2001年特別講義(2)

ギデオンの三百人の勇士

御言葉:士師記6:33?7:25

要 節:士師記7:7「そこで主はギデオンに仰せられた。『手で水をなめた三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミデヤン人をあなたの手に渡す。残りの民はみな、それぞれ自分の家に帰らせよ。』」

私たちは先週の御言葉を通して酒ぶねの中に隠れて麦を打っていた臆病者、ギデオンを勇士として召してくださった神様について学びました。また、今日私たちに向かって「勇士よ」と呼びかけておられる主の御声を聞きました。今日の御言葉はギデオンが神様の作戦に従っていなごの大軍のようなミデヤンの連合軍を打ち破る事件です。この御言葉は戦いの勝敗が人の数にあるのではなく、万軍の主である神様の御手にかかっていることを示してくれます。今日の御言葉の学びを通して私たちも神様の作戦の通りに聞き従い、霊的な戦いで勝利することができるように祈ります。

?.ギデオンの三百人の勇士(6:33-7:8)

33節をご覧ください。「ミデヤン人や、アマレク人や、東の人々がみな連合して、ヨルダン川を渡り、イズレエルの谷に陣を敷いた。」その数は十三万五千人でした(8:10)。彼らはいなごの大軍のように大勢集まっていました。たぶん彼らはギデオンがバアルとアシェラ像を壊した後、イスラエル人のうちに宗教改革が起こっていることを聞いて集まったでしょう。イスラエルは風前の灯火のような危機に立たされました。その時、ギデオンにどんな事が起こり、神様はどのように戦いに備えてくださいましたか。

第一に、主の霊がギデオンをおおいました(6:34,35)。

34節をご覧ください。「主の霊がギデオンをおおったので、彼が角笛を吹き鳴らすと、アビエゼル人が集まって来て、彼に従った。」主の霊がギデオンをおおったのは、ギデオンが聖霊に満たされたことを意味します。ギデオンが神様の御言葉に従って偶像を除き去り、悔い改めた時、主の霊が彼をおおいました。神様はギデオンに聖霊を遣わし、「わたしはあなたといっしょにいる。」という約束を守ってくださいました(6:16)。神様は召してくださった人に聖霊を遣わしてくださいます。聖霊が臨まれる時、私たちは力を受けます。聖霊の助けなしには霊的な戦いで勝利することができません。

聖霊に満たされたギデオンはどうなりましたか。彼は戦う勇気と力を受けて角笛を吹き鳴らしました。それは軍隊を招集するためでした。すると、アビエゼル人が集まって来て、ギデオンに従いました。また、ギデオンはマナセの全域に使者を遣わしました。それで彼らもまた呼び集められ、ギデオンに従いました。彼はまた、アシェル、ゼブルン、そしてナフタリに使者を遣わしたので、彼らも合流して上って来ました。ギデオンが聖霊に満たされて神様の御旨に従ってミデヤン人と戦おうとすると、偶像を礼拝して来たイスラエル人が彼に従いました。

第二に、奇蹟を通して確信を与えてくださいました(6:36-40)。

集まって来たイスラエル人は三万二千人でした。その数は十三万五千人のミデヤンの連合軍と比べると四分の一にもならない数でした。ギデオンはいなごの大軍のように多い敵軍を見る時、勝利に対する確信が揺れたでしょう。それで彼は神様に救いの奇蹟を求めました。もし主が仰せられたように、ギデオンの手でイスラエルを救おうとされるなら、打ち場に刈り取った一頭分の羊の毛を置いた時、羊の毛の上にだけ露が降りていて、土全体がかわいている奇蹟を求めました。そのようにしてくださると、主がギデオンの手でイスラエルを救われることがわかると言いました。すると、主はギデオンの願い通りに奇蹟を起こしてくださいました。ギデオンが翌日、朝早く、その羊の毛を押しつけて、その羊の毛から露を絞ると、鉢いっぱいになるほど水が出たのです。ところが、ギデオンはもう一回奇蹟を求めました。今度は前と反対に羊の毛だけがかわいていて、土全体には露が降りる奇蹟を求めました。すると、主は今度も、そのようにしてくださいました。羊の毛の奇蹟を通して神様はギデオンの信仰をより一層確実なものとして、ミデヤン人との戦いに備えられました。

第三に、軍隊の数を減らしました(7:1-8)

7:1節をご覧ください。エルバアル、すなわちギデオンと、彼といっしょにいた民はみな、朝早くハロデの泉のそばに陣を敷きました。ミデヤン人の陣営は、彼の北に当たり、モレの山沿いの谷にありました。そのとき、主はギデオンに仰せられました。「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った。』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。」ギデオンは、二つの奇蹟によって信仰を強められ、勝利に対する確信を得ることができました。彼は父を初め、同胞や、イスラエルの諸部族の参加を得て、ミデヤン人に対して戦う十分の戦力を与えられたと安心したに違いありません。しかし神様は、高ぶった思い、自尊心、自己信頼、地上の力への信頼のすべてを打ち砕かれます。神様はギデオンに「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない」と言われました。なぜなら、彼らが戦いで勝利すると「自分の手で自分を救った」と誇るからです。この戦いは神様に敵対する偶像の勢力を打ち砕こうとする神様の戦いでした。神様はこの戦いを通してご自分が生きておられることを知らせようとされました。偶像礼拝をする人々に真の神であるご自分を知らせようとされました。イスラエル人が神様の救いを体験して神様にのみ仕える民となることを願われました。神様は、この地上の最も弱い者によってご自身の栄光を現され、人間の一番弱っている時に神の力を完全に現されます(?コリ12:9)。

神様は、まずどんな人々を帰らせるように、言われますか。3節をご覧ください。「今、民に聞こえるように告げ、『恐れ、おののく者はみな帰りなさい。ギルアデ山から離れなさい。』と言え。」すると、民のうちから二万二千人が帰って行き、一万人が残った。」神様はイスラエルの軍隊の中に恐れ、おののく人々がいることをご存知でした。神様はそのように「恐れ、おののく者はみな帰りなさい」と言われました。軍隊の数を減らすのは、人々が誇り高ぶらないようにするためです。また、軍隊の中に恐れ、おののく者、すなわち、臆病者が多くいたら勝利することができないためです。彼らは自分だけ戦えないのではなく、他の人々にも恐れを植え付けます。彼らは困難があると逃げてしまいます。彼らは神様を信頼しない人々です。それで神様は恐れ、おののく者をみな帰らせました。ミデヤン人の軍隊は十三万五千人ですから、三万二千人は決して多くはありません。しかし、神様の必要とする人数は、何人かということでなく、彼らの信仰そのものによって決定されます。神様の軍隊の一次選抜基準は信仰と勇気でした。戦争で敵を打ち破ることができなければ自分が死んでしまいます。ですから、必ず打ち勝たなければなりません。神様はイスラエルが軍隊の数に頼らず、神様に頼るように軍隊の数を減らしました。それで約三分の二の二万二千人が帰って行きました。残ったのは一万人だけでした。

ギデオンは残った一万人で、十三万五千人という敵にどうして対決することができるだろうかと思ったでしょう。彼は残った人々が余りにも少なすぎるとがっかりしていたでしょう。ところが、神様は「民はまだ多すぎる」と言われました。そして、ハロデの泉で水を飲ませて、第二のテストに合格する者だけを残すように示されました。ギデオンは民を連れて、水のところに下って行きました。すると、主はギデオンに仰せられました。「犬がなめるように、舌で水をなめる者は残らず別にしておき、また、ひざをついて飲む者も残らずそうせよ。」暑さと緊張感で喉が渇いていた兵士達は水を飲むことがテストであることを知らず泉で水を飲みました。ですから、彼らは普段の実力でテストを受けたのです。ところが、水を飲む人々は二つのグループに分けられました。一つはひざをついて飲む者でした。ひざをついて水を飲んだ人は水を飲む間には全く戦いのことは忘れていました。彼らは肉の欲に負けた人々です。このように水を飲んだ人は九千七百人もありました。もう一つのグループは犬がなめるように、舌で水をなめる者でした。彼らは片手に武器を持ったままもう一方の手で水を飲みました。彼らはなぜそのようにしたのでしょうか。それは彼らがしばらくの間も敵から目を離さず、彼らの動きを探っていたからです。彼らは神の国とその義とをまず第一に求める人々でした。このように口に手を当てて水をなめた者の数は三百人だけでした。

7節をご覧ください。そこで主はギデオンに仰せられました。「手で水をなめた三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミデヤン人をあなたの手に渡す。残りの民はみな、それぞれ自分の家に帰らせよ。」主は二次テストで合格した三百人で、イスラエル人を救うと言われました。水を飲む姿勢は小さなことです。しかし、彼らが水を飲む姿勢は彼らの心構えの現われです。人は誰でも肉の欲に従いたい心を持っています。食べたい時に食べて、寝たい時に寝たいと思います。しかし、時にはそれを自制できなければなりません。同じく主の兵士達は普段目を覚ましていることが大切なことです。私達はイエス様のように朝早く起きて祈ることを願っています。ところが、もっと寝たい欲に勝つことはやさしいことではありません。ある方は「朝の時間、15分はあなたを変える。」と言いました。15分祈ったり、主の御言葉を黙想したりすることは小さなことのように見えるかも知れません。それをやってもやらなくても別に変わらないと思うかも知れません。しかし、そうではありません。このように小さな戦いによってその人の人生が変わります。肉の欲に勝つ小さな行動が重ねられ、霊的な指導者として成長します。皆さん。朝の15分はあなたの人生を変えます。あなたを日々新しく変えてくれます。私たちが明日からは朝起きると15分でもいいから主の御言葉を黙想し、祈る時間を持ちましょう。

一万人の兵士のうち、更に九千七百人がテストに不合格となり、三百人だけが残りました。初めの三万二千人に比べると、一パーセントに満たないわけで、司法試験よりも難しいです。三百人はミデヤンの大軍に比べると取るに足りないものです。そのような少数者で大軍に当たれるとは、だれにも考えられないことです。しかし、彼らは信仰と勇気のある人々であり、肉の欲に勝った人々でした。神様はこのような人々を救いの御業に尊く用いてくださいます。

この国のクリスチャン人口は全国民の1%にもならないと言われています。早稲田大学の学生達は5万人いますが、それに比べると私達は少ない人数です。私はこんなに多くの学生達やこの国の福音化のためにはもっと多くの宣教師たちが日本に遣わされなければならないと思っていました。主は東京UBFに多くの宣教師達を遣わしてくださいました。そして、宣教師たちの献身や祈りを祝福し、日本の牧者達を立ててくださいました。ところが、私は同労者たちが増えると、主に頼るより同労者に頼るようになりました。韓国の全ヨハネ牧者は東京UBFには宣教師達が多いのでこれからは他のところに宣教師を遣わすと言いました。また、李ロイヤル宣教師は東京UBFの宣教師達を開拓に行かせたほうがいいと言いました。しかし、私は東京UBFが本部センターとしての役割を果たすためにはもっと宣教師達が増えるべきだと思い、耳を傾けませんでした。ところが、主は今年宣教師たちを減らされました。私はこの出来事を通して主に頼らず、人に頼っていたことを悟らせてくださいました。そして、人に頼る時に失敗するしかないことを教えてくださいました。また、霊的な戦いは数の問題ではなく、信仰が問題であることを教えてくださいました。私は去って行く宣教師達を見ながら、神様に頼るしかありませんでした。そんな私を主は夜明けの祈りに導いてくださり、日々主に頼る生活をするようにしてくださいました。私は夜明けの祈りの時に主が私に何を語るか主の御言葉に耳を傾けるようになりました。すると、主は私に御言葉を与え、その御言葉を体験するようにしてくださいました。私が日々主に頼り、主の作戦指示に従うことができるように祈ります。私達は小人数ですが、ひとりひとりがギデオンの三百人の勇士のようになる時、早稲田大学や東京大学をはじめこの国の600キャンパスを福音によって占領することができます。さらに、この国が祭司の王国、聖なる民となることを見ることができます。無から創造の御業をなさった全能なる神様に頼る時、主は私たちに勝利を与えてくださいます。主が東京UBFに三百人の勇士を立ててくださるように祈ります。

?.ギデオンの作戦(7:9-25)

9節をご覧ください。その夜、主はギデオンに仰せられました。「立って、あの陣営に攻め下れ。それをあなたの手に渡したから。」神様から攻撃命令が出されました。300人と135,000人の戦いは1:450の戦いです。ギデオンの軍隊は一人が450人を相手にしなければなりません。いくら考えても勝てる見込みがありません。しかし、どうやって少数でも大軍に勝つことができるのですか。主はギデオンに仰せられました。「立って、あの陣営に攻め下れ。それをあなたの手に渡したから。」主が勝利を与えてくださるからです。

しかしまだ恐れているギデオンを神様はどのように助けてくださいましたか。10、11節をご覧ください。「しかし、もし下って行くことを恐れるなら、あなたに仕える若い者プラといっしょに陣営に下って行き、彼らが何と言っているかを聞け。そのあとで、あなたは、勇気を出して、陣営に攻め下らなければならない。」300人で135,000人を攻撃しようとするギデオンには恐れがあったようです。それを知っておられた主は敵の陣営に下って行き、彼らが何と言っているかを聞けと言われました。そこで、ギデオンと若い者プラとは、陣営の中の編隊の端に下って行きました。そこには、ミデヤン人や、アマレク人や、東の人々がみな、いなごのように大ぜい、谷に伏していました。ギデオンがそこに行ってみると、ひとりの者が仲間に夢の話をしていました。ひとりが言うには、「私は今、夢を見た。見ると、大麦のパンのかたまりが一つ、ミデヤン人の陣営にころがって来て、天幕の中にまではいり、それを打ったので、それは倒れた。ひっくり返って、天幕は倒れてしまった。」すると、その仲間は答えて言いました。「それはイスラエル人ヨアシュの子ギデオンの剣にほかならない。神が彼の手にミデヤンと、陣営全部を渡されたのだ。」

大麦のパンは貧しい者が食べるものでした。それは弱いイスラエルの象徴であり、ギデオンの象徴でした。その大麦のパンのかたまりが一つ、ミデヤン人の陣営にころがって来て、天幕の中にまではいり、それを打ったので、それは倒れたのは、神様がともにおられる時、弱いギデオンと三百人の勇士を通して強いミデヤン人を倒すことを現します。彼らの話は敵の陣営の中に、ギデオンに対する恐れが満ちていたことを示しています。ミデヤン人は数は多くあったものの、心からすでに負けていました。

敵の陣営で夢の話を聞いてイスラエルの陣に戻って来たギデオンは何をしましたか。15節をご覧ください。「ギデオンはこの夢の話とその解釈を聞いたとき、主を礼拝した。そして、イスラエルの陣営に戻って言った。『立て。主はミデヤン人の陣営をあなたがたの手に下さった。』」ギデオンはこの夢の話とその解釈を聞いたとき、主を礼拝しました。彼は神様への感謝の礼拝を捧げました。彼は神様がミデヤン人をギデオンの手に渡してくださったことを確信しました。勝利を確信したギデオンはどんな作戦の指示を出しましたか。16-18節を読んでみましょう。「そして、彼は三百人を三隊に分け、全員の手に角笛とからつぼとを持たせ、そのつぼの中にたいまつを入れさせた。それから、彼らに言った。「私を見て、あなたがたも同じようにしなければならない。見よ。私が陣営の端に着いたら、私がするように、あなたがたもそうしなければならない。私と、私といっしょにいる者がみな、角笛を吹いたなら、あなたがたもまた、全陣営の回りで角笛を吹き鳴らし、『主のためだ。ギデオンのためだ。』と言わなければならない。」人数が余りにも少なかったので、敵の方からは、どこから攻めて来るか全く見当がつかなかったに違いありません。ギデオンの軍隊が携えた武器は、角笛と、からつぼと、たいまつでした。からつぼは、敵に近づくまでにたいまつを隠すためと、それを打ち壊した時に大きな音を出すためです。真夜中の、番兵が交替し、人々が全く寝静まった時を見計らって、攻撃は開始されました。突然の角笛の響き、つぼを打ち砕く音、やみに輝くたいまつの光、そして「主のためだ。ギデオンのためだ」「主の剣、ギデオンの剣だ」と叫ぶ三百人の声は、何万もの軍隊が突如襲って来たかのような恐怖感を敵陣に巻き起こしました。すると、どんなことが起こりましたか。22節をご覧ください。「三百人が角笛を吹き鳴らしている間に、主は、陣営の全面にわたって、同士打ちが起こるようにされた。それで陣営はツェレラのほうのベテ・ハシタや、タバテの近くのアベル・メホラの端まで逃げた。」主は、敵たちの間に同士打ちを起こされました。23節を見ると、イスラエル人はナフタリと、アシェルと、全マナセから呼び集められ、彼らはミデヤン人を追撃しました。24、25節を見ると、ギデオンはエフライムの山地全域に使者を送ったので、エフライム人はみな呼び集められ、彼らはベテ・バラまでの流れと、ヨルダン川を攻め取りました。また彼らはミデヤン人のふたりの首長オレブとゼエブを捕え、オレブをオレブの岩で、ゼエブをゼエブの酒ぶねで殺し、こうしてミデヤン人を追撃しました。彼らはヨルダン川の向こう側にいたギデオンのところに、オレブとゼエブの首を持って行きました。このようにしてギデオンと三百人の勇士たちは完全に勝利しました。

ギデオンと三百人の勇士達が戦う時に教えてくださった神様の作戦を通して私たちはサタンとの戦いで勝利できる秘訣について学ぶことができます。第一に、角笛を吹き鳴らしなさい。角笛を吹き鳴らすことは賛美することを象徴します。賛美は神様に捧げる信仰告白です。賛美の内容はすべて神様の偉大さや力、愛と恵み、勝利に対する確信です。ですから、力強く賛美する時、サタンは恐れて逃げます。賛美する時、悲しみは喜びに、心配は確信に変わります。また、角笛は祈りを象徴します。全能なる神様は私たちの切なる祈りを聞いてくださいます。第二に、つぼを打ち砕きなさい。パウロは?コリント4:7で私たちの体を土の器、すなわちつぼにたとえています。そして、私たちは、福音の宝を、土の器の中に入れていると言いました。私達が持っている福音が明らかにされるためには私たちの自我が砕かれることが必要です。そのように自我が砕かれる時、福音が明らかになります。第三に、たいまつを堅く握りなさい。たいまつはイエス・キリストの十字架と復活の福音を象徴します。福音はサタンを打ち破る聖霊の剣です。福音のたいまつはサタンを屈服させ、人々の命を救い出します。第四に、「主のためだ。」と叫びなさい。それは神様の栄光のために戦うことを意味します。第五に、「ギデオンのためだ。」と叫びなさい。それは神様が立てられた指導者を中心に心を合わせて戦うことを意味します。

結論、神様はギデオンの三百人の勇士で十三万五千人のミデヤン連合軍に勝つようにしてくださいました。やみの勢力はいくら強くても光に打ち勝つことができません。サタンとの戦いの勝敗は主の御手にかかっています。神様は今日私たちをイエス・キリストの兵士として召してくださいました。私達が神様の御言葉に聞き従い、肉の欲に打ち勝つ勇士になることができるように祈ります。祈りと賛美を持って戦う勇士となるように祈ります。自我が砕かれ、主の福音が私たちを通して明らかになるように祈ります。福音のたいまつを堅く握り、他の勇士たちと心を合わせて戦うことができるように祈ります。神様の戦いは人数が多いか少ないかにかかっているのではありません。少数者でも本当に神様に頼り、神様のために戦う人に主は勝利を与えてくださいます。