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99-7 あなたの名は祝福となる

投稿者: Jubfadmin 掲載日: 2004/12/23 (2972 回閲覧)
1999年 創世記第7講


あなたの名は祝福となる


御言葉:創世記12:1-12:9(11:27-32)

要 節:創世記12:2

「そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、

あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。」


 大洪水の後、ノアの息子、セム、ハム、ヤペテに子供達が生まれ、諸国の民が地上に広がるようになりました。ところが、同時に罪も広がり、人々はバベル塔を経てて、神様に逆らい、偶像崇拝をしました。創造主である神様は、このような人類を滅ぼしてしまうこともできたはずです。しかし、神様はこのような人々さえ愛し、創世記3:15節で約束した通りに12章から本格的に救いの御業を始められました。それは一人の人を信仰の先祖として立てて、彼を通して神様に仕える国民を作り、その国民を通して世界の人々を救うことでした。神様はそのためにアブラハム一人を召されました。

 アブラハムは人類の救いの御業の礎石になるような重要な人物です。新約聖書の最初の御言葉は「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」という言葉から始まっています。つまり、イエス・キリストの系図はアブラハムから始まっているのです。ですから、このアブラハムについて学ぶことは私達の信仰生活において大切なことです。今日から信仰の先祖と呼ばれるアブラハムについて学びます。今日はアブラムを召され、彼に約束の御言葉を与えて下さった神様について学びます。また、召されを受けたアブラムはどんな信仰生活をしたかについて学びます。


?.アブラハムに約束をお与えになった神様(11:27-32、12:1-3)


 アブラムの系図は11:27から始まります。アブラムの父、テラはセムの子孫です。彼はアブラム、ナホル、ハランを生み、ハランはロトを生みました。ハランはその父テラの存命中、彼の生まれ故郷であるカルデヤ人のウルで死にました。アブラムは結婚しましたが、彼の妻、サライは不妊の女で、子どもがいませんでした。テラは、その息子アブラムと、自分の孫のロトと、サライとを伴い、カナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけました。しかし、彼らはカランまで来て、そこに住みつきました。テラはカランで死にました。アブラムもそこで寂しく生活しながらこの世を去って行くはずの人でした。このようなアブラムを神様は召されました。神様の召されには命令と約束がありました。


命令(1)

 12:1をご覧下さい。その後、主はアブラムに仰せられました。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」アブラムの生まれ故郷はどんな所ですか。なぜ神様はそこを出て行くように言われたでしょうか。 

 ヨシュア記24:2を見ると、アブラムの父、テラはカルデヤ人のウルでほかの神々に仕えていました。アブラムが生きていた時代は文明の発達とともに悪が増大し、偶像崇拝が盛んになっていました。アブラハムの父、テラは偶像販売業者だったそうです。アブラムは子どもの時から偶像の作り方を学びながら成長したでしょう。彼は先祖から伝わったむなしい生き方から離れることができませんでした。彼は当時の人々の価値観、人生観を学びながら育ったはずです。ですからアブラムが続けてそこに住んでいたなら彼も偶像崇拝者になり、父の仕事を受け継ぎ、第二代目の偶像販売業者になったでしょう。神様は偶像崇拝を中心とした生活から離れて神様を中心とした新しい生活をするように召されました。


約束(2,3)

 神様はアブラムにどんな約束をくださいましたか。2節をご覧下さい。「そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。」神様はアブラムを召される時、約束の御言葉を与えてくださいました。

 第一に、大いなる国民とすると約束されました。この神様の約束はとても信じられないことでした。後継ぎもない彼に神様は「わたしはあなたを大いなる国民とする」と言われたからです。これはアブラムに多くの子孫を与えてくださること以上の霊的な意味があります。それは世の人々が神様から離れて偶像崇拝をしている時、アブラムを通して神様に仕える国民を作るということです。この国民は人種、領土、国境を超えて神様を恐れかしこみ、主の道を守り、正義と公正とを行なう国民です。具体的に選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。この国民は神様に属した偉大な国民です。

 第二に、アブラムの名を大いなるものとすると約束されました。これは世の名誉とは違うものです。世の名誉は草の花のようにしおれますが、神様が下さる名誉は永遠です。神様がアブラムの名を大いなるものとしてくださったことによって、偶像崇拝者として惨めな人生を終えるはずだったアブラムが信仰の先祖となりました。キリスト教ではアブラハムを知らない人がいません。アブラハム・リンカン、寺崎アブラハムなど多くの人々が彼の名前にちなんで名前をつけるほどです。これはアブラムが元々有名な人だったからではなく、神様が彼の名を大いなるものとしてくださったからです。真に有名な人になるためには神様が有名にしてくださらなければなりません。 

 第三に、彼の名は祝福となると約束されました。神様がアブラムを大いなる国民とし、彼の名を大いなるものとする理由は彼を祝福の源とするためでした。「あなたの名は祝福となる」とは、「あなたは祝福となる」という意味です。すなわち、祝福の源となることです。この御言葉にはアブラムの現在の状況がどうであれ、彼を祝福の源としようとする神様の望みと意志が入っています。「そうすれば」これはアブラムが神様の御言葉に聞き従えば、神様が彼を祝福の源としてくださるということです。

 それでは祝福の源となることは何を意味するでしょうか。これは罪による裁きと呪いから救われ、永遠のいのちが与えられることを意味します。世の中には多くの祝福があるようですが、私達を永遠の滅びから救い出し、永遠のいのちを与えて下さることより大きな祝福はありません。私達が世の全てのものを得たとしても私たちのたましいが救われないとしたら何の役に立つでしょうか。それは一番惨めなことです。しかし、私達がこの世で何も得たものがないとしても私達のたましいが救われ、永遠のいのちを得たとしたらそれは一番大きな祝福です。祝福の源となるとは、私が神様の祝福を受けてすべての人々にその祝福を分かち合う存在になることを意味します。私達は過去利己的な人生を送っていました。しかし、神様は私を裁きと呪いから救われ、祝福の源とされ、これからは私が行く所々に祝福を与える存在に変えてくださいました。私がキャンパスに行けばキャンパスの学生達が祝福を受け、会社に行けば、会社の人々が祝福を受ける尊い存在になったのです。

 ここで私達は祝福の概念について考えて見ましょう。人々はいつ祝福されたと言いますか。宝くじが当たった人にあの人は祝福されたと言います。災難から免れた人に対しても祝福されたと言います。長生きをしている金さん、銀さんに対して祝福された人だと言います。事業で成功し、金持ちになった人に祝福されたと言います。人々はこのような祝福を受けるためにお守りを持っていたり、神々に拝んだりします。ところが、このような祝福は物質的なものであり、現世的なものであり、目に見えるものです。

 本文で言っている祝福の概念はこのようなものではなく、霊的で内面的なものです。これはキリストを通して私達に与えられる祝福です。神様はアブラムに「あなたの名は祝福となる」と言われたのは、アブラハムの子孫の中から人類の救い主を送ってくださるという約束の御言葉です。これは創世記22:18「あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。」という御言葉からもっと具体的に啓示されました。使徒パウロはガラテヤ3:8、9節で次ぎのように言いました。「聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、『あなたによってすべての国民が祝福される。』と前もって福音を告げたのです。そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。」これはアブラムが神の祝福を取り次ぐ器であることを認めて彼に接する人は、主によってアブラムと同じ祝福にあずかるということです。究極的には、アブラムの子孫イエス・キリストにより、その福音によって、すべての人々が救いにあずかることを意味しています。ですから、本文で言っている祝福とはイエス・キリストを信じることによって永遠の滅びから救われ、永遠のいのちを得ることです。それだけではなくこの祝福を分かち合う存在として用いられることです。

 神様は3節で祝福の源となることに対してもっと詳しく説明してくださいました。「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」この御言葉から二つのことを考えることができます。第一に、アブラムを祝福の手本とすることです。人がアブラムを祝福するとその人は祝福を受け、アブラムが呪うとその人は呪われます。神様はアブラムを中心に働かれます。ですから、アブラムを大切に思い、アブラムのように信仰によって生きる時、アブラムに臨まれた同じ祝福を受けることができます。第二に、アブラムのゆえに世の全ての人々を祝福してくださることです。アダム一人によってすべての人々が呪われるようになったように、アブラム一人によってすべての人々を祝福し、救ってくださるということです。神様はこの約束の通りにアブラムの子孫から人類を罪と死から救うイエス・キリストをお与えになりました。

 以上から、呪われた世でアブラム一人を召され、新しい祝福の御業を始められた神様とその御業の方法について学ぶことができます。人間が罪を犯し、偶像崇拝をしている時代に神様はアブラム一人を召され、新しい御業を始められました。この神様は希望の神様です。神様はアブラムを召される時、彼の人間的な条件や資格を問わず、主権的に彼を選び、召されました。ですから神様がアブラムを召されたことは一方的な恵みでした。私達を、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださったのも神様の一方的な恵みです。神様は後継ぎもない年寄りのアブラムを祝福の源として召されました。この召されは決して束縛するものではありません。この召されは役に立たない人を役に立つ人にする召されです。ですから、この召されは神様の恵みです。神様の召されは私達の人生を意味ある人生、豊かな人生、偉大な人生にします。

 また、神様はアブラム一人を召され、育てられました。人類を救うのに一人を育てることが何の役に立つかと思うかも知れません。しかし、神様のみわざは一人を育てることから始まります。神様はイスラエル人をエジプトの奴隷から解放するためにモーセ一人を召され、80年間育てられました。神様は今も罪の中で滅びるしかないこの世の人々を救うために私達一人一人を人格的に召され,育てておられます。神様の御業の方法は人を育てる御業です。人を育てることは難しいことです。忍耐と愛と犠牲が伴います。イエス様も3年間忍耐と愛と犠牲によって12弟子を育てられました。私達もこの時代、一人の祝福の源として、イエス様の弟子を養うことができるように祈ります。


?.アブラムの信仰生活(12:4‐9)


 それでは召されたアブラムの反応はどうでしたか。また、彼はどんな信仰生活をしましたか。

 第一に、御言葉に従う生活

 4節をご覧下さい。「アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがカランを出たときは、七十五歳であった。」アブラムは召された時、約束の御言葉を掴みました。そして、信仰によって従順し、出て行きました。それは彼が神様を信頼していたからです。彼は神様が自分の人生を導き、責任者となって将来を保証してくださることを信じました。彼の側ではいろいろな都合があったと思いますが、彼は信仰を持って主の命令に従いました。アブラムは見えるものによってではなく、主の御言葉を信じて旅立ちました。

 しかし、アブラムがこの召されに聞き従うためには痛みが伴いました。アブラムが生きていたカルデヤ人のウルは文明が発達した先進国でした。彼は生まれ故郷、父の家で安定的な生活をしていました。ところで、75歳になって生まれ故郷を出て、未知の世界へ行くのは大きな冒険でした。人は歳をとればとるほど、冒険を好まず、安定を求めます。アブラムは将来に対する具体的で、確実な保証もありませんでした。それに、神様は目的地もはっきり示されず、漠然として「わたしが示す地」へ行くように言われました。

 彼は神様の御旨をすべて理解することはできませんでしたが、神様を信じて従いました。彼は頭で有益を計算せず、絶対的に聞き従いました。彼の従順は今までの生活に対する悔い改めと新しい生活に対する決断を表しています。ヘブル11:8は次のように言っています。「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」信仰は従順によって表現されます。信仰があると言いながら実際生活の中で従順がない人は信仰があるとは言えません。従順は頭で理解できて完璧な計画のもとでするのではありません。将来どうなるかわかりませんが、神様がベストの道に導いてくださることを信じて自分の人生を全幅的に神様に任せることが信仰です。アブラムはどこに行くのかを知らないで、出て行きましたが、少しも恐れませんでした。なぜなら、彼には神様の約束の御言葉と神様がともにおられることを信じる信仰があったからです。

 第二に、天幕生活

 アブラムがカナンの地に入った時、現実はどうでしたか。主の約束された地は誰も住んでいない地、何の戦いもなくして取得することができる地ではありませんでした。むしろ、偶像礼拝者達が、自分自身の所有地として住み着き、そこに自分達の文化、文明、国家を築いていました。約束の地にはすでにカナン人が住んでいたのです。それでアブラムはそこで天幕生活をしなければなりませんでした。神様は足の踏み場となるだけのものさえも、相続財産として彼にお与えになりませんでした(使徒7:5)。しかし、アブラムは喜びながら息子のイサクや孫のヤコブと一緒に天幕生活をしました。彼はいつでも主の命令があれば従うことができる兵士のような生活しました。そのような生活ができたのは彼の本当の故郷はカナンではなく神の国であることを知っていたからです。彼は神の国を望みながら聖なる旅人として生活しました。

 第三に、祭壇を築く生活

 7節では自分に現われてくださった主のために、祭壇を築きました。8節ではひっこしした時、主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈りました。彼の信仰生活の特徴は行く先々に祭壇を築く生活をしたことです。それは彼がいつも感謝する生活をしたことを意味します。彼は主の召され、主の導き、主の守りを感謝しました。また、咎と罪を赦してくださる主の愛と哀れみに感謝しました。彼はなぜ自分をこんなところまで導き、苦労させるのかと神様につぶやきませんでした。むしろ何の役にも立たない自分、死んだも同様な自分を神様の救いのみわざに召されたことを深く感謝しました。彼はこの神様を考えるたびに不平不満の代わりに賛美が出て来ました。「おどろくばかりのめぐみなりき、この身の汚れを知れるわれに」すべての事について、感謝することは、キリスト・イエスにあって神様が私達に望んでおられることです(テサロニケ?5:18)。

 また、祭壇を築くことは神様との関係性を結び、神様の御名をあかしする生活です。彼は失敗した時も、過ちを犯した時も、成功した時にも神様の御前に出て行きました。彼は神様と関係性を結ぶことを何よりも大切に思いました。彼はそのような生活を通して異邦の文化に圧倒されることなく積極的に神様の御名を証しする生活をしました。私達はアブラムのように、自分の家に、学校に、職場に、祭壇を築かなければなりません。そして主への信仰をあかしし、いつも主の御名によって祈らなければなりません。主はそのようなあかしと祈りを用いてこの民の中に大いなるみわざを行なわれます。

 結論、神様は偶像崇拝が盛んになっていた絶望的な時代にアブラム一人を召され、人類の救いのみわざを始められました。神様はアブラムに大きな望みを置かれ、彼を祝福の源として召されました。この神様は望みの神様です。神様は今も私達に大きな望みを置かれ、私達を召してくださいます。私達が主の御言葉に聞き従い、祝福の源となることができるように祈ります。主は私達にも言われます。「あなたの名は祝福となる。」

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