1998年使徒の働第13講

 

ローマも見なければならない

御言葉:使徒の働き18:23?21:16
要 節:使徒の働き19:21

  「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しによりマケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、『私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。』と言った。」

 今日の御言葉は使徒パウロの第三回伝道旅行の時の出来事です。この時、彼は主に3年間エペソ開拓のみわざに仕えました。彼はここで成功し、ローマ宣教のビジョンを持つようになりました。この時間はエペソでの福音のみわざが成功した秘訣は何かについて学びたいと思います。また、パウロはどんな姿勢を持ってみわざに仕えたか彼の牧者生活について学びたいと思います。

?。エペソ(18:23?19:41)

有能な聖書先生アポロ(18:23?28)

18:24?28節にはアポロのことが出ています。彼はどんな人ですか。彼はアレキサンドリヤの生まれで、雄弁な人でした。しかも、彼は聖書に通じていました。彼は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていました。アポロは教師としては有能でしたが、欠けたところがありました。それは彼がただヨハネのバプテスマしか知らなかったことです。彼はまだ新しく生まれる体験がなかったのです。彼が会堂で大胆に話し始めるのを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明しました。アポロはプリスキラとアクラを通してイエス様に人格的に出会うようになりました。それからアポロはアカヤに行ってすでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けました。

ここで私達は聖書を単純に知識的に学ぶだけでは神様に用いられる聖書先生になれないことを学びます。聖書は神の霊感によるものです(テモテ第二3:16)。ですから霊的な目が開かれた時にのみその中に隠れている霊的な奥義を悟ることができます。また聖書の中心はイエス・キリストです。ですからイエス様を自分の救い主として受け入れる人格的な出会いがなければなりません。アポロが立派な聖書先生になることができたのはプリスキラとアクラを通してイエス様に人格的に出会ったからです。もしそれがなかったなら盲人が盲人を導くことになったでしょう。

ヨハネのバプテスマと聖霊のバプテスマ(19:1?7)

 アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来ました。エペソはアジヤとヨーロッパをつなぐ交通の中心地であり、貿易の都市でした。パウロはそこで幾人かの弟子に出会って、「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えました。「では、どんなバプテスマを受けたのですか。」と言うと、「ヨハネのバプテスマです。」と答えました。彼らはアポロに教えられた弟子達でした。ヨハネのバプテスマしか知らない彼らの信仰生活は禁欲的で、道徳的でした。信仰生活に真の喜びがありませんでした。今日もこのような信仰生活をしている人々が多くいます。彼らは信仰生活を道徳生活だと思います。他人に迷惑をかけない生活、道徳的に正しく生きる生活をしようと頑張っています。彼らは罪も道徳的な罪だけを罪として認め、霊的な罪に対しては知りません。このような道徳的な生活の特徴は喜びがないことです。彼らは罪の赦しの恵みを知りません。また自己義が強いです。律法的で恵みがありません。パウロは彼らにヨハネのバプテスマの意味とイエス様による聖霊のバプテスマについて証しました。ヨハネのバプテスマは悔い改めのバプテスマです。これはイエス様を受け入れるための準備段階に過ぎません。イエス様が与えるバプテスマは聖霊のバプテスマです。聖霊のバプテスマは悔い改めてイエス様を救い主として受け入れた人に臨まれます。パウロはエペソ聖徒たちの信仰の基礎がイエス・キリストにないことがわかりました。それでイエス様の御名によってバプテスマを受けさせました(5)。 パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれました。

ここで大切なのは,信仰生活は道徳生活ではなく、必ず聖霊のバプテスマを受けなければならないということです。すなわち、聖霊によって新しく生まれなければなりません。その人が、神の国を見、神の国に入ることができます(ヨハネ3:3、5)。聖霊によって新しく生まれた時に罪の赦しの恵み、喜び、永遠のいのちが与えられます。ローマ8:5、6は次のように言っています。「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。」。信仰生活は決して堅い生活でもなく禁欲的な生活でもありません。信仰生活は真に自由と恵みがある生活です。何よりも聖なる巡礼者の生活です。私達が弱い体を持っているので時には罪を犯す時も過ちを犯す時もあります。しかし、その時にイエス・キリストに出て行き、罪を告白すると罪の赦しを受けることができます。罪の赦しは心に真の自由と平安と喜びを与えます。このような生活は聖霊を受けるときに可能です。聖霊を受けた人のみ霊的なことを考え、神様に喜ばれる生活をします。また、聖霊の実を結びます。

それでは私達がどうすれば聖霊を受けることができるでしょうか。使徒2:38を見ると罪を悔い改めてイエス様を信じて罪の赦しを受けなければならないことがわかります。聖霊を受けた一番確かな証拠はイエス様を主と告白し(コリント第一12:3)、イエス様を愛し、兄弟を愛することです(コリント第一12:31)。

ツラノ講堂でのみわざ(8?40)

それから、パウロは会堂にはいって、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めました。しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしりました。その時、パウロはどうしましたか。パウロは彼らから身を引き、弟子たちをも退かせて、毎日ツラノの講堂で論じました。これが二年の間続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞きました(9,10)。パウロは今までとは違った新しいスタイルで福音のみわざに仕えました。それではツラノ講堂でのみわざの特徴は何ですか。

第一に、弟子養成のみわざでした。

会堂で御言葉を伝える時には多くの人々を対象にしていましたが、ツラノの講堂では弟子養成に励みました。パウロは純粋に御言葉を受け入れる弟子達を別に立てました。たぶん7節の12人が中心になったと思います。パウロは彼らに毎日御言葉を論じました。ここで論じたとはNIV聖書ではdiscussの単語を使っています。たぶんパウロは対話式に深く御言葉を教えたでしょう。これは一方的な説教による会堂のみわざとは違います。この聖書勉強は人格的で、御言葉を学ぶことを願う人々を対象にして教えます。20:31を見ると「ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。」と書いています。彼は1:1聖書勉強を通して御言葉を植え付け、彼らを御言葉のしもべであり、弟子として育てたことがわかります。20:28節を見ると彼らに羊を養うように勧めています。ツラノ講堂のみわざは少人数の弟子養成のみわざでした。

第二に、毎日御言葉を論じました。

9節の後半部をご覧ください。「毎日ツラノの講堂で論じた」パウロは弟子達を区別してツラノの講堂で毎日論じました。ツラノの講堂はギリシヤの哲学者達が哲学や数学などを教える講義室でした。パウロはここを借りて講義がなく人々が休む時間である午前11時から午後4時まで毎日御言葉を論じました。残りの時間には天幕作りをして物質自立をしました。彼はこのように二年間も続けました。彼は夜も昼も、涙とともに彼らひとりひとりを訓戒し続けました(使徒20:31)。彼がこのように仕事をしながら毎日五時間それも二年間続けて聖書を教えるためには相当な努力が必要だったと思われます。しかし、このような彼の努力や涙は決して無駄ではありませんでした。10節を見るとアジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞きました。当時エペソはアジヤの交通と商業の中心地だったので国々から人々が集まって来ました。彼らはツラノの講堂に招かれ主のことばを聞くようになりました。それによってエペソ教会をはじめ、コロサイ教会、黙示録に出ているアジヤにある七つの教会が開拓されました。このようなエペソの成功的な開拓の秘訣は毎日聖書を論じることにありました。  

 神様はこのようなパウロの福音の働きをどのように祝福してくださいましたか。11節をご覧ください。神様はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行なわれました。パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行きました。

15節を見るとパウロをまねして悪霊に命じたユダヤの祭司の七人の息子達に悪霊につかれている人が飛びかかり、ふたりの者を押えつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負って逃げ出す出来事がありました。このことがエペソに住むユダヤ人とギリシヤ人の全部に知れ渡ったので、みな恐れを感じて、主イエスの御名をあがめるようになりました。そして、信仰にはいった人たちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白しました。また魔術を行なっていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てました。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になりました。一枚の銀貨は一日分の賃金に相当します。こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行きました(20)。当時エペソでは魔術が盛んに行われていました。偶像が彼らの考えと生活を支配していました。しかし御言葉は驚くほど広まり、ますます力強くなって行きました。神様の御言葉はどんな勢力も打ち破る力があります。ヘブル4:12にはこう書いてあります。「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」神様の御言葉が力強く広まると偶像に仕えていた人々が悔い改めて神様に立ちかえるみわざが起こりました。

第三に、ローマ宣教のビジョンを見るようになりました。

パウロはエペソでのみわざが成功した時にどうしましたか。大抵大きな御業が起こった時に満足して安逸に陥りやすいです。今まで苦労したのでこれからは安定した状況の中でみわざに仕えたい心が生じます。ところがパウロはその時驚くべきビジョンを見ました。21節をご覧ください。「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、『私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。』と言った。」パウロはツラノの講堂でのみわざを通してローマ宣教に対する確信とビジョンを持つようになりました。彼はローマも御言葉によって十分征服することができるという信仰を持つようになりました。彼はローマを通して全世界に福音を宣べ伝えるビジョンを持つようになりました。私達も日本を通して世界に福音が宣べ伝えられるビジョンを見ることができるように祈ります。

 エペソでの御言葉の御業は、アルテミス女神を信じている人々にも影響を与えるようになりました。アルテミスは月の女神で、大地の母と呼ばれる大女神でした。人々はアルテミス神殿の模型を買って部屋の中に置いたり、腰につけたりしました。その商売は繁盛していました。しかし主のことばが驚くほど広まり、ますます力強くなって行くと段々売れなくなってしまいました。パウロの宣教によって大きな勢力を持っていた偶像文化が倒れるようになりました。

 このような大きなみわざの原動力になったのは。パウロが3年間エペソに滞在しながら毎日聖書を教え、弟子養成をしたからです。弟子養成は神様のみわざの方法です。イエス様は12弟子を養われました。この弟子養成のみわざを通してパウロはエペソを福音によって征服しました。この国の罪の勢力、偶像崇拝はほえたける獅子のように食い尽くすべき者を捜し回っています。私達の力によっては打ち勝つことができません。しかし神様の御言葉が力強く働く時、このような勢力に打ち勝つことができます。私達が1:1聖書勉強、弟子養成のみわざに励む時、この国が変わることを信じます。

 

?。パウロのミレトでの告別メッセージ(20:1?21:16)

 

騒ぎが治まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げて、マケドニヤへ向かって出発しました。そして、その地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、ギリシヤに来ました。パウロはここで三か月を過ごしながらローマ人への手紙を書きました。そこからピリピを通ってトロアスに行きました。パウロはトロアスで夜中まで熱心に御言葉を伝えました。その時、ユテコという青年が居眠りをして三階から落ち、死ぬという出来事が起こりました。その時パウロは「心配することはない。まだいのちがあります。」と言いました。彼の言った通りにその青年は生き返りました。パウロは旅を急ぎ、ミレトでエペソの長老達を招いて、大変感動的なメッセージを伝えました。17?35節はパウロがエペソの長老達に伝えた告別メッセージです。このメッセージには彼がどんな姿勢で福音のみわざに仕えたかがよく現れています。

第一に、牧者の基本姿勢(18?20)

パウロは、羊達と主に、どんな姿勢で仕えましたか。19,20節をご覧ください。「私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、」パウロは元々高慢な人でした。しかし彼はイエス様に出会ってから謙遜な人に変わりました。彼は謙遜の限りを尽くして主に仕えました。羊達と主に仕えるためには第一も謙遜、第二も謙遜、第三も謙遜が要求されます。謙遜は高慢に打ち勝つ一番大きな武器です。また、彼は涙をもって仕えました。彼には牧者の心がありました。また、羊達の益のために自分のすべてのものを与えました。彼は良い牧者イエス様に似ている牧者でした。

第二に、証の確信(21)

使徒パウロの証の確信は何ですか。21節をご覧ください。「ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。」ユダヤ人とギリシヤ人は当時すべての人々を意味します。彼は誰にもまず神様に対する悔い改めを教えました。私達はまじめな人を見ると悔い改めの必要がないと思われます。しかし、神様の前で罪人でない人は一人もいません。聖書は「義人はいない。ひとりもいない。」(ローマ3:23)とはっきりと言っています。また「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができない」(ローマ3:23)と言っています。人間は誰でも神様の前で罪人です。この点で人間は同じです。人間は罪によって裁かれ滅びるしかありません。

しかし神様は救いの道を開いてくださました。それは罪を悔い改めてイエス・キリストを信じることです。私達はイエス・キリストを通してのみ罪と死の問題を解決することができます。ですから悔い改めとイエス・キリストに対する信仰を同時に伝えなければなりません。悔い改めのない信仰はパリサイ人のように自己義を主張するようになります。信仰のない悔い改めは罪意識にさいなまれさせます。イエス様も悔い改めて福音を信じなさいと言われました(マルコ1:15)。

第三に、使命に対する姿勢(22?24)。

パウロは、心を縛られて、エルサレムに上りました。そこではなわめと苦しみが彼を待っていることを知っていました。しかし彼の使命に対する姿勢はどうでしたか。24節をご一緒に読んでみましょう。「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」人に一番大切なのはいのちです。それでイエス様も「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。」(マルコ8:36,37)と言われました。しかしパウロにはいのちよりも大切なものがありました。それは主イエスから受けた神の福音を証する使命でした。彼はこの使命のために自分のすべてのものを投資しました。私達が何のために自分の人生を投資するかは非常に大切な問題です。しかし、多くの人々がそれを考える余裕もなしに忙しい生活に追われて人生を終えてしまいます。世の中で一番価値ある使命は何でしょうか。使徒パウロは神の恵みの福音をあかしする使命こそ世の何の使命ともかえられない大切な使命であることをよく知っていました。  

また、パウロはその使命を果たし終えるために走り続けました。マラソン選手が最初はいくらよく走ったとしても途中諦めてしまうと賞をもらうことができません。私達は使命を受けてそれを果たすために働きますが、途中都合が悪くなると諦めたい心が生じます。しかしこのような姿勢によっては使命を果たすことができません。途中諦めず最後まで走り終えた人に義の冠、いのちの冠が与えられます。イエス様も「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」(黙2:10)と言われました。イエス様も十字架につけられて「完了した」と言われ、最後まで神様から受けた人類救いの使命を果たされました。「新約聖書一日一章」の著者である榎本保郎先生は次のように言いました。「福音のために自分の命も惜しまぬ情熱がなくて、いったい何をもって福音を語り得ようか。命も惜しまない福音であればこそ、人々に語れるのではないか。安楽な生活を確保しながら福音を語って、どれだけ人々の魂に響くだろう。」去年李サムエル宣教師は肺炎で倒れました。周りの宣教師達は休むように勧めました。しかし、彼は休まず毎週のメッセージを書き、MSU国際夏修養会のみわざに仕えました。私達が使徒パウロのような姿勢を持って主イエスから受けた恵みの福音をあかしすることができるように祈ります。

第四に、証人としての責任(25?27)。

26節でパウロは「私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。」と言いました。その理由について27節で「私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。」と言っています。証人には責任があります。もし私達が牧者として悔い改めのメッセージを伝えなければならなかったのにそれを避けたならその責任を牧者が負うようになります。私達には福音を語り伝える責任を神様から与えられています。それを受け入れて、信じるか信じないかは、相手の責任です。それを考えると私達は神様の御言葉を余すところなく伝えなければならないことを学びます。

第五に、監督者(28?32)

パウロはエペソのリーダー達に聖霊は、神様がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、彼らを群れの監督にお立てになったと言います。クリスチャンは神様がご自分の血をもって買い取られた神の教会です。ところがパウロが出発したあと、狂暴な狼が彼らの中にはいり込んで来て、群れを荒らし回ります。また、彼ら自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こります。これを監督し、羊達を守るのが牧者の使命です。そのためには自分自身と群れの全体とに気を配らなければなりません。それでパウロは彼らに「ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。」(31)と言いました。パウロは彼らを神とその恵みのみことばとにゆだねると言いました。

第六に、物質生活(33?35)

パウロの物質生活はどうでしたか。彼は天幕作りの仕事をして自立していました。彼は、人の金銀や衣服をむさぼったことはないと言います。彼は自分の必要のためにも、自分とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。35節をご覧ください。「このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」パウロは物質生活においても羊達の模範となりました。

こう言い終わって、パウロはひざまずき、みなの者とともに祈りました。みなは声をあげて泣き、パウロの首を抱いて幾度も口づけし、船まで見送りました。

以上から使徒パウロの牧者生活を探って見ました。彼は牧者であり、監督者であり、愛の使徒でした。また彼は御言葉のしもべでした。

エルサレムまでの旅程(21:1?16)

エペソの長老達に別れを告げ、パウロはエルサレムに向かって旅を続けました。パウロがエルサレムに上って行くこの道は、殉教の道でした。人々はしきりにエルサレムに上って行かないように頼みました。しかし、パウロはどうでしたか。13節をご覧ください。「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」と答えました。すると人々は、「主のみこころのままに。」と言って、黙ってしまいました。こうしてついにパウロはエルサレムに着きました。

以上から、パウロの三回伝道旅行について学びました。ここで大切なことはツラノの講堂での福音のみわざです。彼はここで二年間毎日御言葉を論じることによって大きな神様のみわざを体験しました。彼はそれを通してローマ宣教のビジョンを見ることができました。彼はエペソで福音を伝えることで満足しませんでした。なぜなら彼にはまだ主から受けた恵みの福音を証する使命が残っていたからです。彼は地の果てにまで恵みの福音を証する使命をどうしても果たし終えようとしました。その理由は何ですか。過去パウロは教会を迫害し、イエス様に敵対していました。しかし主は彼を哀れみ、ダマスコに行く途中出会ってくださいました。パウロは主から受けた恵みを無駄にするにはいきませんでした。彼は借金を負っているような者の心で主イエス様の恵みの福音を余すところなく宣べ伝えました。それによって彼は偉大な主のしもべになりました。