごのように見えたと報告しました。10人の族長達から不信仰の報告を聞いたイスラエル人はみな絶望し、大声をあげて叫び、その夜、泣き明かしました。その時神様はモーセに仰せられました。「この民はいつまでわたしを侮るのか。」不信仰は神様の力を侮る罪です。私達が不信仰と疑いと否定的な考えを持つ時、決して神様に喜ばれることができません。神様は信仰の人を喜ばれ、その信仰を祝福されます。

 イエス様は信じる者にはどんなことでもできると言われました。この御言葉から見ると信仰の人には不可能がないことがわかります。ナポレオンは「私の辞書には不可能という文字がない。」と言いました。しかし、このような彼にも不可能はありました。彼はロシアを征服できず、死の力に打ち勝つことができませんでした。しかし信仰がある人はロシアも征服することができます。死の力も打ち破ることができます。今ロシアには多くの宣教師達が派遣されて福音によってロシアを征服しています。またイエス様は「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」と言われました(ヨハネ11:25、26)。イエス様を信じる人は人間の最大の限界である死も打ち勝つことができます。それで信仰の人には虚無、孤独、無意味、運命という単語がふさわしくありません。信仰の人は「だめだ。できない。不可能だ。」という否定的なことばを口に出しません。

 信仰は大きな宝です。信仰があればどこに行っても勝利の人生、力ある人生を過ごすことができます。ある人は大学を卒業しながら自分に何が残ったかを考えます。もし、その人が学生の時に信仰を学んだのなら、成功的な大学の生活を送ったと言えるでしょう。宣教師達は日本に来て、自分に何が残ったかを考えます。もし、日本で信仰を学んだのなら人生の一番よい宝を得たことでしょう。信仰さえ学んだのなら、どこに行っても敗北を知らない勝利の人生を過ごすことができます。使徒パウロは、病弱な人でしたが数万キロの旅をしながら小アジア、ヨーロッパに多くの教会を開拓しました。そして、彼は囚人として鎖につながれてローマに行きました。彼には監獄という限界がありました。しかし彼は「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ4:13)と信じて番兵達と1:1聖書勉強をしました。その結果ローマが福音化される基礎を築くようになりました。三浦綾子さんは若い時からなくなるまで多くの病気を患っていました。しかし彼女は信仰によって病気と闘いながら多くの信仰書籍を出しました。そして彼女が書いた本は多くの人々に励ましと信仰と感動を与えています。ムディーは小学校しか卒業できませんでしたが、多くの本を読み、偉大な御言葉のしもべになりました。信じる者にはどんなことでもできるのです。イエス様はヨハネの福音書14:12で弟子達に言われました。「わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行います。」神様は私を通して大きなことを行なうことを願われます。しかし私達は信仰がなくて神様の力を制限させ、主を悲しませる時が多くあるのではないでしょうか。ある人は失敗や試練の前で絶望し、信仰を失ってしまいます。それは非常に残念なことです。しかし、ある人は失敗や試練を通して信仰を学びます。私達は失敗を恐れないでそれを通して信仰を学ばなければなりません。特に復活信仰を学ばなければなりません。私達が失敗しても信仰によって再び立ち上がればいいです。失敗しても再び立ち上がり挑戦することが信仰です。この時間私達の中にある不信仰を悔い改めて信仰によって立ち上がり、力ある人生を過ごすことができるように祈ります。

 24節をご覧ください。イエス様に叱られたその子の父親はすぐに、叫んで言いました。「信じます。不信仰な私をお助け下さい。」彼は自分の弱さと不信仰と疑いを真実に主に告白しました。そして信仰を持つように助けを求めました。それが祈りです。

 25節をご覧ください。イエス様は彼の祈りを聞かれその子をいやしてくださいました。イエス様は、汚れた霊をしかって言われました。「おしとつんぼの霊。わたしが、おまえに命じる。この子から出て行きなさい。二度と、はいってはいけない。」するとその霊は、叫び声をあげ、その子を激しくひきつけさせて、出て行きました。するとその子が死人のようになったので、多くの人々は、「この子は死んでしまった。」と言いました。しかし、イエス様は、彼の手を取って起こされました。するとその子は立ち上がりました。イエス様は悪霊を追い出せる権威を持っておられる方です。

 イエス様が家にはいられると、弟子達がそっとイエス様に尋ねました。「どうしてでしょう。私達には追い出せなかったのですが。」弟子達はイエス様が悪霊を追い出した秘訣が何であるのかを知りたいと思いました。すると、イエス様は言われました。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」イエス様が信仰の力について言われた後、祈りについて言われたのは祈りは信仰の表現だからです。信仰があると言いながら祈らない人は実は信仰がない人です。

 イエス様は祈りによらなければ、悪霊を追い出すことができないと言われました。弟子達が自立的で力ある主のしもべになる秘訣は祈りを学ぶことです。祈りは自分の弱さを悟り、謙遜に主に頼ることです。悪霊は人間の力や知恵によって追い出せるものではありません。それを追い出す力は、神様から受けなければなりません。そして、この力は祈りによって得ることができます。祈る時に上からの神様の力をいただき、自立的なしもべ、力ある人生を送ることができます。

 結論、この時代の問題は悪霊につかれた子供のような人々が多くいることです。しかし、もっと根本的な問題は不信仰のため彼らを助けることができないことです。私達はサマー・バイブル・キャンプを準備しています。信仰によってサマー・バイブル・キャンプを準備し、罪によって苦しんでいる多くの人々が罪の赦しと救いの恵みを受けることができるように祈ります。私達が限界を乗り越える信仰を持って羊たちとともに参加することができるように祈ります。洪ヨセフ宣教師のために信仰の祈りを捧げることができるように祈ります。神様が彼の病気を癒してくださるように祈ります。

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