2015年使徒の働き第12講

信仰の門を開いてくださった

御言葉:使徒の働き13:1-14:28
要 節:使徒の働き14:27「そこに着くと、教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行なわれたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告した。」

今年、私たち「使徒の働き」を学んでいますが、この書物にすべての使徒の働きが記されているのではありません。先週まで勉強した前半部(1章-12章)では、主に使徒ペテロの働きが記されてありました。地理的にはエルサレムとユダヤ、サマリヤまでにユダヤ人を中心にしたが使徒たちの働きです。
今日から学ぶ後半部(13章-28章)は、主に使徒パウロの宣教活動が中心になっていますし、地理的にもユダヤを超えて世界の人々に広がって行きます。その中でも今日の御言葉には異邦人に信仰の門を開いてくださったことが記されてあります。パウロは現在トルコの南部地方になっている小アジア地方から開拓して行きます。開拓、開店など何か新しく始めることはやさしくないと思います。先週、教会の一階に開店した「ピーシャイ・タイカフェ」を見ると、契約してから準備期間だけで2か月以上かかりました。言うまでもなく、誰も知らない新しい地域に行って教会を開拓して行くことはやさしくなかったでしょう。使徒パウロはどのようにして新しい地域を開拓して行くことができたでしょうか。聖霊はどのように働いて彼を助け、異邦人に信仰の門を開いてくださったでしょうか。本文の御言葉を通して使徒たちの働き、聖霊の働きを深く学ぶことができるように祈ります。

?.アンテオケの教会と小アジアでの伝道(13:1-52)
1-3節をご覧ください。アンテオケの教会にはバルナバ、ニゲル(黒い人)と呼ばれるシメオン、クレネ出身のルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、それにパウロなどが預言者や教師になっていました。生まれも、育ちも違うし、顔色も身分も違う人たちが預言者や教師として活動していました。ある日、彼らが主に礼拝をささげ、断食していると聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と言われました。それで彼らはさらに断食して祈ったあと、ふたりに手を置いて任命し、送り出しました。
ここで、素晴らしい教会の姿を見ることができます。彼らには主への礼拝、断食、祈りがありました。宣教師を任命して送り出す宣教の働きがありました。何よりも聖霊の御声を聞いて従う教会でした。私たちの教会にも礼拝と断食と祈りがあります。宣教師を任命して送り出すこともありました。これからもますます主を礼拝し、祈りと断食をしながら聖霊の御声に聞き従うことができるように祈ります。
特に、今日はイエス・キリストが十字架の苦難を受けられた受難週の第一日に当たります。イエス様はこの日曜日にエルサレムに入城され、木曜日に聖餐式を行なわれました。そして金曜日に十字架にかかって死なれ、葬られました。土曜日は墓に納められていました。キリスト教ではこの一週間を受難週として守っています。断食をしたり遊びに行くのをやめたりしてそれぞれ努力して敬虔に過ごそうとします。私たちもこの一週間は夜8時に祈り会を通してイースター修養会を準備し、イエス・キリストの受難を覚えて行きたいと思っています。この期間にはパソコンやスマートフォンなどのSNS断食もしながら敬虔に過ごすことができるように祈ります。今週だけではなく、常に、アンテオケの教会のように、主を礼拝し、断食と祈りをしながら聖霊の御声を聞いて交わり、聖霊に従う生活ができるように祈ります。では教会から送り出されたふたりは何をしましたか。
4-8節をご覧ください。ふたりは聖霊に導かれてセルキヤに行き、そこから船でキプロスに向かいました。その島のサラミスという町に着くと、さっそくユダヤインの会堂で神のことばを宣べ始めました。ヨハネ(マルコ)も助手として同行しました。彼らは島全体を巡回して、最後にパポスという町に来ました。そこで、にせ預言者でバルイエス(イエスの息子)と名乗る魔術師に出会いました。彼は総督セルギオ・パウロの取り巻きのひとりでした。総督は賢明な人で神の御言葉を聞きたいと思うほどに霊的な望みを持っていたのでバルナバとパウロを招きました。ところが、魔術師は、ふたりに反対しました。パウロやバルナバの言葉に耳を傾けないようにそそのかし、総督を信仰の道から遠ざけようとしました。しかし、聖霊に満たされたパウロはどうしましたか。
9-11節をご覧ください。「しかし、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、言った。「ああ、あらゆる偽りとよこしまに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵。おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。見よ。主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲目になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる」と言った。するとたちまち、かすみとやみがかれをおおったので、彼は手を引いてくれる人を捜し回った。」とあります。パウロの呪いによって信仰の道を遠ざけていた魔術師エルマは盲目になってしまいました。この出来事を目のあたりにした総督は、主の教えに驚嘆して信仰に入りました。これは考えてみればすごいことです。その地方のトップ、つまり県知事とか都知事とか、そういう人が信仰を持つに至った、ということです。しかしこれは決して特別な、この時代の事だけではありません。パウロによって切り開かれたローマ帝国への宣教は、どんどん広がっていきました。313年にはローマ皇帝がキリスト教を公認しました。そして391年には、キリスト教を国教に定めるに至りました。こういう素晴らしい出来事の後もパウロの一行は伝道旅行を続けます。
13節をご覧ください。パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡りました。ここでヨハネと呼ばれるマルコが一行から離れ、エルサレムに帰ってしまいました。その理由は分かりません。同労の問題があったのか、健康の問題があったのかは分かりません。信仰の強いパウロが感情的になって言い過ぎてしまうことがあったかも知れません。私たちと同じ人間だからあり得ることでしょう。確かなことは、弱さを持っていながらも福音を伝える働きを進めて行ったことです。パウロたちはペルガから進んでピシデヤのアンテオケに行きました。ここのアンテオケはパウロを送り出したシリアのアンテオケとは違うアンテオケです。そこでも安息日に会堂にはいると、会堂の管理者たちから話す機会が与えられました。パウロが立ち上がり、手を振りながらメッセージを伝えました。
16-41節までは使徒パウロのメッセージです。まず17-21節でイスラエルの歴史を紹介しています。神様はご自分の民イスラエルを大きな力によってエジプトから導き出し、約四十年間、荒野で養われました。それからカナンの地に入らせて七つの民を滅ぼし、その地を相続財産として分配されました。その後、預言者サムエルの時代までは、さばき人たちをお遣わしになりました。彼らが王をほしがったので、神様はサウロをイスラエルの初代王として立ててくださいました。それから、彼を退けて、ダビデを立てて王とされました。パウロはそのイスラエルの歴史をダビデまでに語りました。それはダビデに対してメシヤの約束が与えられているからです。その約束の救い主がイエス・キリストです。
最近、流行っている幸福の科学の大川さんとか、儒教の孔子、仏教の仏陀、イスラム教のモハメットなどは、誕生の前から預言されたという話を読んだことも、聞いたこともありません。しかし、イエス・キリストの誕生は旧約聖書に預言されていたのです。キリストの道を備える先駆者バプテスマのヨハネのことも預言されていたし、そのとおりに現れてイエス様の道を備えました。
24、25節をご覧ください。「この方がおいでになる前に、ヨハネがイスラエルのすべての民に、前もって悔い改めのバプテスマを宣べ伝えていました。ヨハネは、その一生を終えようとするころ、こう言いました。『あなたがたは、私をだれと思うのですか。私はその方ではありません。ご覧なさい。その方は私のあとからおいでになります。私は、その方のくつのひもを解く値うちもありません。』」とあります。旧約聖書に預言されたとおりにバプテスマのヨハネが現れて悔い改めのバプテスマを宣べ伝えました。キリストが自分のあとからおいでになることも言いました。そして、その通りにイエス様はキリスト、メシアとして来られたのです。
それによって救いの言葉は私たちに送られました。従ってだれでもこのイエス様をキリストとして受け入れ、信じるなら救われるようになったのです。それは誰よりも旧約聖書を持ち、信じているはずのユダヤ人がよく分かっていることでした。しかし、ユダヤ人たちはイエス様を信じるどころか、十字架につけて殺してしまいました。ところが、それも聖書に預言されたとおりでした。イザヤ書53章5節によると「しかし、彼は私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた」とあります。イエス様はユダヤ人の背きの罪のために、私たちの罪と咎のために、十字架につけられて死なれたのです。しかし、神様はキリストをどのようにされましたか。
30-37節をご覧ください。ここで、パウロはイエス様の復活をはっきりと証ししています。ユダヤ人はイエス様を十字架につけて殺しましたが、神様はイエス様を死者の中からよみがえらせました。復活は、神様の打ち負かされないご計画と力との証拠でした。これもまた聖書の御言葉通りになったことです。特にパウロは詩編2:7「あなたは、あなたの聖者を朽ち果てるままにはしておかれない。」と言ったダビデの預言はイエス様の復活を預言していると証しました。結局、パウロのメッセージの結論は何ですか。
38、39節をご一緒に読んでみましょう。「ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」とあります。パウロはモーセの律法によってではなくイエス様を信じることによって罪から解放されると証しています。「解放される」と言うのは、「赦される、義と認められる」という意味です。私たちはイエス様をキリストとして信じるなら、その信仰によって罪が赦され、義と認められるのです。これこそが罪の赦しの福音です。
私たちは宣教旅行の途中でエルサレムに帰ってしまったマルコのように弱くなる時があります。自分の限界にぶつかり、同じ罪を繰り返して犯してしまうと、自分自身も自分を赦せなくなります。しかし、それでも主を信じて悔い改め、主の御前に出て行くなら、主は私たちを赦し、恵みを施してくださいます。私たちは、ただ、イエス・キリストを信じるなら救われるのです。それではこのパウロのメッセージに対する反応はどうでしたか。
42-44節をご覧ください。ふたりが会堂を出るとき、人々は、次の安息日にも同じことについて話してくれるように頼みました。会堂の集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神様を敬う改宗者たちが、パウロとバルナバについて来ました。それで、ふたりは彼らと話し合って、いつまでも神の恵みにとどまっているように勧めました。すると、次の安息日には、ほとんど町中の人が、神のことばを聞きに集まって来ました。ところが、人々が多く集まって来る群衆を見たユダヤ人たちは、ねたみに燃えました。彼らはパウロの話に反対して、口ぎたなくののしりました。その時、パウロとバルナバは新しい方向をつかむようになりました。
46、47節をご覧ください。「そこでパウロとバルナバは、はっきりとこう宣言した。「神のことばは、まずあなたがたに語られなければならなかったのです。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決めたのです。見なさい。私たちは、これからは異邦人のほうへ向かいます。なぜなら、主は私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした。あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである。』」とあります。パウロはイザヤ49:6節の御言葉に基づいて異邦人宣教の方向をつかみました。異邦人は心が開かれていました。異邦人たちは、それを聞いて喜び、主のみことばを賛美しました。ここから、異邦人宣教が具体的に始まって行きます。どのようにして異邦人の心が引かれ、開拓のみわざが起こるようになったでしょうか。

?. 信仰の門を開いてくださった(14:1-28)
14章1-7節をご覧ください。イコニオムでも、ふたりの使徒は連れ立ってユダヤ人の会堂にはいり、話をしました。すると、ユダヤ人もギリシヤ人も大ぜいの人が信仰に入りました。しかし、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人たちをそそのかして、兄弟たちに対し悪意を抱かせました。それでも、ふたりは長らく滞在し、主によって大胆に語りました。異邦人とユダヤ人が彼らの指導者たちといっしょになって、使徒たちをはずかしめて、石打ちにしようと企てました。そのとき、ふたりはそれを知って、ルカオニヤの町であるルステラとデルベ、およびその付近の地方に難を避け、そこで福音の宣教を続けました。
具体的にパウロはルステラにある足のきかない人に目を留め、彼にいやされる信仰があるのを見て、大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい。」と言いました。すると彼は飛び上がって、歩き出しました。パウロのしたことを見た群衆は、声を張り上げ、ルカオニヤ語で、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ。」と言いました。パウロとバルナバにいけにえもささげようとしました。それに対して使徒たち、バルナバとパウロはどうしましたか。「そうなんだ。私が神なんだ。私を拝め。」と言ったでしょうか。決してそうではありませんでした。
14、15節をご覧ください。「これを聞いた使徒たち、バルナバとパウロは、衣を裂いて、群衆の中に駆け込み、叫びながら、言った。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。」とあります。ここで、衣を裂いて、群衆の中に駆け込んだのは、自分の立ちも同じ肉体を持っている人間であることを示すためでした。そして神様が、「天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった方」として説明しました。
ところがパウロがルステラで福音を宣べ伝えている時、ユダヤ人たちはパウロを妬みました。彼らはアンテオケとイコニオムから来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにしました。何度も何度も石に打たれたパウロは死んだ人のようになっていました。実際に死んでいたかも知れません。彼らは死んだものと思ってパウロを町の外に引きずり出しました。しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町にはいって行きました。パウロは石に打たれ、死にそうになっても少しも迫害に負けませんでした。神の国への望みがあったからです。
22節をご覧ください。「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。」と言いました。この望みのゆえに彼は多くの苦しみの中でも落胆しませんでした。むしろ艱難の中でも喜びました。なぜなら今の時のいろいろの苦しみは、将来私達に啓示されようとしている栄光と比べれば、取るに足りないものと思っていたからです(ローマ8:18)。私たちにも神の国に対する望みがある時、苦難の十字架を負うことができるし、艱難さえも喜ぶことができます。ふたりの使徒はピシデヤを通ってパンフリヤに着き、ペルガでみことばを語ってから、アタリヤに下り、そこから船でアンテオケに帰りました。そこに着くと、教会の人々を集め、宣教報告をしました。どのような報告をしましたか。
最後に14章27節をご一緒に読んでみましょう。「そこに着くと、教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行なわれたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告した。」彼らは自分たちがどれほど苦労したかを報告しませんでした。「皆さん、私がどれだけが苦難を受けたのか、死にそうになっていたよ。皆さんも分かってほしい。」と言いませんでした。彼は神様が彼らとともにいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告しました。実際に異邦人はやみの中にいました。彼らの心は閉ざされていました。パウロは彼らに福音の光を照らす異邦の光として選ばれましたが、その任務を果たすことはやさしくありませんでした。しかし、神様がともにおられ、任務を果たせるようにしてくださいました。何よりも、閉ざされている異邦人に信仰の門を開いてくださいました。神様が主を礼拝し、断食をし、祈りをしているアンテオケ教会から派遣されたパウロを異邦人の宣教のために貴く用いられました。だから、福音によって小アジア地方を開拓し、宣教旅行を続けることができます。教会を開拓し続けることができました。
今日も、福音の光を知らず、やみの中にいる人々にキリストの福音を伝えることは決してやさしくありませんでした。 閉ざされている人々に福音を伝えることは岩に卵を投げるようなものです。パウロも多くの苦難を受けました。しかし、神様は主を礼拝し、祈る私たちとともにおられます。私たちが福音を伝える時、異邦人に信仰の門を開いてくださいます。だからこそ、全くイエス・キリストを知らない人々にキリストの光を照らすことができます。聖霊が私たちとともに働いてくださるからです。この日本の人々に信仰の門を開いてくださるからです。ですから、私たちも使徒パウロのように異邦人の光として働き、用いられることができます。どうか、主が私たちを異邦人の光として用いられますように祈ります。