2007年 列王記第二第9講

寿命を延ばしたヒゼキヤの祈りと答えられた後の生活

御言葉:列王記第二20、21章
要 節:列王記第二20:6「わたしは、あなたの寿命にもう十五年を加えよう。わたしはアッシリヤの王の手から、あなたとこの町を救い出し、わたしのために、また、わたしのしもべダビデのためにこの町を守る。」

先週、私たちはヒゼキヤの宗教改革と祈りについて学びました。彼は祈りによって敵軍の十八万五千人を一夜の中に全滅させました。祈りによって大いなる勝利を収めたのです。
今日も私たちはヒゼキヤの祈りを学びたいと思います。先週は祈りによって国家的な勝利を収めたことを学んだとすれば、今日は祈りによって自分のいのちを延ばしてもらったことを学びます。彼は大声で泣いたほどに切実な祈りをささげました。その祈りによって病気が癒されることだけではなく、特別に自分の寿命を十五年も加えてもらいました。彼はこの特別な恵みを感謝し、延ばされた余生も謙遜に神様に頼り、祈りの人として生きるべきでした。ところが、ヒゼキヤは、自分に与えられた恵みにしたがって報いようとせず、かえってその心を高ぶらせました。そこで、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に御怒りが下りました。しかしヒゼキヤが、その心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼およびエルサレムの住民もそうしたので、主の怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨みませんでした(?歴代誌32:25,26)。ここで、ヒゼキヤが特別な人ではなかったことが分かります。彼も私たちのように心を高ぶらせた時もあるし、心の高ぶりを捨ててへりくだる時もありました。彼は祈りの人として生まれて何の失敗もなかった人ではなかったのです。彼の失敗のために彼の祈りを否定的に評価する人もいるほどです。自分の癒し、自分の寿命の延長のために祈ることはご利益信仰ではないかと言います。ヒゼキヤの寿命が延ばされていなかったら、バビロンに主の宮のすべてのものを見せることもなかっただろうし、最悪の王マナセが生まれなかったはずだと言う人もいます。私自身もそんな思いをしたのでパウロチームの勉強会の時にちょっと激しい議論がありました。
しかし、私はこのメッセージを準備しながら私の評価よりも、聖書学者の評価よりも聖書の評価こそが正しいことに気づかされました。聖書はヒゼキヤに誤り、失敗があったにもかかわらず神の人として評価しています。先週学んだ18章5?7aを見ると「彼はイスラエルの神、主に信頼していた。彼のあとにも彼の先にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。彼は主に堅くすがって離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守った。主は彼とともにおられた。」とあります。では、私たちは神様に評価されたヒゼキヤの人生の中で現われた祈りの生活を通して何を学ぶことができるでしょうか。本文の御言葉を通して寿命を15年も加えられたヒゼキヤの具体的な祈り、祈りが答えられた後にもへりくだって神様に頼り、祈り続けることを願っておられる神様の御心を学ぶことができるように祈ります。

?.速やかに答えられたヒゼキヤの祈り(201-11)
20章1?3節をご覧ください。ヒゼキヤは病気になって死にかかっていました。その上に預言者イザヤを通して『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。』と言われる主の御言葉を聞きました。そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて、主に祈って、言いました。「ああ、主よ。どうか思い出してください。私が、まことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたがよいと見られることを行なってきたことを。」こうして、ヒゼキヤは大声で泣きました。彼は涙の祈りをしました。イザヤ38章を見ると彼の祈りの内容が記されてあります。「何を私は語れましょう。主が私に語り、主みずから行なわれたのに。私は私のすべての年月、私のたましいの苦しみのために、静かに歩みます。主よ。これらによって、人は生きるのです。私の息のいのちも、すべてこれらに従っています。どうか、私を健やかにし、私を生かしてください。(15、16)」と祈りました。ヒゼキヤは第一に具体的に祈っていることが分かります。具体的な祈りは具体的な答えを得ます。知識人たちの中では具体的に祈ることに対してご利益の祈りだと思っている人がいます。しかし、それは知性と合理性をたてまえにした高慢です。「具体的」という言葉は目的が明確であるという意味であり、私の弱さを正直にありのままを現わすことです。「力を解放する祈り」という本を見ると著者であるチャック・スミス牧師の夫婦の話があります。牧師先生は機械的に物事を考えるそうです。車のエンジンがストップしてしまった時にコイルが弱っているとか、バッテリーが上がっているなどが分かると祈れなくなるそうです。彼の知識、合理的な考えのために祈れなくなるのです。しかし、奥さんは機械のことは何一つ分かりません。車のコイルとかバッテリーなど、ほとんど見たことがないのです。ですから車が故障すると、奥さんは強い信仰を発揮するそうです。牧師先生が「どうしたらいいんだろう。」と言うと、彼女はすかさず「祈りましょう」と言います。「何言っているんだ。こういうことは祈ってもダメなんだよ。これは機械的な問題なんだからね」しかし、奥さんは頭を垂れて祈ります。「主よ。どうか今この車を動かしてください。私たちが行かなくてはならないのを主はご存知です。天のお父さま、感謝します。イエス様の御名によって祈ります」そして言います。「さあ、もう一回エンジンをかけてみて」「だめに決まっているじゃないか」と牧師先生は言うのですが、奥さんが言い張ります。「いいから、もう一度やってみて」すると、何とエンジンがかかるのです。皆さんもこういう経験があると思いますが、些細なことでも具体的な祈ると、具体的に体験することができるのです。ヒゼキヤは病気の時に「どうか、私を健やかにし、私を生かしてください。」と具体的に自分の癒しのために祈りました。
第二に、ヒゼキヤの祈りは懇切な祈りでした。イザヤ38:14節を見ると「つばめや、つるのように、私は泣き、鳩のように、うめきました。私の目は、上を仰いで衰えました。主よ。私はしいたげられています。私の保証人となってください。」とあります。ヒゼキヤの目は上を仰いで衰えたほどに祈っています。実際に本文の5節を見ると、主が「『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。』と仰せられたほどに切実な涙の祈りをささげたことが分かります。また、神様はヒゼキヤの祈る言葉よりも切実な心から流れる彼の涙を評価しておられることが分かります。
先週、私は「あなたの涙も見た。」と言われた主の言葉を何度も思い出しました。しかも、神様が私に「私はヒゼキヤの涙を見たのだ。」と言われるような気がしました。特に神様は「ヒゼキヤの涙を見た」と言いながら私に「あなたの涙を見たのはいつだったのかな。」と言われるような気がして心を痛めました。確かに私は弱い者だから泣きながら祈る時がよくありました。義理のお父さんがガンにかかって6ヶ月以上寿命を延ばすことはできないと言われた時は本当に涙ながら祈りました。特にマリヤ宣教師は毎晩のように泣きながら祈りました。ヒゼキヤの祈りに基づいて5年だけでも寿命を延ばしてくださるように切実に祈ったのです。すると、神様は祈りを聞かれ、私たちの涙を見て父の命を5年以上延ばしてくださいました。ところが、最近は祈りをしているけれども泣きながら祈ることがなくなっていたのです。頭の中で祈りの必要性をよく知っていて祈りをしていることは事実です。今年うちの家族の第一目標もいつものように祈ることであって夜明けの祈りに子どもたちも参加するようにしています。でも、私は泣くほどに切実な心で祈っていなかったのです。リーダーとしての責任感のためにとりなしの祈りをし、形式的な祈りをしていたのです。しかし、本文の御言葉を通して神様は私がヒゼキヤのように涙が見られるほどに懇切な祈りをすることを願っておられることを悟りました。そこで、私は鈍くなっている自分の心を悔い改め、教会の家族のために、教会堂の購入のために切なる祈りをする決断をしました。神様は私だけではなく、私たち皆が泣かざるを得ない切実な心で祈ることを願っておられるでしょう。私が健やかになるために、私の子どもが健やかになるために、私の家族が健やかになるために泣きながら祈る時、神様はその涙を見て祈りに答えてくださいます。5b、6節をご覧ください。『見よ。わたしはあなたをいやす。三日目には、あなたは主の宮に上る。わたしは、あなたの寿命にもう十五年を加えよう。わたしはアッシリヤの王の手から、あなたとこの町を救い出し、わたしのために、また、わたしのしもべダビデのためにこの町を守る。』とあります。神様はヒゼキヤがささげた涙の祈りに答えて彼の寿命にもう十五年を加えてくださいました。それだけではありません。ユダをアッシリヤの王の手から救い出し、ユダの町を守ると約束されました。そして、イザヤは干しいちじくをひとかたまり、持って来させ、それを腫物に当てました。すると、彼は直りました。ヒゼキヤは自分が癒されるしるしを求めて時計が逆回りになることを願いました。日時計の影が十度あとに戻ることは難しいでしょう。しかし、天地創造の神様にはできないことがありません。私たちは、創世記1章1節の「はじめに、神は天と地を創造した。」という箇所を信じていれば、どんなことでも神様にはできると信じることができます。かつて、主はヨシュアの祈りを聞かれて、日が一日中沈むことがないようにされました。主はイザヤを通しても日時計の影を通してその証拠を見せてくれました。預言者イザヤが主に祈ると、主はアハズの日時計におりた日時計の影を十度あとに戻されたのです。
以上で、神様は私たちの意思を非常に尊重されることがわかります。神様にはご計画があります。そしてご計画と摂理の中で私たち一人ひとりを助け、導いておられます。しかし、神様は私たちの自由意思を無視して強制的に導かれるのではありません。それは神様ご自身が自由意志を持っておられ、人をご自分の形に似せて造られたからです。そこで、私たちがどうしても自分である事を行ないたいと強く願うとき、主は強いて止めさせようとはされません。私たちの自由な選択を尊重されるからです。神様はイザヤを通して「ヒゼキヤが死ぬ、彼の病は直らない」ということを知らせられました。しかし、ヒゼキヤの意思、彼の要請を尊重して健やかにし、寿命を延ばしてくださったのです。もちろん、イエス様のように「わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」と祈ることこそ神様が最も願われていることでしょう。私たちもイエス様のような祈りができるほど成長しなければなりません。しかし、神様はイエス様がささげられたゲツセマネの祈りのような祈りでなければ聞いてくださらないお方ではないのです。本当にあわれみ深い神様はヒゼキヤのように祈る祈りにも答えてくださいます。私が自分の健康のために、自分の寿命のために祈ることが御心なのかどうか悩み、葛藤することより自分の弱さを認めて素直に祈る時、神様はその祈りに答えてくださるのです。祈りを通して寿命を15年も延ばすことができる神様の力を体験することができます。神様は私たちの力の源ですが、祈りは神様の力を私たちに与えるための管(パイプ)であるからです。

?.ヒゼキヤの失敗とマナセの罪の結果(20:12?21:26)
20:12-21節はヒゼキヤの失敗と死に関することが記されてあります。12節をご覧ください。ヒゼキヤが癒され、寿命が15年も加えられるしるしを確かめたそのころ、バビロンの王は、使者を遣わし、手紙と贈り物をヒゼキヤに届けました。ヒゼキヤが病気だったことを聞いていたからです。バビロンは当時まだ小さい国でしたが、ヒゼキヤの病気が癒されたことを契機にして大国アッシリヤに対抗する同盟を結ぼうとしたようです。ところが、ヒゼキヤは、彼らのことを聞いて、武器財源を示して同盟の勢力を示そうとしたのか、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せました。奇跡的な癒しを体験したヒゼキヤにとっては自分の癒しを祝うために来てくれたことがとてもうれしかったでしょうが、軍事機密を見せたことは失敗でした。つまり、ヒゼキヤは高ぶっていたために、自分の国がバビロンによって滅びる原因を提供してしまったのです。
16?18節をご覧ください。「すると、イザヤはヒゼキヤに言った。「主のことばを聞きなさい。見よ。あなたの家にある物、あなたの先祖たちが今日まで、たくわえてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日が来ている。何一つ残されまい、と主は仰せられます。また、あなたの生む、あなた自身の息子たちのうち、捕えられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者があろう。」とあります。神様はイザヤを通して神殿が略奪され、ユダが滅亡することを言われたのです。ところが、ヒゼキヤは何と言っていますか。19節をご覧ください。彼はイザヤに言いました。「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。」彼は、自分が生きている間は、平和で安全ではなかろうか、と思ったからです。本当に自己中心に考えていることが分かります。彼は、激しい信仰の戦いを戦い抜いて来ました。外面的には当時大国アッシリヤと戦った時、祈りによって大勝利を収めました。内面的には死に掛かっていた病気が癒され、寿命を15年も加えてもらいました。今は安心して生きられるようになったのです。生活が安定的になり、身体も健康になりました。ですから、これからもっと積極的に神様のために働き、自分だけではなく自分の子孫のためにも祈っていくべきでした。私たちも苦しみの時よりも祈りが答えられ、健康になった時こそへりくだって神様に祈り、信仰を守り通すために闘争しなければなりません。パウロは老年になって「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました(?テモテ4:7)。」と告白しました。神様は私たちが走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通すことを願っておられます。イエス様は私たちにその模範を見せてくださいました。イエス様はこの地上におられる間に数々の祈りを体験されました。数多い奇跡を行ない、数え切れないほどの人々を助け、救ってくださいました。しかし、そのようなことに満足せず、十字架の道を歩まれる時にも祈りをやめられませんでした。ついに私たちの罪のために十字架にかかられたその瞬間にも私たちのために祈ってくださいました。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と祈られたのです。そうしてイエス様の生涯は完了しました。神様は私たちにも賞を得るために走る、信仰の競走を最後まで走りぬくことを願っておられます。ヒゼキヤは高ぶりのために失敗がありましたが、最後はへりくだっていました。
最初に話したように「ヒゼキヤが、その心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼およびエルサレムの住民もそうしたので、主の怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨みませんでした(?歴代誌32:26)。」
その根拠が20節にあります。ご一緒に読んでみましょう。「ヒゼキヤのその他の業績、彼のすべての功績、彼が貯水池と水道を造り、町に水を引いたこと、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。」ヒゼキヤはアッシリヤによる包囲を予測して、エルサレムの町、その城壁の中に地下の水道を造りました。現在でも「ヒゼキヤのトンネル」として、観光旅行者でも中に入ることができるそうです。通り抜けるのに、一時間弱かかるほどの水道は、ヒゼキヤが残した大きな業績の一つでした。こうして、ヒゼキヤは彼の先祖たちとともに眠り、その子マナセが代わって王となりました。
21章はヒゼキヤの子マナセの治世とマナセの子アモンの治世が記されてあります。
21:1節をご覧ください。マナセは十二歳で王となり、エルサレムで五十五年間、王でありました。彼はどのようにユダを統治しましたか。
2、3節をご覧ください。「彼は、主がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の忌みきらうべきならわしをまねて、主の目の前に悪を行なった。彼は、父ヒゼキヤが打ちこわした高き所を築き直し、バアルのために祭壇を立て、イスラエルの王アハブがしたようにアシェラ像を造り、天の万象を拝み、これに仕えた。」とあります。彼は父ヒゼキヤが壊した高き所を再建しただけでなく、イスラエルの最悪の王アハブのしたようにバアルやアシェラ像を造り、天の万象を拝みました。しかも、神殿の中に偶像の壇を築いたり偶像を建てたりしました。彼は実にイスラエルの前より神様が追い払われた原住民の悪にならったのみでなく、人々を誘って悪い事を行ないました。イスラエルの伝説によればイザヤも彼に殺された殉教者であるそうです。ヘブル11:36、37節によると「また、ほかの人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖につながれ、牢に入れられるめに会い、また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、」とあります。マナセの時に、このような悪が行なわれていたのです。このように悪を行ない、罪を犯せたマナセに対する神様の反応はどうですか。12?15節をご覧ください。「それゆえ、イスラエルの神、主は、こう仰せられる。見よ。わたしはエルサレムとユダにわざわいをもたらす。だれでもそれを聞く者は、二つの耳が鳴るであろう。わたしは、サマリヤに使った測りなわと、アハブの家に使ったおもりとをエルサレムの上に伸ばし、人が皿をぬぐい、それをぬぐって伏せるように、わたしはエルサレムをぬぐい去ろう。わたしは、わたしのものである民の残りの者を捨て去り、彼らを敵の手に渡す。彼らはそのすべての敵のえじきとなり、奪い取られる。それは、彼らの先祖がエジプトを出た日から今日まで、わたしの目の前に悪を行ない、わたしの怒りを引き起こしたからである。」神様は偶像崇拝によってユダに罪を犯せたマナセの罪のためにユダにとエルサレムに災いをもたらすと言われました。
18?26節はマナセの子アモン王に関する内容です。アモン二十二歳で王となり、エルサレムで二年間、王でしたが、彼もその父マナセが行なったように、主の目の前に悪を行ないました。

以上をまとめますと、ヒゼキヤは祈りの人でした。彼は死病にかかった時、涙の祈りをして癒されました。彼は祈りによって大いなる神様の力を体験したのです。その時、彼は延ばされた人生を神様に感謝しつつ、最後まで祈り、信仰を守り通すべき時に失敗もありましたが、神様の御前に認められた偉大な人生を送りました。私たちもヒゼキヤのように試練の時、病んでいる時にこそ、神様に頼って切なる祈りをしましょう。祈りが答えられて神様の大いなる力を体験したことを証することは神様の栄光のために益になるでしょうが高ぶって誇ってはいけません。私たちの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。いつも、へりくだって身を慎み、目をさまして祈る生活に励まなければなりません。どうか、私たちが自分のために、家族のために、教会のために祈る時、神様から「あなたの涙を見た。」と言われるほどの祈りをささげることができるように祈ります。