1999年 創世記第13講

 

イサクを祝福された神様

 

御言葉:創世記25:19?28:5

要 節:創世記26:3,4

「あなたはこの地に、滞在しなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福しよう。

それはわたしが、これらの国々をすべて、あなたとあなたの子孫に与えるからだ。こうしてわたしは、あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たすのだ。そしてわたしは、あなたの子孫を空の星のように増し加え、あなたの子孫に、これらの国々をみな与えよう。こうして地のすべての国々は、

あなたの子孫によって祝福される。」

 

私たちは先週のメッセージを通してアブラハムの信仰とアブラハムのしもべの忠実さを通してイサクの家庭を立てられ、祝福を受け継がせた神様について学びました。今日の御言葉にはイサクが出ています。彼はアブラハムの信仰の影響を受けて育ったからか彼の生涯は順調でした。彼はアブラハムの故に受けた祝福によって平安な生涯を過ごし、ヤコブにその祝福を受け継がせることで彼の生涯を終えます。彼は一見見ると、目立つことはしていませんでしたが、神様から受けた祝福にとどまり、それをよく受け継がせた内面性のある人でした。この時間、イサクを祝福された神様について学び、私たちも神様に祝福された人生を送ることができるように祈ります。

 

?.祈るイサク(25:19-22)

 

20節をご覧ください。イサクは四十歳でリベカと結婚しました。互いに愛し合い、恵まれた平和な日々を送る彼らにも、一つの深刻な問題がありました。イサクの家庭にはアブラハムの家庭と同じ問題がありました。リベカが不妊の女であったのです。1年、2年、10年、15年を待っていても彼らには子供は産まれませんでした。イサクはひとり子であり、神様の祝福は受け継がせなければならなかったので子供を産めないことは深刻な問題でした。イスラエル人は多産は神様の祝福であり、不妊は神様の呪いだと思いました。イサクは神様の約束と愛を疑うこともできました。アブラハムは人間的な方法で子供の問題を解決しようとしました。彼は妻のすすめを受け、はしためハガルによって子供の問題を解決しようとしたのです。それほど神様の約束が成就するのを待つのは難しいことです。しかし、イサクはこのために何をしましたか。21節をご覧ください。「イサクは自分の妻のために主に祈願した。彼女が不妊の女であったからである。主は彼の祈りに答えられた。それで彼の妻リベカはみごもった。」彼は自分の妻のために主に祈りました。それも20年間神様の言葉の成就を待ち続けながら祈りました。イサクは神様が約束の通りに必ず子供を与えてくださることを信じました。彼はどんな場合にも神様の愛を確信し、感謝を持って祈りました。彼は喜びの時にも祝福の時にも妻リベカを変わらず愛し、慰め、祈ってあげました。ここにイサクの内面性がよく現われています。彼はリベカに「子供を産めないのはあなたのせいだ。」と言いながら怒ったり、暴力をふるったりしませんでした。彼は心が広くて柔和な人だったので妻を尊く思い、愛しました。彼は祈りの人であり、忍耐の人でした。ついに神様は彼の祈りに答えられ、彼の妻リベカはみごもりました。それも双子をみごもりました。

ここで私たちは神様は時になると、必ず約束を守ってくださる真実な方であることを学ぶことができます。私たちは神様に祈りますが、その祈りに答えてくださらないと思い、神様の愛を疑ったり、失望する時があります。しかし、祈りに答えてくださらない時にも神様の御心があることを知らなければなりません。第一に、神様の約束は人間の努力や自然的な方法によって成し遂げられるのではなく、神様の恵みによるものであることを悟らせてくださるためです。第二に、イサクを神様に用いられる信仰の人として育てるためです。神様は今日も羊の問題を通して私たちを信仰の人として訓練してくださいます。

子どもたちがリベカの腹の中でぶつかり合うようになったとき、彼女は、「こんなことでは、いったいどうなるのでしょう。私は。」と言いました。そして主のみこころを求めに行きました。彼女もイサクのように祈りの人であったことがわかります。イサクとリベカは子供のないことで心を合わせて祈っていたようです。信仰によって結婚することも大切なことですが、このように家庭の中に問題がある時、夫婦が心を合わせて祈りながらその問題を解決して行く生活も大切です。イサクとリベカは祈る夫婦でした。祈る家庭に神様の祝福と恵みが臨まれます。

私たちの信仰生活で祈りが忘れられていることはないか考えてみましょう。もし、祈りが忘れられているならその人の信仰生活の危機であると言えます。また、祈らない教会があるなら、その教会も危機であると言えるでしょう。最近、早稲田フェローシップでは新しい世紀を迎えながら百日間の夜明けの祈りを始めたと聞きました。主に感謝します。私たちもイサクが祈りの人であったように祈りに生きる者となりましょう。

 

?。神様の御言葉に聞き従ったイサク(26:1?15)

 

1節をご覧ください。さて、アブラハムの時代にあった先のききんとは別に、この国にまたききんがありました。イサクは生存の危険にさらされました。それで彼はゲラルのペリシテ人の王アビメレクのところへ行きました。そこからイサクはエジプトに下ろうとしたと思われます。ゲラルはエジプトに行くための国境の付近です。その時、主はイサクに現われて仰せられました。「エジプトへは下るな。わたしがあなたに示す地に住みなさい。」神様はアブラハムに「あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」と言われましたが、イサクには「わたしがあなたに示す地に住みなさい。」と言われました。二つとも彼らに絶対的な従順を要求するものです。アブラハムが生まれ故郷から出て、神様が示す地へ行くのもやさしくなかったように、イサクがききんの時にその地に住むこともやさしいことではありませんでした。しかし主が示される地、主の御心の地が最善の地です。

それでは神様はアブラハムやイサクになぜ絶対的な従順を要求なさるのでしょうか。それは従順を通してのみ神様と正しい関係性を結ぶことができるからです。神様がアダムにエデンの園を与えるほど祝福しながらただ一つ要求されたのはこの従順でした。アダムが神様の御言葉に従う時こそ創造主である神様と被造物である人間との間に創造の秩序が維持されるようになります。神様の御言葉に従わなければその秩序は破壊され、祝福は呪いに変わります。神様の御言葉に聞き従うのには痛みが伴いますが、聞き従う時、信仰の奥義を悟ることができますし、神様の祝福を体験することができます。ですから、信仰者となるとは従順の人となることです。

神様は、イサクに命令だけではなく、聞き従う時、与える祝福も約束されました。3,4節をご一緒に読んでみましょう。「あなたはこの地に、滞在しなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福しよう。それはわたしが、これらの国々をすべて、あなたとあなたの子孫に与えるからだ。こうしてわたしは、あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たすのだ。そしてわたしは、あなたの子孫を空の星のように増し加え、あなたの子孫に、これらの国々をみな与えよう。こうして地のすべての国々は、あなたの子孫によって祝福される。」神様はアブラハムに与えてくださった祝福と同じ祝福をイサクに約束されました。祝福の内容は子孫の増加、約束の地の所有、イサクの子孫が他の国々に主の祝福をもたらすパイプとなるということです。神様がイサクをそのように祝福する理由は第一に、アブラハムに誓った誓いを果たすためにです。アブラハムは死に、歳月は流れました。しかし、主の約束は変わることがありません。人が変わっても、主は真実にその誓いを守られます。第二に、アブラハムが神様の御言葉に聞き従ったからです(5)。これを見ると、私たちがアブラハムのように信仰によって生きると、神様は私たちだけではなく、私たちの子孫も祝福してくださることがわかります。

この御言葉を聞いたイサクは何をしましたか。6節をご覧ください。「イサクがゲラルに住んでいるとき、」彼は神様の約束を信じて死ぬ覚悟で聞き従いました。その時、神様は彼をどのように祝福してくださいましたか。

第一に、神様は彼とともにおられ、彼を保護してくださいました。イサクはゲラルに住んでいる時、彼の父アブラハムが二度も犯した同じ失敗を犯してしまいました。このことは、父アブラハムの弱さがその子イサクに伝わったということを示しています。私たちは親から良いものを受け継ぐと同時に罪の性質をも受け継いでいます。イサクが失敗を犯してしまったのにもかかわらず、神様は彼を守ってくださいました。その地の王であるアビメレクはすべての民に命じて「この人と、この人の妻に触れる者は、必ず殺される。」と言ったのです。

第二に、神様は物質的にも豊かに祝福してくださいました。12、13節をご覧ください。「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。」彼が羊の群れや、牛の群れ、それに多くのしもべたちを持つようになったので、ペリシテ人は彼をねたむほどでした。飢饉の時に百倍の収穫を見たことは考えられないことです。神様は私たちの考えを超えて祝福してくださることができる方です。私たちはこの神様の祝福を信じるべきです。ある方は祝福の神様を信じることができず、努力と誠実さによって信仰生活をしています。しかし、人間の努力や誠実さには限界があります。民数記11章を見ると、イスラエル人がエジプトから脱出した後、肉が食べたいと大声で泣き叫びました。「ああ、肉が食べたい。私たちに肉を与えて食べさせてくれ。」その時、神様は彼らのつぶやきを聞かれ、一ヵ月も肉を与えて彼らの鼻から出て来て、吐き気を催すほどに食べさせると言われました。すると、モーセは心配しそうに神様に申し上げました。「私といっしょにいる民は徒歩の男子だけで六十万です。しかもあなたは、彼らに肉を与え、一月の間食べさせる、と言われます。彼らのために羊の群れ、牛の群れをほふっても、彼らに十分でしょうか。彼らのために海の魚を全部集めても、彼らに十分でしょうか。」(民11:21,22)。神様はこのように言うモーセを叱って言われました。「主の手は短いのだろうか。わたしのことばが実現するかどうかは、今わかる。」(民11:23)。それから主のほうから風が吹き、海の向こうからうずらを運んで来て、宿営の上に落としました。私たちが神様の祝福を信じて神様の御言葉に聞き従う時、一時的に損するかのように思われる時もありますが、結局は神様によって祝福された人生を送るようになります。

 

?。井戸を掘るイサク(26:16?36)

 

神様の祝福によって非常に裕福になったイサクをねたんだペリシテ人は、イサクの父アブラハムの時代に、父のしもべたちが掘ったすべての井戸に土を満たしてこれをふさぎました。その地方で井戸は非常に大切なものです。井戸を掘るのは大変な苦労があります。ですから、井戸を譲ることは当時難しいことでした。しかし、イサクは苦労して掘った井戸を何回も譲りました。譲ることばかりしているイサクのことを考えると腹が立ちます。イサクは弱虫のように見えます。それでは本当に彼が弱くてもそのように井戸を譲ったのでしょうか。彼は栄えて、非常に裕福になっているし、多くのしもべたちも持っているのを見ると、決して力がなくて譲ったのではありません。彼が井戸を譲ったのは、神様がベストの道に導いてくださることを信じたからです。彼は心が広いです。彼はすべてを主にゆだねました。すると、ついに争いがなくなり、イサクは「今や、主は私たちに広いところを与えて、私たちがこの地でふえるようにしてくださった。」(22)と言いました。主に信頼する者に主は平安と勝利と祝福を与えてくださいます。

結局、イサクは不信者達にどんな信仰の影響を及ぼしましたか。26節をご覧ください。ペリシテ人の王アビメレクは友人アフザテとその将軍ピコルと、ゲラルからイサクのところにやって来ました。彼らはイサクを憎み、イサクを追い出した人たちです。ところが、彼らはイサクに何と言いましたか。28節をご覧ください。「私たちは、主があなたとともにおられることを、はっきり見たのです。それで私たちは申し出をします。どうか、私たちの間で、すなわち、私たちとあなたとの間で誓いを立ててください。あなたと契約を結びたいのです。」29節では「あなたは今、主に祝福されています。」と言いました。これはイサクの信仰による勝利です。ローマ12:21には次のように記されています。「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」アビメレクはイサクと契約を結ぶことを提案します。それは主がイサクとともにおられたので、彼に恐れを感じたからです。それで平和条約を結びました。信仰によって生きる時、主は私たちを祝福してくださいます。その時、人々は私たちを見てこう言うでしょう。「私たちは、主があなたとともにおられることを、はっきり見たのです。私もあなたが信じている神様について知りたいと思います。」ペテロ?3:9節には次のように記されています。「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱を報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」私たちが神様の祝福にあずかる者となり、私たちを通してノンクリスチャンの間に主の御名があがめられるように祈ります。

?。ヤコブを祝福したイサク(27:1?28:5)

 

イサクは年をとり、視力が衰えてよく見えなくなったとき、死ぬ時が近づいていることがわかりました。それで長男のエサウを呼び寄せて彼に、「野に出て行き、私のために獲物をしとめて来てくれないか。そして私の好きなおいしい料理を作り、ここに持って来て私に食べさせておくれ。私が死ぬ前に、私自身が、おまえを祝福できるために。」と言いました。イサクは自分に与えられた祝福を自分の好みで受け継がせようという誤りを犯しました。イサクがエサウを祝福しようとしているのを知ったリベカは、その祝福を横取りしてヤコブに与えるようにしました。27?29節はイサクがヤコブを祝福した内容です。第一に、作物についての祝福です。第二に、兄弟達の主となるようにという祝福です。第三に、他の人、他の国民に神様の祝福をもたらすパイプとなるようにという祝福です。これらの祝福は、基本的にアブラハム、イサクへの祝福と同じものであると言うことができます。28:1、2節を見ると、アブラハムがイサクの結婚に対して命じたようにイサクはヤコブに同じ事を命じました。「カナンの娘たちの中から妻をめとってはならない。さあ、立って、パダン・アラムの、おまえの母の父ベトエルの家に行き、そこで母の兄ラバンの娘たちの中から妻をめとりなさい。」そして、イサクはヤコブを祝福しました。3,4節をご覧ください。「全能の神がおまえを祝福し、多くの子どもを与え、おまえをふえさせてくださるように。そして、おまえが多くの民のつどいとなるように。神はアブラハムの祝福を、おまえと、おまえとともにいるおまえの子孫とに授け、神がアブラハムに下さった地、おまえがいま寄留しているこの地を継がせてくださるように。」ヤコブは、アブラハム、イサクと受け継がれた祝福を受け継ぐ者です。そして、この祝福は、さらにヤコブの子孫へと受け継がなければなりません。それゆえ、ヤコブの妻となるべき女性は偶像崇拝者であってはなりません。

イサクの生涯はアブラハムから受け継いだ祝福をそのままヤコブに受け継がせることで終わります。イサクの偉大さはここにあります。彼は祝福を受け継がせる使命をよく果たしました。それは決してやさしいことではありません。アメリカはピューリタン達によって開拓され、祝福された国となりました。しかし、その子孫達はその祝福をよく受け継がせることができず、今は麻薬と性的な堕落、暴力、殺人で満ちた国となりました。私たちは信仰の先輩達から純粋で絶対的な信仰と御言葉を愛し、聞き従う姿勢、イエス・キリストの兵士として十字架を愛する精神、世界宣教の使命を受け継ぎました。私たちはこの霊的な祝福をよく担ってからその祝福を後輩や子孫達に受け継がせる使命を持っています。

以上から、イサクを祝福された神様はどんな方ですか。イサクの神様は祝福の神様であり、恵みの神様です。この神様は私たちも祝福してくださる祝福の神様です。神様は祈るイサクを祝福して子供を与えてくださいました。また、神様はイサクが御言葉に聞き従った時、彼を守り、物質的にも百倍も祝福してくださいました。神様は御言葉に聞き従う人をこのように祝福してくださる方です。また、井戸を譲ったイサクを祝福してくださり、勝利と祝福を与えてくださいました。神様はイサクを祝福してくださるだけではなく、その祝福を彼の子孫に受け継がせる者としてイサクを用いられました。私たちもイサクのように神様の御言葉に聞き従うことによって祝福の人生を送り、また、私たちの子孫にその祝福を受け継がせる者として用いられるように祈ります。