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BibleMsg > マルコの福音書 > 2000-7講 十二弟子を任命されたイエス様

2000-7講 十二弟子を任命されたイエス様

投稿者: Jubfadmin 掲載日: 2004/12/23 (2529 回閲覧)
2000年マルコの福音書第7講

 

十二弟子を任命されたイエス様

 

御言葉:マルコの福音書3:13?35 

要 節:マルコの福音書3:14,15「そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。」

 

「一年を計る人は穀物を植え、10年を計る人は木を植え、100年を計る人は人を育てる」ということわざがあります。イエス様が働いておられた時代にはなすべきことが多くありました。そんな中でイエス様は人を育てられました。今日の御言葉はイエス様が12弟子を任命された出来事です。弟子養成は福音の御業を一番効果的にまた、確実に成し遂げる神様の知恵であり、神様の御業の方法です。イエス様はどんな人々を弟子として任命されたのでしょう。今日は、イエス様が12弟子を任命された目的について学びたいと思います。また、私達がイエス様の弟子となるために励むべきことが何かを学びたいと思います。

 

?.十二弟子を任命されたイエス様(13-19)

 

13節をご覧ください。「さて、イエスは山に登り、ご自身のお望みになる者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとに来た。」先週私達はイエス様が安息日に片手のなえた人を癒して下さった出来事について学びました。その時、イエス様は片手のなえた人を利用してイエス様を訴えようとしているパリサイ人のことで怒り、嘆かれました。人々は羊飼いのいない羊のようにあわれな状態でした。イエス様はこの問題を持って山に登りました。ルカ6:12を見ると、イエス様は神様に祈りながら夜を明かされました。それからイエス様は何をなさいましたか。イエス様はご自分のお望みになる者たちを呼び寄せられました。イエス様は多くの人々の中から普段よく観察して育てようと心の中に定めておいた人々を呼び寄せられました。彼らがイエス様に選ばれたのは一方的な神様の主権であり、恵みでした。

イエス様は十二弟子を任命されました。イエス様は彼らの名前を呼ばれました。「ペテロ、ヨハネ、ヤコブ」。すると、彼らはイエス様のみもとに来ました。それは彼らがイエス様を信頼してすべてのことをイエス様にゆだねたことを意味します。彼らは謙遜な人々でした。イエス様に対して心を開いている人々でした。彼らはイエス様から学ぼうとする心を持っていたので大きく成長する可能性がある人々でした。このようにイエス様の召されに応答する人々を主は責任を持って導き、育ててくださいます。

それではイエス様が弟子達を任命された目的は何ですか。14,15節をご覧ください。「そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。」

第一に、彼らを身近に置くためでした。それは24時間彼らとともに生活することを意味します。ともに食事をし、ともに働き、ともに話し合い、ともに運動をし、ともに寝ることを意味します。イエス様は彼らを身近に置き、一緒に生活しながら育てられました。人はともに生活して見るとその人をよく知ることができます。見た目では立派に見える人でも一緒に住んでみると弱点がよく見えます。結婚して生活してみて初めて自分の旦那がいびきをすることがわかります。朝寝坊する姿、利己的な姿、気が短い姿などが見えます。それで、人は知れば知るほど失望する場合が多くあります。しかし、イエス様は知れば知るほどその思想と人格、力と知恵に感嘆せざるを得ません。弟子達はイエス様とともに生活しながらイエス様が生ける神の子、キリストであることを知るようになりました。私たちがイエス様をよく知るためにはイエス様とともにする生活をしなければなりません。安息日の礼拝時間にはイエス様とともにしますが、その以外の時間にはイエス様と離れた生活をするとイエス様をよく学ぶことができません。私達は礼拝を捧げる時間や聖書を学ぶ時間だけではなく、学校で勉強をする時や職場で働いている時にもイエス様とともにする生活をしなければなりません。奥様達は子供を育てる時も家で洗濯や掃除をする時もイエス様とともにする生活をしなければなりません。どうすれば目に見えないイエス様とともにする生活ができるでしょうか。それはイエス様を私の心の中に主として受け入れて生活することによって可能です。皆さんの心の主人は誰ですか。何が心を支配していますか。自分自身ですか。それとも憎しみや妬みが主人になっていますか。何かいらいらする心が支配していますか。もし、憎しみや妬みが自分の心を支配しているなら、こう祈りましょう。「イエス様。私の心を憎しみや妬みが支配しています。どうか。私を哀れんでください。イエス様。あなたこそ私の主です。」そして、イエス様を心の中に迎え入れましょう。すると、不思議にも妬む心や憎しみが消え去り、イエス様が私の心を支配してくださいます。また、私達はイエス様とともにするために聖書の御言葉を黙想し、受け入れなければなりません。また、イエス様と祈りを通して話し合う生活、賛美する生活に励まなければなりません。このようにイエス様とともに交わる時、私達は日々新しく変えられ、立派なイエス様の弟子として成長することができます。

第二に、彼らを遣わして福音を宣べさせるためでした。イエス様は彼らをどこに遣わしますか。それはもちろん福音を知らない人々のところです。ノンクリスチャン達のところに遣わします。キャンパスに遣わします。全世界に遣わします。何のために彼らを遣わしますか。それは福音を宣べさせるためです。イエス・キリストの十字架と復活の福音、これこそ唯一の福音です。このイエス・キリストの福音こそ唯一の救いの福音です。天下にイエス・キリスト以外に救いはありません。弟子達はイエス様から遣わされた人、すなわち、イエス様の全権大使です。ですから、遣わされた弟子達は何も恐れる必要がありません。

第三に、霊的な権威を持たせるためでした。人間を根本的に苦しめるものはサタンです。このサタンと戦うためには霊的な権威を持たなければなりません。霊的な人になるためには祈る人にならなければなりません。マルコの福音書9章を見ると、イエス様は悪霊につかれた子供を助けることができなかった弟子達に言われました。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」(マルコ9:29)。イエス様は弟子達が聖霊の力によって悪霊を追い出す権威を持つことを願われました。私達が祈りによって霊的な権威を持って人々を苦しめている悪霊を追い出し、いのちを救う御業に用いられるように祈ります。

16-19節には12弟子達の名前が出ています。「こうして、イエスは十二弟子を任命された。そして、シモンにはペテロという名をつけ、ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、このふたりにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。次に、アンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党員シモン、イスカリオテ・ユダ。このユダが、イエスを裏切ったのである。」シモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネはガリラヤの漁師達でした。マタイは取税人でした。熱心党員シモンはイスラエルの解放のために戦う人でした。その以外の6人は元の身分が何かよくわかりません。イエス様は現在彼らは足りませんが、将来使徒の働きの御業を担う働き人として成長する望みを持って育てられました。神様は知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。

イエス様は彼らの中で、誰にあだなをつけてくださいましたか。シモンには岩、礎石という意味のペテロという名をつけました。イエス様はやがてペテロが教会の礎石になるビジョンを与えられたのです。ヤコブとヨハネにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられました。その名前通り、ヤコブは最初の殉教者として世を驚かせ、ヨハネはヨハネの福音書と黙示録の著者として世の光となりました。イエス様が十二弟子の中で彼ら三人にあだなをつけてくださったのは、彼らをキーメンバーとして育てようとされたからです。


?.イエス様の新しい家族観(20-35)

 

20節をご覧ください。イエス様が家に戻られると、また大ぜいの人が集まって来たので、みなは食事する暇もありませんでした。イエス様は祈りながら夜を明かされました。また、朝から晩まで多くの病人を癒し、悪霊を追い出し、いのちの御言葉を教えられました。また、任命した12弟子を養育するのに力を尽くされました。イエス様は人々を助けるために食事する暇もないほどいそがしい生活をされました。

しかし、それほど忙しく働いておられるイエス様を理解できず、非難する人々がいました。21節をご覧ください。イエス様の身内の者たちが聞いて、イエス様を連れ戻しに出て来ました。「気が狂ったのだ。」と言う人たちがいたからです。世の人々の目にはイエス様が気が狂ったように見えました。イエス様は長男として家族の面倒も見ず、30歳になっても就職も結婚もしませんでした。最近は12名の若者たちと共同生活を始めました。イエス様は、当時の宗教指導者達と正面衝突しておられました。このようなイエス様が世の人々の目にはホームレース隊長のように見えたかも知れません。特に、人々に嫌われていた取税人レビを弟子としたイエス様は狂った人のように見えたでしょう。

ところがよく考えてみると世の中には気が狂っている人々が多くいます。お金を儲けるために気が狂っていうる人々もいます。権力に気が狂っている人もいます。パチンコに狂っている人は朝から晩までパチンコばかりしています。最近はインタネットの淫乱サイトに気が狂った人々が急激に増えているそうです。アメリカではすでにそれに中毒した人々が20万人を超えているそうです。しかし、私達はイエス様に気が狂っている人々です。使徒の働き26章を見ると、使徒パウロはアグリッパ王の前で自分が復活されたイエス様に出会ったことを証ししながら福音を宣べ伝えました。それを聞いていた総督フェストが大声で言いました。「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている。」しかし、パウロは言いました。「気は狂っておりません。私は、まじめな真理のことばを話しています。私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」(使徒26:25,29)。私達が気が狂ったように神様を愛し、弟子養成に励むことができるように祈ります。

22節をご覧ください。また、エルサレムから下って来た律法学者たちも、「彼は、ベルゼブルに取りつかれている。」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ。」とも言いました。彼らはイエス様の力の源が悪霊によるものだと言い、人々に疑いと不信を植え付け、イエス様のなさることを妨害しようとしました。イエス様は彼らの非難が矛盾していることを悟らせるためにたとえによって話されました。23-26節をご覧ください。「サタンがどうしてサタンを追い出せましょう。もし国が内部で分裂したら、その国は立ち行きません。また、家が内輪もめをしたら、家は立ち行きません。サタンも、もし内輪の争いが起こって分裂していれば、立ち行くことができないで滅びます。」家の中で夫婦が毎日喧嘩ばかりしたら、その家は立ち行きません。会社も同じです。労働者と経営者が毎日争っていたら、その会社は倒産するようになります。

イエス様は続けて御自分のなさることが聖霊の御業であることをたとえによって言われました。27節をご覧ください。「確かに、強い人の家に押し入って家財を略奪するには、まずその強い人を縛り上げなければなりません。そのあとでその家を略奪できるのです。」ここで「強い人」はサタン、「家財」はサタンに支配されている人間、「強い人を縛り上げる人」はキリストを指します。人間はサタンに支配されています。サタンに支配されている人は神様に敵対し、真理に逆らい、肉の本性に従って生きています。サタンは人を罪の奴隷にしてしまいます。ところが悲しいことに人は自分の力によってはサタンから自由になることができません。それはサタンが人間よりもはるかに強いからです。イエス様は悪魔の奴隷となっている人々を解放してくださるためにこの世に来られました。イエス様はサタンよりはるかに強い方なので、私達をサタンから解放することができます。

イエス様は律法学者たちにどんな警告をされましたか。28-29節をご覧ください。「まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」人は生きている間、多くの罪を犯します。ところが、聖書は自分が罪人であることを認め、自分の罪を真実に告白する人はイエス・キリストの尊い血によってどんな罪も赦していただけると言っています。しかし、赦していただけない罪があります。それは聖霊をけがす罪です。聖霊をけがす罪は聖霊の御業を故意に妨害することです。故意に悔い改めることを拒む者です。

イエス様が聖霊を汚す者に対して警告しておられる時、イエス様の母と兄弟たちが来て、外に立っていて、人をやり、イエス様を呼ばせました。彼らはイエス様が気が狂っているといううわさを聞いて連れ戻しに来たでしょう。人々は、「ご覧なさい。あなたのおかあさんと兄弟たちが、外であなたをたずねています。」と知らせました。すると、イエス様は彼らに答えて言われました。「わたしの母とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか。」

そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われました。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。神のみこころを行なう人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」イエス様の家族観は血肉のものではなく、神様のみこころによって結ばれる霊的な家族観です。イエス・キリストの血の恵みによって新しく生まれたクリスチャンはみな神様を父とする一つの家族です。神様のみこころを行う人は性別、種族、民族、国を越えて誰でも神様の家族になります。日本人も韓国人も中国人もイエス・キリストの中では一つの家族になることができます。また、イエス様の家族は永遠に家族です。血肉の家族はいつか離れる時が来ます。いくら愛する家族だとしてもその人の命はいつなくなるかわかりません。しかし、キリストの血によって結ばれた霊的な家族は神の国で永遠に一つの家族として生きるようになります。ですから私達が神様のみこころを行なう兄弟姉妹達、同労者達を家族のように愛することができるように祈ります。

イエス様はなすべきことが多くある時代に祈りながら夜を明かされました。そして、十二人の平凡な人々を弟子として選ばれ、彼らを霊的な指導者として育てられました。私達がイエス様とともにする生活を通してイエス様の立派な弟子として成長することができるように祈ります。また、イエス様のようにこの時代に対する問題意識を持って祈りながら弟子養成に励むことができるように祈ります。

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