2001年ヨシュア記第1講

あなたが栄えるためである。

御言葉:ヨシュア記1:1?18

要 節:ヨシュア記1:7「ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行なえ。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。」

モーセが死んで後、神様は、ヨシュアを立てて、ご自分の民イスラエルに与えると約束されたカナンの地を攻めさせられました。ヨシュア記にはヨシュアとイスラエル人が約束されたカナンの地を占領することと占領した土地を割当てることが記録されてあります。

特に、今日の御言葉は私たちが栄える秘訣が何かを教えてくれます。私たちはみな何をしても栄える人生を送りたいと願っています。今日の御言葉を通して私たちの人生が何をしても栄える秘訣について学ぶことができるように祈ります。

第一に、立って、行け(1,2)。1節をご覧ください。「さて、主のしもべモーセが死んで後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた。」この御言葉はモーセの時代が過ぎ去って、ヨシュアの時代が到来したことを言っています。ヨシュアは、出エジプトの初めからモーセの従者として活躍しました。そして、モーセがカナンの地に入ることを許されなかった時、モーセの祈りによって、カナン征服のリーダーとして任命されました。彼は四十年にわたる荒野の旅の中で絶えずモーセを助け、従者としてモーセから十分な訓練を受けていました。モーセは奴隷の民、イスラエル人を解放する御業に用いられました。そして、四十年間荒野での生活を終えて約束の地、カナンの入口までイスラエル人を導きました。このような彼の切なる願いは何でしょうか。それはイスラエル人とともに約束の地に入ることでした。しかし、モーセは約束の地に入ることが許されず、モアブの地の谷に葬られました。イスラエル人は三十日間、モーセのために泣き悲しみました。

神様はモーセを選ばれ、奴隷の民、イスラエル人を解放するのに用いられました。そして、モーセが死んだ後にはヨシュアを選ばれ、彼を通してカナンの地を征服しようとなさいました。このように神様はその時代時代に人を選ばれ、その人を通して人類の救いの御業を成し遂げておられます。この神様は生きておられる方であり、歴史の主管者である方です。神様はこの時代私たちを選ばれ、救いの御業に用いておられます。私たちがこの神様を考える時に、どんな状況の中でも絶望せず、神様の御業に仕えることができます。

2節をご覧ください。神様はヨシュアに最初の命令を下されました。「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。」神様はヨシュアとイスラエル人にカナン進軍命令を下されました。神様は「今、あなたとこのすべての民は立ちなさい。」と言われます。イスラエルの人々はモーセが死んだので悲しみと絶望に陥っていました。神様はこのような彼らに死んだモーセによる悲しみや絶望から立って、約束の地に向かって行けと命じておられます。神様は彼らがどんな理由があっても立って、神様が与えようとしている地に行くことを願われました。

サタンの戦略の一つは、私達が現実の問題に縛られて進むべき方向や目標やビジョンを失い、座り込んでいるようにすることです。神様は私たちに日本宣教と世界宣教のビジョンを与えてくださいました。さらに、神の国に対する生ける望みを与えてくださいました。私たちが現実の問題に縛られて座り込んでいるなら惨めな人生を送るしかありません。神様は私たちが縛られている現実の問題から立って、日本宣教と世界宣教のために進んで行くことを願っておられます。

第二に、信仰によって約束の地を踏みなさい(3,4)。3節をご覧ください。「あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。」ここで「与えている」は完了形であって、神様の御摂理の中においては、すでにカナンの征服が完成していることを意味します。「足の裏で踏む所はことごとく」は、神様の約束の中では完全に成就した領土の征服も、実際には、神様によって選ばれた人々が、一足一足踏んで行くことによって現実化することを意味します。約束の地でも実際に所有するためには信仰によって一足一足踏んで行かなければなりません。

聖書には約束の御言葉が多くあります。その約束のものを手に入れるためには信仰による戦いをしなければなりません。イエス様は言われました。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」(マタイ7:7,8)。使徒パウロは霊的な息子テモテに次のように言いました。「しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。」(?テモテ6:11,12a)。神様は私たちにすべてのものを恵みによって与えてくださいますが、信仰の戦いを要求されます。もし私たちが信仰の戦いなしに安逸な姿勢を持ってもらうことばかり考えているとどうなりますか。その人は神様の祝福を受けることができないし、神様から受けた祝福に対しても感謝する心がありません。私たちが神様の約束を信じて積極的に信仰の戦いをする時に神様からいただいた恵みがどれほど尊いものであるかがわかります。私たちの信仰生活において常に気をつけなければならないことは霊的な安逸に陥ることです。

復活されたイエス様は弟子達に言われました。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)。「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」(マタイ28:19)。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)。この御言葉はみな私たちに信仰の戦いを要求しています。私たちは2010年までこの国の100キャンパスが開拓されるように祈っています。さらに、この国が祭司の王国、聖なる国民となるように祈っています。私たちが信仰の戦いを勇敢に戦い、約束の地を獲得することができるように祈ります。

第三に、主があなたとともにおられることを信じなさい。5節をご覧ください。「あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」「あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(9b)。神様はモーセとともにおられたように、ヨシュアとともにおられると約束してくださいました。モーセが最初から偉大な人になったのではありません。神様がモーセにイスラエル人を解放するように使命を与えてくださった時、モーセは、自分は口が重く、舌が重いので他の人を遣わしてくださるようにお願いしました。その時、主は彼に言われました。「だれが人に口をつけたのか。それはわたし、主ではないか。さあ行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたの言うべきことを教えよう。」(出4:11,12)。モーセが偉大な主のしもべになったのは、神様が彼とともにおられたからです。エレミヤも同じです。主はエレミヤに「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者として定めていた。」と言われました。すると、エレミヤは「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。」と言いました。その時、主は彼に言われました。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。」(エレミヤ1:7,8)。

イエス様の弟子達は海外に出たこともない田舎者でした。イエス様はこのような彼らに「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」と言われました。この御言葉は弟子達の状況を考えると、実現不可能なことのように思われます。しかし、この御言葉が実現可能なのは、主の約束の御言葉があるからです。「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20b)。使徒パウロがコリントを開拓する時に彼に敵対する人々が多くいました。彼は恐れてそれ以上福音を宣べ伝えたい心がなくなりました。その時、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われました(使徒18:9,10)。パウロは自分とともにおられる神様を信じて熱心に福音を宣べ伝えました。その時、コリントに驚くべき御業が起こりました。主が私とともにおわれるという約束は何よりも大きな力と慰めになる約束です。主は天地を造られた全能の神様であり、歴史の主管者です。この神様が私とともにおられることはどれほど心強いことでしょうか。神様は私とともにおられ、力が必要な時に力を与えてくださいます。知恵が必要な時には知恵を与えてくださいます。主が私たちとともにおられる時、何をしても栄えるようになります。

第四に、強くあれ。雄々しくあれ。神様は命令と約束の御言葉を言われた後にヨシュアに「強くあれ。雄々しくあれ。」と三回も繰り返して言われました。神様のための戦いの指導者は、弱く臆病であってはなりません。指導者には勇気が必要です。その勇気は、人間の中から出て来る勇気ではありません。それは、神様が共にいて下さるという約束を信じる時に与えられます。また、神様から与えられた土地を実際に一足一足踏んで行く中で与えられます。モーセの後継者として立てられたヨシュアの肩は重くなりました。どうやってカナンの地を征服することができるか、を考えると眠れなかったでしょう。彼は常に不平不満を言う多くの民を考えると頭が痛くなりました。鉄の戦車を持っているカナンの人々を考えると恐れが生じました。神様はこのようなヨシュアの心を知っておられ、彼に「強くあれ。雄々しくあれ。」と繰り返して言われました。神様は彼がカナンの地を征服する戦いに挑む前にまず自分の心の弱さと恐れと戦って勝利することを願われました。

私たちの心が弱く臆病になることがなぜ問題になるでしょうか。身体が弱くなると抵抗力も弱くなり、病気にかかりやすくなります。同じく心が弱くなるとあらゆる否定的な考えが生じます。不信仰に陥るようになります。消極的になります。その人は、戦う前に負けてしまいます。ですから、私達の心を弱くするものと恐れさせるものと戦わなければなりません。私たちの心を弱くし、恐れを与えるものは罪とサタンです。罪を犯すとどんな人でも無気力になり、弱くなります。また、不信仰と疑いに捕らわれると元気を失うようになります。しかし、私の咎と罪を主に告白し、罪の赦しを受けると強くなります。私たちはキリストのうちにある恵みによって強くなることができます。サタンは私たちの心を弱くし、恐れや疑いを植え付けようとします。私たちの戦いは血肉による戦いではなく、サタンとの戦いです。サタンは強いが、神様はもっと強い方です。私たちが強く雄々しくなるためには自分の弱さを認めてともにおわれる神様に頼らなければなりません。そうすると勇気と勝利に対する確信が生じます。私たちが神様に頼り、強く雄々しくなり、サタンとの霊的な戦いで勝利することができるように祈ります。

第五に、御言葉中心に生活しなさい。7b,8節をご覧ください。「わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行なえ。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。」ヨシュアは現在多くの敵たちが待っているカナンの地を占領する戦いを前にしています。この戦いで勝つためには兵士たちを訓練し、武器を用意し、作戦を立てなければなりません。しかし、神様はそれらよりもまず「すべての律法を守り行ないなさい。それを離れて右にも左にもそれてはならない。」と方向を与えられました。そして、御言葉を、口から離さず、昼も夜も口ずさむように言われました。それは徹底して御言葉中心に生活しなさいという意味です。御言葉が口と考えと生活を支配することを意味します。ヨシュアがこの御言葉に聞き従った時に行く所どこでも勝利しました。

人は誰でも成功した人生を送りたいと願っています。私たちが成功した人生を送るためにはサタンとの霊的な戦いで勝利しなければなりません。サタンとの霊的な戦いで勝利するためには聖霊の剣である神様の御言葉と祈りしかありません。神様の御言葉は私たちを罪と死とサタンの力から解放し、救いに至らせます。私たちに必要なものが多くありますが、永遠の破滅から救われ永遠のいのちを得ることほど大切なことはありません。永遠のいのちを得るためにお金も権力も名誉も役に立ちません。ただ聖書だけが私たちに永遠のいのちを得る方法を教えてくれます。聖書の御言葉はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です(?テモテ3:16)。神様の御言葉は、私の足のともしび、私の道の光です(詩篇119:105)。神様の御言葉は私たちに知恵を与えてくれます。神様の御言葉は私たちの人生のすべての問題を解決してくれます。John Hulleyという人は15年間ノーベル賞を受賞した人々を研究しました。彼の研究の結果によると、ノーベル賞を受賞した人々の中で98%が聖書を信じているプロテスタントやユダヤ教、カトリック教の出身でした。聖書を読む個人や民族は栄えるようになります。ある兄弟は中学校2年の時に成績問題や友達の問題、性格の問題などで悩んでいました。その時、彼のお母さんは彼に一日聖書を一枚ずつ読むように勧めてくれました。彼はお母さんから言われた通りに毎日1枚ずつ聖書を読みました。その結果、彼は成績も性格もよくなったし、成功した人生を送るようになりました。彼のお母さんは子供をどのように助ければいいかを知っている知恵ある女性でした。神様の御言葉を口ずさみ、それに聞き従うことこそ成功した人生を送る秘訣です。また、神様に逆らう思想や理論を屈服させ、堕落した文化と戦って勝利できる秘訣は神様の御言葉にあります。ですから、私達が何よりも励むべきことは毎日聖書を読み、それを教えることです。そうすれば、何をしても栄えるようになります。

カナンの進軍命令を受けたヨシュアは何をしましたか。彼は神様の命令と約束と勧めの御言葉を心から受け入れました。すると、彼は信仰と勇気に満たされました。そして、神様の命令に直ちに従いました。ヨシュアがまずしたことは、「糧食の準備」をさせることでした。荒野で四十年間マナで養われた民は、今や自分で食物を整えなければなりませんでした。そして堅い聖霊の器を作りました。ヨシュアは、ルベン人、ガド人、およびマナセの半部族に、先に渡って、同族を助けるように命じました。彼らにはすでにヨルダン川のこちら側に土地が割り当たられていました。ですから、彼らの立場から考えると、これからの戦いに参加したくなかったでしょう。しかし、それは利己的なことでした。この戦いは主の戦いであって、十二部族すべてが参加する必要があったからです。ヨシュアは彼らが兄弟たちのために積極的に苦難に参加することを命じました。霊的な戦いでも心を合わせることが大切なことです。霊的な戦いは立派な一人より足りなくても人々が力を合わせる時に勝利することができます。

彼らは、指導者ヨシュアに対して、どんな姿勢を持ちましたか。彼らはヨシュアに答えて言いました。「あなたが私たちに命じたことは、何でも行ないます。また、あなたが遣わす所、どこへでもまいります」(16)。二部族半の人たちは、モーセに対すると同じようにヨシュアに絶対服従を誓いました。彼らは、進んで主の戦いに参加し、他の部族を助け、指導者のために祈ろうとする姿勢を持っていました。それによってイスラエル人はヨシュアを中心に聖霊の器を作りました。

一人一人が主の御言葉を口ずさみ、聞き従う生活を通して何をしても栄える人生を送ることができるように祈ります。