2005年列王記第一第7講

ヤロブアムの道

御言葉:列王記第一12:25-16:34
要 節:列王記第一14:16「ヤロブアムが自分で犯した罪と、彼がイスラエルに犯させた罪のために、主はイスラエルを捨てられるのです。」

先週、私たちはソロモン王国の分裂と滅亡はソロモン王が異邦人の女性たちを恋愛するところから始まったことを学びました。人が人を愛し、男性が女性を愛することは良いことです。私たちはキリストにあって互いに愛し合うべきです。しかし、ソロモンは神様が禁じられた異邦人の女たちを愛しました。しかも千人の女性を妻としていました。それによって彼の心は腐敗し、堕落してしまいました。神様の御言葉より女性たちの言葉に耳を傾け、彼らの話を聞いて偶像崇拝者になってしまいました。その結果、イスラエルは北と南に分裂し、滅亡に向かって行きました。
今日は、北イスラエルの王となった「ヤロブアムの道」について学びます。列王記にはしばしばダビデを模範の王として例えています。一方、ヤロブアムを反逆と裏切りによって神様の怒りを起す王として例えています。ヤロブアムの道はさまざまな罪悪とともに国民を災いに導いてしまいました。今日の御言葉を通してひとりの悪影響がどんなに恐ろしい結果をもたらすのかを学ぶことができるように祈ります。

?.ヤロブアムの罪(12:25?13:34)
先週、学んだように、ヤロブアムは手腕家でした。彼はソロモンがヨセフの家のすべての役務を管理させた人です。彼は国民的な支持率も高く、イスラエルの民に推戴されて王になったほどに能力のある人でした。神様は彼に希望を置かれ、ダビデのような王として立てようとされました。神様はヤロブアムがダビデのように神様の御言葉を守り、神様の御目にかなうことを行うなら、ダビデに与えた祝福を彼にも与えようとされたのです(?列王11:38)。しかし、彼は神様の希望を受け入れず、自分勝手な道を歩んで行きました。
12章25?27節をご覧ください。「ヤロブアムはエフライムの山地にシェケムを再建し、そこに住んだ。さらに、彼はそこから出て、ペヌエルを再建した。ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」とあります。もし、ヤロブアムが信仰によって神様の御言葉に従ってダビデの道に歩むようになったら、彼は誰よりも祝福されたはずです。彼だけではなく、イスラエル全国民も祝福され、繁栄されて行ったはずです。彼はダビデのような偉大な王になり、彼の王権も強く確立されたでしょう。何よりも彼の心がダビデのように神様に向かっていたなら、神様がいつも彼とともにいてくださり、彼が何をしても、どこへ行っても栄えるようになるのです。しかし、ヤロブアムはまず自分の安全を求めてシェケムやペヌエルを再建しました。また、国民の世論、支持率を考え、民の心が自分から離れて行くことを心配しました。彼は、ただ信仰によって御言葉に従うために励むことより、自分の安全を求め、国民の世論だけを考えて思い煩っていたのです。何もかも自分で、自分のために、自分がしなければならないと思った時、彼は不信仰と恐れに陥りました。
28?30節をご覧ください。「そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。このことは罪となった。民はこの一つを礼拝するためダンにまで行った。」とあります。ヤロブアムは不信仰に陥った時、神様に祈ることより人々と相談して、金の子牛を二つ造りました。そして、民たちに「もう、エルサレムに上る必要はない。」言って神である主に礼拝することを禁じてしまいました。それから、彼は高き所の宮を建て、レビの子孫でない一般の民の中から祭司を任命しました。そのうえ、ヤロブアムはユダでの祭りにならって、祭りの日を第八の月の十五日と定め、祭壇でいけにえをささげました。彼は何でも自分の都合に合わせてよく作り変えてしまったし、祭りの日までも作り出しました。こうして彼は、ベテルで自分が造った子牛にいけにえをささげました。彼はソロモン王国の結末をしていたはずです。神様はソロモンが異邦人の女たちに心を奪われて高き所の宮を建て、偶像崇拝者になった時、お怒りを発せられました。それにもかかわらず悔い改めなかった時は彼を懲らしめ、イスラエル王国を引き裂いてしまわれました。ヤロブアムはソロモンに任命されたリーダーとしてそれらのことをソロモンの身近で見ていたでしょう。それだけではありません。自分自身も神様から御言葉をいただいていました。それにもかかわらず、彼は神様の御言葉に聞き従いませんでした。心を神様に向けて御言葉を守り行うことより自分の政治的な立場、権力を維持することだけに没頭しました。その結果、彼は恐れて偶像を作り出して自分が罪の道に歩み、民たちも、罪の道に歩ませました。彼の子孫たちもヤロブアムの道に歩むようにしてしまいました。
神様はこのようなヤロブアムの悪行を止めさせるために、神様の審判を警告する一人の使者を送られました。13:1節を見るとひとりの神の人が、主の命令によって、ユダからベテルにやって来ました。ちょうどそのとき、ヤロブアムは香をたくために祭壇のそばに立っていました。神の人は彼になんと言いましたか。2節をご覧ください。「すると、この人は、主の命令によって祭壇に向かい、これに呼ばわって言いました。「祭壇よ。祭壇よ。主はこう仰せられる。『見よ。ひとりの男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ。彼は、おまえの上で香をたく高き所の祭司たちをいけにえとしておまえの上にささげ、人の骨がおまえの上で焼かれる。』」とあります。驚くべき預言を、告げていますね。もし、〇〇牧者が「来年は北朝鮮から誰かが東京に来る。」と予言したら、それは当たるでしょう。でも、その予言が当たったということにはならないでしょう。しかし、ここでは「ヨシヤ」という具体的な名前を挙げて、ヤロブアムの祭壇の上で、人の骨が焼かれることを預言しました。これは、約350年後、南ユダの王ヨシヤによって、ことごとく実現しています。列王記第二23章15節から17節に書いてあります。さらに、その日、神の人は次のように言って一つのしるしを与えました。
3?6節をご覧ください。神の人は「これが、主の告げられたしるしである。見よ。祭壇は裂け、その上の灰はこぼれ出る。」と叫びました。ヤロブアム王は怒り、祭壇から手を伸ばして、「彼を捕えよ。」と言いました。すると、彼に向けて伸ばした手はしなび、戻すことができなくなりました。突然、運動神経が麻痺してなえてしまったのです。その上、神の人が叫んだとおりに祭壇は裂け、灰は祭壇からこぼれ出ました。王は目の前で神の人が言うとおりになること見ました。そこで、王は神の人に向かって言いました。「どうか、あなたの神、主にお願いをして、私のために祈ってください。そうすれば、私の手はもとに戻るでしょう。」とあります。神の人は彼を哀れみ、主に願ったので、王の手はもとに戻り、前と同じようになりました。ヤロブアムの心は神様から離れていたけれども、神様は神の人を通して彼によくしてくださいました。神様は限りなく彼を愛し、彼が偶像の祭壇から立ち返るように助けてくださったのです。しばしば、わたしたち人間の心は神様から離れて行きます。神様を神としてあがめず、感謝もしないものです。それでも神様は神の人を通して私たちを助けてくださいます。本当に哀れみ深い神様です。
7?10節をご覧ください。助けられた王は神の人に「私といっしょに家に来て、食事をして元気をつけてください。あなたに贈り物をしたい。」と言いました。しかし、神の人は「たとい、あなたの家の半分を私に下さっても、あなたといっしょにまいりません。また、この所ではパンを食べず、水も飲みません。主の命令によって、『パンを食べてはならない。水も飲んではならない。また、もと来た道を通って帰ってはならない。』と命じられているからです。彼は食事よりも御言葉に忠実に生きていました。こうして、彼はベテルに来たときの道は通らず、ほかの道を通って帰りました。神の人は王の贈り物のために自分に与えられた神様の御言葉を曲げるようなことをしませんでした。ところが、彼は最後まで自分に与えられた御言葉を守り通すことができませんでした。彼が主の命令に従い通さず、自分のいのちを落とす悲しい出来事が11節?32節に書かれています。
11?19節をご覧ください。ひとりの年寄りの預言者がベテルに住んでいましたが、彼の息子たちが来て、神の人がしたことを伝えました。本当に素晴らしい証でした。彼はもう年寄りの預言者になっていますが、自分と同じ町で王が偶像崇拝をしていても何もできませんでした。それなのに、この若者はわざわざユダから来て、大きなわざをしてくださったのです。そこで、老預言者は、神の人を自分の家に招き入れ、「パンを食べてください。」と言いました。するとその人は、ヤロブアム王にしたことと同じく、主の命令を守るために招きを断りました。ここで、老預言者はこの若い神の人の信仰を励まし、主の命令を守るように助けるべきでした。食べることより御言葉に忠実に生きている若者純粋な信仰を学ぶ必要があったのです。特に彼はベテルに住みながらも王の偶像崇拝に反抗せず、生ぬるく生きている自分のことを悔い改めなければならなかったのです。しかし、老預言者は自身に不忠実なところから他人をも自分にひきつけようと若者を誘惑しました。18、19節をご覧ください。「彼はその人に言った。「私もあなたと同じく預言者です。御使いが主の命令を受けて、私に『その人をあなたの家に連れ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ。』と言って命じました。」とあります。こうしてその人をだました。そこで、その人は彼といっしょに帰り、彼の家でパンを食べ、水を飲みました。
神の人は彼が預言者だということに心を許して神様の警戒に背いてしまいました。彼はベテルの預言者が誘惑した時、始めは断りました。しかし、次に神のお告げだと欺いた時、マンマと乗せられて失敗してしまったのです。なぜ、そうなったのでしょうか。おそらく、王の誘惑に打ち勝った預言者は瞬間的に自慢し、使命感が弱くなったでしょう。使命に対する絶対性も弱くなり、ちょっとだけはパンを食べ、水を飲んでもいいじゃないかという合理的な考えがあったかも知れません。でも、使命に忠実だった神の人が食べ物、飲み物のために失敗したことは本当に悲しむべきことです。
ところが、悲しいことに、私は、このメッセージを準備しながら神様が私にも警告しておられるような気がしました。水曜日の夜8時にあるパウロチームの勉強会に対する絶対性が弱くなっていたからです。家で食べたり、飲んだりしながら遅れる時がしばしばありました。土曜日に牧者チームの集まりには夜9時でもご飯を食べずに参加しながらも、水曜日の集まりに対して同じ宣教師だから甘えていました。しかし、どんな時でも神様の御前で考え、最後まで忠実でなければなりません。マンネリ化された心ではなく、初めの心を守り続けることです。神の人が主の警戒を守り通さず、始めの心から退き、不従順であった時、その結果はどうなりましたか。
20?32節をご覧ください。その人は主のことばにそむき、主が命じられた命令を守らなかったために獅子によって殺されました。彼の死体は道に捨てられてしまいました。ここで、考えてみると、神様の御言葉に対する不従順の結果はノンクリスチャンより、神の人、クリスチャンにおいてもっと厳しいことが分かります。ヤロブアムは不従順のために手が麻痺されるだけでした。しかし、神の人はいのちを失いました。神様は神様を知り、神様の御言葉をいただいている人には、もっと高いレベルの従順を求めておられるのです。年寄りの預言者はそのことを深く悟ったようです。彼は神の人の死をひどく悲しみ、彼のなきがらを自分の墓に納めました。そして、息子たちに言いました。「私が死んだら、あの神の人を葬った墓に私を葬り、あの人の骨のそばに私の骨を納めてくれ。あの人が主の命令によって、ベテルにある祭壇と、サマリヤの町々にあるすべての高き所の宮とに向かって呼ばわったことばは、必ず成就するからだ。」彼は若い神の人の死を通して神様の御言葉は必ず成就する確信し、息子にも伝えました。自分の息子に同じことが起こらないように警告したのです。
しかし、このことがあって後も、ヤロブアムはまだ悪い道から立ち返りませんでした。彼は引き続いて、一般の民の中から高き所の祭司たちを任命し、だれでも志願する者を任職して高き所の祭司にしました。このことによって、ヤロブアムの家が罪を犯すこととなり、ついには、地の面から根絶やしにされるようになります。

?.ヤロブアムの道(14:1-16:34)
神様は悪い道から立ち返ろうとせず、悪行を引き続けるヤロブアムに恐ろしい災いを下されました。ヤロブアムの息子が病気になりました。すると、彼はかつて自分がイスラエルの王になることを預言したアヒヤの所に送りました。ヤロブアムは、ずっと神様の御言葉を無視していましたが、わが子の病気のためにはひそかに神様を求めたのです。「困ったときの神頼み」ですね。苦しい時に神様に頼むことは良いことです。でも、ヤロブアムは愚かなことをしました。ありのままで主の御前に出てきたのではなく、自分の妻を変装させて神様のしもべをだましました。自分の息子だけは癒してもらおうとしたのです。ただ、自分利益だけを求めるご利益信仰ですい。彼は深く反省して悔い改めるべきこの場合に悔い改めることをせずに、むしろ神様の預言者を侮った態度をとってしまいました。結局、ヤロブアムの家はどうなりますか。
10-12節をご覧ください。「だから、見よ、わたしはヤロブアムの家にわざわいをもたらす。ヤロブアムに属する小わっぱから奴隷や自由の者に至るまで、イスラエルにおいて断ち滅ぼし、糞を残らず焼き去るように、ヤロブアムの家のあとを除き去る。ヤロブアムに属する者で、町で死ぬ者は犬がこれを食らい、野で死ぬ者は空の鳥がこれを食らう。』主がこう仰せられたのです。さあ、家へ帰りなさい。あなたの足が町にはいるとき、あの子は死にます。」とあります。ヤロブアムの家にわざわいが起こり、彼の家の者が滅ぼされます。後々のことですが、それが必ず起こることは確かです。それを示すしるしとして、今、病床の中にいるヤロブアムの息子が死にます。それらのすべての原因はヤロブアムにあります。彼には素晴らしい約束が用意されていました。大いなる祝福が用意されていました。それを台無しにしたのは、ヤロブアム本人です。
16節をご一緒に読んでみましょう。「ヤロブアムが自分で犯した罪と、彼がイスラエルに犯させた罪のために、主はイスラエルを捨てられるのです。」そうです。ヤロブアムの罪は、彼個人で終わるものではありませんでした。彼の罪のために、神様はイスラエルを捨てられるのです。
14章21?15章21節までは南ユダ王国の話になります。ユダではソロモンの子レハブアムが王になっていました。彼がイスラエルを統治しているとき、ユダの人々は主の目の前に悪を行ない、彼らの先祖たちよりひどい罪を犯して主を怒らせました。第二代の王アビヤムは父がかつて犯したすべての罪を行ない、彼の心は父ダビデの心のようには、彼の神、主と全く一つにはなっていませんでした。第三代の王はアサですが、真っ暗の夜になっていたイスラエルに朝日のような存在でした。イスラエルはアサが王となって明るい朝を迎えるようになったのです。アサは父ダビデのように、主の目にかなうことを行ないました。アサの心は一生涯、主と全く一つになっていました。心が一つ、というのは大事です。頭ではなく心です。心が一つであれば、私たちの行為はいかなるものでも、主のみこころを反映したものになります。
一方、イスラエルの王たちはどうなっていましたか。15:25節から16:34節まではヤロブアム以後、6人のイスラエル王たちのことが記されています。イスラエルの第二代の王はナダブですが、彼は主の目の前に悪を行ない、彼の父の道に歩み、父がイスラエルに犯させた彼の罪の道に歩みました。第三代のバシャ王はどうでしたか。34節をご覧ください。「彼は主の目の前に悪を行ない、ヤロブアムの道に歩み、ヤロブアムがイスラエルに犯させた彼の罪の道に歩んだ。」とあります。第四代の王エラ、第五代の王ジムリはどうでしたか。12、13節をご覧ください。「こうして、ジムリはバシャの全家を根絶やしにした。預言者エフーによってバシャに言われた主のことばのとおりであった。これは、バシャのすべての罪と、その子エラの罪のためであって、彼らが罪を犯し、また、彼らがイスラエルに罪を犯させ、彼らのむなしい神々によって、イスラエルの神、主の怒りを引き起こしたためである。」とあります。第六代王オムリはどうでしたか。25節をご覧ください。「オムリは主の目の前に悪を行ない、彼以前のだれよりも悪いことをした。」とあります。ひどいですね。これまでの王は単にヤロブアムの道に歩んだ、とありましたが、ここでは、彼以前のどの王よりも悪いことをした、と書かれています。しかし、第七代の王アハブはもっともっとひどいです。30?34節をご覧ください。「オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目の前に悪を行なった。彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。さらに彼は、サマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を築いた。アハブはアシェラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前のイスラエルのすべての王たちにまして、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行なった。」とあります。ヤロブアムの道は悪名高いアハブ王の時に絶頂期になっていました。アハブは彼以前の誰よりも主の前に悪を行いました。それは外国のまったく新しい神バアルをイスラエルに導入したことです。現在のレバノンに位置するシドンから、その王の娘であるイゼベルを妻にめとりました。彼女はとてつもない邪悪な女で、イスラエルにシドンの神バアルに仕えさせるようにしました。

以上で、私たちはソロモン以後分裂された南ユダと北イスラエルの王たちに関する記録を勉強しました。列王記の著者はユダとイスラエルの王たちの道を二つに分けています。一つはダビデの道であり、もう一つはヤロブアムの道です。南ユダは、ダビデのゆえに、悪の道から遠ざかることができた王もいました。15:11,12節をみると「アサは父ダビデのように、主の目にかなうことを行なった。彼は神殿男娼を国から追放し、先祖たちが造った偶像をことごとく取り除いた。」とあります。主の目にかなうことは神殿男娼のような情欲の種、罪の文化を追放し、偶像をことごとく取り除くことです。ダビデは心を尽くして神様を愛し、神様の御言葉に従う生活をしました。イスラエルの民が神様のみに仕え、主の御言葉を愛して従うことによって神様に祝福され、何をしても栄える道を見せてくれました。それで、ダビデの道に見習っていた初期のソロモンとかアサ王は、霊的に偉大な王として主の目にかなうことを行ないました。すべての偶像を取り除いて神様を愛し、勝利と繁栄、栄光の道を歩みました。
神様はヤロブアムにもダビデの道を歩むことを願われました。「もし、わたしが命じるすべてのことにあなたが聞き従い、わたしの道に歩み、わたしのしもべダビデが行なったように、わたしのおきてと命令とを守って、わたしの見る目にかなうことを行なうなら、わたしはあなたとともにおり、わたしがダビデのために建てたように、長く続く家をあなたのために建て、イスラエルをあなたに与えよう。」と約束してくださいました。もし、彼がダビデの道に歩んだなら、神様は彼のために長く続く家を建て、彼に繁栄と栄光を与えてくださったはずです。彼自身が信仰によっていつも勝利する人生を生きることだけではなく、彼の子孫も繁栄し、何をしても栄えるようになったでしょう。しかし、ヤロブアムは不信仰によって自分勝手に新宗教を造り出して「ヤロブアムの道」に歩みました。彼が歩んだヤロブアムの道は不信仰の道であり、不従順の道でした。彼は目先の安全の成功のために神様から遠ざかり偶像崇拝の道を歩んで行ったのです。それによって彼の家族と子孫たち、自分の民たちに悪影響を及ぼすようになりました。彼の愛する息子は病気にかかって死にました。謀反と反逆によって彼に属する息のある者はひとりも残されず、根絶やしにされました(15:29)。ヤロブアムに続く王たちの統治期間はほとんど短命でした。ナダブ、エラは二年間統治したし、ジムリは、なんと七日だけの王でした。ヤロブアムの道に従ったイスラエルの民はますます衰退して外国の侵略によって土地を失い、国が引き裂かれる痛みを経験せざるを得ませんでした。ききんと捕虜生活などで苦い、苦い試練を経験しなければならなくなりました。
このような外見上の苦しみだけではなく、ヤロブアムは彼の子孫たちに謀反と不従順の精神を生み出しました。イスラエルは謀反、反逆によって混乱し、国内の秩序も乱れてしまいました。神様の御言葉に対する畏敬の念もなくなり、神様の教えを軽んじる文化が形成されてしまいました。

結論的に、ヤロブアムのひとりの罪がいかに恐ろしい結果をもたらしたかを学びました。その罪は神様の約束の御言葉を守らなかった不信仰から始まりました。神様は彼らの不信仰を直すためにいろんな出来事をとして御言葉がそのとおりに成就することを悟り、悔い改めるように助けてくださいました。しかし、イスラエルはヤロブアムの道から離れず、その道から立ち返ることもありませんでした。その結果、ヤロブアムと彼の子孫たちは罪悪の遺産を受け継ぎ、恐ろしい罪の実を刈り取るようになりました。私たちはヤロブアムの道に歩まず、ダビデの道に歩んで行きましょう。それで、私たちの子孫と後輩たちに良い霊的な遺産を受け継がせる先祖となるように祈ります。