2015年 主日礼拝メッセージ 使徒の働き6講                                張パウロ

祈りとみことばの奉仕に励んだ使徒たち

御言葉:使徒の働き5:17―6:7
要 節:使徒の働き6:3,4「そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」

 私たちは、前回の御言葉を通して、聖霊の働きを妨害し、神様に従わなかったときにどのような裁きがあったのかを学びました。神様は、うそをつきながら自分たちの欲望を満たそうとしたアナニヤとサッピラ夫婦を厳しく罰せられ、初代教会の信者たちに警鐘を鳴らされました。しかし、神様はその後、使徒たちの手によってもっと多くのしるしと不思議なわざを行われました。そして、多くの病人が癒される御業をなしてくださいました。
こうした中、使徒たちはふたたび迫害を受けることになります。使徒たちの働きに妬みが燃え上がった祭司長やサドカイ派の人々は、使徒たちを捕らえ、留置場に入れました。しかし、宗教指導者たちの迫害が聖霊の御業をとめることはできませんでした。神様は、使徒たちにいのりといのちのみことを教えるという方向をあたえてくださいました。今日の御ことばを通していのちの御言葉をことごとく語るようにしてくださった主の御旨を知ることができるように祈ります。

?.いのちのことばを、ことごとく語りなさい(5:17〜42)

17、18節をご覧ください。大祭司が属しているサドカイ派の者みなは、妬みに立ち上がり、使徒たちを留置場に入れました。彼らは使徒のたちの述べ伝える言葉をきいて自分のことを顧みるべきでした。しかし、彼らは妬みのとりこになっていました。妬みを抑えないとどのような結果を招きますか?創世記4章に出ているカインは、神様が弟アベルのささげものには目を留められて、自分のささげものには目を留められなかったことで憤りました。彼がこの罪を悔い改めなかったとき、弟を殺しす罪を犯して人類初の殺人者という汚名をおうことになります。
イスラエルの初代王だったサウルの場合は、どうでしたか。彼は、最初は謙遜で主を恐れたひとでした。しかし、ダビデのことで妬みに刈られてから彼の人生は狂ってしまいました。ダビデを殺すために、策略を立て、あらゆる悪巧みを企てました。時には自分のために琴を弾いているダビデに向け、槍を投げつけました。自分の娘ミカルを、ダビデを殺すために、ダビデと結婚させました。国の王が妬みのとりこになったとき、自分も不幸になりイスラエルの民たちも惨めな日々を送るしかありませんでした。
本文のサドカイ派の人たちも使徒たちへの妬みを抑えることができず、留置場に入れて殺すチャンスを伺おうとしました。
私も若いころ、留置場に入れられたことがありました。二晩だけでしたが、1年のように長く感じられました。暗くてもどかしい空間で長くはいたくない場所です。そのとき、友人たちが面会に来てくれたのですが、それが非常にうれしかった記憶が鮮明に残っています。
しかし、留置場に入っていた使徒たちのところに訪ねたのは誰でしたか。それは、友人や家族ではなく、神様のお使いでした。その夜、主の使いが牢の戸を開き、使徒たちを連れ出しました。そして、次のように命じられました。
20節を読んでみます。「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばを、ことごとく語りなさい」。神様は、留置場に入っていた使徒たちに“お疲れ様”、“大変だったでしょう。ゆっくり休んでください”のような優しい御言葉では語られませんでした。今すぐ行って宮の真ん中に立ち、いのちの御言葉をことごとく語るようにされたのです。

 なぜ、神様は留置場から出たばかりの彼らにこのような御言葉を与えたのでしょうか。
それは、いのちの御言葉を述べ伝える伝道が何よりも重要だからです。もし、皆さんの子供や家族が火事で燃えている家に取り残されていたらどうしますか。躊躇せず、救いに燃えている家に入ると思います。わたしたちは、毎日のように救急車のサイレンをよく耳にします。救急車が一般交通法を違反しても問題ないのは大事な命を救うことを優先させるためです。私の長男のパウロ君は、生後6ヶ月の幼いころ、急性脳髄膜炎にかかって痙攣していました。私は救急車を待ちきれなくて、彼を抱いて救急車の方に走って行った覚えがあります。人のいのちはこのように世の何ものより大切です。
神様は、牢屋の戸を破り、彼を連れ出してでも使徒たちを通していのちの御言葉をのべ伝えようとされました。使徒たちの語る御言葉を心から待ち望んでいる、かわいそうな民衆たちをひとりでも早く救おうとされました。
神様が命じられる御言葉をきいた使徒たちは、どのように行動しましたか。彼らは、牢で夜を明かしたはずなのに、夜明けごろ宮に行って教え始めました。使徒たちは神様の指示に黙々従いました。いのちを脅かすサドカイ派のことは恐れませんでした。すべてを主にゆだねて大胆に御言葉をのべ伝えました。

この知らせを受けた守衛長や祭司長たちは、宮で教えている使徒たちを再び連れて来させました。そして、サンヘドリン公会のまえでイエスの名によって教えてはならないと言ったのに、なぜ教えつづけているのかと憤慨して問いただしたのです。

これに対して、ペテロはどのように答えましたか。29節をご覧ください。“人に従うより、神に従うべきです。”ペテロは聖霊による勇気と確信に満ちていました。人の脅かしにまけず神様に従い、果敢に御言葉を伝えました。30節〜32節をご覧ください。“私たちの父祖たちの神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。
ペテロが言っているように、祭司長たちはイエス様を十字架にかけて殺しました。そして、神様はこのイエス様をよみがえらせました。このイエス様こそ、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えてくださる救い主です。使徒たちは、よみがえられたイエス様の証人として、世の権力の前でイエス様について明かしました。
ところで、ペテロの話をきいていた指導者たちは怒り狂い、使徒たちを殺そうとしました。聖霊の働きが活発になればなるほど、サタンの働きも強くなることがあります。使徒たちは絶大絶命のピンチに追い込まれたのでした。
しかし、神様はガマリエルという人を立ててくださって使徒たちを危機から救おうとされました。彼はすべての人に尊敬されている律法学者でした。彼は非常に冷静かつ的確な論理で宗教指導者たちの怒りを沈めるとともに使徒たちのいのちを守りました。39節で彼の話の中で説得力のある重要なポイントがあります。“そこで今、あなたがたに申したいのです。あの人たちから手を引き、放っておきなさい。もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。しかし、もし神から出たものならば、あなたがたには彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」彼らは彼に説得され、”とあります。使徒たちの言動が人から出たものなら、自滅し、神様から出たものならば滅ぼすことができないと説得しました。まさに、そのとおりです。聖霊の御業を人間の力で食い止めようとしてもできないのです。
 宗教指導者たちはガマリエルに説得され、使徒たちをむちで打ってから釈放するしかありませんでした。使徒たちはむちで打たれて傷だらけになってしまいました。ところが苦難と艱難にあった彼らの反応はどうでしたか。
41節をご覧ください。“そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。”使徒たちはイエスの御名のために苦しめられたことを、むしろ喜びました。彼らが受けた苦難とキス跡は、イエス・キリストの痕跡そのものです。そして、使徒たちは毎日、教えることに励み、イエスがキリストであることをのべ伝え続けました。

?.もっぱらいのりとみことばの奉仕に励む使徒たち(6:1〜7)
使徒たちが弾圧の中でもみことばを教つづけると、弟子たちはどんどん増えてきました。しかし、信じる人が多くなると、思わぬところで問題があらわれました。ギリシャ語を使うユダヤ人たちが、へブル語を使うユダヤ人たちに苦情を申しだてました。当時、エルサレム教会は貧乏すぎて食べるのにも困る信者たちに飲食を施す事業もしていました。ところが、ギリシャ語を使うユダヤ人のほうから自分たちのやもめたちの配給がなおざりにされていると不満を言い漏らしたのです。当時の初代教会のスタッフは圧倒的にへブル語のユダヤ人たちが多かったので、外国から入ってきたユダヤ人たちが疎外されることがあったかもしれません。エルサレム教会は、このことで聖霊の枠組みが乱れる可能性も出てきました。
それでは、使徒たちはこの問題をどのように解決しましたか。十二使徒は弟子たち全員を呼び集めて次のように言いました。2,3節をご覧ください。“私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。”最初は120名程度だった教会が聖霊の働きによって3000人か5000人の規模になると、管理しないといけない仕事や組織も増え始めました。献金も増え、救済活動も多くなりました。これだけのことを使徒たちが担うことは難しいはずです。それで、彼らの中から御霊と知恵とに満ちた、評判のよい人たち七人を選んでこの仕事に当たらせました。
使徒たちがエルサレム教会の執事を選んだ基準は明確でした。その基準は何でしたか。

第一に、御霊と知恵とに満ちた人を選びました。教会の仕事を任さえた人は、イエスキリストを信じる信仰とすべてにおいて聖霊に頼る謙遜が求められます。社会的な地位や財産を見て、選ぶ人を判断してはいけません。また、知恵というのは社会的な知識や経験よりも神様の前で正しいことや真理を見分ける霊的な力を意味しています。東京UBFにも御霊と知恵に満ちた方々が多くおられることを主に感謝します。
第二に、評判のよい人を選びました。教会の仕事を任された方は、人々に評判が良く、円満な性格の持ち主でなければなりません。生活の面においても信者たちの模範となる人を選ぶことを進めています。
 こうして、使徒たちの提案は承認され、信仰と御霊に満ちたステパノをはじめ7名が選ばれました。
 それでは、使徒たちは何に励むことにしましたか。4節を一緒に読みましょう。“そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。”使徒たちはもっぱら祈りとみことばの奉仕に励むという方向を定めました。例え、イエスを信じる信者が1万人を超えても、環境が変わって自分たちはもっぱら祈りとみことばを教えることに専念することにしました。
 これは神様がもっとも喜ばれることであり、今のエルサレム教会をささえる霊的な原動力になるに違いないからです。神様は、このために彼らが牢に入っていたときに御使いを送って牢の戸を開いて彼らを連れ出しました。それで、いのちのことばをことごとく語るようにいわれたのです。使徒たちは自分たちがエルサレム教会でやるべきことや役割が何なのかを良くわかっていました。
 イエス様は人類を罪から救うために一生涯を、御ことばを伝えるのに力を注ぎました。
イエス様は、夜に人生の疑問をいただいて訪ねてきたパリサイ人の二コデモにいのちのみことばをつたえました。また、真夏に十数キローを歩いて人生の渇きを解決できなかったスカルの井戸のサマリア人の女に生けるみことばをつたえました。また、38年間横になっていた中風の人にも、ツァラーアトにかかり、呪いの人生を送っていた人にも命の御ことばをつたえて、救われた人生を生きるようにしてくださいました。イエス様は、十字架にかかられて血を流して死んでいく中でも一緒にかかっていた隣の強盗にも福音を伝えました。イエス様の生涯はみことばを伝えるのにささげられました。
 使徒たちは、いのりとともにことばの奉仕に励むことこそ、神様がいちばん喜ばれることで神様に従うことだと確信したのです。

結論に入ります。神様はサドカイ派の人たちの迫害によって牢に入れられた使徒たちを外に連れ出
し、いのちの御言葉をことごとく語るように言われました。使徒たちは、この神様の命令に従って弾圧の中でも、また教会の問題の中でもみことばを教えることを止めませんでした。そして、彼らはもっぱらいのりとことばの奉仕に励むことを決断しました。私たちがやっている切なるいのりと1:1聖書勉強はすこしでも怠けてはいけない大事なことです。わたちたちの集まりがイエスキリストを信じる弟子がますます増えてももっぱらいのちとみことばの奉仕に励んだ使徒たちの姿勢を忘れることがないように祈ります。